介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

若い人たちにこそお金を回すべきです

 僕自身は、老齢の母との生活ですが、ただの一度も不満を感じたことがありません。

 一緒に暮らしている母は、僕が19歳のときに、僕の父のところに再婚相手として、板橋からやってきました。母の実家は高崎ですが、板橋の大山というところで、一人暮らしをしていたようです。

 当時の僕は、父の再婚を何の感慨もなく受け入れていました。もう少し若かったら、反発する気持ちもあったかもしれません。

 しかし僕は、家を出て一人暮らしをしたかったし、そのためには、父の再婚は僕にとっても悪い話ではありませんでした。

 僕は、大学には行かず、アルバイトを転々としてフリーターのようなことをして、35歳まで過ごしました。その間、合同結婚式で悪名高い、統一教会で、2年ほど専従生活をしています。

 35で、やっとまともな仕事に就いたのですが、時を同じくして幸福の科学というカルト宗教にはまり、両親も巻き込んでしまい、統一教会で、1000万円、幸福の科学に、1500万円ほどのお金を使ってしまいました。

 このことは、以前、別の記事で書いています。

      我が家の預貯金をお話しします  

 バカの見本のような人生を送ってきて、53歳で、カルト宗教幸福の科学を脱会。

 その後父の入院と介護で、当時住んでいたマンションを売り払い、実家を建て直して現在に至っています。父はこの5月に他界しましたが、僕自身は1月末に介護離職し(書類上は2月)、もうすぐ8か月になります。

 ずいぶんと散財しているのに、今もこうして普通に生きていけるのは、ぶっちゃけ、親の年金収入のおかげです。

 父の他界後は、母の年金と遺族年金になり、2か月に1度もらう年金収入はだいぶ減りましたが、それでも生活保護程度の収入は得ています。これは、いわば、不労所得です。

 この年金に助けられています。なぜなら、もし父が再婚していなければ、今一緒に暮らしている義理の母とは、親子関係にはなれなかったからです。

 義理の母の遺族年金で、僕は今、事実上生活させてもらっています。自宅で起業し、仕事はしていますが、今はまだ無収入です。僕自身は無収入にもかかわらず、飢えもせずに生きていられるのは母の年金のおかげです。

 一方、若い人たちの雇用環境は、僕が彼らの年代だったころに比べて、極めて厳しいと言わざるを得ません。消費が伸びないのは当たり前です。若い人たちの給料が安すぎるからです。

 若者が疲弊する社会は健全ではありません。このままでは日本は衰退します。

 

手取り25万円の過労と手取り13万円のジリ貧

「残業は月100時間ぐらいあったけど、残業代は出ました。なので、手取り25万円は超えていました」
 Tさんが、IT系の中小企業にいたときのことです。

「結局、残業代はたくさんもらっていたけど、長時間労働の過労で倒れて体調を崩しました。精神科では抗うつ神経症って診断されて、働けなくなりました。両親のいる実家に帰って、しばらく休んでから大学時代に取った図書館司書の資格を生かそうと図書館に勤めた。今と同じ嘱託職員で、手取りは12万円程度でした」

 図書館の嘱託職員は、5年で雇止めになるようです。

 上記のTさんは、その後実家を出て都内で働くようになります。手取りは、少し増えて13万円。

 手取り13万3442円で、家賃5万円のアパートでひとり暮らし。手取り給与から家賃を差し引くと、月8万3000円しか残りません。

「5年の契約が切れるとき、私は39歳です。すごく司書の仕事は好きで続けたいけど、またギリギリの生活から抜けられない覚悟をして、同じような非正規を渡り歩くか、またはほかに能力ないけど、もう少しまともな生活ができるような仕事をなんとか見つけるか。年齢もあるし、本当は将来がないなら今すぐちゃんとした仕事を探したほうがいい気もするし。悩みばかりです」

 単身で暮らす20~64歳の女性の3人に1人(32%)が貧困状態にある(国立社会保障・人口問題研究所)そうです。

 もしかしたら、実家に戻れない事情があるのかもしれませんが、Tさんは東京暮らしをやめるべきです。田舎で質素に暮らすのは、それほど大変ではありません。刺激も少ないですし、山や川に行くだけでも気晴らしになります。

 

ただ一人歩むことの平安

 原始仏教経典の中にある釈迦の詩を読んでいて、感じたことがあるので、記してみます。

「あらゆる生き物に対して暴力を加えることなく、あらゆる生き物のいずれも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。いわんや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め」

「交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍いの生じることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め」

「朋友、親友に憐れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め」

「林の中で縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由を目指して、犀の角のようにただ独り歩め」

「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねに人に呼びかけられる。他人に従属しない独立自由を目指して、犀の角のようにただ独り歩め」

「四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め」

 愛情や親しみといった、一般的には良いとされるものでも、釈迦的には、「苦」になってしまうのでしょうか。

「何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく」というのはいいですね。このようにありたいものです。

「他人に従属しない独立自由を目指して」も、目指すところです。もう過去のことではありますが、長年カルト教団に搾取されていた身としては、身に染みる言葉です。

「子を欲するな、友を欲するな」というのは、何と強烈な言葉かと思います。

 数か月間、迷惑メールが止まらないアドレスを、閉じるに際し、何人かにメルアド変更のお知らせを出したのですが、いくつかは返事がありませんでした。自然に疎遠になっていくものは、成り行きに任せたほうがいいと思い、そのままにしてあります。

 僕は会社依存型の人間ではなかったので、会社以外での交友関係がそれなりにあるのですが、会社一辺倒の人は、退職すると同時に大半の人間関係が消滅してしまうらしいです。

 去る者は日日に疎しで、介護離職後は、11年間勤めたホテルでの人間関係も、一人を除いて希薄となりました。

 人はだれでも時に押し流され、バラバラになって、一人で死んでいきます。

 もともと一人で生まれてきたのですから、一人で死んでいくのは道理です。昔の中国の皇帝のように、自分が死ぬときに道連れを強要できる人は、今の時代ではいかなる権力者であってもいないでしょう。

 孤独を受け入れなければ、真実に向き合うことはできません。

 愛する人がいても、それが愛着となれば苦に転化します。愛する人や物に対しても、執着したら苦となります。しかし、執着のない人などいないでしょう。立派なことを言う宗教家が、実は最も執着が強かった例を何度も見てきました。

 執着が全くない人はいませんが、少ない人はいます。そうした人は市井の中でひっそりと暮らしています。誰に知られることもなく、自己顕示欲も少なく、静かにしています。

 そしてその静かさの中に、平安を感じているのかもしれません。


最新記事
アーカイブ
最新コメント
ハピタスでポイント生活を
その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス
介護離職からのおひとり様ローコスト生活 - にほんブログ村
スポンサードリンク
PVアクセスランキング にほんブログ村
ブログランキング・にほんブログ村へ
  • ライブドアブログ