介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

Iさん

体調がわるいと気が弱くなる


体力自体の衰えは、56歳ごろから顕著に感じていました。

それが仕事にも影響し、ミスなども出始めた頃に、父の介護が必要になるというタイミングが重なり、介護離職したわけですが、あのまま仕事をしていたら、場合によっては大きな事故を起こした可能性もあります。

それなりに、ガテン系の、仕事だったのですが、何にせよ、24時間勤務というのは、長いのですよ。

で、もうろうとした状態で働いていた時期もあり、これは、危ない、と、思っていました。

ある意味、介護離職は、天の助けでもあったのかもしれません。

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で、この5月にアルバイトを辞めたのも、この暑い夏を見越して、冷房もない、40度にもなる倉庫での作業は、もはや無理であると判断。

この判断も、正解でした。

で、今は、低空飛行ながらも、何とか体調を維持している感じです。

そうは言っても、基本的に体力や活力はないほうなので、それに体調の悪さが重なると、もう動きたくなくなってきます。

まあ、こういうときは、ひたすら眠るしかなく、寝るか、横になるかして、やり過ごします。

そうするとまた、体が、徐々に回復してきて、何とかなる、と言う感じですね。

いろいろなことが億劫に感じる、ということ自体、生命力の衰えだと思うのです。

先日、友人のIさんと浦山ダムに行ったときも、車に乗せてもらい、連れて行ってもらったから行けた、みたいなところがあります。

以前は、親を温泉に連れて行くという目的があったから、平気で長距離運転もできたのでしょうねえ。

また、当時は、マーチという小型車とは言え、一応は、普通車に乗っていたのもあるかもしれません。

今乗っている、アルトでは、遠出する気にはなりません。

同じ軽自動車でも、Iさんのハスラーは、まったく乗り心地が違いました。 

あの日は、昼食も、Iさんに作ってもらい、これまたIさんが持って来てくれた500ミリリットルの缶ビールを、運転しない僕だけが飲んだのですが、それを昼過ぎまでの4時間くらいで、2本飲むくらいのペースが、ちょうどよく、まさに何もかもがフィットした一日でした。

で、何が言いたいのかというと、体力の衰えに伴って、もともと弱かったアルコールもさらに弱くなったなあ、という実感。

つまり、これから先何年生きるかはともかくとして、体力はこれからも少しずつ落ちていくし、いろいろなものが衰えていくだろうということ。

自分に付随する様々なものが衰え、失われていく中で、その当然の帰結のように、内省的にならざるを得なくなっています。

で、そういう流れならば、その流れに沿って生きるしかない、と。

体調が悪いと、確かに気が弱くなるし、ペシミスティックになりますが、同時にそれは、内省への契機ともなり得ると。

まあ、僕は、アクティブな年寄りには、なれそうもありません。

体力がない人間はないなりに、お金がない人間はないなりに、何とか人生を生きていき、さらさらと流れていきたいものだと、思っています。


浦山ダムと出会いの丘


昨日は、朝7時半に、友人のIさんが来て、Iさんの車で、秩父市にある浦山ダムへ行きました。

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浦山ダムの駐車場に車を止めて、車を日陰にして椅子を置き、ダムを眺めながらの、対話。

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そのうちに太陽が移動して、車の日陰がなくなったのちは、隣接する建物の日陰に移動。

そして、また、対話。 

昼過ぎまで浦山ダムにいて、その後は、滝沢ダム方面へ。

山梨県へと抜けていく雁坂トンネルの手前にある出会いの丘の駐車場の片隅に車を止め、また、対話を継続。

帰りは、秩父市内を抜けて飯能方面へと向かう途中で渋滞もありましたが、19時半ごろに帰宅。

Iさんは、さらに僕の家から、東松山市にある自宅まで帰るのです。

僕は、今、フルリタイア状態で時間を気にすることなく日々を過ごしていますが、今も現役ビジネスマンであるIさんは、仕事の時間が占める割合が多いため、なかなか自分の時間はないようです。

そうした中での貴重な時間を、緑深い澄んだ空気の中で、過ごせたことを、お互い大変に喜んだ次第。



帰りの車の中で聴いた曲の一つです。


いつ死んでもいい覚悟


昨日は雨の中、友人のIさんが東松山市から来てくれて、そのまま僕の町にある湖に行きました。

その湖のほとりの小高い山の中に東屋があって、そこで雨をしのぎながら対話しようと思ったのですが、思いのほか雨が降っていて、東屋へと向かう坂道の階段に沿って水が流れ落ちているので、急遽場所を変更。

湖に来る道の途中にある、総合運動公園へ。

広い敷地の芝生の中にある藤棚へ行ってみたのですが、藤棚というのは日よけにはいいが雨除けには今一つで、ベンチが濡れている状態。

では、体育館の中の椅子へ、と思ったのですが、玄関へと向かう途中、Iさんが、あそこは、と指し示した場所が、ちょうど凹んだ空間。

屋根もあり、空間的な広さもあり、ということで、そこに決定。

Iさんが車に積み込んであるミニ椅子とミニテーブルをそこにセッティングして、対話をしました。

Iさんは、自身がベーシストでもあり、ロックに造詣が深く、音楽の話をしばらくしていたのですが、このまま行くと音楽の話だけで何時間も、というのも、と思い、話題を変更。

その後、実に様々な話をしたのですが、僕は、改めて、今の自由な時間を生きている暮らしが正解だなあと思うと同時に、いつ死んでもいい覚悟を持っていたほうがいいという気持ちを、さらに強くしました。

今、61歳で、もう、シニアと呼んでも良い年齢ですし、先のことはわかりません。

なので、今だけを見つめていようと、思った次第。

Iさんのほうは、僕より10歳若い51歳で、まだ現役のビジネスマンでもあるので、まずは仕事に集中し、お互い、マネーリテラシーの話や、共に抱えている住宅ローンの話、そして、共に信じる対象は違えど、お互いの宗教観なども、話し合いました。

ときどき、前を若者のグループや家族連れが歩く中、対話は流れるに任せて、ときどき、雨にけぶる風景などにも目をやったりしていました。

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14時ごろに始めた対話も、気がつくと18時になっていて、腰を上げた次第。

空は、ずっと曇っていて、雨も降ったりやんだりでしたが、実りのある4時間でした。

 帰りは、Iさんがピンク・フロイドのファーストアルバム、夜明けの口笛吹き、をかけながら、この時には、ギルモアは、いなかったんですよね、などと発言。

ピンク・フロイドのファーストアルバムを聴いたのは、僕はこの時が初めてでした。


感性と理性とのせめぎあいの果てに導かれた平安


霊的な光の感覚が、その頃の僕の、最後の拠り所でした。

この拠り所とは、幸福の科学で言うところの、信仰の命綱、でもありました。

精舎で感じる光、あるいは、東京ドームの講演会での光体験、これらが、実に強力な動機となって、僕の幸福の科学での信仰を支えていました。

それは、僕にとっての、エルカンターレ信仰の根拠でもあり、原動力でもありました。

しかし、その一方で、僕の理性が、度重なる矛盾の数々を、どうしても受け入れられずにいたのです。

よっぽど、矛盾になど気づかずに、無邪気に、信じ切っていた頃のほうが幸せだったとも思いましたが、いや違う、という自分がいて、苦しくても、不都合な真実と向き合う今の自分のほうが尊い、という思いもありました。

この、ぎりぎりのところの攻防は、到底短い文章で語ることはできません。

感情が揺れ動き、自分を制御することが難しいときも、ありました。

光体験を重視する感性と、矛盾に承服できない理性との、戦いでもありました。

この苦しみは、他人に話しても到底理解される類いのものではないことを、僕自身、わかっていました。

わかってくれる人がいるとしたら、同じ様な体験を通過した人だけだろうと思いましたが、そのような人は周りにはいませんでした。

そのように悶え苦しんだ日々ではありましたが、退会すると決めた頃だったでしょうか、僕の親友でもあり、法友でもあり、年下ではありますが、何かと頼りにしていたAさんに、苦しい心情を打ち明けた記憶があります。

Aさんは、自分の仕事が忙しいにもかかわらず、辛抱強く、僕の話を聞いてくれました。

当時、僕は、マンションで独り暮らしをしており、Aさんの住居も、僕のところから歩いてすぐのところにありました。

Aさんは、僕の気持ちを尊重してくれ、それで僕が本当に幸せになるのであれば退会するのは構わない、という趣旨のことを言ってくれました。

また、Aさん以外にも、僕よりもだいぶ年上の会員のSさんも、僕のマンションを訪ねてきて、話を聞いてくれました。まあ、このSさんには、僕の気持ちや考えは全く理解はしてもらえませんでしたが。それでも、わざわざ訪ねてきてくれたことは、ありがたく思いました。

それ以外には、当時の支部長とも話しましたが、こちらは短い時間でした。僕の、退会の決意が固いことを知るとあきらめたようでしたが、別れ際に、せめて6月まで保留しないか、と言われました。その間に、富士山の大爆発が起こるから、と、言っていました。

僕は、富士山も活火山だから、いずれ、そういうこともあるでしょうが、6月までに噴火するということはないと思います、と、答えたのを覚えています。

僕自身、当時、そうした、教団の天変地異の予言に、本当に嫌気がさしていたので、それは、即座に答えました。

寄る辺なき子さんは、おそらく、僕より信仰歴が長いと思われるので、法友を失う苦しみ、自分が根拠として立っていた足下の大地が消えていく苦しみを、体験されたことでしょう。

そしてその苦しみは、今も継続中かもしれませんが、その葛藤があってこそ、真実を見つけることが可能となるのだと、思います。

話を、元に戻しましょう。

光体験を重視する感性と、矛盾に承服できない理性、とのせめぎ合いに、どのように決着をつけたのか、あるいは、どのように、運命が僕を導いたのか、の続きです。

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結論から言うと、僕の、過去の宗教体験が、役に立ちました。

僕は、父が世界救世教の信者であったために、自然に父と同じ信仰を持つようになりました。学生部、青年部と、順調に、信仰生活を続けていたのですが、善悪の問題で悩み、教団職員に相談しても、そこでは答えが得られないことを知り、やがて、真理を求めて、さすらうようになります。

その後、統一教会の堕落論を知ることとなり、長年心を去らなかった善悪の起源の問題が解決しました。そして、統一教会に入信し、全財産を献金し、専従生活に入りました。

で、実は、世界救世教時代にも、統一教会時代にも、僕は、タイプの違う、神体験、をしていたことを、思いだしたのです。

世界救世教のときは、熱海にある救世会館という、建物内で、突然、霊感に打たれて号泣したことがありました。一緒にいた人が、びっくりした顔で、僕を見たことを、今でも、覚えています。当時は、十代で未成年でもあり、多感でもありましたが、霊体質でもあったのだと思います。

統一教会では、ツーデイという合宿で、神が現れて、長い間探し求めていた我が子よ、と言って、僕を泣きながら後ろから抱きしめる、という体験をしました。ああ、これが、生きた神なのか、と、思いました。それだけではなく、専従生活で、日々、伝道に明け暮れている中で、奇跡とも思える体験を、いくつかしています。

そうした、過去の宗教団体における神体験、光体験を思いだすに及び、この、幸福の科学での光体験も、それに類するものではないのか、と、冷静に分析できるようになりました。

少し余談になりますが、今年1月に、上祐史浩氏に会いに行った話は以前しましたが、彼の友人で、広瀬という人だったと思いますが、やはりオウム信者で、大変な秀才だったそうですが、その人も、最後は理屈ではなく、神秘体験によって、麻原に心酔し、サリン事件を起こしたとのことでした。

つまり、結論を言うと、個人の神秘体験や個人の霊的能力には、普遍性はない、と、いうことなのです。

ただし、普遍性はないが、その人にとっては、強力な体験であり、信仰を継続する上での大きな動機付けになる、ということ。

ここが、神秘体験や霊的能力の、功罪相半ばするところではないか、と、思います。

そして、そのことに気づいた僕は、さらなる検証と内省の日々を重ねていきました。


僕が今でも、貴重な体験だったと思う研修を、一つ紹介します。

それは、日光精舎での、八正道研修でした。

礼拝堂のピンと張りつめた空気の中、出された公案に対して思慧していく、というものでした。

このとき、僕の守護霊がすぐ背後に立ち、この機会を逃すまじ、という強い気迫で、僕にメッセージを送ってきたのです。僕は、自動書記のような感じで、送られてくる言葉をノートに殴り書きしていきました。

そして、その公案が終わったときには、その与えられた言葉の数々に、自分でもびっくりしたのを覚えています。そこには、自分でもうすうす気づいていた自分の欠点や課題、これからの方向性などが、書かれていたのです。

こうした体験から、僕は、精舎での研修などにも、かなりのめり込んでいきました。

こうした体験を積み重ねていくと、信仰の確信が深まるばかりで、その結果として、活動にも、熱心になっていきます。

その後、幸福の科学を退会した僕ですが、たとえば、今例に挙げた日光精舎での研修における体験は、今でも、守護霊からのメッセージであったと、思っています。

事実、その研修の後、僕は、そのメッセージを、日々の生活の中に生かすようにしましたからね。

シルバーバーチが説くように、守護霊なり、指導霊なり、導きの霊存在は、ラベルを選びません。

つまり、その機会、そのときで言えば、日光精舎での八正道研修が、メッセージを伝えるのに最適の機会であれば、それを活用するのですね。

たとえそのことによって、僕がさらにその信仰にのめり込むことになったとしても、それ以上に、その時僕に必要なメッセージを伝えることのほうが有益であれば、そうするわけです。

事実僕は、その後、そのメッセージを日々の生活の中に生かし、日常生活を改善していきました。

だから、僕にとって、幸福の科学での日々は、決して無益なものではありませんでした。

今でも付き合いのある、Aさんや、Iさんなど、有徳の人との出会いも、ありましたからね。

さて、僕の、こうした体験が、どれほど、寄る辺なき子さんのお役に立てるかわかりませんが、僕が退会するときのこと、そしてその退会は、決して安易な気持ちからのものではなかったことをお伝えできれば、多少なりとも参考になるのではないかと思い、記してみました。

もし、また、何か、書き込みたいことや、あるいは、僕の記述が飛んだ見当違いであれば、そうした指摘でもかまいませんので、コメントしていただければ、と、思います。

長い信仰から離れるときの不安は、それまで立っていた大地が失われるに等しいと、思います。

しかし、真実に向き合う勇気は、その不安に比例して、あるいは、その不安以上に、尊いものです。

それはまさに、真摯に人生を生きていることの証、でもあるからです。

そして、そうした、真実に向き合う勇気は、誰もが持てるものではありません。

大半の人は、それまでの自分の信念、あり方、費やしてきた時間や金銭や心情、その他もろもろの自我に付随する総体を捨てきれず、自覚するとしないにかかわらずそこに縋り付き、自己を客観視することなく正当化し、臭いモノには蓋をして見ないようにし、自分の見たいものだけを見て、自分の在り方を合理化するからです。

また、いかに優れた人であっても、その時期が来なければ、向き合う気にもなれないでしょう。

ただ、すべての人に言えることかと思いますが、それぞれの人のその人生こそが、その人の導き手なのだと思います。

そういう意味では、すべての人が、尊い修行者であり、永遠の旅人なのだと、思っています。




年末年始は格差が身に染みる時期かもしれないが


大手企業の冬のボーナスの平均は95万円で、二年連続過去最高を更新。

こうしたニュースが流れると、大半の労働者は、自分と比較して、様々な思いを持つでしょうね。

僕も、現役時代は、そうでした。

また、この時期、海外に繰り出す親子連れなどを見ると、金のない独身者などは、みじめな思いになるかもしれません。

事程左様に、年末年始のこの時期は、世の中が浮かれる分、不遇を託つ人にとっては、つらい季節。

さて、昨日は、和食よへいで、ここ数年、恒例になっているしゃぶしゃぶ食べ放題忘年会を、AさんとIさん、の、3人でやりました。

ここで思ったのも、考え方や感じ方は、三人三様であるということ。

それ故に、違う見解を持った人たちとの、語らいは、世の中を複眼的に眺めるのに役立ちます。


ただ、この3人は、基本的に、精神的なことを優位に置いているという共通項はあります。

それゆえ、それぞれの事象に対する見解の相違を認め合いながらも、より高次の視点を模索するという発展的な関係が築けているのだと思います。

Aさんからは、グレタさんやローマ教皇についての、また別の視点を、提示してもらいました。

また、Iさんは霊的感性が優れていて、たとえば、霊臭、と言って、霊のにおい、あるいは、霊界のにおい、などが、わかるようです。

Iさんは、日蓮系の宗教家庭で育ち、まあ、日蓮系と言っても、日蓮宗、日蓮正宗、あるいは、日蓮正宗からたもとを分かった創価学会、さらには、顕正会、など、あるのですが、千葉の、あるお寺の名前を出して、そこの霊的雰囲気の話などをしていました。

僕は、こうした話はとても好きで、Iさんは、ほかにも、トラックドライバーで全国を回っていた時なども、熊本県から鹿児島県に入ると、雰囲気が全然違う、とも言っていました。

雰囲気は、霊域ともつながるので、幕末維新で活躍した鹿児島の地の独特の霊域というのがあるのだと思います。もちろん、幕末維新前から、島津家の家風というか、一本筋の通ったところがあるのだと思います。

熊本も、加藤清正が治めていた地ですから、こちらもそれなりの気風があるのだと思いますが、それぞれの地にはその地独特の霊域があるのかもしれません。

Iさんは、特に、伊勢神宮の霊域の荘厳さというか、そうした話もしてくれました。

まあそのように、人は、この世に生きながらも、実は、その本質は、霊、なのだと思います。

シルバーバーチは、あなたとは何か、という章の中で、次のように言っています。

いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。

あなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。霊的部分が本来のあなたなのです

それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる〝神〟の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。


シルバーバーチの話をすると長くなるのでこの辺にしますが、霊臭を感じる能力のあるIさんは、それをギフトとして活用し、物事を判断する基準にしたり、あるいは、自分が間違った方向に行かないような歯止め、にもしています。

すべての人には、個性があり、特質があり、強みがあると思います。

それをどう活用し、生かしていくかは、当の本人に委ねられているのでしょう。

そう考えると、格差や、他人との比較ではなく、
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自己を掘り下げることこそが、まずはやるべきことだと思うのは、僕だけではないでしょう。

貧乏暮らしも、慣れれば天国

世間一般のカテゴリーで言えば、僕は、貧困世帯ということになるのでしょうねえ。

まあ、僕の場合、前提として、世間一般などを物差しにして生きてはいませんが。

まあそんなのんきなことを言えるのも、一人暮らしだからでしょうね。

つまり、しがらみが、少ないからではないか、と。

父の介護をしていたときの4分の1、その後、母の介助生活をしていたときの3分の1の、今は経済規模で、暮らしています。

というか、その規模で、暮らさざるを得ない、ということ。

地球の、生命進化の歴史を俯瞰すると、押しなべてすべての生物は、環境に適応して姿を変えたりしています。

人間も環境、特に経済的な環境の影響下にあり、それに対応して生活を変えるのは当たり前のこと。

僕の場合は、年金という島が、まあ、あまり大きな島ではありませんが、おぼろげながらも見えているので、そこに向かいながら、アップアップしながら浮かんだり沈んだりして、何とか非正規アルバイトという泳法で泳いでいるありさま。

泳ぎを止めれば、海の底に、沈んでいきます。


さて、昨日は、Aさんと映画を見たあと、Aさんの新居でしばし会話。

思えば、Aさんが新居を購入したのは、一年前。

だいぶ片付いたとはいえ、フルタイムの仕事をしながらの片づけなので、まだ整理整頓の途中という感じ。

新居で、AさんとIさんと僕の3人で、飲み会をやるのは、来年になるかなあ。

今年は、また、華屋与兵衛での、しゃぶしゃぶになりそうな感じです。

Aさんは、株式投資などの投資、つまり、攻めの経済はやっていませんが、守りの経済が強いのが特徴。

家計管理能力は抜群で、守りの経済の大切さは、Aさんから学ぶこと大です。


で、僕の強みは、お金を使わずに生活を楽しめること。

ただ、そのための前提は、ゆったりとした生活時間があること。

ゆったりとした生活時間があり、食うに困らないだけの経済があれば、僕にとってはそこは天国。

天国は、まさにあなた方のただ中にある、と、イエス様も言っていますが、ほんとうにその通りだと思いますよ。

60年生きてきた中で一番美味かったかき氷と人生の味わい

夏と言えばかき氷で、かき氷と言えば、埼玉県では長瀞にある阿佐美冷蔵が有名。

この時期は、かなり長蛇の列になることもあり、並んでまで食べたい味。僕は、まだこの夏は、かき氷自体を食べていませんが、その代わり、丸ごとスイカを4つ食べました。特に4つ目に食べた尾花沢産のスイカはおいしかったですね。

僕が、この60年の人生で、一番美味しいと思ったかき氷は、これ。


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凍らせたマンゴーをそのままかき氷にしたもの。

つまり、水は一滴も入っていません。

これは、那覇市のやちむん通りを抜けた商店街で、偶然入った店で食べたもの。

この偶然性がいいのですよ。

で、今日はかき氷ではなく、人生の味わいについての話。

ちょうど9連休の中日の昨日は、友人のIさんの家に、昼の12時半ごろ行きました。

Iさんの家は、駅から歩いて3分という好立地。

近くには有名な神社もあり、住環境は良いところです。

これは、Aさんの新居にも共通するところですが、住環境というのは不動産選びで一番大事なところ。

さて、気がついたら、Iさんの家に6時間以上も長居して、帰る頃には夕方に。

Iさんとは、互いの宗教観、さらに言えば、信仰観、人生観、などを話し合い、また、今後の投資戦略や、老後への見通しなど、多岐にわたって話をしました。

Iさんのアドバンテージは、僕より10歳若いことと、現役の正社員として働いているため、インカムゲインが僕の3倍以上あること。

Iさんの堅実な生活ぶりを聞くにつれ、マネーリテラシーなどについては、僕からアドバイスすることは何もないなと思えるほど、経済についても明るいことがわかりました。

それで、お互いに共通していることは、堅実な生活は大切だけど、旅行など、今だからできることも大事だよね、と考えている点。

たとえば、Iさんは去年の大晦日に、伊勢志摩方面に旅行中に 撮った写真をラインで送ってくれたのですが、やっぱ、行きたいと思ったときに、行ける状況であれば、行っておいたほうがいい、という点も同じ。

つまり、お金以上に大切なものが、機会、というモノ。

お金が大切なのはもちろんで、その前提の上での話ですが、機会、は大切。

それは、言葉を換えれば、タイムリーということ。

野球でも、ここで一本ヒットが欲しいというときのヒットと、大量得点差が付いていてもう勝ちが決まっている中でのヒットでは、そのヒットの重みと言うか、喜びが違うように、旅行や、食事でも、このタイムリー感は、大事。

先日僕は、大穀でAさんと会って鰻重を食べたときも、高かろうが鰻重が食べたいときは、鰻重がいちばん価値があるのですよ。松屋の牛丼が食べたいときには、牛丼並盛が無上の価値を持つようにね。

つまり、行きたいときにその行きたい場所に旅をすることの価値は、その金額以上のものがあるし、その機会は、逃すべきではない、ということ。

そうした、人生の楽しみも味わったうえでの節約であり、ローコスト生活がいいよね、というのも、Iさんとの共通点。

まあ、実のある話をしていると、アルコール抜きのお茶を飲みながらの話でも、あっという間に6時間が過ぎていきました。

と言うか、アルコールなしのほうが、人生の話をするときには良いようです。

また、飲食店などだと、そうそう長居はできませんが、今回は、Iさん宅での語らいだったので、時間も気にせず話し合えたのはよかったですね。

今年初めての鰻重で、エネルギーをチャージ

昨日、日曜日は、隣の市に昨年居を構えたAさんと会い、大穀で、食事をしながら会話をしました。

今年に入ってから、土用の丑の日にも鰻を食べなかったので、昨日は、鰻重の松を注文。

鰻重と言えば、昨年、母の死後、花火師で投資家のSさんに、鰻の名店で御馳走になって以来。

ほぼ一年ぶりの鰻は、さすがにおいしかったですね。

あれは、待ち時間も、味を良くしているのかもしれません。焼きに40分ほどかかりますが、と、店員さんが念を押していましたからね。


さて、Aさんと言えば、毎年、年末には、華屋与兵衛で、しゃぶしゃぶの忘年会をするのですが、この時に一緒に会うのが、ロック通のIさん。

Iさんは、Aさんや僕の年代とは、10歳ほど下になりますが、結婚歴もあるなかなかの苦労人。

ちなみに、Aさんも僕も、独り者。

僕は、今はすでに辞めている宗教団体に、このIさんも、Aさんも、属していて、未だに、交流が続いているというのは、珍しいケースのようです。

だいたい、宗教団体などのような、思想的な集団は、辞めたりするとそのまま縁が切れるのが普通ですからね。

僕が、この二人と今も交際を続けているのは、二人とも人柄がいいからに他なりません。

それと、Iさんとは、音楽的な趣味が合い、あるお宅で、数人で忘年会をしたときに、ロック談議で盛り上がりました。

そのときに、Aさんが、ベイシティローラーズが好きだったと言ったようなのですね。

で、そのときに、僕とIさんとが、それをディスったらしく、その話をAさんが持ち出したときに、僕のほうはほぼ忘れていて、そう言えば、僕やIさんの音楽の趣味から言ったら、ベイシティローラーズはちょっと、下に見るかな、と、思い、そんなことを言ったのかもしれないと、思いました。

Aさんも、特に音楽にこだわりがあるわけではなく、ただ、単に、意見を述べたまでで、さして傷ついているようでもなかったのですが、そうは言っても、安易にディスるのはよろしくない、と、思い直しました。

で、今日は、Aさんに謝罪も込めて、次の一曲を。




そのAさんですが、今回は、長めの休暇を取って、鹿児島に帰省するそうです。

帰省後は、那須のペンションに旅行にも、行く予定だそうで、なかなかの充実ぶり。

で、Aさんは隣の市の駅近の一戸建てに住んでいるのですが、その駅前から、羽田空港行きをはじめ、日帰りバスツアーなど、さまざまなバスが、発着します。

長い老後を見据え、将来は、一緒に日帰りバスツアーに行く話などでも、盛り上がりました。

まあ、それはだいぶ先の話になるので、直近では、恒例の年末のしゃぶしゃぶ忘年会。

また、Iさんと、Aさんと、僕の3人で、盛り上がりたいと、思っています。

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