介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

図書館

夫婦間でも性的強要はDV



男は、支配したがる生き物。

まあ、それは、生物学的にも、そうなのでしょうねえ。

ただ、そうは言っても、横暴は行けません。


図書館で立ち読みした新聞の相談コーナーで、

40歳を過ぎたころから夫が嫌いになり、

夜の生活が無理になった女性の悩みを読み、

拒否すると夫の機嫌が悪くなり、

断るたびに心臓の鼓動が早くなるなど、

そうした記事を読んで、

そのままでは、いずれ体を壊すのではないかと、

思いました。


殴る蹴るだけがDVではありません。


まあ、これは、奥さん側からの相談なので、

おそらく、夫には夫の言い分もあるはずで、

夫婦と言えども、元は他人。

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こんな感じで、

屋外でマージャンを楽しむ、

お年寄りも
(一応、顔は映らないように配慮して取った1枚)

家に帰ったら、奥さんとはどんな感じなのでしょうねえ。


他人同士が一緒に暮らす難しさは、

おひとり様の僕には、

想像するしか、



ありませんです。



 

午後の珈琲と長い夜の読書



昔は、秋だなあと感じて、一息つく時間が、

もっと長かったように思います。

つまり、秋、の期間が、わかった、というか。


今は、夏から秋を飛び越えて冬のように寒くなったり、

また、夏に戻って、また寒くなり、などしながら、

本来の秋らしい日々が、どんどん狭められている印象。

まあ、これも、地球温暖化の影響なのかもしれませんが、

秋には秋の情緒があり、

それは、味わって暮らしたいなあ、と。


NHKのファミリーヒストリーに、堤真一さんが出ていて、

お父さんは、無口な人で読書家だったそうです。


でも、僕が思うに、

ずっと勤め人として生きていたのでは、

読書の時間も、限られていたのではないか、と。


仕事で疲れていても、本が好きな人は、

寸暇を惜しんで、読みますよね。


僕の今の幸せは、

午後に飲む珈琲と、

長い夜に本に向き合える時間。


あんまり、テレビは見ないですね。

NHKと東京MXのニュース、

ドラマは、少々撮り貯めて、あとで一気見、

例外的に、青天を衝けだけはリアルタイムで見ていますが、  

あとは、食事のときにチャンネルを回して、

目についたものだけ見る感じかなあ。


で、何が言いたいのかというと、

テレビを見ない、

ネットにもつながらない、

秋の夜長の読書の喜び。

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秋は本当に、読書がすすみます。




本と音楽の幸せ。

秋の夜長も、リラックス&エンジョイ。



秋の夜長の読書の幸福



人間の幸福とは何なのかを考えるとき、

それは、一人一人の価値観にもよると思うのですが、

僕の場合であれば、

自由な時間がたっぷりあること。

目覚まし時計で叩き起こされないこと。

好きなだけ寝られること。

食べるのに困らないこと。

散歩できること。

旅行ができたらなおいい。

気兼ねなく本が読めること。

好きな音楽を聴けること。

言いたいことが言えること。

快適な住環境があること。

良い友人がいること。

なのですが、

上記は全部、満たされています。


老後資金2000万円はありませんが、

それは、世間が言っていること。

僕は、500万円もあれば十分です。


今は秋。

食べ物もおいしいし、夜も長い。

秋の夜長の読書は、また格別。

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僕の父も読書家でしたが、

いよいよ晩年になると、

本を手に取ることはなくなりました。 

つまり、本を読むことでさえ、体力が要る、と。

衰えてきたら、読書すら、できなくなるよ、と。

父も、母も、晩年は、寝てばかりでした。


この事実から学ぶとすると、

いったい自分は、あと何冊の本が読めるだろう、と。

あと、どれだけの音楽が聴けるだろう、と。

あとどれだけ、旅行ができるのだろう、と。


まあ、そんな心配は横において、

今は、存分に読書できる身を感謝して、

今日も、いずれかの本を、



読むといたしましょう。



貧困でも生きたい



コロナで大変な人も多いし、

それなのに、株高って、

これじゃ、格差も広がるばかり。


頑張って働いていた人が首を切られ、

路頭に迷う人も増えています。

せっかく買ったマイホームを、

手放さざるを得ない人もいます。


先日、図書館で、コロナ関係の本ばかり借りてきました。

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一つの図書館で借りるのは、3冊までと決めていましたが、

ときには、オーバーすることも。 


コロナ後の世界のことを考えると、

見えてくるものがあります。


もう、過去には戻れない。

いや、いつだって、

過去には、戻れないのですけどね。


ワクチンについても、

本当のことがわかるのは、早くて5年後、

まあ、10年スパンで見たほうが良くね、と。


僕は実は、

コロナについては言いたいことが山ほどあるのですが、

収拾がつかなくなるので、やめておきます。


政治、世界情勢、権力者の思惑、

そもそも、本当の権力者とは誰なのか。


まあ、ここには深入りせずに、言うとすると、




庶民は、

貧困でも生きたい、

なのですよ。



緊急事態宣言でもそこだけは閉めないで



とうとう埼玉県も、また緊急事態宣言が出てしまい、

実は、この7月から働き始めたアルバイト先も、

早々に閉鎖。


次回の記事で、

7月にもらったアルバイト代を公開します。

まあ、それはさておき、

閉めてもらいたくない公共施設は、

ズバリ、図書館。


僕は6つの図書カードを持ち、

その内訳は、自分の町のカードが一つ、

隣の二つの町のカードが二つ、

隣接する3つの市のカードが3つ、

で、計6枚の図書カードを絶賛活用中。


借り過ぎてもどうせ読み切れないので、

借りるのは3冊まで、と、決めています。

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と、こんな感じで、3冊ずつ借りる、と。

それにCDや映画なんかも借りることがあり、

無職男の文化生活を支えています。


なのでお願い、



図書館だけは閉めないでね。



 

めんどくさいことしないで静かに暮らしたい系

 

世の中を生きていくには、めんどくさいことが多いのも事実。

おそらくその点では、天涯孤独のおひとり様は有利。

だってもう、めんどくさいことの大半はないのですからね。

ただ、例外もあって、

その天涯孤独生活を送る本人が、めんどくさい人の場合。


さて、昨日は、猛暑の中、両親の眠るお墓へ。

その後、新聞でも読もうと図書館へ。

入間市立図書館金子分館で、新聞をざっと読み、

市の広報誌ももらってきました。

もう43年も前に暮らしていた故郷ですが、

誰とすれ違っても、年数が経ち過ぎていて、

知り合いと合ったとしても、お互い認識できず。


入間市のPR大使に、朝日奈央さんが就任したようで、

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広報いるま7月号の表紙を飾っていました。


その後、市民体育館の駐車場に車を停めて、

駅方面へ。


僕が今住んでいる東武鉄道沿線よりも、

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路線がごちゃついてます。

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ペペや丸広などで涼み、

スローペースで歩きます。


丸広から出るときも、

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温度は35度越えの感じ。


そして、ゆるゆると帰宅。

昼間なのに、豊水橋を挟んだ道路が激混み。

それなのに、少しもイライラしないのは、

時間に追われていないからでしょう。


今図書館から借りているツェッペリンの

4枚組CDも、車の中にあったので、



渋滞中のにわかロック喫茶を楽しんでいました。





74歳女性の質素な暮らし



昨日の記事の60代の女性は、キリスト教を捨て、神はいないとすることで自由になった話でした。

ただ、その自由は、まだ苦しみの中にあり、煩悶は続いているようです。

今日取り上げる女性は、さらに高齢の74歳。

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ミツコ(みつこ)
1946年生まれ。牧師。8人きょうだいの5番目として牧師家庭に育ち、自身も牧師を志す。神学系の大学を卒業後、同じく牧師の夫と結婚。夫婦二人三脚で47年間教会を運営。その傍ら、娘4人を育て、孫が16人。長年闘病していた夫を2016年に見送る。現在も協力牧師として、週2回教会につとめ、日曜礼拝で説教を行うことも。

こちらの本も、図書館リクエストで、借りた本で、人気があるらしく、予約者がいるようなので、すぐに読んで返しました。

昨日取り上げた、野原さんとは、まさに、好対照の人です。 

どちらもプロテスタント。

一人は棄教し、一人は継続。

こちらの女性は、クリスチャンとしての生活に幸福を見出しています。

どちらが良いとか、正しいとかいうつもりはありません。

7万円の年金で質素に暮らしながらも、幸せを感じているようなので、それは何より。

まさに清貧の暮らしぶりですが、どうしても献金ということがあるため、その分は、仕事をすることで収入を得ているようです。

つまり、7万円の年金だけで暮らしているわけではないのですね。

健康のためにも、仕事をしていることに喜びを見出しているようなので、この人の清貧暮らしには、見習うべきものがあると感じました。

一方、クリスチャンを辞めた野原さんのほうは、自由にはなったものの今は苦しみのただ中ですが、今は呪いの対象でしかない過去が、あの過去があったから今の自分がある、というレベルにまで、昇華できると、また、違った心境になっているでしょうね。

その時点で、両者を比べて見ると、野原さんのほうが、ミツコさんよりも、懐の深い、複眼の持てる、器の大きな人格になっている可能性もあります。

そのような、永遠の旅人としての視点で見ると、今の不幸、というか、悲惨な状況も、また恵みに思えてきて、そのときは、今の神観というか、神はいないとする今の認識も、また変わっているかもしれません。





「生き地獄」に陥る危険性は誰にでもある



直近の芥川賞受賞作、「推し、燃ゆ」を読んでいるときに、図書館からリクエスト本が入りましたとの連絡を受け、直行。

そして、借りてきたのが、以下の本。

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 いくつか前の記事で、洗脳の怖さを久しぶりに垣間見た話を書きましたが、それ以降、僕の内省も進み、20代の頃、統一教会から逃げ出してきたころの自分を思い出すとともに、シンクロニシティが働いて、たまたま本屋で気になる本を見つけて、リクエストした次第。

精神が崩壊し、分裂していくところは、僕も二十代後半に体験していることなので、他人ごととは思えませんでした。

ただ、僕は、そのときで良かったと改めて思いました。

この本の著者は、1958年生まれで、僕が59年生まれですから、ほぼ同世代。

で、そのような年で、宗教的煩悶からの精神分裂は、きついと言えばきつい。

自費出版本にしては、アマゾンのレビューも、熱のこもったものが多く、その一部を紹介します。

複数の視点を通すことで、多面的に理解できるかと、思います。


Aさん 
何とも壮絶な本を読んだものだ。本書は「信仰という陥穽に陥り、文字通り『生き地獄』を見てしまった人の手記」といってよいだろう。著者は元キリスト教徒とのことだが、いかなる宗教においても、「生き地獄」をみる危険性を孕んでいると断言してよいだろう。

 「鰯の頭も信心から」という諺があるが、対象が何であれ、「信じることで救われる」ならば、それはそれでよいことだ。しかし決して忘れてはいけないことは、「信仰とは、あくまでも『鰯の頭を信心することでしかない』ということ」だ。つまり「救われること」とは、その人の「心理現象」であり「物理現象」ではないのだ。
 私はある機会に「神」や「霊」の存在といったものを全く信じない「無神論者」(無信心者)となったが、そのことによって、心の開放を得ることができた。つまり「神や霊、あの世の存在という呪縛」から解き放たれることで、人生を大いに楽しむことができるようになったのである。まさにこの本の帯に書かれているとおり、「人間を幸せにできるものは、人間」なのである。その現実に不惑を遥かに超えた頃、ようやく気付いた。情けないことだが、それゆえ、一層著者である野原氏の気持ちはよく理解できる。
 私は、ミッション系の大学で学んだこともあり、キリスト教についての講義も4年ほど受けた。しかしその中でかなりの違和感、換言すれば、「神の行いにおける大いなる矛盾」を感じたのは、「アブラハムの試練」においてだ。神はアブラハムの信仰心を試すため、息子であるイサクを生贄にするよう命ずる。最終的には文字通り「機械仕掛けの神」の如く下される神の奇跡により、最悪のことは回避される。しかし「なぜ全知全能であるはずの神が、アブラハムの信仰心を試すために、そのような試練を必要としたのか」。全く理解に苦しむ。
 もっとも、この逸話からは、キリスト教が「契約に基づく宗教である」ということはよく理解できる。つまり「人間としての幸福とは、神との契約のなかで初めて与えられるものである」とキリスト教は説くのだ。その考えは、砂漠地帯という厳しい自然環境に生きていく中で培われたものだろう。しかし(時にはとんでもない禍をもたらすとはいえ)豊かな恵みを与えてくれる自然のなかで育まれた日本文化には、やはり異質な考えだ。そんな日本の文化とはかけ離れた文化の中で生まれ、しかも数千年も前に起こったとされる事象が「すべて真実」として信じられる宗教を日常生活の基盤とし、しかも何の不審も感じないことに、私は強い違和感を覚える。
 「信仰とはアヘンである」とはよく言われることである。私は、そこまでは思わないが「アルコール」だとは思う。適度に嗜むにはよいのだが、度が過ぎると陥穽にはまり、生き地獄を見る。要は「宗教とは鰯の頭に過ぎない」という実態をわきまえ、うまく付き合うことが大切なのだ。
 そういった現実を示してくれる、良書である。

Bさん 
明治以降日本ではキリスト教が広まったが、全体としては他の宗教より尊重され恵まれていたと思う。 なぜなら、日本人でキリスト教を奉じたのは、知識人や貿易商など、外国文化になじみやすい裕福な層が多かったからである。矢内原忠雄・有島武郎・新渡戸稲造・内村鑑三・賀川豊彦・遠藤周作・三浦綾子・曽野綾子・佐藤優など、キリスト教信仰を「売り」にする有識者というジャンルさえあって、一定の需要があることからもわかる。さらに日本にはミッション系の大学が数多くあるが、多くは仏教系大学や神道系大学より偏差値が高く評判が良い。これらの背景には、日本人の西洋文化に対する劣等感と憧れがあったことは否めない。もちろんこれら有名人が奉ずるキリスト教は通常、良識ある人が眉を顰めるような「狂信的」なものではなかったことも理由の一つではある。ほぼ同じだけ信者がいると思われる創価学会において、創価を売りにする知識人などいないどころか、ネット上では今もなお蛇蝎のごとく嫌われているのにくらべれば、日本におけるキリスト教にたいする批判や攻撃は、非常に少ないとみるべきである。

 しかし冷静に考えれば、これはかなり不思議なことである。創価学会や日蓮宗系が日本人に嫌われるのは、日蓮宗を受け入れない者は行いがどんなに善良であれ地獄に落ちると叫ぶからである。だがこの点ではキリスト教も全く同じなのだ。もちろん最近のカトリックやリベラルなプロテスタントの上層部はやや方向性を改めており、またさきの「有名人」なども大体はその範疇に入る人が多いので表面化しないが、一般的なキリスト教信者、とくにかなり多数を占める福音派=「聖書信仰」派の人はそうではない。聖書信仰派の主張は「聖書は一語一句が誤りのない神の言葉であり、人間はその命令にひたすら服従するのが務めであり、それ以外は滅びの道しかなく、聖書の神を受け入れない人のヒューマニズムや、一般的な善行は、神の前には無価値である」ということである。相当狂信的な学会員ですらなかなか言いそうにないことが、キリスト教徒の中では「あたりまえ」なのである。
 著者もまたプロテスタントの信者であり、人生の究極の知恵や規範をすべて聖書に求める聖書信仰者である。著者の母は、もうすぐキリストが再臨し、自分たちが携挙されることを夢みるほどの人である。しかしある時著者は精神疾患にかかり、家庭が崩壊し、すべてを失う。子どものころからキリスト教を信じ、高校生の時に洗礼を受け、10分の1献金をするのはもちろん教会のあらゆる仕事に全力をもって尽くした自分と自分の家族が、いったいなぜこんな目に合うのか。つまり「神はいない」ということではないか。そう気づいたとき、社会に対する見方の一切が変わり、いままで非キリスト教的として相手にしなかった人間観が自然なものに思える一方、聖書が何の保証もなしに人間を一方的に縛り付けるものでしかないと気づくのである。
 かつてダーウィンは一人娘を失った時、神はいないと確信した。キリスト教の神は全知全能である。悪魔は神の承認のもとに活動している。この世に理不尽や不幸があるなら、それは神が望んでいることと解釈するのが自然である。つまり神は人間を救わないのである。あるいは神など最初から存在しないということになる。これは屁理屈でも何でもなく、実際本書帯に書いてる通り「人間を救うのは人間だけ」なのである。
 ここで注意すべきは、著者は決して「エホバの証人」や「統一教会」などといった評判の悪いカルトの信者ではないという点である。にもかかわらず、キリスト教に入信していたころの彼女の発想は、エホバなどを盲信している人のそれとなんと似ていることか。聖書など特定の経典や教祖の一言一句を誤りなき言葉として狂信し、世間の良識も科学的真実もそのフィルターでしか見ないという点では瓜二つである。日本では創価に比べ、キリスト教が非難されることは少ないけれど、教えの排他性・異常性というのは福音派を中心にかなり強度のものと気づかされる。あえて邪教というなら、邪教はエホバ・統一教会・創価・幸福の科学だけではなく、「良識あるキリスト教徒」も実は心理レベルではたいして変わりないのである。

Cさん
元、敬虔なクリスチャンが自身の体験をもとに、キリスト教の負の側面について言及しています。

自身の体験の他、キリスト教の歴史についても著者が調べた内容が分かりやすく説明されていて、あらためて宗教の危うさや人間の愚かさを認識させられます。
現代の人はイスラム過激派の事件をテレビで見て暗い気持ちになりますが、キリスト教の過去の歴史はもっとずっと怖ろしいと感じました。
ただ、著者が精神の健康を損なって信仰を捨てるに至った経緯が本書の後ろのほうにまとめられていますが、このあたりは、正直あまり共感することができませんでした。
まず、著者はずっと信仰生活を送ってきたのに神の導きもなく体調を崩し、家族もバラバラになってしまったと言ってますが、この程度のことを不幸と言って嘆くかな?と思ってしまいます。
現に夫も子供も孫もいて、特に敵対しているというわけでもないのに・・。
世の多くの孤独や不条理を知らなさすぎるのではないでしょうか?
この程度のことで神がいるとかいないとか判断しようというのが、人間の未熟さ愚かさを露呈しているように思えてなりません。
ただ、やはり教理や教会システムに問題が多いということは十分納得できました。

Ⅾさん  
著者は、「いったい正しいキリスト教信仰とは何なのでしょう」と問います(139頁)。

お答えします。正しいキリスト教信仰とは、正しいキリスト教を信じることです。

いろんな人がいろんなことを言いますが、何が「正しいキリスト教」なのか、答えは出ています。

「自分が属する教派の教会の主張、および、それを受け入れた自分の見解」
これが正しいキリスト教です。

これに反する主張を「間違ったキリスト教」と言い、自分たちが容認できないくらい見解が違う場合には「異端派」と言います。逆から見たら逆に見えるだけです。ですから、世には無数の「正しいキリスト教」があります。

「正しい聖書解釈」も同じことです。いろんな人がいろんなことを言いますが、これも答えは出ています。

「自分が属する教派の解釈、および、それを受け入れた自分の見解」これを正しい聖書解釈と言います。

これに反する主張を「間違った聖書解釈」と言い、自分たちが容認できないくらい見解が違う場合には「異端派の解釈」と言います。逆から見たら逆に見えるだけです。ですから、世には無数の「正しい聖書解釈」があります。

キリスト教は科学の理論ではありませんから、その主張に科学的な証明が求められるわけではありませんが、少なくとも、理屈の通った主張をする必要はあるでしょう。クリスチャンと称する人の中にはまるで理屈の通らないことを言う人もいますが、それでは迷信や狂信と変わりません。
また、人は、自分が知らないものを信じることは出来ません。神様を信じると言うなら、神様を知っていることが前提になります。でも人は、見たこともない神様を、どこまで「知る」ことができるのでしょう。
クリスチャンと称する人の中に、聖書の言葉を適当につないで、想像も混ぜて作りだした「神様」を信じているのではないかと思える人たちもいます。それは人間が作った「神様」です。つまり偶像です。自分たちが偶像を作り、それを維持しているのです。二重基準です。

世には無数の「正しいキリスト教」がありますが、他宗教や他教派などの異なる立場を断罪することで自分たちを正当化する「正しいキリスト教」には警戒したほうがいいでしょう。

良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。その「教会」が一体どんな実を結んでいるのか、よく見て木を選ぶ必要があるでしょう。信者二世、三世であれば、親から受け継いだ信仰が、外から見たらどう見えるのか、今日の科学や人権意識に照らしてどうなのか、よくよく考える必要があるでしょう。

この本をお読みになったクリスチャンの方々のご意見を伺いたいと思います。型通りの護教論や模範解答ではなくて、ご自身のお考えを、ぜひお聞きしたいと思います。


うーん、通常はあまり顧みられることもない、自費出版本に、これだけの熱のこもったレビューが書かれること自体、宗教というものに一家言ある人が多いのかもしれません。

宗教は、生き方の問題でもありますから、それだけ、真剣になる人もいるのだと思います。

僕自身の考え方は、スピリチュアルな話カテゴリーの中で表明しているので、ここで繰り返すことはしませんが、明日も、この続きの話になりますので、こういう話に興味のない人はスルーしてください。




ニートの言う『働いたら負け』は一理あるかも


僕は、今現在、図書館カードを6枚持っています。

僕の住む町の図書館カードが1枚。

それ以外の5枚は、隣接する市のカードが3枚と隣接する町のカードが2枚。

これで、合計6枚。

で、去年は、自分の住む町の図書館には、10冊前後は、新刊のリクエストをして、一番手で読みました。

今年、最初のリクエストはひろゆきの新刊。

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で、今日は、何が言いたいのかというと、税金もろくに納めていない人間のほうが、受益率は大きいよね、ということ。

仕事が忙しいビジネスマンは、図書館でノンビリなんてしていられませんよ。

図書館に来れるのは、まずは高齢者。

それから、ニートの若者、中年。

それから、主婦層。

まあ、そんなとこ。

一方、多くの税金を納めている人たちは、忙しくて、図書館どころではありません。

以下は、なるほどそうだよな、と、思った記事。


兵庫県の50代男性(IT・通信系/年収1100万円台)は「世の中は『助け合い』と言うが、実際には弱者への一方的な援助。高額納税者には何の補助も恩恵もない」と綴る。「たくさん稼いでいる人は、たくさん働いている」と持論を展開する。

「若い頃から努力や工夫を重ね、プライベートも犠牲にしてきた。そうやって知恵を働かせてより多く稼いだ者たちが、多額の税金で社会貢献をしても何の感謝も見返りもない。これでは勤労意欲を削ぐだけだ。北欧では収入の大半が税金となる反面、当然の権利として社会的な恩恵を誰もが受けている」

男性はそうした海外の事例を引き合いに出した上で、日本の税制に対して「多額の税金を収める高所得者は搾取されるだけ」と憤る。

さらに、一般的な給与所得者の世情についても「収入が増えれば増えるほど税率は上がる。しかし補助は受けられず、逆に手取りが減ってしまう」と声を上げ、

「ニートの言う『働いたら負け』とは、ある意味で正解であり名言である」

とコメントしている。


うーん、僕なども、納税分よりも、受益分のほうが多い低所得層。

とりわけ、ローコスト生活が身についてからは、本は買わず、もっぱら図書館にリクエスト。

 週三日のアルバイト暮らしは、時間富者ではあるかもしれず、ゆったりと本を読めるのは、ある意味、とても幸せなことだと、思っています。



雪や冷たい雨の日にも、ニートや生活保護受給者は、家でのんびり。

一方、忙しいビジネスマンは、休日も、仕事のことで頭がいっぱい。

どちらが、余裕のある生活なのか、僕自身も、本当のところはわかりません。





過去の自慢しかない人って 退屈やねんなぁ(最近笑ったブログ記事)


例によって、週に1回くらいのペースで、いろいろな人のブログを覗いて回るのですが、これが本当に時間を食うのですよ。

働いていたころも、週1でそうしたことをしていたのですが、だいたい土曜日の午前とか、ね。

そうすると、もうそれで半日が終わってしまい、でも、面白いブログに出会えた時は、お気に入りに入れて、得した気分にもなりましたね。

さて、今は、セミリタイアの身で、それこそ毎日でも、やろうと思えば、ブログパトロールができるのですが、これが意外に、そうそう暇でもないのですよ。

アルバイトも始めたし、ね。

それ以外にも、たとえば、親戚の従兄弟が今、介護中で、ときどき手伝いに行ったりしていますし、定期的に会って話し込む友人も複数いて、僕も話好きですから、たちまち時間が過ぎていきます。

あとは、読みたい本も、目白押し。

たとえば、今読んでいるのが、村上春樹の久しぶりの短編集。

あ、もちろん、買いはしませんよ。

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図書館で借りるのですが、村上春樹の新刊ともなれば、かなりの予約待ちでした。

で、そうそう、今日は、そんなブログパトロールをしていて、久しぶりに笑いこけた記事の紹介、です。


Rさんは電話で話す声が
めっちゃええ声やってん。

少し低い声で、よく通るし
滑舌も良い、
めっちゃわかりやすい。

ええ声してますねぇ。
なんかニュース聞いてるみたい。

Rさん、待ってましたとばかりに

「僕は昔ね、
CNNでキャスターをやってたことがあるんだ。
今はリタイアして、
地元のラジオ局でパーソナリティをやってるんだ」

へー!そうなんや!

なるほど、納得。
喋りがプロって感じ。

「ちょっとニュース読んでみようか?」

え?

ああ、ニュース?

読んで!読んで!(と言うしかない雰囲気)

Rさんは、昔取った杵柄、
べらべらべらーとニュースを読んで、
最後にドヤ顔で
いや、電話やから顔は見えんが、
絶対ドヤ顔。

ジョン・スミス(仮名)CNN フローリダ。

と、締めてくれた。

・・・・・



わー!すてきー(棒)

と言わされる。

これがギャグでやってくれてるなら、
Rさん、おもろい人!もっとやって!
てなるんやけど、

彼はマジでやってるので、
笑うわけにもいかん。


電話の後には、ビデオが送られてきた。

かなり古いと思われるビデオで、
彼がリポートしているものや、
コメンテーターと対談しているものなど。

送られたら、見んとしゃあないし、
感想を訊いてくるので、

すごーい!わーお(棒)
本当にテレビに出てたんだー(白目)

とか言わんとしゃあない。

フロリダという場所柄、
リタイアした人が多いから
しょうがないとは言え、
過去の自慢しかない人って
退屈やねんなぁ・・・

これから先も、
ドヤ顔でニュース読まれたり、
ビデオ送られてくるんかなぁって思うと、

無理やな・・・

ということで、
ブロックさせていただきました。


うーん、何か、目に浮かぶような感じですねえ。

こういう人は、図に乗っていつまでも絡んでくるから、相手をするほうは大変です。

まあ、それでお金でももらえるキャバクラでのことならば、その一定時間だけ、相手にすればいいし、それが実入りにもなりますが、私生活でこれをやられては、たまったものではないですよね。

時間だけを奪われてストレスがたまる、と。

ブロックが、正解だと、僕も思いました。



軽やかに、生きて行かないとね、人生は大切ですから。


最後の息子から湖の女たちへ



このタイトルでピンとくる人は、かなり本を読んでいる人だと思います。

最後の息子は、吉田修一のデビュー作で、文学界新人賞を受賞。

で、おそらく、最新作が、湖の女たち。

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たまたま、昨日図書館に行き、新刊のコーナーを見ていたら、あったのですよ。

吉田修一の小説を読んだことがない人でも、妻夫木聡が主演の映画、悪人、は見た人もいるのではないでしょうか。

あとは、怒り、とか。

悪人、などは、映画を見てから小説を買ったくらいですが、とにかく、ずしんと来る作家なのですよ。


今や日本を代表する作家になった感のある吉田修一。

僕が、最初に感心したのは、芥川賞を取った、パークライフ。

身がぎっしり詰まったカニを食べたような読後感があったのを覚えています。


ただ、吉田修一の小説は、そんなに読んでなくて、湖の女たち、も、思いがけなく昨日、図書館で遭遇したので、久しぶりに読んでみようと思った次第。

他に借りてきたのはこの2冊。

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「THE BACK HORNが曲を作るのと、僕が小説を書くのを同時進行で進める。それを渡し合って、またお互いの作品を練り上げました。THE BACK HORNと一緒に何かやりたい、というのは僕の中の一つの夢だったんですよ」とは、住野よる、の弁。

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まあ、これ以上借りても、期限内に読み切れないほどの遅読家なのですよ。





視力の衰えにも配慮しつつ、何とか読書ライフを続ける所存です。



低消費生活者はコロナ不況でも波風は少ない


生活コストを上げないことの利点は、数えきれないほどあります。

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もうこのブログでも、さんざん言ってきたことなので、繰り返しませんが、何しろ、この残酷な資本主義社会で生き抜くには、ガンガン稼ぐか、とことん消費しないか、が、肝。

仕事能力が高くて、ガンガン稼げる人には、この世は天国かもしれませんが、少しボタンの掛け違いがあれば、すぐに地獄に転落するのもまた事実。

ガンガン稼げぐことができて、なおかつ倹約家であれば、鬼に金棒ですが、大概は、浪費家が多い。

つまり、生活費を上げてしまうので、稼げなくなった時にアウト。


でも、自分は稼ぐ力が弱いとの自覚があり、ローコスト生活で生きてきた人は、しぶとく生き抜けるチャンスがあります。

いちばんダメなのは、稼げないのに浪費家の人。

で、やっぱり僕のような凡人が生き抜くには、質素な生活で、生活コストを上げないことが、大切。

それでいて、それをみじめだと感じない天真爛漫さが大切。

そのためには、お金を使わずに人生を楽しめる能力が必要。


僕の場合は、山歩き、街歩き、散歩、サイクリング、図書館巡り、などなど。

現在、図書館カード5枚をフル活用していますが、近々、もう一枚作って、6枚にする予定。

それはつまり6つの外付けハードディスクのような書斎があるのと一緒。

そうした書斎のような6つの図書館を活用することで、存外に豊かな精神生活が送れるものです。

しかも、タダで、ね。

 そう、タダで、というのが大事。

実は、意外にも大切なものこそタダであったり、お金がかかるにしても低料金であったりします。

で、ろくでもないものが高額であったりしますね。

パソコン一台あれば、タダで楽しめるコンテンツが腐るほどある今という時代は、低消費で生きていくには打ってつけの時代なのかもしれません。



人間の持つ根源的な悲しみと苦しみ


吉田修一の小説、悪人、の中で、誰が本当の悪人なのか、を、突きつけられるように、ものごとの本質を見極めようとすると、大変な時間とエネルギーが必要となります。

そして、それだけの労力と犠牲を払っても、必ずしも本質が、見極められるものでもありません。 

それでも一部の人は、真実とは何かを、真摯になって追及するのですね。

大半の人は、日々の雑事に忙殺されて疲労困憊し、真実の追求どころの騒ぎではなく、日々、生き抜くだけで精一杯なのかもしれません。

僕自身が、まさに、そうでした。

生活の糧を得るための仕事をこなすだけで、9割近くの活力を奪われて、わずかな残り火で、内省する日々。

勿論、生活の糧を得るための時間が全部無駄ということではなく、会社内の人間関係を通しての学びや、困難な仕事をやり遂げた後の充実感、など、仕事や仕事環境の中でこそ経験できたことも多々ありました。

ただ、あまりにも、仕事に向けざるを得ない時間とエネルギーが、大きすぎると思うのですよ。

そうなると、生活の質も、価値観も、仕事中心にならざるを得ず、僕には、息苦しかったですね。

さて、今は、完全リタイアなので、内省の時間はたっぷりあります。

極端な言い方をすれば、生活のすべてが内省の時間、かもしれません。

埼玉県南西部にある5つの図書館を自由に行き来して、本やCD、DVDなどを借りまくっていますが、僕の住む町と隣接する3つの市と、2つの町の図書館カードが作れるので、実は、あと一つ作れるのですよ。

そうなると、外付けのハードディスクのように、6つの書庫があることになります

そのため、僕の内省を促すツールにも、事欠きません。

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人間の持つ根源的な悲しみや苦しみにも、正面から向き合うことができます。



忌野清志郎が死んで、何年になるのかなあ。



立ち止まってばかりで前に進めない


昨日、図書館の話をしたのですが、僕はおそらく、好き勝手に生きてきたせいで、相当偏りがあると思うのですよ。

それを感じたのは、最近、それなりに映画を見るようになって、まあ、その大半は図書館から借りてきたものなのですが、結構、話題作であっても、今まで興味もなく、見ていなかったのですよ。

たとえば、永遠のゼロ。

特攻隊の話なのですが、相当考えさせられる内容で、ああいう作品を見てしまうと、しばらくは、その余韻から、他のことが手につかなくなるのですよ。

昨日は、君に届け、という映画を見たのですが、年甲斐もなく胸がキュンとしてしまい、見終わってから検索したら、凄い売れている漫画らしく、アニメ版もあるとか。

そんなことも今まで知らず、何の先入観もなく実写版を見たのですが、それぞれの人の思いが、それぞれ届かないところが、上手く描かれていたと思い、僕も胸が苦しくなりました。

少し前に自殺した、三浦春馬が多部未華子の相手役で出ていたのですが、あの爽やかさが自然に出せる俳優はあまりいないかもしれないと、改めて思いました。

で、この、君に届け、を見た前の日に見たのが、善き人のためのソナタ、だったのですが、

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これは、ベルリンの壁が崩される前の東ドイツの重い話で、非常に良い映画でしたが、人間が根源的に持つ孤独、という点では、君に届け、も、その少し前に見た、横道世之介、も、まったく引けを取らないのですよ。

つまり、永遠のゼロ、や、善き人のためのソナタ、は、重くて、君に届け、や、横道世之介、は、軽い、とは、ならないのですよ。

僕にはみんな、ずしんと胸に来ましたから、ね。

それは、なぜか。

戦争中や東西冷戦時、などの社会的に不幸な時代であっても、自由に恋愛ができる今のような平和な時代であっても、人間が根源的に持つ孤独は、変わらないのだ、と、いうこと。

なので、僕は、よほどの駄作は別にして、大概の本や映画は、読んだり、見たりした後は、しばらく、じっと考え込んでしまったり、感じ入ってしまったりするのです。

そして、精神の体力をまた回復させて、次に進む、という感じ。

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だから、なかなかサクサクとは、進めません。

本当に、立ち止まってばかりです。




でも、それが自分らしい、と思っているし、何よりも今は、完全リタイアなのですから、時間はたっぷりありますし、ね。


 

貧乏学生の図書館通いのような生活


昨日は、新潟県で、40度越えの暑さを記録したそうで、未だ日本の最高気温の保持を売りにしている熊谷市もびっくりな温度。

この暑い夏を早めの労働市場からの引き上げで回避した僕は、まるで貧乏学生のような生活。

僕は、現在、5枚の図書館カードを持っています。

これは、近隣の市と町が広域で融通し合っている良い制度。

たとえば、自分の住む町にない図書は、他の市や町が持っていれば互いに補完し合うというもの。

あとは、新刊のリクエストも無制限でできるので、これも活用しています。

図書館ごとに貸し出し期日や方法が微妙に違うのも、面白いところ。


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今年の夏はもう終わってしまいましたが、久しぶりに長編小説を読もうと思い、作家は貫井徳郎に絞ったのですよ。 

神のふたつの貌、夜想、明日の空、と読み、やっと、一番読みたかったデビュー作の慟哭、を借りることができました。

やっと借りられたのは文庫本のほうだったのですが、読み進めるうちに、今度は、別の図書館で、単行本の慟哭を見つけたので、そちらにスイッチ。

図書館カードが複数あると、こんなこともできるから、ありがたい。

やっぱり字が大きいほうが読みやすいですからねえ。

ただ、実感したのは、長編を読むのは時間と労力がかかるということ。

ましてや、貫井徳郎は好きな作家ではあるんですが、どうにもテーマが重いものが多い。

で、貫井さんばかりに時間をとられるのもなんだかなあ、と思い、ミステリーはその辺にして、他の本も読み進めました。

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それと、僕はあまり映画を見るほうではないのですが、図書館で、気になる作品は、ちょこちょこと借りてきて、見ています。

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ゼロの焦点は、良かったですねえ。

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あと、横道世之介も、160分という長さを感じさせない良い作品でした。

60を過ぎて、胸がキュンとなるのも、良いものです。

本や映画がタダで読めて見られるので、図書館を活用すると、エンタメには事欠きませんね。


部屋で一人で死んでも誰にも気づかれない自由な人生


死を意識することで、生が見えてくる、浮かび上がってくる、ということは、あるでしょうね。

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葉室麟さんの小説、蜩ノ記は読んでいないのですが、映画のほうを先日見たのですよ。

あ、もちろん、図書館で借りてきたやつね。

で、いわれのない罪で汚名を着せられ、だけど藩としての大事な仕事を任せている関係で、10年の時間を与えて、10年後の死を、前提にして日々を生きる、という話なのですが、凛として咲く花の如くの人生を見た思いがしました。

お国のために死んで行った特攻隊も、死を覚悟しての短い人生でした。

死を、美化するつもりはありませんが、死に向かい合うことで、生が見えてくる側面はあると思うのですよ。


僕は、適度な田舎の町の一人暮らしなのですが、やがて年を取り、外に出る機会も少なくなり、部屋で一人で死ぬ、あるいはまた、病院の一室で死ぬ、のかもしれません。

あるいは、それ以外の死かもしれませんが、いずれにせよ、死ぬときは、一人。

生まれてきた時も、一人ですからね。


死に向かい合うことで、人生が見え、自由が見えてきます。

だからこそ、明日ではなく、今日一日が、尊いのです。



どんな風に生きても、やがては忘却の彼方へ、忘却の空へと、消えていきます。

ならば尚のこと、自分を見失うことなく生きていきたいと、思っています。


武蔵の小京都を歩く


昨日は、武蔵の小京都と呼ばれている小川町を、少し歩きました。

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3連休の貴重な三日目であった昨日は、快晴。


まずは、か野やで、カキフライ定食を食す。


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税込み824円、で、800円分のチケットを使って、現金支出は24円。

キャベツと御飯は、お替りしました。

その後、カインズに車を止めて、小川町を散策。

友人Oが、おすすめの図書館にも行きました。


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確かによい図書館で、テラス席もいろいろなところにあり、特にこれからの季節には良いかも。

貧困関係の本を2冊、流し読み。


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テラスの上には、藤棚もあり、暑い季節には、陽射しをやわらげそう。

江戸時代から続く店も散見でき、観光客も、それなりに歩いていましたよ。

うーん、この3連休は、花火師で投資家のSさんの梅林でのバーベキュー飲み会と、武蔵の小京都、小川町のミニ散歩で、非日常空間に首を突っ込むことができました。

で、今日はまた、昼からアルバイトなので、貴重な午前の時間を、堪能しています。


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