人はパンのみにて生きるにあらず、とは、イエスの言葉ですが、パンよりも大切なことがあることを伝えたものだと思います。
ただ、イエスは、もちろん、パンを否定しているわけではありません。
また、俺はパン食ではなく、ご飯派だから関係ない、ということではなく、このパンは、広く、経済、と考えることもできます。あるいは、お金、でもいい。
今、日本経済がほぼ止まっている状態で、これは、人間の体で言えば、血液が流れていない状態。
血液のこない細胞は、やがて壊死してしまうように、お金の流れが止まってしまうと、その影響は深刻なものになっていきます。
コロナ騒動が収束し、そして本当の意味での終息に向かうことを祈るばかりです。
さて、今は、多くの教会が、礼拝も自粛しているようですが、シルバーバーチが教会のあるべき姿についても語っているので、紹介します。
例によって、こういうたぐいの話が嫌いな人はスルーしてください。
「まず私は教会というところが本来宗教についての真実を学ぶために存在するものであること説きます。目に見えない高い世界の影響力に集団で波長を合わせるための場です。しばしのあいだ俗世的心配ごとやストレスから離れ、雑念や悩みごとを忘れて霊的実在に目を向ける場です。
私はまた人のために自分を役立てることこそ真の宗教であると説きます。礼拝に出席したら、欠席した人より立派になるというわけではありません。肌の色が白いから、茶色や黒い肌の人より優れているわけではありません。大切なのは霊の進化、魂の成長です。
教会はそのための永遠の旅に備える場であるべきです。いかにして霊を修練するかを教える場であるべきです。聖典の言葉や説教、儀式、信条のことで惑わされてはいけません。建物を必要以上に有難がってはいけません。
宇宙の大霊は無限の存在です。いかに神聖に思える建物でも、その大霊を閉じ込めることはできません。四つの壁では〝永遠なるもの〟は包めません。書物も、その言葉がいかに美しくても、いかに内容が立派でも、いかに霊的でも、それ一冊に無限なる霊すなわち神に関する真理のすべてが記されるわけがありません。
いかなる人間でも、たとえ地上で最高の聖職にある人でも、あなたと神との関係に干渉することは許されません。あなた方の存在にとって必要なものは、あなた方自身が無限の啓示の宝庫から引き出すことができるのです。
あなた方が神と呼ぶところのもの、私が大霊と呼ぶところのもの、すなわち全生命の背後の普遍的摂理は、永遠にあなた方と切っても切れない絆で結ばれております。
内部に宿された神性を発揮しさえすれば───高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ、神が意図された通りの生き方ができるようになります。
自己を棄て、世間に目を向け、からだの不自由な人を癒し、苦しむ人に手を差しのべ、飢えた人に食を与え、渇いた人に水を与え、道を見失える人に勇気と指示を与え、優しさと思いやりと愛情を、それを必要とする人の全てに与えてあげるようになるでしょう。
そうなった時こそ自分を役立てていることになります。それが唯一の宗教なのです。それ以外の宗教を私は知りません」
教会のあるべき姿、というよりも、宗教のあるべき姿、そのものについて、語っている感じですね。
僕自身、プロテスタント、カトリック、あるいは異端とされているモルモン教の礼拝にも参加したことがありますが、シルバーバーチが示す基準を満たしているモノは、一つもありませんでした。
そもそも、牧師なり、神父なりが、霊界についての知識が皆無なので、せいぜいのところが道徳的な説教に終始するか、カビの生えた人工的なキリスト教神学を、自分なりに解釈し直して話すのが関の山だからです。
これは、バカにして言っているのではなく、人間的にはそれなりに立派ではあっても、圧倒的な認識不足は否めませんでした。
ただ、人工的なキリスト教神学であっても、その中には、微かながらも主イエスの語った命の言葉の残り香くらいはあり、その愛の霊流を、感じることもありました。
既成の教会での礼拝に、生きる拠り所を置いている人もいるわけですから、それは尊重しなければいけないと、思っています。
ただ、シルバーバーチをはじめとした霊界からの霊知識としての光がおろされているのですから、そちらに目を向けないのはあまりにももったいない、と、思っています。
そして、それこそが、主イエスの復活、そのものなのですから、ね。
コロナウィルス対策には、換気が大切ですが、宗教界にも、真実の霊知識を取り入れる換気が必要だと、僕は、強く思っています。