介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

ダスカロス

令和初日の墓参り、令和は霊和に通じる

令和初日は、晴れていた午前中に、墓参りを済ませました。

まずは、墓石の周りの草を抜き、墓石周りを濡らしたタオルで清掃。

その後、線香をあげて、4人の家族のことを想いました。

その墓には、生まれてすぐになくなった僕の弟、僕が16歳のときに他界した僕の実母、そして、3年前に他界した父、去年亡くなった母、が眠っています。

まあ、眠っていると言っても、すでにその霊は、霊界に行っていて、そこには遺骨しかありませんが。

今、改めて思うに、僕は今、60歳。平均年齢まで生きるとしても、あと20年ほど。父と同じくらいまで生きるとしても、30年ほど。

いずれにせよ、そう長い時間が残されているわけではありません。

そう思うと、この世の憂いはほどほどにして、実在界、あるいは霊界の、視点に立って、改めて自分の人生の今後を見定めるべきであるとの思いを強くしています。

そこで昨日は、もう何年も前に読んだ本、オーエンの「ベールの彼方の生活」、を取り出して、再読を始めました。全4巻からなるこの本は、コナン・ドイルも激賞する霊界本です。


また、このブログでのコメントを通じ、スマイルサンさんから教えていただいたダスカロスの本、2冊も、4月末に入手し、読み始めています。


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ダスカロスはその生き様からして本物の覚者であり、まさに、組織宗教を打ち砕く先駆けとなった先覚者だと思います。

シルバーバーチも、繰り返し、組織宗教はすべてダメであると明言し、その理由も明確に示しているように、今後、いかなる組織宗教も、衰退の一途を辿っていくことでしょう。

この流れは、もはや止められないし、止める必要もありません。

まさに令和は、霊性の時代の幕開けです。

その意味で、令和は霊和でもあろうと、思います。

この地上から、宗教組織が無くなることが、天の願いです。

それは、公明正大な実在の世界である霊界が、宇宙法則でもある唯一の神を中心とした秩序が行き渡っている世界だからです。

その秩序を、この地上世界にも、もたらすことが、天の意志です。これは神の経綸でもあり、摂理でもあります。

宇宙法則により統治する神は、旧約聖書で描かれるような独善的偏執的な神ではありません。男でも女でもなく、宇宙意識とでも呼べるような存在です。

それは、シルバーバーチが、大霊と呼ぶ、えこひいきのない存在です。法則による支配なので、えこひいきが発生する余地はありません。

自分が蒔いた種は、自分が刈り取るのです。

誰かが十字架にかかって、その血のゆえに罪が許されることはありません。また、カルト教祖も、宇宙法則を免れることはできません。

公明正大な法則が、この全霊界、全宇宙に、張り巡らされています。

まさに、老子のいうところの、天網恢恢疎にして漏らさず、です。

だからこそ僕たちは、この宇宙法則に信頼を寄せることができるのです。

カルト教祖のエゴに苦しめられてきた僕だからこそ、シルバーバーチの説く大霊、法則を通してこの全霊界、全宇宙を支配する真実の神に出会ったときの喜びは、筆舌に尽くしがたいものがありました。

そのときから、カルト教祖のいかなる言動も、僕にとっては無力となりました。

組織宗教の寿命は、そう長くはありません。おそらく、数百年ののちには、この地上から、組織宗教はなくなっているでしょう。

組織宗教はなく、素朴な霊界知識が当たり前のように公認されている世の中に、なっているでしょう。







人類の歴史はまだ日が浅く、未熟者の集まりではありますが、少しずつ、世界はよくなっています。

3歩進んで、2歩下がっても、1歩は、前に進んでいるから。

そんなことを繰り返しながら、少しずつでもましになっていく人類。

そう、思います。


運命というのは、もしかしたら決まっているのかもしれない

これに対してはいろいろな意見があり、どの意見もそれなりに一理あるのですが、未だ僕の中で、こうだ、と断言できずにいるのが、運命について。

今現在の、僕のおおよその考え方では、生まれてくる前にある程度の人生計画は立ててくるが、生まれた後はいろいろな要素が絡んでくるので、そうそう計画通りに行かないこともあるし、概ね計画通りに進むこともあるという、不確定要素もかなりある、みたいな、考え方をしています。

たとえば、シルバーバーチなども、こうした質問は、降霊会で受けていて、だいたいは決めてあるが、そう細かなところまでは決めていないという、自由意思を尊重したものだったように思います。

僕は、シルバーバーチの教えであっても、はいそうですか、と簡単には納得しないので、一応自分で吟味します。まあそれは、何人かの教祖を妄信した過去の反省から来ているのですが。

で、今働いている僕のアルバイト先での面接のとき、工場側の課長と係長に初めて会ったのにもかかわらず、何とも言えない親しみのようなものを感じました。働いて9か月になる今も、それは変わりません。

何となく、昔から知っている人のように思えるのです。

どの時代かは明確にはわかりませんが、戦国時代かなあ、同じ藩にいて、ともに、外敵と戦った仲間のような感覚です。これは、ちょっと説明が難しい感覚ですね。

で、僕はいくつかの宗教団体を経験しているのですが、どうも僕は、それぞれの団体に所属すべきだった運命のようなものを感じます。

そして、それぞれの団体で、それぞれ学ぶべきこと、体験すべきことがあったのだ、ということを感じています。

だから、僕がかつて所属していた3つの団体について、恨み心はまったくありません。

つまり、その時の僕にとって、それぞれの団体は、僕の導き手であった、と思うのですよ。

それゆえに僕は、ダスカロスの言葉、「自分の人生こそが自分のグル【導き手】なのです」が、とても得心が行ったのですね。


その時々で、必要なグル、つまり導き手は、変わるのではないか、ということです。たとえそれが後になってカルト宗教であったとわかったとしても、そのときの自分には大切な教えであったわけです。

僕は、統一協会においても、幸福の科学においても、あるいは、幼少期から父の影響で信者になった、世界救世教においても、光体験というべきものを経験しています。

シルバーバーチが、ラベルを選ばずに指導する、と言っていることもうなずけます。

彼の言うラベルとは、共産主義などの主義主張や、民族、あるいは宗教団体、など、レッテルを張られたもののことです。

多くの人は、レッテルで人を判断します。まあ、そのほうが考えなくて済むし、楽ですからね。

たとえば、彼は共産党だから何々だ、彼女は在日だから何々だ、あいつは中卒だから何々だ、その人はオウムにいたから何々だ、みたいに、安易に判断を下し、レッテルを張って分類します。

しかし、レッテルを張られる前に、まずは、どの人も、一人の人間です。

その人間を見ずして、安易に人を決めつけるのは如何なものかと、昔から思っていました。

ただ、思い込みの強い人間には何を言っても喧嘩になるだけなので、僕はよほどのことがない限り静観していますが。

さて、僕の考えも固定したものではなく、今後も変化していくと思われますが、運命というモノは、大筋において、だいたい決まっているように、思っています。

いちばん下の立場で働く、ということ

今現在僕は、一か月更新のアルバイトとして働いているのですが、その事に、実は運命的な喜びを感じていました。

それは、スマイルマンさんに教えていただいた、ダスカロスの言葉、自分の人生こそが自分のグル【導き手】なのです、にも通底する実感、でもありました。

それというのも、60歳(去年アルバイトを始めた時点では59歳でしたが)にもなる男に、なかなか意見してくれる人はいないのですよ。

しかし今現在、アルバイトとして工場で働く僕の上司は30代。

これが、いいのですよ。

僕の宗教遍歴は幼少期から始まり、これを書きだすとまた長くなるので、それは改めて、後日、自己紹介カテゴリーで、宗教遍歴的自己紹介、とでも言うべき記事を書いていきたいと思っています。

で、その宗教遍歴は、幸福の科学で終止符を打ったのですが、20代の頃に専従という形で身を投じていた統一協会に、アベルカインの教えというのがあり、カインはアベルに侍る(はべる)、あるいは、仕えねばならない、というのがあります。

アベルもカインも、旧約聖書の創世記に出てきます。

カインが兄で、アベルが弟です。

この話をしだすと、また長くなるので、端折りますが、統一協会は、このアベルカインということをよく言います。

カインは、アベルに、黙って従えと。

で、この場合のアベルは、統一協会内での立場が上のもの、カインは下のもの、です。

まあ、これは組織運営上都合がいい教えなのですね。

当時の僕のアベルは、僕より4つほど年下でした。ともに二十代。

年下のアベルに仕えることに抵抗がある兄弟姉妹(信者同士をこう呼び合っていました)も多かったのですが、僕はそこは平気でした。当時から、年齢によるこだわりはほぼなかったのだと思います。

で、今、30代の上司の元で快適に働いています。

上司が30代であることに、いささかの抵抗もありません。

むしろ、60代の同僚先輩社員のほうが厄介だったりします。

僕の仕事のあらましと老害先輩社員から怒鳴られた一件

アルバイトを始めて3か月、老害先輩社員に怒りをぶつけられたときの対応法

今ではその先輩社員とも、上手くやっていますが、よくディスられたり、マウントを取られたりしています。

そして、その先輩社員を通して、過去の自分もあんな風にマウントを取りたがったりしたものだと、自分のエゴ性を客観視して、再確認しています。

つまり何が言いたいのかと言うと、僕の今のこの職場環境が、僕の導き手となっているのです。

今の自分の、霊的覚醒のレベルにちょうど良い環境が、与えられているのですね。

で、僕にとってこの環境が必要なあいだは続く、のだと思っています。

だから、一か月更新のアルバイトでも不安はない、のです。

更新を打ち切られるということは、僕の人生というグルが、また、次のステージに僕をいざなってくれる、ということですからね。

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そして、また、自分の霊的覚醒が進めば、それなりの環境に変化していくでしょう。


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