介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

スピリチュアルな話

「違和感」というナビゲーションシステム



人生の様々な場面で、

僕たちは、

違和感を感じることがあります。


たとえば、

結婚相手を選ぶとき。


条件的には良いのに、

どうも心が納得しない、とか。


これは、

会社選びのときもそう。


違和感の正体は、

頭と心が戦っているから。


さらに言えば、

違和感を発している心のほうが、

より霊的な本質に近いから。


この霊的な本質部分が発する違和感こそが、

この困難な人生を生きていくうえで、

頼もしい助けとなるナビゲーションシステム。


僕が、

この違和感を強く意識できたのが、

3つの宗教団体を経験し、

そこから、

離れるときでした。

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この違和感は、

人生の局面を左右するような場面で、

発動されることが多いのですが、

ささやかな違和感は、

日々の暮らしの中でも、

体験しているはず。


たとえば、

あとで忘れ物を気づくときとか、ね。


家を出るときに違和感があり、

外出先で、

忘れ物に気づいた時などに、

小さな違和感が、

実はナビゲーションになっていたことがわかります。


まあこの話をしていくと、

とても長くなるのでこの辺にしますが、

「違和感」を見つめることは、

意外な突破口になったり、

人生の大切な鉱脈を見つけることになったりするので、

覚えておいて損はないと思います。





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一人でも楽しく生きる方法



日々の暮らしに「楽しい」がないと、

人生から活気が失われていきます。


だから、

どんな状況にあっても、

その中から、

少しでも、

楽しい要素を見つけ出していくことが肝要かな、と。


昨日は、

近所のスーパー銭湯に免許証を見せ、

お風呂に入った後は、

誕生日サービスの生ビールで、

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一人でお祝い。


人間は、

究極、

一人で生まれてきて、

一人で死んでいくのですから、

一人でも楽しく生きる工夫が必要です。


四面楚歌、という言葉があります。

これは、

四方が敵だらけの状況を表しています。


孤独な状況というのは、

自分だけが、

一人ポツンと取り残されている感覚です。


大なり小なり、

人は、

孤独を感じるように、

できています。


理由は、分離、にあります。


分離とは、

大いなる源からの分離です。


平たく言えば、

神からの分離です。


敬虔なクリスチャンが、

どんなに過酷な状況にあっても心に平安があるのは、

神を求め、

統合に向かおうとするからです。


僕は、

キリスト教は好きではないので、

クリスチャンではありません。


平安を得るのに、

クリスチャンである必要はありません。


神への祈りや平安は、

クリスチャンだけの特権ではないからです。


一人が寂しいときは、

その周波数を手放します。


手放して手放して、

向かう先は、

源の意識、です。


それを、

神と呼びたい人は、

呼んでも構いません。


自分がしっくりくる呼び方でいいのです。


シルバーバーチは、大霊、と呼んでいます。


その大霊や源の意識に、

より近い存在が、

ハイヤーセルフ、です。


そして、

そのハイヤーセルフは、

自分自身でもあります。


その、

より源の意識、

大霊、

神に、

より近い存在であるハイヤーセルフ(霊界にいる自分自身)と、

繋がることが、

最高にして最適な統合であり、

分離(孤独)からの脱却法です。


この事実に気づいた人は、

神社や教会に行く必要はありません。


パワースポットだと思って行った神社で、

不成仏霊に憑依されて、

より不幸になっていく人も、

いますからね。


触らぬ神に祟りなしとは、

よく言ったものです。


わけのわからないパワースポットに行くよりも、

自分の中にこそ、

神への道があるよね、

という話でした。



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値札の付いたものに価値はない



 誕生日でもある今日の朝は、

珍しく目覚めが早く、

昇ってくる太陽を、

見ることができました。


まだ、

輝きを強くする前の太陽は、

眺めながら感じることができます。


神社仏閣というものには、

あまり魅力を感じない僕ですが、

太陽とか月などの天体に対しては、

厳かな気持ちを持っています。

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そのようにして、

太陽と対峙していると、

値札の付いたものに価値はない

という言葉が、

やってきました。


だいたいこういう感じで、

唐突にくるんですよね。


そうですか、

という感じで、

また、

その与えられた言葉を思慧することにします。



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「感じていること」が現実になる



願望実現の方法として、

願いを紙に書く、

というのがありますよね。


でも、

多くの人が、

その紙に書いた願い事を、

かなえられずにいます。


その理由は至極簡単で、

本当に感じていること、

が、

現実になる、


から。


たとえば、

結婚願望がある適齢期の女性が、

理想の男性と結婚すると決め、

紙に書いて毎日一度はその紙を眺めるとします。


そのときに、

その女性が感じていることが、

現実を引き寄せます。


いくら願い事を紙に書いて眺めても、

そのとき、

でも私なんかにはそんな理想の男は現れないのでは、

と思っていたら、

その思いのほうが実現してしまうということ。 

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お金持ちになりたいでも、

ビジネスで成功したいでも、

異性にもてたいでも、

何を願ってもいいのですが、

肝心なのは、

そのときに、

あなたが「感じていること」

なのです。


この話は、

掘り下げていくと、

とても深いので、

まずは基礎となる心の状態を、

維持することが先決。


以下の記事は、

その参考になるかもしれません。

行きたい未来とつながる方法



金木犀の香りを嗅いだ昨日、

思い出した曲。





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永遠に終わらない迷いの森から抜け出そう



多くの修行者が、

迷い込んでいる森があります。

それが、

向上しようと努力する在り方。


これは、

最近まで、

僕も気づかなかったことですが、

一般的に言って、

向上心を持つことは良いことと、

されています。


しかし、

向上しようと努力を積み重ねる行為は、

土の時代、あるいは、地の時代には、

通用したのですが、

風の時代にはそぐわないのです。


理由を、言いましょう。


向上心を発露するベースとなる意識は、

「足りないという思い」です。

あるいは、欠けている、

という意識、です。


つまり、「ない、という意識」が、ベースにあり、

その欠乏感を埋めるために何かをする、

あるいは、

その欠乏感から出発した修行なわけです。


その意識の上に、

努力を積み重ねるのは、

永遠に終わらない迷いの森の中を歩くようなもの。

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まだ足りない、

まだ自分は至らない、

まだ修行が足りない、

足りない、足りないと、

焦り、

呻吟し、

さらに精進に邁進する、と。


修行し、

向上し、

成長したあかつきに覚醒に至ると、

思い込みたがるのが、

エゴの罠。


では、

真の覚醒とは何か。


それは、自分の完全性を思い出すこと。

完全な意識だった自分を思い出すこと。

それこそが、覚醒です。


だから、

努力を積み上げる修行では、

ベクトルが違うのです。


エゴは向上を焦り、

成長しようとする、

まだ足りない、

もっと成長しなきゃ、となり、

それが際限もなく続きます。


そして、

そうしたエゴが目指すのは、

人格者であり、

聖人君子のような人だったりします。


その目指すべき聖人君子と自分とを比べて、

落胆し、

自分はまだまだだ、となる。


ここに、深い罠があります。


覚醒とは、

もともと完全な意識だった自分の本質を思い出すことであり、

向上したり成長したりして辿り着くものではないんです。


そして覚醒への道は、

自分という存在のすべてを、

丸ごと肯定するところから始まります。


肯定から始まるのが覚醒への道で、

「ない」という意識をベースにして、

その欠落感を持ちながら向上しよう、

成長しようと悟りへの道を歩むのが、

エゴが好きなやり方です。


今の状況に不満があるから、

向上しようと思うわけで、

出発点が、

不満足感、

不足感なんですね。


一方、今の状況を丸ごと受け入れていたら、

向上しようなどとは思いません。


そして、風の時代の本当の修行、

まあ、修行という言葉自体が堅苦しいので、

ワークとでも言い換えましょう、

有効なワークは、

今この時のあり方を、

これはこれでオッケーだよね、と、

受け入れるところから始まります。


つまり、肯定が、ベースにあり、

そこから始まるのが、

自分の本質につながる道
なのです。


それが、

エゴを手放すことにもなり、

より高次の自分であるハイヤーセルフ、

あるいは、

心の奥深くに在る、真実在、につながり、

さらには、

それと、

一体化する道なのです。


真実在が現れるということは、

自分の中の完全性が現れるということです。


そこには、

焦りとは無縁の静かな境地があります。

魂の本質の静かなる喜びがあります。


どの瞬間も肯定し、

今にフォーカスして、

ニュートラルな意識であり続ければ、

自らのうちにある完全性が、

自動的に、

顕現してきます。


なぜなら、

それこそが、

最も自然な在り方だから、

です。


このことを、

老子は、

無為自然という言葉で、

表現しました。


その瞬間その瞬間を、

丸ごと受け入れて、

自らを慈しんでいると、

真実在の完全性が現れて、

より完全な状態が見えてくるようになります。


そしてその完全性の奥には、

さらなる完全性があるという、

奥深い道でもあります。


老子は、学を断てば憂いなし、と、言いました。

頭で考える修行では、

波動は重くなるばかり
です。


永遠に終わらない迷いの森から抜け出て、

軽やかな風の時代の生き方に、

ギアをアップして
いきましょう。



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僕が涙を流したブログ記事



今日は誤解を招きかねないタイトルなので、

最初に断っておきます。 


これは僕だから泣けたのであり、

もし泣ける人がいるとしたら、

僕と似たような経験をした人か、

ものすごく共感力のある人、

くらいでしょう。


人は、孤独なものです。

ましてや精神世界のこととなると、

理解し合うのは限りなく難しい。


それは、

この三次元という、

縦横高さの箱庭のようなところに肉体がとらわれていて、

精神が自由ではないからです。


僕は、

とある宗教団体をやめる際、

3年間の検証期間を置きました。

3年間も時間を要したその理由は、

それほど、

やめることに逡巡していたからでもあります。


自分が信じている者、

特に神と崇めている存在に、

疑いを持つのはつらいことですし、

何よりも認知的不協和を生みますから、

感情が不快感を
持ちます。


不快なものからは、

目を逸らしたいのが人の常。

見ないようにすることで、

自分の精神の均衡が保てますからね。


僕がその記事を読んで泣いたのは、

彼がいかに真摯な信仰生活を送ってきたのか、

そして、

不本意ながら疑問を持ち

その後、

逃げずにその疑問と向き合い

勇気をもって、

真実と向き合ったのかということ、

そのひたむきな姿を、

感じ取ったからです。


人は、

一度信じたものは、

なかなか手放せないものです。


ましてや彼のように、

多くの時間とお金、

つまり人生そのものを注ぎ込んできた人であれば、

なおのことです。


しかし彼は、

勇気をもって検証し、

教祖の実像に近づくことができました。


これは、

容易な作業ではありません。


以下は、彼のブログからの一部抜粋。

私も幸福の科学には数百万円のお布施をして、20年以上も信仰を続けてきました。大川隆法の言っていることが間違っていると判定することは、これまでの20年間の自分の人生を否定するのと同じなので、それはそれは非常に慎重になります。信仰を捨てるかどうかという人生の大きな選択がかかっていますので、本当の事、事実、真実を突き止めたくて真剣に慎重に調べました。

私もつい最近まで、皆様と同じように支部行事に参加し、ご法話に涙し、精舎の研修では光の体験をして心の安らぎを得ていました。法友たちと駅前で一生懸命チラシ配りしたり、様々なボランティア活動もしました。正心法語は基本毎日全編読誦でした。大川隆法が主エルカンターレではないと認めることは、自分のこれまでの人生を否定する様なものです。だから信じたい気持ちがありました。本物であって欲しい、本物であるべきだ、どんな矛盾があっても本物なのだと思っていました。

もし熱烈信者だった頃の私であれば、総裁先生が嘘など言うはずがないから、これは信者を導くための方便ではないか?車両訓練場だと見抜いていたけど、中国の軍事的脅威を日本人に知らせるために、数多くの核弾頭ミサイルが日本の各都市に照準を合わせていると、敢えて嘘をおっしゃったのではないか?と思ったかもしれません。


まさにこの彼の気持ちこそ、

僕が11年前に退会したその団体を、

3年間検証した時の気持ちそのもの。


僕が黒字で強調したところは、

まさに当時の僕の気持ちと同じものが、

書かれていたから。


ましてや僕は霊的に敏感なところがあり、

精舎などではインスピレーションがどんどん降りてきて、

光体験も一度や二度ではなかったからです。


この、自分の中にあった光体験こそが、

最後まで僕を逡巡させていた
ものでした。


感性と理性との凌ぎ合いというか、

信仰歴が長く活動信者であれば、

少なからず奇跡のような体験もしているし、

僕が辞めたその団体に限らず、

様々な宗教団体の信者が、

それぞれの信仰体験を根拠にして、

自分の信じる対象の正当性を、

確信の根拠としていることでしょう。

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どこに疑問を感じ、何をきっかけに気づきに至るかは、

人それぞれでしょう。

今日紹介する人は、

一つの疑問をここまで掘り下げて探求したのかと、

その丁寧さに感心しました。


僕の場合は、

複数の疑問をそれぞれ掘り下げ、

調べ上げ、

その教祖の実像を複眼的に見ることで、

疑問を解いていきました。


文献にあたるだけでなく、

東京地裁にも足を運び、

天使から悪魔に格下げされ追放された教祖の元夫人にも、

二度会って話も聞きました。


僕なりに慎重に、

幾度も感情の揺れ戻しを経験しながら、

それでも真実を求める気持ち、

求道心が、

僕を導いていきました。


殆どの人には、

興味のない内容でしょうから、

無理に読む必要はありませんが、

一応その記事を貼り付けておきます。

大川隆法の霊能力「中国秘密軍事基地」遠隔透視衝撃の真実 | 元幸福の科学信者コウちゃんのブログ (ameblo.jp)

考える材料にしていただけたら、幸いです。




ドグマを超えて生きるために3



昨日は、

午前中は晴れ間がありそうだったので、

御山へゴー。


3時間ほど山歩きをして、

いなげやで買い物をして帰宅。


さて、2回にわたって、

マイケルとブリックスという、

いわば一般人の霊の証言を紹介しましたが、

聖職者の中にもまた、

あの世に還ってから、

自らの間違いに気づいた者もいます。 


そうした中から、

二人の霊を紹介します。

あの世からの通信者の中で最大の聖職者の一人は「コスモ・ラング」である。彼はカンタベリーの大主教を三十年にわたって務め、エドワード八世が離婚歴のある女性と結婚するに際しては、彼の不屈の反対が王を退位にまで追い込んだのであった。一九五九年、グリーンはいつもの質問を彼にストレートにぶつけた。「あなたが死んだとき、どんな様子でしたか?」「驚きました。私はある意味で偏狭な宗教的信仰を持ち続けてきたと思います。私がそれまで真実だと思ってきたことが、必ずしも正しくないことに気がつきました。そして私は今、これまで信じてきた多くの事柄が実際は間違っていたことを、はっきり認めています。人類は何世紀にもわたって、曖昧で分かりにくい教理にしがみついてきました。本当の真理とは、イエスが人類に語ったような単純なものなのです。ドグマ・教義――これらはもちろん地上時代の私の人生そのものでした。しかし、そうしたものはこちらの世界には全くあてはまりません。それは意味のないことなのです。人間は死後も生前と何ひとつ変わるわけではありません」一九六〇年、「インジ」と名乗る男性の声がした。彼は生前、セントポール寺院の司祭長を務めた有名な神学者であった。彼もラング同様、あの世で同じ教訓を学ばねばならなかった。彼は告白した。「私が地上時代に人々に説いてきた多くの事柄、また真理として語ってきた多くの内容――私は長い間、心の底からそれを真実だと信じていたのです――それが、私をこちらで低い世界に押しとどめました。そして今もそうなのです。……人は地上を去るとき、強烈に染み込んだ先入観を持ったままのことがよくあるのです。そういうときは、こちらで厄介なことになります。彼らは、私がそうであったように、なかなか真理を学ぼうとしないのです。心の目を開くことができず、真実に対して子供のように素直になることができないのです」


上記もまた、

「500に及ぶあの世からの現地報告」からの抜粋です。

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カトリックの大主教と神学者が、

同じように、

ドグマの誤りを認めています。

「そちらにも教会がありますか?」とウッズは一九六二年、エリザベス・フライに尋ねた。「地上近くの界層世界にはあります。そこにはさまざまな宗派の教会や教義があります。そしてそこにいる人々は、地上にいたときと同じようなことを続けているのです。彼らは自分たちだけの信仰の世界の中で、幸福感を味わっているのです。彼らは無知の状態の中で生きているのです。よく無知であることは最高の幸せである、というようなことが言われますが、どんな人間にも、より多くの知識を求めて飢えを感じるときがくるものです。少しでも多くのことを知りたいと思うときが、必ずくるようになるのです。そしてこれが人間の進歩の始まりなのです」


ドグマに拘束され、

狭い世界観の中で生きるようになると、

死後、

低位霊界にとどまったまま、

長い時間を過ごすことになります。


地上生活ではカルトの教義に縛られ、

死後もなお、

長い時間低位霊界にとどまり続けるという、

実に、割に合わない生き方です。





ドグマを超えて生きるために2



昨日の話の続きになりますが、

この世での日常が、

そのまま、

あの世での生活へと続くことを、

見ていきたいと思います。

引用元は、

昨日と同じく、

「500に及ぶあの世からの現地報告」です。

九年後、マイケルの述べたことと同じような内容が、別の霊から届けられた。「私の名前はブリッグスと言います。地上にいたとき何年もの間、クリスタデルフィアンの信者でした。これはアメリカの一宗派で、自分たちだけが死の世界から引き上げられ、キリストが世界に君臨するためにエルサレムから地上へ戻るとき、ともに地上へ戻ることができる、と信じていました。私は地上にいたとき、自分の狭い視野の中で、自分たちのような教えを受け入れ信じた者だけが神の王国を受け継ぐことができる、と信じ込んでいました。私は今、これは全く馬鹿げたことだったと思っています。誰もが神の王国を引き継ぐのです。なぜなら、それが自然の法則だからです。人が死ぬとその霊は、霊的世界(霊界)へ行って、そこに住むようになります。霊界は地上を取り囲むように存在しています。われわれは誰ひとり忘れ去られることはなく、誰でも自分の本性と地上で積み上げた内容、また不足している内容に応じて、自分にふさわしい霊的世界へ赴くようになるのです。このことに例外はありません。別の言葉で言えば、人は自分の考え方・生活を通してつくり上げてきた結果を、そのまま正確に自分自身で受け取るようになる、ということです。宗教それ自体には救いはありません。宗教は必ずしも人間を善くするものではありません。人が善くなるのは、自分が霊的存在であることを自覚して、正しい努力をしたときにのみ可能となるのです」さらに彼は、あの世へ行ったばかりのときの様子を話し続けた。「私の心は真理から閉ざされていました。最初こちらへきたとき、ある環境の中に自分自身がいることに気がつきました。そこは私にとって、とても心を満たされる幸せな場所でした。私は“パラダイス”にきたと思いました。しかし今にしてみれば、そのときの私は全く馬鹿げたパラダイスにいたことが分かります。そこは、完全に自分と同じような考えを持った人々から成り立っている世界でした。私がそれまで信じていたのと同じ信仰を持った人々が集まってつくられた特殊な世界でした。彼らも私と同様、教会の教えを絶対的真理であると信じ続けていました。私たちは、自分たちの集まりと讃美歌の合唱と祈りに満足しきっていました。そしていつになったら、これまで言われてきたように“復活の時”が到来し、肉体をまとって地上の楽園で楽しく生きることができるのか、と話し合っていました」彼の再教育の時は、ゆっくりとやってきた。彼が不安を感じ始めたとき、それは始まった。そして彼は自分のグループ以外の人たちの存在に気がついたのである。その人たちも自分と同じように死後の世界にいるように思えた。その人たちが彼に話しかけてきたが、その中の一人、バーナードという人間が彼を散歩に連れ出した。そしてバーナードは、自分は生前、ローマ・カトリックの司教であったと言った。ブリッグスは恐れた。いつもカトリックとスピリチュアリズムは呪われた邪悪な存在である、と教えられてきたからである。「心配しないでください」とバーナードは言った。二人は、ひと続きの小さな孤立した共同体を通り過ぎたが、そこにいた人々は、いまだに三百~四百年前の地上世界と同じような服装をしていた。そして最後に美しい町に着いた。そこでは人々は自由にのびのびと愛に満ちあふれて生活しているように見えた。ブリッグスは言った。「そこには、全世界の人々に与えたくなるような平和が満ちあふれていました。私は今、人間はいったん心の束縛から解放され、自分自身で自由に考えるようになると何の障害もなくなる、ということを声を大にして言いたいのです」彼の“再教育”は、こうして完了したのであった。


上記は、

ブリックスという、

かつてアメリカの、

とあるカルト団体の信者だった霊の告白。


霊界の様子は、

霊界にいる者に訊くのが良い、

とはまさにこのことです。


牧師が天の国の話をしても、

それは聖書、

もしくは自分たちの教義の、

範囲内のことしか、

語りようがありません。


彼は、地上に生きているため、

霊界のことなど、

知りようもないのです。


どの教団に属しているかなどは、

どうでもいいことであり、

霊性の向上には、

何の関係もないということです。

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肝心なのは、

ブリックス霊が言うように、

「宗教それ自体には救いはありません。宗教は必ずしも人間を善くするものではありません。人が善くなるのは、自分が霊的存在であることを自覚して、正しい努力をしたときにのみ可能となるのです」
 
の部分です。

霊界でのブリックス霊の覚醒は、

彼が不安を感じ始めたとき、それは始まった

とあるように、

内なる変化、

たとえば違和感のような、

そうしたものが生じたのち、

初めて、

外の世界を見ようというスペースが生まれるのです。


これは、

僕が、

最後に所属していた宗教団体においても、

実際に経験したことでもあります。


僕の場合は、

それが、

地上生活で起こったというにすぎません。


地上にあっても、

死後の世界にあっても、

その個性は変わらないので、

覚醒がいつ起こるかは、

他人には知る由もありませんし、

また、

別の視点に立てば、

個性というものは、

それだけ尊重されている
とも、

言えるのかもしれません。






ドグマを超えて生きるために1



昨日は風のハリマオさんが我が家に来て、

しばし歓談。


楽しい時間を過ごしました。


さらに、

特注品のボールペンまでいただき、

その書き心地に感動。

普段使っている安いボールペンとは違い、

滑るように字が書けます。


さて、今日は、少し霊的な話を。


僕は、

幾多の宗教遍歴を経て、

今は、

いかなる団体にも所属していません。


所属する必要がないからです。


いかなる団体と言えども、

それなりのドグマがあり、

素朴に生きることを妨げます。


今回は、

キリスト教を例にとりますが、

これはほとんどすべての宗教団体に当てはまる話です。

マイケルの母親「A・C・フェアロン」――彼女は一九五四年、ウッズに連れられて交霊会に初めて参加した――もこの話に加わった。彼女は言った。「先回、私がこの交霊会に参加したとき、マイケル、あなたは確か“どんな人を連れてきてもいいですが、お願いですから牧師だけは連れてこないでください。ごめんこうむります”と言いましたね。それはどういう意味ですか?」マイケルは答えた。「偏見があるように受け取られたくありませんが、私は教会やキリスト教に固執している人々のために時間を割きたくないのです。なぜなら彼らの心はあまりにも狭すぎて、自分が信じる世界の外へ目を向けることができないからです。つまらないわずかな知識を知っているだけで、すべての知識を手にしているかのように思っているのです。聖書に書かれていることだけが、人類の知るべき知識であると考えて、それ以外のことを受け付けようとしません。彼らは、聖書に書かれていることはすべて受け入れていると言いますが、実際には聖書を忠実に実行している人間はほとんどいないはずです」「それにクリスチャンたちは聖書を正しく解釈していません」フェアロン婦人が言った。「全体として見たとき、聖書には多くの真理が含まれています。とても善いことが書かれています。それはイエスの説いた単純な教えのことです。もし人類がイエスの言った言葉に従っていたなら、地上世界がこれほど悪くなることはありませんでした。そして結果的に、人類の考え方や霊的成長は飛躍的に伸びていたはずなのです。問題は、教会がイエスの説いた単純な真理を複雑に解釈し、真理をねじ曲げ、何百年もの間、イエスの教えとは何の関係もないことを説き続けてきたことです」「どのようにしたら、イエスの真の教えを人々が知ることができるようになりますか?」とフェアロン婦人が尋ねた。「どんな人でも自分自身の内に、イエスの教えを見い出すことができます。もし人が、聖書に書かれているイエスの教えを読み、知恵と賢明な判断力を用いるなら、その中に本当の真理を見い出すことができるようになります。地上人類は、教会の関係者が何百年にもわたって教会自身の利益のために付け加えてきたエセ真理を、すべて捨て去らねばなりません。キリスト教会は、自分たちに都合よくつくった教えを広めようとしてきました。そして“もし人が教会の教えを信じ受け入れさえすれば、来世は大丈夫だ”と言うのです。しかしそれは全くのたわごと、デタラメです。その偏狭な宗教的考えに染まった多くの人々は、こちらへきたとき、あまりにも違う現実を見せつけられることになります。キリスト教の間違った教えが、実際に彼らの進歩を妨げてきたのです。自分たちは神によって選ばれた者だと信じてこちらの世界へきた人々は、ここでも同じような考えに染まった者同士で集まり、他の人々とは別の閉鎖的世界をつくり出すようになります。自分たちだけが将来、地上で肉体を持ったまま永遠に生きるようになる、と信じています。視野が狭いために、本当に心の底から自分たちこそ地上での復活にあずかる唯一の存在である、と信じ込んでいるのです。そして肉体を持って地上に戻れる時――“復活の日”がくるのを待ち続けているのです」「間違った教義や信条に縛られたままの人間が他界したとき、最初に何が起きますか?」ウッズが尋ねた。マイケルが答えた。「死の直後の人間は、五分前と何も変わっていません。その人の考え・性格・個性は全く同じです。したがって生前、強烈な宗教的信念を持っていた人々は、こちらへきても依然としてそれを強く持っています。しかし徐々に、自分は水の外に出された魚のような存在であることに気がつき始めます。そして、これまで信じてきた古い考え・教え・信条は事実でないことを知るようになります。人がこちらへきて最初に悟ることは、“ここは地上と何ひとつ変わらない、すべてが自然的な世界である”ということです。人間は地上にいたときと全く同じです。物質的生活をしていたときの重さがなくなっているという点を除いては、そっくり同じなのです。自分が生前に持っていた天国や神などについての古い多くの考えは、単なる人間のつくり出した物質的概念にすぎないことに気がつくようになります」


上記は、「500に及ぶあの世からの現地報告」という書籍からの抜粋ですが、

戦死したマイケルのキリスト教批判は、

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一聴の価値があります。


これは、

キリスト教のみならず、

たとえば、

法華経のみが正しいとする日蓮の教えなども、

その偏狭さから、

信者の心を束縛していきます。


宗教団体にも濃淡があり、

束縛性のない穏やかなものから、

独善性の強いカルト的なところまで、

種々様々ですが、

教祖のカリスマ性が強いところほど、

そのドグマに束縛され、

独善性が強くなる傾向がある
ように思えます。





生きることはなぜこれほど苦しいのか



今日は朝から肌寒い陽気。

連休を終えた多くの勤め人が、

この時間にはもう電車に乗っているか、

あるいは職場に着いて、

長い一週間を始めているかもしれません。 


僕はと言えばありがたいことに、

こうして家にいて、

ブログなどを書くことができます。


今日、5月8日は、

僕の弟の誕生日であり、命日です。

62年前の今日、

彼はこの世に生を受け、

そして何度か息をしたのち、

あの世へと旅立っていきました。


その弟の、

あまりに短い人生と比べ、

僕はもう、64年と2か月の歳月を、

生きてきました。


昨日は、Iさんが、

午後の3時過ぎに我が家を訪れ、

そして、午前3時過ぎに、

帰っていきました。


およそ12時間、

Iさんとは、

これまでにないほどの深い話ができ、

とても感謝しています。


幼少時より、

人生の儚さについて、

思い煩うことの多かった僕は、

温室のような学生時代を終え、

世の中に放り出されたときから、

苦しみの連続。


人生は苦なりと、

看破した仏陀釈尊の教えに惹かれたのも、

無理からぬものがあります。


この世に真理というものがあるならば、

それは何なのか、

それを志向し続けた日々でした。


生家は、というよりも父は、

世界救世教の熱心な信者で、

母は無神論でありながら正直な性格。

神を信じているはずの父のほうがときどき嘘をつき、

無神論の母のほうが真っ正直な姿を、

子供のころから不思議な感覚で眺めていました。


やがて思春期となり、

世界救世教の学生部で活躍し、

青年部へと移行したときに、

教義の疑問をぶつけたところ、

的を射た回答を得られず、

そこを離れ、

求道の日々が始まります。


アルバイトを転々としながら、

宗教関係の本を読み漁り、

多くの人に会い、

やがて、友人を通して、

GLAという団体に導かれます。

そこで、緩やかに学び始め、

集会などにも顔を出したものの、

創始者である高橋信次氏の死去と、

その後の後継問題のごたごたから、

会は分裂。


もともと深入りしていた団体ではなかったので、

そう大きな影響も受けなかったのですが、

一時期、高橋信次氏とその著書が、

僕の人生の指針でもありました。


その後の紆余曲折は、

過去記事でも何度か触れているように、

統一教会、幸福の科学を経て、

今は、いかなる宗教団体にも属さず、

宇宙法則としてこの世界を統べるところの神、

スピリチュアリズムが明らかにした神への信仰が、

僕の中心軸になっています。


昨日は、Iさんとの、

多岐にわたる話の中で、

僕の、今の状況に至った経緯なども話すことができ、

それゆえ、深夜になっても話が終わらず、

長い対話となりましたが、

最後までこの対話の相手となってくれた、

Iさんへの感謝の思いと、

また、立場は違えど、

Iさんの、今の立ち位置なども知ることができ、

貴重な時間となりました。

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ともに二人に縁のある、

ある人の死をきっかけに、

そのような対話へと導かれたことを、

感謝して、

今日はこのブログ記事を、

終えたいと思います。





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