介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

60男の内省

思った以上に人は"得体の知れないもの"



リタイア生活となり、

内省の時間が増えてくると、

読書時間も確保され、

思慧する時間も増え、

引きこもり体質の僕には、

ひたすらありがたい時空間。



まして今は冬。

034

気持ちは内向きとなり、

自分と向き合うのに、

これほど打ってつけの季節はありません。


自分はどういうときに、

ついつい噓をついてしまうのか。


このブログだって、

基本的には正直に書いているつもりですが、

どこで嘘が混じるか、

わかったものではありません。


全体国家の恐ろしさを描いた1984。

そこに暮らすのは生身の人間であり、

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しかしやがて、

感情が枯渇していく、と。


フィクションでありながら、

説得力を持つのは、

今この時も、

形は違えど、

似たようなことが展開しているから、

なのかもしれません。


コロナワクチン、

に関する、

報道の在り方一つをとっても、

何かが覆い隠されていると感じる、

この、

息苦しさを、

例に挙げるまでもなく。 


僕は大学に行っていないので、

就活の苦しみというのは、

経験していませんが、

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ここで繰り広げられているようなことは、

実は就活以外の場所でも、

意識的か、

無意識にかを問わず、

行われていたりします。


事程左様に、

人間とは、

得体の知れないものでありながらも、

愛しきものでもあるのかなと、

思ったりも、





しています。





僕は弱い人間です



僕が、自分は本当に弱い人間だなと気づかされたのは、

学校という温室から放り出された後でした。

人によってはもっと早く、

例えば学生時代にいじめにあうなどして、

自分の弱さに直面する人もいるかもしれません。


僕の場合は、概ね幸福な学生時代を送ったせいで、

社気に出てからの落ち込みのほうが多かったですね。


さらに言えば、一人っ子で、家庭内で兄弟間の葛藤もなく、

親の愛情にも恵まれていたため、

自分中心の世界観になりやすく、

自己肯定感は高いものの、

自分の相対的な立ち位置がわからないといった、

弱点はありました。


で、世の中に出て、当然のことながら凹にされるのですが、

自己肯定感が無駄に高かっただけにその落ち込みはひどく、

紆余曲折を繰り返しながら世間を漂流。


さて、昨日はコロナワクチンについて少し触れたのですが、

少なくともNHKは、公共放送を謳っている以上、

情報は偏りなく、流すべきだと思うのですよ。


コロナで何人死んだという報道は律儀なまでに繰り返す一方、

ワクチン後遺症で苦しんでいる人、

あるいは接種後、のたうち回って死んで行った人については、

殆どというか、僕の知る限り、報道していません。


ネットから情報を取りに行ける人ばかりではなく、

大半の国民は、受け身状態で生きています。

テレビ、あるいは新聞、この辺りが大方の情報源。

烏合の衆は、その情報に促されて右往左往。


僕は、ハンドルネームをタオにしているくらいですから、

老子が大好き。

今の、共産中国は嫌いですが、

古代中国の思想家は、

老子、荘子、孫氏、など、

生きる上での頼りとなる思想家も多い。

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老子を軸にして、

孫子の教えなどを上手く活用すれば、

この世知辛い世の中も、

何とか乗り切っていけます。


これを読んでくれているあなたよりも、

ずっと、社会不適合者で、

弱っちい僕が言っているのですから、

間違いありません。


陰謀論とかそんな軽薄な話ではなく、

自分にとって何が本当に大切なのかを知ることが、

コロナワクチンをはじめとする偏向報道の向こうにある、

闇と真実を見極めることにも、

役立つと、思っています。





 

おひとり様高齢者の「残酷すぎる最期」



おひとり様が、

もはや珍しくなくなった今の日本。

ソロキャンプ、 

だけでなく、

孤独のグルメよろしく、

僕も、外食は、大概一人。


井之頭五郎さんほどの食通ではないにせよ、

僕も、食事は、

一人で、じっくりと、

味そのものに、

向き合いたいタイプ。


勿論、気の合う友人と一緒に食べるご飯は美味しいですが、

どうしてもその場合は、会話が主流になりがち。


で、今日の話は、グルメではなく、

以下は、幻冬舎オンラインからの、一部抜粋。


後期高齢者となったおひとり様高齢者379万人のうち、約130万人が要支援・要介護認定を受けているという計算になります。 支援や介護が必要となった時、おひとり様だと身内に頼ることはしづらく、事業者に頼ることになるでしょう。ただ頼るにも、無償というわけにはいきません。

経済的に余裕のないおひとり様高齢者の割合は、4人に1人以上。生きていくのにサポートが必要なのに受けられず、社会からも孤立してしまう……まさに「孤独死」のリスクに直面している人たちが、この日本にはあふれているのです。


うーん、僕なども、孤独死は確定。

それは、もうすでに、覚悟ができています。


でも、孤独死って、

別に不幸なことじゃなくね、

と、思いますね。

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誰もが一人で生まれ、

一人で死んで行くわけで、

その死ぬ瞬間に、

別に看取ってくれる人がいなくても、

僕は、かまいません。


それよりも、

死ぬときに、

ああ、いい人生だったなあ、と、

思えれば、それでよし。






他人を裁き合う世界は地獄だよね



僕は、二十代の二年間、

統一教会に在籍していたので、

去年宗教二世の問題が取り上げられた時に、

生まれて初めて、

チェンジオルグですか、

あれに署名したのですよ。


あの、小川さゆりさんたちが、訴えていたやつ、ね。
 

ここに、逃げずに戦っている女性がいます



統一教会の宗教法人解散(法人格取消)を求めますというもの。


まあ、それは良いのですが、

ときどき、

こうしたものに賛同しませんか、

という内容のメールが届きます。

その中には、

ちょっとそんなことにまで、

謝罪を求めることに賛同していたら、

世の中がさらに息苦しくなるんじゃね、

みたいなものまであります。


昨年のM1グランプリの優勝者、

ウェストランドの芸が受けたのも、

ある意味、

息苦しさの捌け口を、

多くの人が求めているから、

なのかもしれません。


チェンジオルグは、

社会に風穴を開けた半面、

訴訟社会への入り口にもなりかねません。


人が人を裁き合う世界は、地獄です。

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そういう僕自身、

昨年は、

カルト宗教批判をだいぶしましたが、

それで僕自身が幸せになることも、

霊性が高まることも、

ありませんでした。


風の時代の到来を、

何度となくこのブログで書いてきながら、

その僕自身が自分流の正義感という、

土の時代の遺物を、

握り締めていた
のです。


そのことに気づいたのが、去年の末のこと。


人生の残り時間を考えるときに、

もう、

自分の正義に執着するのはやめようと、

昨年末に、




反省したのです。






 

軽く扱われたときのモヤモヤについて



切れる老人を見ていると、

意外に現役時代に管理職だった人が多かったりします。

要するに、会社内では偉い人、ね。


でも、そうした人も、

ある年齢になれば、

一部の例外を除き、

重要ポストからは外されて、

社内的には、終わった人になる、と。


で、会社内にしか居場所がなかった人が、

いよいよ定年退職して街に出てみると、

世間の人から見たら、

ただのしょぼくれた老人にしかすぎません。


でも、

ご本人の中では、

尊大な自尊心が、

渦巻いているままだったりもします。


こうした人が、

スーパーのレジで怒鳴り声を上げたり、

静かにしていなければいけない図書館内で、

職員をつかまえて自慢話をしたり、

まあいろいろと、

自分の存在を誇示しているわけです。


以下は、ひろゆきの言葉からの一部抜粋。


 相手から「ナメられた対応をされる」「適当な返事をされる」などをされると、ついモヤモヤしてしまうかもしれません。

 僕の場合は、むしろ逆に嬉しくなってしまうんですが、普通の人は違うかもしれません。

 まず、モヤモヤするということは、あなた自身の考えに未熟なところがあります

「この私に向かってそんな態度が許されるのか?」という驕りがあると思うんですよね。

 そういう自尊心があると、日常生活や仕事において、疲れてしまいます

 失礼なことをされても、「まあ、大したことないから仕方ないか……」くらいに受け止めてみましょう。

 そして、「後から見返してやる」と思えばいいのです。

 失礼なことをしてきた人が、後から「あれは失礼だった……」と気づくようにする。

 そのためには、あなたが仕事で大きな成果を出したり、偉いポジションになればいいだけの話です。

 要するに、あなた自身の成長のために利用すればいいのです。

 いちいち、イライラして言い返したり、反撃したり、苦言を呈さなくてもいい

 大きな器で受け止めて、相手に後から焦らせればいい。



うーん、半分同意、半分違うんじゃね、かな。

同意する部分は、太字にしてみました。

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同意しかねる部分は、

「後から見返してやる」と思えばいい、の部分。

これは、僕の年齢においては、ですが、

見返すなどと思うこと自体が、時間の無駄。


ただ、若い人には、

有効な考えだと、思います。

それが、

成功へのモチベーションに、



なったりしますからね。




何とも言えない心細さを感じていました



今から10年前の今頃、

何とも言えない心細さを感じていました。


父は入院中で、

病院からは退院の圧力。

実家を建て替えるための借家住まいで、

母もひざを痛めているため家事はできず、

僕はと言えば、

往復4時間の通勤時間での会社勤め。 


冬の季節の通勤は、

家を出るときは、真っ暗。

吐く息は白く、

体が寒い以上に、

心が、

寒さで震えていました。


電車で揺られるうちに、

外が明るくなってきて、

また、長い勤務が始まるのだな、と。


働きながらの介護だけでなく、

54歳で背負う新たな住宅ローンの不安。


それ以上に、

弱っていく両親を見ながらの、

何とも言えず心細い心境。

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あれから、

10年が経ったのだと思い、

僕の前から、

父が消え、

母が消え、

今は、

一人。


熱が出て、

咳をしても、

一人、

です。





ビクビクした波動が不幸を呼び寄せる



僕は転職が多かったのですが、

パワハラ上司は論外としても、

苦手だったのは、

イライラしている女性社員。

ときどき、いますよね。


昔はよく、

そうした女子社員に対して、

欲求不満なんじゃね、

とかいう人がいましたが、

今だと、

それもセクハラとかになるんでしょうね。


以下は、ひろゆきが言っていたこと。

自分が「余裕」を持っていないときには、あることが気になり始めます。  それは、まわりの人への「嫉妬」や「イライラ」です。  同じ職場でうまくいっている人がいたときに、フツーに喜べなくなるのです。  「どうせ何かずるいことをやったんだろう」「あんなのは大したことない」などと思ってしまいます。  そうやって周りの人にイライラしているときは、自分の心の中に余裕がないサインです。

 自分の仕事などの中で「重要なことが何か」がわかっているときには、それに集中して取り組んでいるはずです。  そういう状態であれば、他の人に「嫉妬」や「イライラ」を感じることはありません。  成功した人を見ても、素直に「すごいね!」と思うことができます。  逆に、自分の中で何が重要なのかがわかっていないときは、「焦り」や「不安」が生じます。それが、他人への攻撃に向かってしまうんですよね。  ということで、他人に対してイライラするときは、「自分の中に余裕がないな」「何が重要なことかわかっていないんだ」と、自省するといいでしょう。そうやって自分のことに時間や労力を費やしたほうが、イライラで消耗するより何倍もマシだと思いますよ。


うーん、 それと、もう一つ言えるのは、

強気、の大切さ。

会社なんかでも、

ここを首にされたらどうしようなどと弱気になっていると、

そのビクビクした波動が不幸を呼び寄せてしまいます。


別にこの会社を辞めても、

人生いたるところセイザンありだ、

と、思っていると、

その強気の波動が、

一種のバリアとなって、

上手く行くもの。

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最近、僕が体調を崩した原因の一つも、

ある人に同情して悲しくなり、

波動を下げてしまったから。


こちらの本の内容に、

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近いかもしれない環境で、

かつて知り合いだったある女性が、

今もまだ苦しんでいるのではないかと危惧したから。


少女時代の悲しみ、

思春期の街での放浪の彼女の過去を、

わずかですが知っていた僕は、
   

純粋な人間が傷つけられる世の中



慟哭せざるを、得ませんでした。


しかしそうした同情も、

度を越せば、波長同通で、

自らの体調をも崩すことを、

身をもって、知りました。


そこは大いに反省して、

今は、そのような愚かなことは、

ないように切り替えました。


強気の波動

これを覚えておくと、

強力な護身術にもなりますね。





彼らは、土の時代のエゴの象徴



プーチンや習近平、金正恩などの独裁者は言うに及ばず、

カルト教祖たちにも言えることですが、

彼らは押しなべて、

自分の虚像に、

しがみついています。


もはやそれが虚像であることすら、

わかっていないのかもしれません。


そこにあるのは、

詭弁、

自己欺瞞、

膨れ上がった自尊心。


どれほど虚勢を張り、

飾り立てようと、

その空虚さを、

埋めることはできません。 


その理由は明白で、

自らが虚飾に溺れ、

自分を見失っているからです。


一方、素朴な人は、

存在そのものが満ち足りており、

何かで自分を飾る必要がありません。


それゆえ、

モノやお金をそんなに考える必要もなく、

平和に生きることができるのです。


それに対し、

素朴さから最も遠い存在である独裁者やカルト教祖は、

自分を見失っているので、

あるいは、

見誤っているので、

空虚なのです。


そして、

その空虚さを埋めるために、

他者を必要としているのです。


非常に迷惑な未熟者が、

独裁者とカルト教祖なのですが、

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彼らは、土の時代のエゴの象徴とも言える存在。


今はもう、

風の時代。


もうすでに、

彼らの命運は、

尽きています。




ここに、逃げずに戦っている女性がいます



先日、テレビ番組で、

トラウマについて、

また、戦争などの後遺症について、

取り上げていました。 


その顕著な例としては、

暴力的になるか、

無表情になるか。


どちらも、自分からの逃避。

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ここに、逃げずに戦っている女性がいます。


以下は、ネット記事からの抜粋。


 「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の元2世信者で、宗教2世の子どもの窮状などを訴えている小川さゆりさん(仮名)が9日、被害者救済新法案を審議している参院消費者問題特別委員会に参考人として出席し、宗教2世の救済を訴えた。

 小川さんは「今回の法案の最大の積み残しの課題は、子どもの被害が現実的には全く救済できないということ」と指摘。その上で、宗教2世の子どもの被害防止・救済のために、「来年の国会で宗教的な児童虐待を防止する法案を与野党で協力して成立させるようにお願いしたい」と訴えた。

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 小川さんら被害者が自ら公の場に出て被害を訴えている現状にも触れ、「自分の経験を話すだけでも深く傷つき、体調を崩しながらも訴え続けてきた。それは被害拡大の張本人の与党側に(積極的な)動きが見られないから、被害者がそこまでやるしかなかったという事実を忘れないでいただきたい。今後は積極的な政府の被害救済に期待いたします」と述べた。


うーん、太字にしたところは、

僕が激しく共感する部分。

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宗教二世の苦しみは、

統一教会だけに限ったことではありません。

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この問題が、

広く一般社会に理解されることを、

願ってやみません。




会社を離れれば、ただの人



普通に生きていても、人は、 

職場で、学校で、地域で、家庭で、

それなりの悲しみを、味わいます。


そうした悲しみなり、

苦しみに出合ったときの、

人の反応は、

様々でしょう。


切れる老人の話を、

ときどき耳にしますが、

スーパーやコンビニのレジで怒鳴り声をあげる老人、

あるいはまた、

やたらと他人に説教をしたがる老人、

などは、

結局のところ、

自分自身に、

苛立っているのです。


老年期は、

縮小期であり、

地位のあった人も、

会社を離れれば、

ただの人



その地位ゆえに、

周りの人は気を使ってくれていたのであり、

地位や名誉などをはじめとした飾りが剝ぎ取られて、

鏡の前に立ってみれば、

そこにいるのは皴の寄ったしょぼくれた顔。

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ありのままを受け入れる、

ということができない人は、

自分に苛立ち、

自分に歯向かってこれない相手を選んで、

うっ憤を晴らします。


今日もどこかで、

そうした老人の一人が、

抵抗できない相手にだけ、

苛立ちをぶつけているのかもしれません。




この世のことが重たい



昨日は、

体調も崩して、

吐き気すら覚えました。


そうは言っても、

夜には自治会のミーティングがあり、

何も食べずに出席。


仏教に、色心不二の教えがあります。

心と体は、互いに影響し合っている、と。


僕は、

今でこそ、

それなりに図太くなりましたが、

若い頃は霊体質で、

他者からの影響を受けやすく、

よく寝込んでいました。


それも有って、

仕事が長続きしなかったのでしょう。

タフでは、

ないのですね。


タフではないからこそ、

睡眠4時間が続く、

統一教会の専従生活も、

2年で脱落し、

結果的には、

それが、

幸いしました。


柔弱謙下。

僕が老子に惹かれるのは、

弱い者のほうがに近いから。


僕は、

HSPとまでは言いませんが、

世の中の矛盾や、

不条理を見るにつけ、

この世のことが重たくなります。

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おそらく、

今後、

生命エネルギーの衰えとともに、


ますますこの世のことが重たくなり、

この鈍重な肉体を脱ぎ捨てたいと、

思う頻度が、

多くなるのでしょう。



寿命があるうちは、




生きますけどね。





純粋な人間が傷つけられる世の中



僕は今では、

滅多に落ち込むことのない人間になりました。

なってしまいました、と、

言ったほうがいいかもしれません。


それは、あまりにも多くの絶望を、

経験したから、

なのかもしれません。 


そうした絶望の一つ一つを、

振り返り、

思索する意味でも、

散歩は、

欠かせません。

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ある時は川べりの道を歩き、

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ある時は山へと続く道を歩きます。

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そして、木々の間から見える家々を見たり、します。


そんな自分ですが、

昨日、

ショックな知らせがあり、

今は、

やや、

冷静さを失っています。


それは、以下の記事で触れた彼女に関することで、

  

人はどこまで苦しみに耐えられるのか



これを書いている今も、

思考がまとまらず、

ただ、生きていて欲しい、とだけ、

思いながら、

祈るしか、

ありません。


純粋な人間が傷つけられる世の中に、

深く、

絶望しています。





何の装備もないまま老年に至る人の末路



過酷な労働で、

人生と言う名の時間を消費し、

空虚な生活を送る人たちがいます。


彼らは、死ぬときに、

何を、思うのでしょうか。


以下は、セネカの老いについての言葉の一部。


生きる術(すべ)は生涯をかけて学び取らねばならないものであり、また、こう言えばさらに怪訝(けげん)に思うかもしれないが、死ぬ術は生涯をかけて学び取らねばならないものなのである。

誰もが現在あるものに倦怠感(けんたいかん)を覚えて生を先へ先へと急がせ、未来への憧(あこが)れにあくせくするのである。だが、時間を残らず自分の用のためにだけ使い、一日一日を、あたかもそれが最後の日ででもあるかのようにして管理する者は、明日を待ち望むこともなく、明日を恐れることもない。

それゆえ、誰かが白髪であるからといって、あるいは顔に皺(しわ)があるからといって、その人が長生きしたと考える理由はない。彼は長く生きたのではなく、長くいただけのことなのだ。

人は、より善く生きようとして、なおさらせわしなく何かに忙殺される。生の犠牲の上に生を築こうとするのだ。

何かに忙殺されている人間のいまだ稚拙(ちせつ)な精神は、不意に老年に襲われる。何の準備もなく、何の装備もないまま、老年に至るのである。

われわれが起き伏し、同じ歩調でたどる生のこの旅路、やむことなく続き、矢のごとく過ぎ行くこの旅路は、何かに忙殺される者には、終着点に至るまで、その姿を現さない。

過去を忘れ、今をなおざりにし、未来を恐れる者たちの生涯は、きわめて短く、不安に満ちたものである。終焉(しゅうえん)が近づいたとき、彼らは、哀れにも、自分がなすところなく、これほど長いあいだ何かに忙殺されてきたことを悟るが、時すでに遅しである。

彼らは、忙殺されていた何かに見離される時がいつかやって来れば、閑暇(かんか)の中に取り残されて狼狽(ろうばい)し、その閑暇をどう処理してよいのか、その閑暇をどう引き延ばせばよいのか、途方に暮れるのである。

何かに忙殺される者たちの置かれた状況は皆、惨(みじ)めなものであるが、とりわけ惨めなのは、自分のものでは決してない、他人の営々とした役務のためにあくせくさせられる者、他人の眠りに合わせて眠り、他人の歩みに合わせて歩きまわり、愛憎という何よりも自由なはずの情動でさえ他人の言いなりにする者である。そのような者は、自分の生がいかに短いかを知りたければ、自分の生のどれだけの部分が自分のものであるかを考えてみればよいのである。


 うーん、ここで言う装備とは、

別に老後の必要資金とか、

そうした経済的なことではありません。


普段生きる上での心得のこと。

今を楽しく生きているかどうか、ということ。


人生には、過去という記憶と、

今、このときという瞬間しか、ありません。

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未来を生きることはできず、

日々の暮らしは常に、

今、として、立ち現れるのみ。


なので、未来を憂う必要は、




ないのです。





腰痛の再発と国際関係論



昨日、10月30日は、

朝起きた時から腰の様子がおかしく、

軽度の腰痛が再発。


このように少しずつ、

体の不調も出てくると思い、

ますます日々の暮らしの大切さを思います。


僕の家の近くには、

大学が3つあるのですが、

そのうちの一つ、

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日本医療科学大学に行き、

公開講座の講義を拝聴してきました。


歩くことが困難になるほどの腰痛でもなかったので、

まして、内容が、国際関係論。

これは、聴かない手はありません。


以下は、講師の先生と、

僕がとったノートの一部。

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講義は、最初に注意があり、

撮影と録音は禁止。


ただし、講義の後、

講師の先生の著作の紹介があり、

それは撮ってもいいということで、

パチリ。

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年末には、恒例となっている、

AさんとIさんと、僕との3人会があり、

先日、忙しいAさんに打診し、

スケジュール調整をしてもらいました。


Aさんは、

国立大学を出ていて、世界情勢に明るいし、

Iさんも、

寸暇を惜しんで情報収集に怠りのない人なので、

3人で会って話をするのが、

今から楽しみです。


そのときには、

昨日学んだことなども併せて、

語り合いたいと、

思っています。




忙しく急き立てられる現代社会と何もしないことの幸福



何もしないことの幸福がわかってくると、

人生における焦燥感といったものは、

なくなっていきます。


何もしないことを、無為と、言いますが、

本来はその無為こそが自然であり、

何かと忙しく急き立てられている現代社会というのは、

僕の目には、病的に見えます。


一昨日のことになりますが、

自動車を運転しているときに、

白いワゴン車に煽られました。


やけに車間距離を取らない車だなとは思ったのですが、

僕も、制限速度よりは少し速く走っていたので、

そんなに遅いスピードでもない。


なのに車間距離を詰め、

煽ってきた車のドライバーは、

ちょっと見、50代くらいの女性。


僕は軽自動車に乗っているので、

大きな車に急接近されると、

身の危険を感じます。


僕は、若干の恐怖と同時に、

怒りを覚えました。

そのときに、

仏教の矢のたとえが脳裏をよぎり、

待てよ、と、

怒る自分に距離を置きました。


煽られて、

恐怖と怒りの感情が想起したのは、

第一の矢を受けたということ。


その怒りに任せてやり返そうなどと思い、

ましてや行動に移したりしたら、

それは、第二の矢を自ら進んで受けることになります。

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そうした観察者になることで、

怒りの感情は勝手に静まっていきました。


そのうちに、

その車間距離を詰めて走っていた女性も、

右折して、

どこかの会社の駐車場に滑り込んでいきました。


僕は、毎日急かされることなく暮らしていますが、

彼女は、急いでいたのかもしれません。

その焦りが、

車間距離を詰めて威嚇するという行為に、

つながったのかもしれません。


多くの人が、

日々の暮らしに追われています。

毎日生きるのに精いっぱいで、

自分と向き合う時間などないのかもしれません。


でも、本当に大切なものは、

急かされている社会にあるのではなく、

自分の内なる世界にこそ、

あるのでは、



ないでしょうか。




どんな旅行よりも家が一番いい



先日、風のハリマオさんとも話したのですが、

どんな旅行よりも、

結局、家が一番いいよね、と。


これは、うちの親なども言っていたのですが、

旅行から帰ってくるたびに、

お茶を飲みながらしみじみと、

やっぱり家(じぶんち)が一番いいなあ、と。 


特にうちの父などは、そう言っていました。


なんでこんな話をするのかというと、

実は、ついこの間まで、

久しぶりの旅行を考えていたのですよ。


それと言うのも、

鉄道150年で、

お得な切符が売り出されたから。


で、青森から新潟までを網羅する、

旅の計画を練っていたのですが、

3日間では、あまりにも忙し過ぎる、と。


それよりも、

近場を歩いて、

のんびりしたほうがいいか、と。

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ということで、

今年は、

泊りがけの旅行はもう行かないことに。


日帰りで、

そこそこの距離のあるところまでは、

行くかもしれません。




世界は悲しみに閉ざされているが



昨日はいろいろとやることがあり、

それなりに忙しい中、

テレビで、国会中継を見る機会がありました。


立憲民主党の長妻さんの質疑はよかったですね。 

日本の信者が血の汗を流して送った数百億円の金が、

文鮮明を経て北朝鮮へ行き、

そのお金がミサイル開発の資金になった、と。


知らない人もいるかと思いますが、

文鮮明は北朝鮮の出身です。


今、日本に向けて発射されているミサイルの、

開発資金の一部が、

日本を出所としたお金です。


保守を自認する政治家の多くが、

実は、文鮮明に手玉に取られていたという事実。


そんな文鮮明亡き後、

その妻、韓鶴子が、

実権を握ったのですが、

その野心は、

文鮮明が生きていたころから、

露呈していました。


ボケ始めた晩年の文鮮明を、

韓鶴子が操る場面も、

ありました。


文家の七男は、

韓鶴子のことを、

魔女のような詐欺女、と、

実態を暴露。


韓鶴子は、

人間の形をしていますが、

霊的に見たら、バケモノ。


宗教法人無税を最大限悪用して、

統一グループの企業資金とし、

そして、自分の故郷、北朝鮮へも送金。


また、昨日の国会の質疑の話に戻ると、

有志の会の緒方林太郎氏の質疑も、良かったです。

彼はフランス語に堪能で、

原文で反セクト法についての条文を読んだそうで、

なかなかの勉強家。


それに対し、

自民党の狸連中の、

まあ、

やめておきましょう。

虚しくなるばかりです。


岸田総理自身は、

まじめな人だと思いますが、

安倍派の魑魅魍魎共に囲まれ、

妖怪退治は、難しいでしょう。


世界においても、

日本においても、

悲しみが、

充満しています。


でも、

この足踏み状態の日本も、

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何とか、

少しは、

前に踏み出せそうです。


山上容疑者がまともな家庭で育っていれば、

彼の能力からすれば、

立派な納税者にもなり得たし、

愛国心も元々あったわけで、

有為な人材だったはず。


育った環境次第で、

子供の可能性は良くも悪くもなります。

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もうこれ以上、

悲しい子供を作らないように、

僕も日本国民の一人として、

ときどきはこのような発信も、

していきたいと、

思っています。




銃弾が明らかにした社会の暗部から目を逸らすべきではない



これだけ、連日のように、

旧統一教会の話題がニュースで流されると、

辟易している人も多いかもしれません。


しかしこの問題は、

今こそ、

しっかりと解決しておかないと、

あとで禍根を残します。


もうすでに十分すぎるほど禍根を残してきた統一教会。


僕も、二十代の一時期、

その内部で活動をしていただけに、

見過ごすことができず、

数多くの記事を書いてきました。


小林よしのりさんが、

安倍マンセー派への批判を繰り返してきたのも、

理由があってのこと。


以下は、ポストセブンからの一部抜粋。


 漫画家の小林よしのり氏の叔母は、1980年代半ばに福岡から一家で上京後に旧統一教会の信者になり、家族の財産を壺や印鑑に注ぎ込んだ。

「叔母は夫の言葉や娘の涙、親戚の説得にも動じず『教会をやめるから500万円ちょうだい』と実家から受け取った大金を朝鮮人参茶480万円分の返済にあてることもあった。

 見かねたわしの父が統一教会から引き離す奪還作戦を決行したが、叔母は実家から抜け出して信者の指導員に連絡し、教会に戻っていった」

 小林氏は「奪還は不可能に近い」と訴える。

「周りがどれだけ説得しても、本人は『家族を助けるためにやっている』と信じ込み、夫の通帳から娘のバイト代まですべて『神様に返す』と言って教会に渡す。全財産を収奪しようとする統一教会の執念はすさまじく、一般の人が太刀打ちするのはほぼ無理だよ。叔母の家族は完全に一家離散、崩壊してしまった」

 安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者の母親は旧統一教会に約1億円の献金をしたが、銃撃事件後、奈良地検の聴取に「教会に申し訳ない」と答えたとされる。息子があれだけの事件を起こしても、教団を離れないことが問題の根の深さを物語る。


うーん、日本の多くの家庭を破壊した統一教会を賛美した安倍元総理。

そしてその統一教会票と、

機械のように動く人材を駆使して、

票の割り当てを差配した安倍晋三。

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死んだから不問に付すのではなく、

徹底的な解明なくして、問題は解決しません。


カルトの問題は、

関わった人間でなければ理解されず、

社会が注目している今こそが、

千載一遇の機会。


この機会を、

逃してはいけません。




老後の孤独が怖い



ずっと一人で生きていると、

孤独が馴染んでしまって、

そこに心地良ささえ感じることもあるのだけれど、

世の中には、老後の孤独が怖いという人もいます。


特に、おしどり夫婦だった人たち。

夫婦が仲が良いのは良いことだけど、

連れ合いが死んだときのつらさは半端ない、と。


それは、天涯孤独者の僕にも、

想像するぐらいはできます。


僕の場合、孤独が怖かったのは二十代。

三十代も中頃までは、そうでした。

孤独と閉塞感。

それが、僕の二十代と三十代の途中まで。


その後は、半分開き直りもあり、

流れに乗るまま生きてきて、

今は、孤独に安らぎすら覚えることも。


でも、孤独がつらいのも、わかりますよ。


ときどきふと感じる寂寥感。

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特に、これから秋が深まっていくほど、

そうした感じはします。


そんなときは、音楽を聴いたり、読書をしたり。

でも、だんだん文字を追うのが億劫になってきてもいます。

ブログなどの短文であればすぐ読み終わりますが、

長編小説を読むには、覚悟が必要。


年を取るほど、

だんだんいろいろなことができなくなって、

無口にも、



なっていくんでしょう。




統一教会韓国人宣教師の恫喝にも似た説教



どれほど統一教会の闇が深いのかは、

部外者にはわかり様がありません。

やっと今、世間の耳目を集める所となり、

この問題の根深さが知られつつあります。


保守を自認する政治家の内臓が食い破られ、

毒を喰らった政治家は政治屋と堕し、

嘘に嘘を重ねる無間地獄。


動画を探しましたが、どうしても見つからず、

以下に、その内容を、文字にて示します。

宣教師(映像):
「私の持っている所有が天のものであるか、サタンのものであるか、それをはっきり知らなければなりません、すべてのものを、すべてのものを捧げなければならない大転換期を迎えています」

机をたたき興奮しながら演説する韓国人の男性。

宣教師(映像):
「80歳に近づいている、本当に苦労されている真のご父母様を一日も早く解放したいと、固い決意をしていきましょう」

「今月25日まで1家庭1万2000ドル(約160万円)、この特別精誠献金をきょうから勝利しないと、明日埼玉4800、いま現在本当に恥ずかしい、その結果(献金額)の内容があります、きょう集まった皆さん、自分が持っているすべてを書いて天の前、祭壇に供えて」

「(献金を)小さくやれば天からの福は小さくなる、土地を売って捧げたらその国は歴史に残る、血と汗と涙を流さねばならない」

「大変な父の国(韓国)を救うために特別精誠のこもった献金を捧げることになりました、自分の土地を売ってでも父の国(韓国)を助ける、その者は神の国において福を受ける者となるだろう」

「自分の所有権の内容、これは自分の名前である、自動車から家、ビルディング、そして田んぼ、畑、もうすべてのものを全部書きなさい、わかりました?」

信者たち:「はい」

宣教師:「大きく答えてください、わかりました?」

信者たち:「はい!」



うーん、 この韓国人宣教師の狂ったような恫喝。

何度も言っていますが、

カルトが信者を操る手段は二つ。

欲望を刺激するか、

恐怖を与えるか。


これは、巷にはびこる悪徳商法も同じ。

欲で釣るか、脅して動かすか。

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仏陀釈尊は、 離欲を説きました。

欲を離れることが、清浄へのはじめの一歩。


芥にまみれた世界で生きながら、

上手に生きる手段の一つが、

音楽や絵画、演劇などの芸術に触れること。


幸い今は、大半が無料で鑑賞できるし、

時には、コンサートに出かけるのもアリ。


カルトにお金を毟り取られることに比べれば、

全然無駄使いではありません。


まだまだ、統一教会の膿が出切ってない以上、

もう、ロックでも、聴くしか



なかんべえ。



綺麗事言ってもしょうがないので、と彼は言った



ツァラトゥストラはこう言った、はニーチェの作品ですが、

綺麗ごとを言ってもしょうがない、と開き直ったのは話題の人。

あらかじめ用意された能面のようなカエル顔とは違い、

そこには、人間、が、いた。


何の話やねん、と思われたかもしれませんが、

先日、とぼけ通した記者会見をした田中会長が、

身内の会議では、人間の顔を見せたということ。


僕は二十代の半ばに、

統一教会で集団生活をしていたので、

そこでの生活がどんなものかは、

身を持って体験しています。


何をするにも
報告連絡相談、で

アベルにお伺いを立てるという、

主体性のない生活。


いや、

その主体性こそがサタンだとされ、

堕落的思考だ
と糾弾される。


さて、以下は、そのカエル顔の田中会長の教団内での言葉。


「この場で綺麗事言ってもしょうがないので、私としては皆様方に通ずる言葉で、ある程度のことは申し上げたいと思っております。もし失言・暴言があったとしたら、全部、澤田局長の責任にさせていただいて(笑)、皆様方と向き合う時間にしたいと思います」

司会役を務める澤田拓也総務局長から促されて登場した田中富広・旧統一教会会長(66)は、そう語り始めた。過去2回の会見(7月11日、8月10日)とはまるで違い、その語り口は感情豊かだ。 安倍晋三元首相銃撃事件から40日が過ぎた8月19日、世界平和統一家庭連合(以下、旧統一教会)は全国の公職者に向けて「特別ネット会議」を開催。

「公職者とは、全国各地にある教団支部の現場責任者クラスを指し、一般信徒がこの会議を見ることはできませんでした。今回のネット会議は、事前に現場から吸い上げた信徒たちの疑問や指摘に対し、本部のトップが答えることを目的として開かれた。霊感商法や献金問題について、信徒たちは率直に質問をぶつけました。しかしそれに対する本部の幹部たちの回答は、ほとんどが曖昧なものだった。教団の変革を期待する信徒たちからすれば、到底、納得できる内容ではありませんでした」(会議を視聴した信者) 田中富広会長(66)は、1時間20分に及ぶ会議の大トリとして登場。会見では教団側の主張を滔々と述べていた会長だが、身内に向けた会議では、驚きの「本音」を次々と暴露した。 まずはじめに強い警戒心を示したのは、8月に政府が立ち上げた「旧統一教会問題関係省庁連絡会議」の存在だ。 「いわゆる被害者の駆け込みですね。こういうものを国が準備しているということは、教団にとって向き合ったことがない未曽有の危機だと私は感じています。私が反対弁護士だったら、いま集まってきているすべての被害を全部この9月中に、この連絡協議会に向かって全部飛び込ませますね。そして、全国からあがってくる相談内容から、本当にこれは問題だというものを取り上げて、発表させる。 こちらに返金要求をしてくるような方々は、問題はないと思います。問題はないと言ったら失礼ですけども、まだ対応はできます。でも、こちらに最初から向き合うこともなく、まっすぐに被害弁連のほうに走った者たちは我々も気づいていない。どんな問題が噴き出てくるかわからない。そのぐらい緊張感走る危機意識が末端までないと、本当にどこからサタンが入ってくるかわからない」 続いて会長が取り上げたのは、世間からの批判が強い「霊感商法問題」である。 「私がこの前、第2回記者会見で『当法人は霊感商法をかつても今もやっていない』と。これに対しショックを受けた食口(シック、教会員)たちから、会長宛に何通か手紙が来ました。『私やってました』『ちゃんと霊感商法やってたじゃないですか』というメッセージがありました」 それらの疑問の声を受け、会長は教団が抱える事情を赤裸々に明かした。 「いわゆる霊感商法、これが信徒たちによって行われていたことは(裁判で)認められていますし、敗訴しています。ただし、“教会自体”が霊感商法はやっていないということは、一貫した私たちの主張であり、また裁判でもずっと続けられてきております。もし私が『教会は霊感商法をやっていました』と言った瞬間に、今までの裁判が全部ひっくり返ります。それぐらい大きなことです。 霊感商法そのものを法人がやったかと問われたら『やってなかった』としか言えない。ただ、信徒たちの行き過ぎた行動、トーク、色んなことを通じながら被害と思われる内容を感じ取った方々もおられるので、そこに対して真摯に私たちは向き合っていかなければいけない」


ううーん、内部における会議では、

かなり本音で話しています。


やってなかった、

としか言えない立場の、

苦しみ。


洗脳によって植え付けられた、

信者としてのあるべき姿と、

葛藤に苦しむ本人の本音の部分が、

絶えず交錯する、

矛盾に満ちた信仰生活。


今回は、

山上容疑者の行動を縁として浮かび上がった、

教団とその信者の実態ですが、

数多くのカルト教団内部では、

似たり寄ったりの葛藤が繰り広げられています。


カルト教団の特質は、

サタンを多用すること。

つまり、サタンという言葉を、

都合よく利用するということ。


スピリチュアリズムをまともに学んだ者からすれば、

それがいかに子供騙しの、

信者を操る手口かということがわかるのですが、

どの教団であれ、教え、というベースから、

立ち上がってくる知識内で思考していると、

自分の立ち位置がわからず、

この、サタンという言葉に過剰反応してしまいます。

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結論を言うと、

サタンという言葉を使用して、

相手を操ろうとする、

その人間こそがサタンである


ということ、

です。



金金金の実態が暴露されて



大きな意味のある実名告発がなされました。

安倍元総理の銃殺という悲劇が、蓋を開けた地獄絵。

僕も、長らく忘れかけていた記憶が呼び戻され、

二十代の頃の自分と向き合っています。


以下は、文春オンラインからの一部抜粋。


 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の日本本部に約20年間在籍した元幹部が「 週刊文春 」の取材に応じ、教団の「献金問題」が2009年のコンプライアンス宣言後も続いている実態を告発した。

 この元幹部は、信者の家庭や二世教育に関わる要職の家庭教育局副局長を務めた櫻井正上氏(48)。父親は日本教会第5代会長の櫻井設雄氏(故人)、母は原理講師の節子氏という、教団の草創期から活動した大幹部夫妻の長男である。

「日本教会が進めてきた献金、集金のやり方は、明らかに社会的モラルに反するものでした。解決すべき課題だという認識は内部にもあったのですが、お金集めが全てに優先される教団の“狂った組織文化”が変わることはありませんでした。そうした教団の方針に異を唱えたところ、組織に対する反逆と見なされた。職を解任され、教団を離れることになったのです」

 櫻井氏は山上徹也容疑者による安倍晋三元首相殺害事件をきっかけに、教団の内情を多くの人々に知ってほしいと手記を執筆した(手記全文は「 週刊文春 電子版 」で公開)。

 この手記では、統一教会の田中富広・第14代会長が7月11日の記者会見で「献金のノルマはない」と釈明したことについて、こう反論している。〈本部が全国の「現場教会」に無理なノルマを課していたことは、内部の人間なら、誰もが知る事実でした。また、献金は「個々の意思によるもの」ということですが、献金を「しなければならない」といった空気を作り出し、信徒に過度なプレッシャーを与えていたのも、また事実です〉

 また、田中会長が8月10日の会見で「霊感商法なるものを当法人が行ったことはない」とし、「特に2009年以降、コンプライアンスの徹底に努めている」と述べたことに対しては、〈今回問題となったのは、「外部」に向けられた物販活動ではなく、信徒たち「内部」に向けられた献金圧迫の問題〉と指摘。〈そして、それは2009年以降も、変わらず続いていました〉と述べている。

 櫻井氏は信者たちが置かれている状況をこう証言する。

「私自身が二世でもあったし、役職上、二世たちの痛みや苦悩も数多く見聞きしてきました。家庭の平和を守ろうという組織なのに、献金によって家庭が破綻したら本末転倒です。家庭の問題を何とかしようとしても、その原因となる献金の指示が容赦なく上から降ってくるのです」
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うーん、 元幹部の証言だけに、その重さは比類なきものがあります。


何より、この告発者の両親は、教会内では伝説的人物。

教団が、特別の清和式まで執り行ったほどの重鎮。

以下は、教団の中和新聞よりの一部抜粋。


 日本統一教会第5代会長を務められた櫻井設雄先生(43双祝福家庭、トルコ国家メシヤ)の「聖和式」が11月23日午前、梶栗玄太郎会長の主礼のもと東京・渋谷の教会本部礼拝堂で行われ、ご家族・ご親族のほか、先輩家庭や櫻井先生とゆかりのある人々など約400人が集まりました。

 櫻井先生は1966年3月に統一教会に入教し、69年に43家庭の祝福を受けられました。95年6 月~96年6月は、日本統一教会会長を務められました。

 櫻井先生の聖和を受け、文鮮明師は「祝 親君王拝 櫻井設雄入国」との揮毫を贈られています。
 

 聖和式は、堀信義先生(43家庭)の代表報告祈祷の後、櫻井先生のこれまでの歩みを紹介するビデオが上映されました。
 

 続いて、宋榮渉・全国祝福家庭総連合会総会長と梁昌植・北米大陸会長(トルコ分棒王)の特別メッセージを、それぞれ藤原秀敏総務局長と大塚克己元会長が代読しました。

 その中で、宋総会長は櫻井先生に対し、「(霊界で)数多くの先輩家庭や先に逝かれた日本の祝福家庭食口たちと今後の日本の行くべき道を相談され、積極的に協助する守護神となってください。日本の行くべき道を導く力をお貸しください」と訴えました。

 また、梁会長は「神様の祖国安着を迎えるこれからは、真の父母様の勝利圏で天国に行く祝福家庭は『昇華式』ではなく『聖和式』をするようにとの天からの指示があった」ことを紹介。「使命を果たして行かれる聖和への道は、悲しみよりも大きな宴をもってお祝いしなければならない、という真の父母様のみ言どおり、嬉しい心で出発なさってください」と述べました。

 引き続き、主礼の梶栗会長が「聖和の辞」を述べ、「人は死ぬ時にその人の価値が表れると言いますが、櫻井先生の偉大さは、これほど多くの人々が聖和式に集まってきたことからも分かります。天寿を全うされ、永遠の霊界に行かれる櫻井先生の聖和式に参加することができたことを幸せに思います」と語りました。

 「送辞」では、徳野英治・東北大陸会長が、櫻井先生の純粋に主を慕う心情に多くの人が感化されたことを紹介。

 また、長男の櫻井正上・祝福教育部長と孫娘の沙礼華(さやか)さんから心のこもったメッセージが贈られ、参加者の涙と微笑みを誘いました。



うーん、今回告発したのは、

太字で記した長男の櫻井正上氏(48)。

この意味は大きいです。




30年分の事実が眠っている



8月いっぱいで、お台場のパレットタウンにある、

大観覧車が営業終了となりました。

僕は、そこを運営するサノヤスホールディングスの株主なので、

毎年、無料チケットを貰うのですが、

都内に勤めていたころは気楽にいけた場所ですが、

会社員生活をやめてからは行くのが億劫になり、

でも、8月で終了というのがわかっていたので、

6月に行ってきました。

以下は、そのときに撮った写真。

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今回は、いつも乗るオーソドックスなタイプは見送り、

以下のスケルトンタイプを選択。

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床も透明なため、怖さもありますが、視界は良好。

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浜松町に勤めていたころは、

お台場はすぐ近くだったんですけどねえ。


まあ、それはともかく、

何かとあわただしい世相となりそうな9月。

ここは、日本国の、転換点、かもしれません。

そして、さらに高い視点に立てば、

スピリチュアル的な意味でも、

脱皮の時期であるのかもしれません。


カルト宗教は、統一教会だけではありません。

統一教会が、抜きんでて悪質ではありますが、

及ばずとも遠からず程度のカルト団体は他にもあります。


岸信介の時から続いている、統一教会との癒着。

以下は、小林よしのり氏の弁。

広告塔として利用されていたという程度なら「知らないうちに悪用されていた」なんて言い訳もできなくはないが、安倍が自ら直々に統一協会(カルト団体)に後援を要請し、票の差配をして当選したとなれば、致命傷ではないか?

安倍晋三と統一協会の間には「ズブズブ」程度の言葉では言い表せないくらいの関係性があったのは間違いないし、このままいけばこれからも事実がどんどん明るみに出されるだろう。何しろ30年分の事実が眠っているのだから。

だが、否定しきれないほどの事実が出てきた時に、自民党・ネトウヨ・安倍マンセー派たちがどうするかは目に見えている。

居直り始めるのだ。森友学園の時のように。

どんな事実が出てこようと、「それくらいはよくあること」だの、「ちょっと名前を貸しただけ」だの、「悪用されただけ」だのと言い始めて、どれだけ非難の声が挙がっても「それが何か?」とばかりに、大したことではないかのように相対化していく。それを、世論が飽きて関心を失うまでひたすら繰り返すのだ。


うーん、小林よしのり氏のこの発言は、

少し前のものなので、

そのときとは状況も変わってきており、

自民党も、その頃よりは明らかに危機感は感じている様子。


自民党の自浄作用には大いに疑問がありますが、

他に政権をゆだねられそうな政党も見いだせない国民の不幸を感じつつ、

状況を、見守ることといたしましょう。



塗炭の苦しみを舐めているさまを見せつけられて



反日カルトとの癒着の元締め、安倍さんが死に、

その後炙り出されるゴキブリ共の群れ。

はっきりと、

こいつらだけはダメだろうというのが、

萩生田、山際、山本、井上の面々。


萩生田と山際の狸ぶりはすでに周知の事実。

マザームーン発言の山本も、

もしもーし、と小芝居をして、逃げの一手。


以下は、反日カルトの賛同会員を自認する、

井上に関する記事からの抜粋。


「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」の「賛同会員」であることを認めていた自民党の井上義行参院議員が31日、朝日新聞の取材に会員を退会したと説明した。自民が教団側との関係見直しを打ち出したことから、「党の方針で退会することにした」と述べた。

 今後は教団側から選挙支援などを受けないか問われると、「関係がなくなるので、そういう感じになると思う」とした。井上氏は安倍晋三元首相の首相秘書官を務めていた。今夏の参院選で比例区から当選。選挙後に教団側との関係が取りざたされたことを受け、信徒ではないとしたうえで、政策に賛同を得られたことから「賛同会員」になったとしていた。


カルトの組織票で辛うじて当選した井上には、

次の勝ち目はないでしょう。 


視点を転じて、カルト信者の目からは、

萩生田や山際の狸ぶり、手のひら返しは、

どのように映っているでしょうね。


そしてさらに視点を転じ、

死後、霊界に旅立った安倍さんの目に、

反日カルトに汚染され、

自国民が塗炭の苦しみを舐めているさま
を見せつけられて、

どのように思っているでしょう。

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僕は、安倍さんは、

人間的には悪い人ではなかったと思っています。

ただ、一国の首相としての影響力の重さを、

考慮すべきでした。


言いたいことは、

山のようにありますが、

この辺にしておきます。




悪魔が持つ最も高価な道具



人間をダメにするものは、いくつもありますが、

どんなに誘惑に強い人間にも効果覿面の、

悪魔の道具があります。


何だと思いますか?


以下は、悪魔の店じまい、というお話。


悪魔が店じまいをするということで、
持ってる商売道具全部を売りにかけました。


猜疑心、嫉妬、怒り、恨み、妬み、恐怖心、、
などなど恐ろしい道具ばかりです。


ある日、
その店に来て、悪魔の商売道具を物色してたお客さんが
おやっ?っと思ってある道具を、じっと見つめました。


大体の道具の値段は均一なのですが、
1つだけ、破格な値段が付けられてる商売道具があるのです。


その破格な値段が付けれてる道具は何かというと、
「失望」という名の道具でした。


そこで、お客は悪魔に問いました。


「何でこの「失望」という道具だけ、こんなに高いんだ!」


すると悪魔はニタニタと笑いながら答えました。


「怒りや恨みや嫉妬や猜疑心や恐怖心などなど、
 それらの道具は全て、
 人間どもにそれなりの打撃を
 与えることができる代物だが、
 部分的にしか打撃を与えられないところがある。」


「が、この「失望」という優れものの道具は、
 一度、人間の心の中に埋め込めば、
 あとはもう、内部爆発するかのように、
 その人間の心の中に、
 怒り、猜疑、恐怖などのあらゆる攻撃を与え、
 あとは、ほっといても勝手に自滅してくれるんだ!」




僕は、 山上容疑者の犯行を知った日に、

この話を、思い出しました。

彼の味わった絶望は、いかばかりであったろう、と。


昨日は、絶望を与えることの罪について言及しましたが、

まさに山上は、その絶望という悪魔の道具に、

胸をえぐられた一人。


自分の国の首相が、

こともあろうに、

自分の家庭を破壊した組織のトップを賛美し、

どこに相談しても、何も動かない現実。

八方塞がりの中、彼は絶望の果てに、

日本中を悲しませるようなことを、

しでかしてしまったのです。


安倍元総理は、功罪両面あり、

日本国への思いが強く、

数少ない、理想を持った政治家でした。

そのうえ、実行力もあり、

外交力にも優れていました。


それだけに、

僕としても、

残念でなりません。

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統一教会の被害者の相談件数が、

7月に急増したのも、

政界の中枢深く入り込んでいる組織には勝てないとする無力感から、

これまで行動を起こす気力すらなかった人たちが、

ようやく動き出したということでしょう。


失望や、無力感が、

人に与えるダメージは、

計り知れません。


僕自身も、

程度の違いこそあれ、

失望や無力感を、

散々味わってきた人間の一人です。


だからこそ、

この問題は、

見過ごすことが、

できないでいるのです。





絶望を与えることの罪について



やっとというか、遅ればせながら、

NHKが、クローズアップ現代で、

統一教会について取り上げました。

民放との格の違いを見せつける狙いか、

梶栗が初めてインタビューに答えていました。


まあ、そんなことはどうでも良くて、

今日は、絶望、について。


何が問題なのかさっぱりわからない発言をした福田も二世。

一方、今苦しんでいるのも親の信仰の被害を受けている二世。

いよいよクロ現も、

その二世のことを来週取り上げるとのことですが、

家庭が大事だと言っている教団そのものが、

実に多くの日本の家庭を破壊し、

その裏には、

日本はエバ国家であるという、

教団にとって都合のいい教えがあるのですが、

その日本国から富を吸い上げ、

多くの若者を絶望に追いやり、

その狡猾な理屈と、

宗教法人格であるがゆえに無税で搔き集めた金と、

ロボット化した信者を駆使して政権に入り込み、

一方、政治家のほうでも、

これほど使い勝手が良い組織はなく、

まさに欲と欲の共時性

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特に安倍派との癒着ぶりは目に余るものがあり、

萩生田をはじめとしたその子分共が、それに便乗し、

政治家としての信念の欠片もない生稲などは、

安倍から見ればロボットも同然。


教団も安倍も、

自分の言うことを聞くロボットを操り、

その先にある、

彼らなりの理想を実現する道具として使い捨てる、と。


事実、萩生田は、都合が悪くなると、とぼけ通す狸ぶり。

民主党政権時代、苦汁をなめた萩生田にしてみれば、

選挙に負けるみじめさを痛感しているだけに、

縋り付く思いで八王子市子安町に詣でていた、と。


絶望を与える片棒を担いだ安倍が、

絶望の果てにただ一つの生きる動機となった、

復讐という狂気に賭けた山上に、

撃たれ、殺された、と。


この因果、というか、巡り会わせに、

慟哭している、

僕が、います。




世の片隅でひっそり暮らす喜び



今思うと僕の人生は、

狡賢い奴らに操られまくった人生でした。 


統一教会でのことは、

このブログでも散々書いてきたので、

今回は触れませんが、

人生を棄損するのは、

なにもカルト宗教だけに限りません。


いたる所に、

そうした罠は、

張り巡らされています。


今、僕自身が、

若者だったらと思うと、

かなり暗澹とした気持ちに、

なるのではないでしょうか。


日本の政治には絶望しかなく、

お金持ちだけが上手くやっている状況。

富裕層がどのようにして、

タックスヘイブンを利用しているかは、

知っている人は知っています。


一方、勤労世帯は、搾取されるばかり。


なので、ミクさんのように、

若くて賢い人は、

早々にリタイアして、

極力搾取されない人生を選びます。


結局、大半の庶民にとって、

合法的に搾取から逃れるには、

それしか選択肢がないのです。


僕が若者だったら、

もし十分なお金があれば、

与沢翼やひろゆきのように、

日本を離れて暮らすと思います。


フランスの知性、ジャック・アタリが予測したように、

今後は、ノマド的に世界を渡り歩く富裕層と、

地元から離れられないマイルドヤンキー的な生き方、

あるいはヤンキーほどの元気もなく、

派遣会社を渡り歩くしかない疲弊層、

などに分類されるのではないでしょうか。


同じ若者世代でも、

二極化が進み、

それは、

端的に言えば、

お金があるかないかの差。

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僕は、

今を絶望し、

日本を絶望する若者の気持ちが、

わかるような気がします。


翻って自分のことを話すと、

今シニア世代で良かったな、と。


辛うじて年金はもらえるし、

下手な欲を積み上げなかった分、

しがらみが少ない、と。


何よりも天涯孤独者で、

あとは、

死ぬまでの自由時間。


世の片隅で、

ひっそり暮らす喜びを、



満喫しています。




家畜の如く "死につつ生きる” 人生



【快と引き替えに「生きる意味」を見失い】と、

森岡正博は、その著書、無痛文明論の中で、述べている。


バブル期の退廃の中、

多くのまじめな若者が、

オウム真理教へと引き寄せられましたが、

快楽は充満しているけれども、

生きる意味が見いだせないと嘆く人の心に響くものが、

そのカルト教団の中にも、

あったのかもしれません。

 
こういうタイプの本は、

若い頃にこそ、

読んでおいたほうが良いと思います。


以下は、読者の若者が書いたコメントの一部抜粋。


無痛奔流に飲まれることで、我々は「生命のよろこび」を失い、家畜の如く "死につつ生きる” 人生を歩むことになるのだという。

20代があと数年で終わろうとしている僕は、人生を振り返り、改めて「幸福とは何だろうか?」と疑問を持った。
努力して努力して努力して何かを掴み取ることだろうか。
欲を捨て、現状に満足し、日常に溢れた小さな出来事に喜びを見出すことだろうか。
ネガティブ思考を捨て、ポジティブ思考の癖をつけることだろうか。

しかし、どれもすっきりしない。

中島義道は、著書『不幸論』で「本当の幸福などは存在しない」と断言し、「自らを幸福だと言う人間は真実から目をそむけているだけだ」と言い切った。
哲学者カントは、自分自身に誠実であることを、幸福であることよりはるかに重要なことと見なしたという。
関連して、マコなり社長(真子就有氏)は動画『結婚式は行かなくていい』で、幸福の定義を
「いかに自分の信念を貫いて生きたか、自分の心に嘘をつかなかったか」とした。
なるほど、「自らを幸福だという人間」は無痛奔流に飲み込まれた人間と言え、
「自分の信念を貫く」ことを選んだ人間は、無痛奔流からの脱出を決意した人間と見ることもできるのではないか。

岡本太郎は著書『自分の中に毒を持て』で、
「自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。」
と言った。
まさに、これは『無痛文明論』で言うところの
「身体の欲望」が「生命のよろこび」を奪い取る、ということではなかろうか。

これらの本を読んで、僕は「生きがい」と「安楽」はトレードオフの関係にあると考えた。
「安楽」を選択すれば「生きがい」を失うという意味で幸福にはなれず、
「生きがい」を選択すれば「安楽」を失うだろうし、その選択はある意味最もつらいことだろう。
生きるとは、自分自身の「不幸のかたち」を選ぶことなのかもしれない。


上記は、好意的なコメントですが、

批判的なコメントもあり、

それは、以下のような感じ。


著者自身の思い入れは激しそうだが、流し読みできるほど密度は薄く、読み応えに乏しい。タイトルの卓抜さ、インパクトは大であるだけにいかにも残念。やたら「戦え」とアジっているが、本人が山谷暮らしで日々の仕事にあぶれて苦労してるならともかく、ぬくぬくと大学教授の椅子から訓戒を垂れてるわけで説得力不足。それほど「無痛文明」を憎むなら、一度辞職して内戦下のコンゴあたりにヴォランティアラーとして身を投じてみては?


本にせよ、ブログにせよ、

支持する人もいれば、批判的な人もいる、と。


政治もそうだし、宗教もそう。

雑多な世界の中で、

自分が腑に落ちるものを、

探せばいいわけで。

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買うには、そこそこ値段の張る本なので、

図書館で借りるのがよろしいか、と。


若いうちに、

うんと悩んでおくと、

年を取ってから、

精神的には、



楽になりますからね。



一度信じたものを変えられない頑固さについて



武市半平太をはじめとした土佐勤皇党の面々から見たら、

坂本龍馬は裏切り者に見えたでしょうね。

思想信条に心酔した人間は血気盛んですから、

土佐勤皇党の中には、

龍馬を殺したいほど憎んだ者も、

いたかもしれません。 


坂本龍馬は器が大きいので、

重箱の隅しか見えていない人間からは、

理解の外。


武市半平太は、

脱藩した龍馬を苦々しく思っていたかもしれませんが、

同時に信頼も寄せていたように思います。


さて、今日は、幕末の話ではなく、

人間がいかに頑固であるか、ということ。


これを書いている僕も、

相当に頑固かもしれず、

自分も含めて人間というものは、

一度信じた思想信条はそうそう変えられないし、

ましてやそれが生死をも握る宗教であれば、

なおさらのこと。


そのことを十分わかった上で、

自分のことを話すと、

父親が世界救世教という宗教の熱心な信者で、

その薫陶を受けて育った僕は、

そこの教祖である岡田茂吉こそが救世主であると、

素直に信じて育ちました。


その後、思春期になり、様々な疑問が生じ、

二十代の半ばで統一原理に触れ、

善悪を明確に説明し切ったその教えに魅了され、専従生活へ。


約2年間の統一教会での集団生活から逃げ出し、

廃人のような引きこもり生活へ。


その後、アルバイトをしながら細々と暮らし、

35歳のときに光体験をし、幸福の科学へ。


そして、その17年半後、

その幸福の科学も、自らの意思で退会、

という流れの中で感じたことは、

どの団体にいた時も、

それなりの神体験というか、

神秘体験があったということ。


特に、統一教会のような、

過酷な生活の中においては、

そうした体験は起こりやすい、と。


その理由は、

絶えず極限状態に近いような状況に追い込まれているため、

脳がそのような反応をし易いのではないかと、

僕なりには推測しています。


しかし、僕自身の体験から言えるのは、

地球上のどの宗教団体においても、

少なからず、奇跡といえるような現象は起こっているはずだし、

霊的体験をしている人も多いはず。

そしてそうした体験をした人は、

信仰心が強化され、

ますます熱心になっていく傾向があります。


そして、一度固く信じたものは、

それが信仰であれ、思想信条であれ、

なかなかそれが変わることはありません。


パソコンなどで、

インターネット体験をしている人ならわかるように、

ネットにおいてさえ、

ユーザー好みの情報を提供してきますよね。

あなたが欲しい情報はこれでしょ、みたいな。

ましてや人間内の思考や感情であれば、

自分好みの情報のみを取りに行くのは自然な流れ。


その理由は、

人間には自己保存の欲求と、

自己整合性を取ろうという、

無意識の操作が入るから。


どれほど説得しても、

信者が耳を貸さないのは、

ある意味当然のこと、なのです。

彼らは、

自分の見たい現実しか

見ていない、


のですからね。


昨日紹介した動画の中で、

あの女性が言っていたこと。

人生は長くてもたかだか100年だが、

霊界は永遠である、と。

その永遠の世界である霊界で、

勝利した人生を送るために、

この世がある、と。

だからどんな苦労も、

耐えられる、と。

なぜならこの苦労は、

地上という限定した世界のものであり、

自分たちには、

霊界という永遠の素晴らしい世界が待っている、と。


それを確信している信者は、

今のどんな苦労も、

乗り越えていこうとします。

それは一過性のものであり、

自分の目指すものは永遠の世界、だから。

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それともう一つ。

たとえ一過性のこの世の生活であったとしても、

これまで自分が信じてきたものが嘘であるのは耐えられない、

という気持ち。


原理というものを信じるがゆえに、

すべてを犠牲にして歩んできた自分の人生が、

間違っていたなどとは思いたくもない、

という強い感情。


この感情に突き動かされて、

血眼になって自分に都合のいい情報だけを探すし、

教会に行けば同じ仲間がいて、

やっぱり自分のやってきたことは正しいのだ、

と安心する。


そして、またビデオを見せられ、

そこには、トランプ元大統領や、

今も現役の共和党の有力者たちが、

自分たちの総裁をたたえている、と。

これこそが、

自分たちが正しい証明ではないか、と。


そのようにして、

揺れる心を強化し慰めながら、

不安と希望と悔恨と自己正当化などの、

有象無象の感情に翻弄される、と。


そうした信者のどこに、

心の安らぎがあるのでしょう。




介護と家庭崩壊とご都合主義



一口に介護と言っても、

要介護度に差があるように、

個人差があるもの。


今、僕は、

親戚2軒の介護の手伝いをしていますが、

そこにも、濃淡、はあります。


濃淡といえば、

統一教会に関わった政治家にも、

まさにその濃淡があるようです。


僕は、二十代だった頃、

2年ほど統一教会にいたことがあり、

当時のことはわかりますが、

今のこと、

ましてや二世についての情報は、

ほとんど、持っていません。


そんな中、二世の人が、

その有様を赤裸々に語っているのですが、

そこにも、介護が出てきて、

まさに、綺麗ごとを言っていた一世信者の親が、

介護をきっかけに馬脚を現した話
が出てきます。

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また、大半のメディアが、

そのままに放送してくれたのに、

あるメディアだけが、意図的に話を替え、

編集されてしまった話も出てきます。


介護をきっかけに家庭崩壊しても、

信仰は手放さない親。

そして、様々な矛盾を糊塗するために、

御都合主義で教えすら変えてしまう教団の在り方
を、

ほんの断面ですが見ることができますので、

興味のある方は、ご覧になってください。


本名を明かして登場したこの女性は、

子供も生まれたばかりだそうで、




幸せな家庭を築いていただきたいと、

切に思いました。




「誰かを救いたい」という人たちが犯す犯罪



この世は、相手の真実が見えないから難しくもあり、

だからこそ、修行でもあるのでしょう。

ブラックボックスが、あまりにも多い。

そして人には、想像力というものがある。 


ここに、同じ素質を持つ求道者が二人おり、

一人は良き導師に巡り合い、

もう一人は、悪い導師に巡り合った、と。

この場合、二人の求道心の度合いは同じでも、

ベクトルは違ったものになります。


今日は、 瓜生 崇という人の記事からの抜粋を、

以下に貼り付けてみました。


信者一人ひとりを見れば「普通の人」との違いはどこかにあるだろうが、そもそも百パーセント普通の人間などこの世界には存在しない。私自身は十数年この問題に取り組んできて、入信者とそうでない人の間に明確な違いを見つけることはできなかった。

私が感じた入信者の傾向というのはただ一つで、彼らは人間の根源的な救済や教えを求める「核」を持っているというだけだ。そういう人が自ら求めて入っていくというのもあるし、カルトが勧誘の中で選んで、「目覚めさせる」こともあるだろうと思っている。それは表面に出ている場合もあるし、本人すらも気づかないような、内心の深いところに隠されていることもあるだろう。

カルトに限らず宗教というのは、フィクションと現実の区別ではなく、そういう「核」をあぶり出すのだと思う。一度あぶり出されてしまうとそれを無視して生きることができない

教団がインチキであったとしても、そこで気づかされた人生の根本問題は本物であったりする。だからこそ、教団をやめて脱会者となっても、少なくない人が求道を続けるのだ。私はそういう人たちをたくさん見てきた。

元死刑囚の新実智光は広瀬と異なり最後まで遺族に謝罪をせず、自らの行為が救済であることを主張し続けたが、その中で「捨て石でも、捨て駒でも、地獄へ至ろうと決意したのです」と語っているところがある。他にも新実は、自分が地獄に堕ちる覚悟で救済をしたという発言を幾度かしているが、私はここに違和感を感じていた。

それは、悪業を犯す前に人間を「ポア」するという行為は、社会的には悪だが、オウムでは善行であり修行が進むと教えられたからこそ、彼らはできたのではないかと思っていたからだ。なので新実の言う「地獄へ至ろう」という言葉の意味は宗教的なものではなく、法律に従って刑を受ける、という程度の意味での「地獄」だろうと私は思っていた。

ところがそうではなかった。

たとえ救済が目的であっても、殺人はオウムでもやはり「悪業」であった。そんなの当たり前だと思うだろうか。私は切なくて仕方がなかった。彼らはやはり本気だったのだと。自分が救われたいから人を殺すというのではなく、たとえ自分が救われないとしても、人を救おうとしたんだと。

私は今まで何人ものアレフの脱会者や現役信者と面談してきた。

それらの人たちの入信の動機は、「誰かを救いたい」というものが多かった。人の役に立ち、救っていけるような人間になりたいと思って大学に進学し、救いたくても救えないという自分に悩んで、そこからアレフに入った学生がいたことを思い出した。彼女は笑顔で私に言った。「私はやっと本当に人を救うことができる教えに出遇ったんです」と。

地下鉄サリン事件の実行犯である林郁夫は、もともと慶應義塾大学医学部出身の医師だったが、林のオウム入信の動機もまた、医学では人を根本的に救い切ることはできない、と気づいたことだった。中川智正元死刑囚も障害者施設でボランティアをしていて、人の嫌がる仕事を率先して行う青年だったと言われている。

こうしたことを知るたびに、私自身がほんの少し早く生まれていたら、きっとオウムに入っていただろうという思いを強くする。私も彼らと同じであった。私は人間の存在の無意味さから救われたかったのだ。救われたかったから人を救いたかった。人を救うことで自らの存在に意味が与えられるからだ。だが本当の意味で人を救い切ることができないと気づいたときに、オウムに入信した彼ら自身もまた、存在の無意味さから救われないという思いを持ったのではなかったか。

カルトと言ってもいろいろあり、霊感商法で高額な開運グッズを売りつけるような、最初からただの詐欺以外の何物でもないようなものもある。しかしアレフをはじめとする、私が接してきた教団の元信者から感じるのは、たとえ教団や教祖がインチキであっても、それを求めた人の思いは本物だったのだろうということだ。それだけでなく、あらゆる歴史上の宗教者が真実を求めて求道した思いと、彼らの思いはそう変わらないのではないかとすら思った。

とある総合大学の新入生オリエンテーションで、カルト問題の講義をしていたときがある。大きな大学で数百人が入れるような教室をいくつも回って話をするのだが、そのとき薬物依存症者を支援している先生とたまたま一緒になった。お互いに二十五分くらいの持ち時間で、カルトと薬物依存の話を何度もしたあと、午前中の講義が終わって昼食の弁当を食べているときに、その先生が私にふとこんなことをもらされたのを覚えている。

「瓜生先生は、カルトの信者は真面目さゆえに正しさを求めて生きていて、正しさを提供してくれるカルトに依存するという話をされていましたよね」

「はい」

「わたしは、その気持ちがよくわかるんです。私も正しさを求めていたので」

「そうなんですか?」

「そうです。私はもともと新聞社で記者をしていたんです。しかし記者をするとわかるんですけど、世の中のことって一体どうするのが本当に正しいことなのかが、突きつめると一つもわからないんですよね」

「確かにそうですね」

「はい。それで私も、自分が間違いない正しい生き様をしたいという思いがありまして、薬物に依存している方は絶対的な弱者であるから、その人たちを助ける活動をするのは絶対的に正しいことではないかと思って、この活動をすることになったんです」

なので、正しさを求めてカルトに入る人のことは、よくわかるんだと言われるのである。

私たちは、正しさをつかみたい。なぜなら、考えれば考えるほど人生で何が正しいのかがわからなくなるからだ。

人生は決断と後悔の連続だが、何が後悔のない選択であるのかは誰一人わからない。別の道を歩んでいればと思うこともあるが、別の道を歩んだ結果を知ることもまたできない。真っ暗な道を手探りで歩いているようなものだ。そんなときに「正しさ」をつかみたい誘惑に私たちはとらわれる。明確で白黒ハッキリした説明に惹かれる

しかし人生で起こることはだいたい複雑に絡み合っていて、こうすれば必ずこうなる、という解決策が存在することは稀である。

その時々で必死に考えて試行錯誤しつつ、三歩進んで二歩戻るような歩みでしか現実は生きられない。しかし、複雑なものを複雑なままに受け入れることほど苦しいことはない。真面目な人ほど一度しかない人生に間違いのない真理や正義を見つけて、全力でそれに向かって進みたいという衝動を抑えることができない

カルトは多くの場合、あなたが生きているのはこのためだ、という明確な答えを与える

あなたの人生はこういう意味があるのだ、あなたの今まで生きてきたのはこの教えに遇うためだったのだ、そして、今後はここに向かって歩んだらいいのだ、と。こうした疑問に答えを与えることで、その疑問に向き合う苦しみや迷いを消し去ってくれる。「もう迷わなくていい」のだ。これを私は「真理への依存」とか「正しさへの依存」と名付けている。

043

同意できるところとできないところがありますが、概ね、同意です。

この人は、親鸞会というカルト宗教の体験と、

その後のオウム関係者とのかかわりから、

現在の立場に至っているのですが、

統一教会について知らないので無理もないのですが、

彼らも、万物復帰という洗脳下で、

真剣に救済活動をしている
のです。


その点における純粋さは、

まったく違わないのです。


ここは、

内情を知らないが故の誤解だと思うので、

それは仕方がないとして、

それ以外の部分は、

的を射ています。


さて、

サリンを撒いた新見の、

求道心と自己犠牲の精神は、

見上げるほどのものがありますが、

その思い込みの強さゆえに、

最後まで非を認めませんでした。


彼がもし、

正しい師についていたら、

どれほどの霊的向上があっただろうと、

思わざるを得ません。


ただ、残念ながら、

僕が見渡したところ、

現在日本に、

善良な師はいるかもしれませんが、

彼らは押しなべてカリスマ性はなく、

おそらく新見のような激しい求道者からは、

物足りなく見えるでしょう。


ここで注意すべきことは、

求道心の強さだけだと危うい、

ということ。


俯瞰する力というか、

自分を客観視できる視点、

風通しの良さが大切だと、

改めて思いました。





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