介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

60男の考え方

弱小不動産オーナーは家賃を踏み倒される恐れもあるよね


今日は、冬のような寒さです。

今日は、下流老人、なる造語を生み出した、藤田氏の、気になる記事があったので、それを取り上げてみます。

以下は、その藤田氏の主張。


市民には住む権利があるのだから、その居住権を保障するべきだという主張は、欧米に広がっている。

日本でも家賃を苦しい時期だけでも、猶予してくれるならば、新型コロナ感染の収束後に生活再建も早まるはずだ。

また、明日の生活に備えて苦しい食生活や節約生活をしている場合では、家賃分を当面、食費や生活費に充てることもできるだろう。

ぜひ欧米の社会運動を見習って、日本でもレントストライキ、家賃ストライキを始めていきたい。

これらの社会運動が広がれば、欧米同様、弁護士や国会議員も取り組みに関心を寄せて擁護してくれる大きな力となる。

まずは勇気を持って、事情があって支払えない旨を伝え、仲間と一緒に猶予や補償を求めて活動を始める必要があるだろう。

ネットの署名活動でもいい。SNSで賛意を示す行動でもいい。まずはできることから当事者が動かなければ始まらない

そして、弁護士やNPO、労働組合などに相談もしてほしい。

今回は支払いたくても支払えない、という緊急事態であることが重要であり、誰にも罪がない天災と言ってもいい事態だ。

当時者を責めても、決して意味があるものではない。

だからこそ、不動産業者や大家業をしている方たちは、従来通り、借主や債務者への支払いを求めるのではなく、政府に補償を求めてほしい

「支払え」と言われても、支払う金銭が不足しているのだから、不可能を強いることはできない

社会全体が現状を理解し、家賃滞納やローンの不払いに寛容な社会になるようにしたい。

うーん、言っていることは、わからないでもないですが、すべての大家さんが元からの資産家だったわけではなく、中には、サラリーマンをしながら、不動産投資をしている人もいるわけで、そういう人たちは、家賃を踏み倒されたら、フローを失うわけで、それもまた、気の毒ではないか、と。

不動産投資は出口戦略が難しいと、かねてから思っていましたが、今回のような不測の事態が起こると、さらに、難しくなりますね。

サラリーマンが不動産投資をして成功する例はかなりまれであり、特に、子供のいないおひとり様は、不動産投資などに手を出すべきではありません。

その、最大の理由は、出口。

b0098584_17204887

株であれば、損切をするのも、簡単と言えば簡単ですが、不動産は、株のように簡単には現金化できません。それでいて、固定資産税がかかるわけです。

空室の心配など、ただでさえ、気苦労が多いのに、今回のような騒動で、家賃滞納を正当化されるリスクもありますからね。

中には、布団から出たくない借り手が、騒動に便乗して、滞納するかもしれず。



うーん、世の中の動きも、天気も、ボラが大きいようです。


幸福の別名は満足


幸福というものを難しく考える必要はさらさらない、と、僕は思っています。

僕が考える幸福は、自分自身と自分の生活環境に満足していて感謝している人は幸福、というもの。

シンプルでしょ?

今日は、今年何回目かのオーパーク。

オーパークに行く前に、活鮮でランチを食べようと思ったら、今日は祝日でランチはなし。

そこで、春の旬盛り、という握り8巻のセットを頼んだのですが、ちょっと足りず、3種盛りと烏賊と巻き物を注文。通常のランチより少しお高くなりましたが、まあ、たまにはいいかな、と。

その後、オーパークに行ったのですが、親子連れがわんさか、いましたよ。

コロナの影響で、キャンプ用品が売れているようです。

うちの近所の川原でも、テントを張っている親子連れなどを見かけます。

さて、今日は、ちょっと重くて軽い話を。

 松本サリン事件というのがありましたが、あれから、もう25年。

その加害者とされ、のちに被害者と認定された河野義行さんを、僕は、尊敬しています。あんな人格者は、滅多にいませんからね。

その河野義行さんの記事を紹介します。


死者8人・重軽症者約600人を出したオウム真理教松本サリン事件から今年で25年。事件の被害者で、妻をサリンの後遺症で亡くした河野義行さん(69)は、オウムへの恨みや憎しみはないと公言してきた。教団元幹部への死刑が執行された際には「残念」「悲しい」とも語っていた。なぜ許すのか、許せるのか、を聞いた。

――事件のとき「松本市の会社員(44)」と報道された河野さんがもうすぐ古希なのですね。

 「世の中から自分の足跡を消す作業を始めています。住所は知人にもあまり教えていません」

 ――事件を知らない人も増えています。あの夜、妻の澄子(すみこ)さんが口から泡を吹き、全身をけいれんさせているのを自宅で見たのですね。記憶は今も鮮明なのですか。

 「ええ。彼女の苦しそうな顔を、リアルに覚えています」

 ――サリンは猛毒の神経ガスです。自身も被害に遭いましたね。


「死を意識しました。視力に異常が出て部屋が暗くなり、見るものの像が流れ始めて。ドッドッと幻聴も聞こえ、吐き気がして立っていられなくなったのです」

 ――被害に苦しむ中、長野県警からは容疑者扱いをされました。朝日新聞を含む報道機関も犯人視する報道をしてしまいました。

 「警察からは『犯人はお前だ』『亡くなった人に申し訳ないと思わないのか』『早く罪を認めろ』と自白を強要されました。私が有毒ガスを発生させたかのような報道もなされ、世間は私を松本サリン事件の犯人とみなしました」

 ――サリンで脳にダメージを受けた澄子さんは、意識が戻らないまま14年後に亡くなりました。8人目の犠牲者になっています。

 「彼女は、しゃべることも動くことも一切できませんでした。できたのは、悲しそうな顔を見せることと涙を流すことだけ。つらい状態の中、私や子どもたちを支えるために生きていてくれたようなものです。だから死は解放とも思えました。『よかったね、やっと死ぬことを許されたね。もう自由だよ』と声をかけました」

 ――報道による被害とは、どのようなものでしたか。


「逮捕もされず、まだ裁判も行われていないのに、一瞬にして犯人にされてしまいました。自宅には無言電話や嫌がらせの電話、脅迫の手紙がたくさん来ました。被害者の親戚を名乗る人から『お前を恨む。殺してやりたい』と書かれた手紙が来たこともあります」

 「報道被害とは、報道機関だけではなく世間も相手にすることでした。不特定多数の人が敵になるので戦いようがない。私を支えたのは、妻と未成年の子どもたちを守らなければという思いでした」

 ――殺人者のぬれぎぬをいつかは晴らせると信じていましたか。

 「事件の1週間ほど後、高校1年生だった長男に私は『世の中には誤認逮捕もあるし、裁判官が間違えることもある。最悪の場合、お父さんは7人を殺した犯人にされて死刑になるだろう』と言いました。もし死刑執行の日が来たらお父さんは執行官たちに『あなた方は間違えましたね。でも許してあげます』と言うよ、とも」


――中学生と高校生だった3人のお子さんに、苦境をどう受け止めようと話したのですか。

 「子どもには『人は間違うものだ。間違えているのはあなたたちの方なのだから許してあげる。そういう位置に自分の心を置こう』と言い聞かせました。意地悪をする人より少し高い位置まで、許すという場所まで心を引き上げようということです。悪いことはしていないのだから卑屈にならず平然と生活しようとの思いでした」

 ――許すという行為が精神的な支えになっていたのですね。

 「そうしないと家の中がどこまでも暗くなる状況でした。特定の宗教を信仰してはいません」

 ――翌95年には地下鉄サリン事件が起き、疑いの目は河野さんからオウムへと転じます。警察は河野さんを事件の「被害者」と扱い、メディアも謝罪しました。河野さんの中にオウムへの憎しみが芽生えても当然の状況です。

 「悪人というレッテルが私からオウムへ貼り替えられたからといって『じゃあ私はこれからはオウムを憎めばいいのか』といえば、そう単純なものではありませんでした。事実その当時、刑事さんから『松本サリン事件の実行犯に極刑を望みますか』と聞かれて、私は『いえ、罪相応の罰でいいです』と答えています」


――病床の澄子さんへの教団関係者の見舞いを受け入れましたね。断らなかったのですか?

 「断ったことはないです。実行犯ではない人たちでしたから。ただ、仮にその人が実行犯だったとしても、どうぞと言ったでしょうね。理解しづらいという声もありましたが、妻のためにという思いを大切にしたつもりです」



うーん、実は、河野義行さんは、被害者としての当然の権利である、賠償金も、受け取っていないそうです。

でも、神様は、こういう人は絶対に困らないように、最善の道へと、導いてくれます。

017

河野義行さんを見ていると、幸福の別名は満足、という言葉を思い出します。

いや、それ以上、ですね。

幸福の別名は、平安、安らぎ、寛容、受容、全托、でしょうか。

僕の浅い理解では、そのような言葉しか、思い浮かびません。


お金のない人の行動範囲が狭くなる実例


昨日の記事で、誕生日に無料でお風呂に入った話をしたのですが、その、無料というワードに引き付けられるのも、少ないお金でやりくりしているから。

その後、図書館に行ったのも、図書館をはじめとした公共施設は無料だから。 

でも、その図書館も、コロナの影響で閉館。

こうなってくると、金のない年寄りや、年寄だけでなく、金のない人は、行く場所が狭められます。

さて、図書館が閉まっていたので、無料で入れるメッツァビレッジに行った理由も、無料というワード。

そして、メッツァビレッジとムーミンバレーパークは、開園一周年記念で、3月末まで駐車場料金が無料だったので、行ったのですよ。

つまり、よくよく考えてみると、僕は、無料、という名の餌に、動かされた行動をしていたというわけ。

これがもし、多くの資産があり、潤沢なレジャー資金があれば、無料というワードよりも、自分が行きたいことろ、やりたいことを、お金を気にすることなく、行けるし、できるというわけ。

まあ、そうしたことを、改めて、感じました。

なんかこう、無料という隙間をめがけて走っていく水脈のような自分を感じたのですね。

どこまでせこいねん、と。

ただ、これをせこいととらえるのではなく、賢い、とも、良いほうに解釈し、まあ、そんな解釈が成り立つのも、お一人様だからこそ、なのですがね。

これが、妻子がいたら、どんだけせこい男やねん、と、言われますでしょうねえ。


で、まあ、無料で楽しむすべを身に付けている僕は、休園のおかげで中に入ることのできたムーミンバレーパークも散策でき、その後、まだ日が高いので、同じく無料の、博物館に行ったのですが、こちらは、ポツンと孤独そうな老人が、博物館内の狭い図書室で、何やら浮かない顔をしていました。

なるほど、図書館も閉鎖で行くところもなく、博物館の図書室にいるのかな、とも思いましたが、僕の詮索が当たっている保証はなく、大きなお世話かもしれないので、そのまま、博物館を出て、飯能市を散策。


IMG_3143

IMG_3142

うーん、飯能は昔、遊郭もあって、その名残も、あるのですねえ。

僕はまだ、軽自動車とは言え、車を所有しているので、こうして近場を散策することもできますが、本当の下流老人で車もなく、お金もなかったら、行動範囲は狭くならざるを得ません。

そうした老人が、近場の図書館さえ閉鎖されたら、それこそ、スーパーマーケットの休憩所なんかで、ぼんやりするしか、ないかも、です。

たしかにときおり、行き場のないような、老人たちを、スーパーマーケットのベンチなどで、見かけます。

一方、ムーミンバレーパークでは、高そうな血統書付きの犬を連れた上級国民のような老人たちも、数多く見かけました。

また、老人だけでなく、子供たちも、家の経済状況で、格差に晒されています。

ムーミンバレーパークでは、幸せそうな子供たちやわんこたちを数多く見たのですが、その同じ時間に、どこにも連れて行ってもらえない子供たちも、大勢いるのではないだろうか、と、思った次第。

無料で入ることのできたムーミンバレーパークについては、下の記事で書いています。

  
ムーミンバレーパークワンダーランド

同種の仕事における賃金の男女格差


今日は、国際女性デーなので、それについて少し。

男女平等の度合いを示す指標の一つが、収入格差。 

調べてみると、1975年ごろは、女性は男性の6割の収入でした。

それが、2018年には、7割にまで増えています。

それだけ見ると、男女の収入格差は縮まっているように見えます。

しかしこれは、男性の賃金が伸び悩んでいる中で、女性の賃金が若干伸びた、という程度のこと。

ちなみに、OECD加盟国の中では、日本の男女の賃金格差は第3位らしいのですよ。

1位はどこだと思いますか。

お隣の国、韓国、です。

韓国と言えば、女性の生きづらさを書いた「82年生まれ、キム・ジヨン」が記憶に新しいところ。


日本より、若干、男女差別が少ないのが、ラトビア。


5b76d90d1982d823008b52be
 ラトビアの首都リガ

あんまり、馴染みのない国ですが、国際女性デーですから、世界にも目を向けないとね。

一方、もっとも賃金格差が少ないのが、オーストリア、だ、そうです。

ワースト1位の韓国と、3位の日本は、共にアジアで、儒教の国。

まあ、儒教の国、とまで言うと言いすぎかもしれませんが、儒教思想は、色濃く残っている国。

僕自身は、怠けものなので、老荘思想のほうが肌に合い、どうも儒教は堅苦しくて、学ぶ気になれませんが、教養の範囲では理解しているかな、と。

まあ、浅い教養なのですが、今日一日は、雨も降っているし、外に出るのも肌寒いので、賃金だけでなく、それ以外の男女格差についても、考えてみようと、思っています。

死ぬまで保留する人生なんて、ごめんだね


まあ僕は、決断が早かったので、失敗も多かったのですが、人生に対する後悔は、ありません。

これは、保留せずに試したり、チャレンジしたからだと、思います。

さて、昨日は、労働が終わる週末だったので、仕事終わりにオーパークへ。

IMG_3040

町の広報誌にオーパークの、300円の割引券があったので、それを利用し、クレジットカード決済で、税込み495円で、利用できました。

平日の昼間のためか、露天風呂も、貸し切り状態。

水着着用の、クアハウスに移動しても、人は少ない。

ジャグジーバスでくつろいだ後、デッキチェアで午後のまどろみ。

日差しを浴びて、つらつらと、人生について考えていました。

今のところ、辞表を出すのは、5月のゴールデンウィーク明けにしようと考えています。

アルバイトとは言え、仕事を辞めてしまうと、 更なるローコスト生活になりますが、預貯金が尽きようとも、今の気持ちを優先するつもり。

一日5時間のアルバイトと言えども、時間に縛られた生活が、本当に嫌なのだと、改めて実感。

つくづく、妻も子もいない自由な身でよかった、と、思う次第。


僕は、先送りが嫌いなので、辞めたいと思ったら、辞めます。

今までも、そうしてきましたからね。

だから、転職が多かったのですが。

ただ、アルバイトと言えども、職場には迷惑をかけられないので、仕事の引継ぎは、しっかりやりたいと、思っています。

一か月更新のアルバイト雇用ですが、退職時は、2週間前に文書にて提出、とあり、辞表提出後は2週間勤めればよいのですが、次の人が見つかるまでは、1か月くらいは、続けようと思います。

勿論、期限は区切りますが、最長でも、1か月半、とか、ね。

立つ鳥跡を濁さず、というのが、マイルール。


長年信仰していた幸福の科学を退会するときも、きちんとした退会届を提出したし、求められれば、ていねいに退会理由の説明もしました。


それはさておき、世の中には、死ぬまで保留したまま、結論を出さない(出せない)人も、いるようです。

20200221044130

まあ、人生いろいろ、人もいろいろなので、愚図は愚図のまま、生きるしか、ないのでしょうね。

一歩退かないと、ものごとは見えてこない


昨日は、ピオニウォークに行く途中、餃子の満州に、立ち寄って、モヤシそばを食べました。

ほぼ、11時の開店直後に行ったのですが、満席。

新宿で働いていたころは、24時間の勤務明けに、良く、都内をぶらぶらしたり、時には、横浜のほうまで行きましたが、中華街も、ずいぶん食べ歩きしましたが、結局僕は、麺類では、餃子の満州の、素朴なもやしソバが一番好きかもしれないなあ、と、思いました。

作っている人も、別に、普通の若者や主婦みたいな、人。

でも、彼らが作るもやしソバが、なぜか一番うまい、と感じます。

さて、それはそうと、ピオニウォークに行ったのは久しぶり。

別段、何の用事があるわけでもなかったのですが、 昨年の、台風19号で水没して以来、初めて。

また、元の活気を取り戻し、普通に営業していました。

ただ、コロナの影響で、いくつかの飲食店は閉まっていました。


台風もあれば、地震もあり、今は、感染症の被害が広がっていますが、絶えず、諸々の事象というのは起こり、去っていきます。


僕は、もうすぐアルバイトを辞める予定ですが、あ、アルバイトと言えば、今月から、また午前勤務。

朝、早く起きねば、という緊張からか、5時に起きてしまい、そのため、今、こうしてブログを書いているのですが、まあ、大体いつごろ、辞表を出すかは、自分の中では決めています。

もう、退きたいの、です。

いろいろなものから、退いて、いきたい。

退くことで、見えてくるものが、ある、と、思っているから。

幸い、少ない生活費でやりくりできるから、まあ、辞めることも可能なのですが、いい時代に生まれたと、思っています。


時間に縛られない生活になれば、時間を気にせず、本が読めるし、野山を歩くこともできます。

昨日も、別段、ピオニウォークに何かの用事があったわけではなく、突然、行こうと思い立ったのですが、それは一つには、母が生きていたころ、高坂の気功整体に送り届けて、その待ち時間に、だいたいピオニウォークに行くか、ケーズデンキに行くか、していたからなのですね。

で、ピオニウォークをぶらついた後は、蔦屋書店に行き、椅子に座って読書。

その後カインズで買い物をし、もう一か所、行く予定にしていた場所があったのですが、何やら疲れが出て、そのまま、鳩山方面に回り込みながら、遠回りになりますが、ライフで買い物をして帰りました。

この世界から、可能な限り退いて、諸々の事象を眺めていきたいと、思っています。



帰るべき家も、助けてくれる家族もない


昨日見た、NHKスペシャルは、車上生活者の暮らしぶりを伝えたものでした。

家事をしながら、途中まで見たのですが、最初に出てきた男性は、60代で、年金は月10万円。

アパートで生活すると、家賃や光熱費、ほかで、月14万円必要だが、車中生活なら、10万円でやっていけると言い、死んだ奥さんの写真などを持っていました。

10万円あれば、家賃を払っても、ぎりぎりやっていけると思いますが、もう会社に出勤する必要がないのだから、家賃の安いところに住めばねえ、と思いますが、車の中では、体を休めることもできないと、思いますがねえ。 

なんか、単に生活リテラシーが低いだけなんじゃね、と思いましたよ。

この、60代男性のことは、共感もできなかったし、かわいそうだとも思いませんでした。

ただ、それ以外にも、やむを得ぬ事情から、車道生活となった人はいると思うし、以下のようなケースであれば、深刻です。


家を失って籠もるように車上生活をする。あるいは、家を捨てて逃げるように車上生活に入る。今、日本の社会の底辺で「誰にも助けを求めずに気が付いたら車上生活に入ってしまった」という人たちが少しずつ増えているというのが分かっている。

道の駅や、高速道路のサービスエリア・パーキングエリアでは、キャンプ気分で車上泊する人たちとは別に、ひっそりと車上生活をしているのではないかと思われる人や家族がいることを係員が報告している。

あるいは目立たない道路の側道で車を停めて、隠れるように車上生活し続けている人たちもいる。

彼らは様々な事情を抱えて車上生活をしているのだが、その多くは「借金から逃れるための車上生活」だったり、「家賃が払えなくなって家を失って車上生活」だったりする。

通常、そうなった場合は然るべき機関に相談に行って最適な処理をするのが普通なのだが、途方に暮れたまま何もしないで流されるように車上生活に追い込まれる人も存在するのだ。


うーん、あるいはまた、大都会を漂流する漂流女子、なども、深刻です。


すでにネットカフェ難民が忘れられて久しい。しかし、彼らは消えたわけではない。東京を代表する歓楽街である歌舞伎町には十数件ものネットカフェが林立しているのだが、どのネットカフェにも、そこに「住み着いている人たち」が大勢いる。

男性だけでなく女性も多い。そのため、女性専用のフロアを用意しているネットカフェも普通になった。

早朝、歌舞伎町をぼんやりと佇んでいると、ネットカフェから出てきてキャリーバッグを2つほど引きずって疲れた足取りで人気のない雑居ビルの入口に座り込み、暗い顔でスマートフォンの画面をのぞき込んでいる若い女性を見ることもある。

彼女たちも住所がない。仕事は日雇いの派遣などが多いのだが、いつも仕事があるわけでもないので資金が乏しくなる。そのためネットカフェに24時間いることもできず、寝る時だけ入って目が覚めたらチェックアウトしている。そしてキャリーバッグを2つほどを転がして、どうしたらいいのか思案しているのである。

こうした女性たちの一部は性風俗の店で働いているのだが、容姿や精神的な理由で性風俗からも弾かれる女性もいる。そんな女性がラブホテルが林立する区域にある大久保公園の周囲に座り込んでいる。

そこまで経済的に追い込まれているのであれば、実家に戻ればいいという人もいるのだが、彼女たちの多くは実家と折り合いが悪くて家を捨てており、帰るべき家も助けてくれる家族もない

住所を持たず、大都会のどん底を這い回っている。こうした女性を支援する行政の相談窓口もあれば、NPO団体も存在するが、彼女たちがそこに助けを求めることはない。彼女たちは自ら孤立してさまようだけだ。

皮肉なことに、いったん住所を失うと新しい住所を手に入れることが困難になる。なぜなら、新しい住所を手に入れるためには不動産の手続きの中で今の住所を記載する必要があったり、家賃保証会社の契約が必要だからだ。

家賃保証会社はボランティアでやっているわけではないので、きちんと家賃を支払ってくれそうにない人の保証をすることはない。現時点で住所を持たない人は、言うまでもなく信用が著しく欠如しているので契約が難しい。

そう考えると、この時代に生きる私たちはどんな困難に落ちても何が何でも守らなければならないのは、どんなに小さくてみすぼらしい場所でもいいから、「自分の住所を持ち続ける」ことを死守することだと分かる。

住所を持つことによって、行政サービスが受けられ、きちんとした仕事を得ることができ、プライバシーと安心と安眠が得ることができるようになる。

住所がなくなると、そのすべてが吹き飛んでいく

住所がなければ通常の仕事を得るのは難しい。せいぜい日雇い労働くらいしか得られなくなる。その必要最小限の賃金では、そこから這い上がることすらも難しくなってしまう。

日雇いは不安定な仕事だ。どんな長期契約でも2ヶ月がせいぜいだ。それ以上雇い続けると社会保険を支払う義務が発生するからだ。実態は2ヶ月も雇ってくれることはなく、せいぜい2週間である。

だから、いったん日雇いにまで落ちると、いくら長期で働きたいと思っても向こうから切り捨てられて、不安定な生活から抜け出せない蟻地獄となる。


うーん、老いも若きも孤独な生活者が増えつつある日本では、帰るべき家も助けてくれる家族もない漂流生活者が、今後増えていくのかもしれません。

今の時代の便利さは 誰かの犠牲によって生み出されている


つくづく実感するのですよ、今の時代の便利さは、誰かの犠牲によって生み出されているんじゃね、ってね。

で、僕が懸念するのは、貧富の格差の拡大。

誤解しないでくださいね。こんなことを言うからって、僕は共産主義者じゃありません。

努力相応に報われる社会のほうがいいと思っているので、結果平等ではなく、機会平等であるべきだ、という考え方。

ただ、悲しいかな、機会平等にしたとしても、各人の努力やその他の運不運によって、その果実である結果には差が出てきます。

その結果の差が、端的には、貧富の差となって現れます。

で、その貧富の差というものは残酷なもので、この資本主義社会では、お金持ちが圧倒的に有利な立場にあります。

たとえば、僕が介護離職するまで働いていたビジネスホテルのオーナー社長などは、証券会社から優先的特権的に、IPO(新規公開株)なども割り当てられていました。

ふつうは、応募してから抽選で選ばれるのですが、証券会社も特別な顧客には、そうした優遇措置を取ることを、僕は見て知っていました。

IPOであれば、ほぼ確実に、初値売りで利益を出すことができます。ごくまれに、初値が公募価格を下回る公募割れ、というのがありますが、そんな銘柄であれば、そもそも証券会社は、大事な大口顧客に話を持ってきません。

つまりですね、何が言いたいかと言うと、お金持ちのところには、勝手に、美味しい話が転がり込んでくるということ。

まあ、オーナー社長が潤沢な資金力を持つこと自体は、回りまわって、従業員でもあった僕にも、良い影響をもたらすので、僕は、そうしたことも、肯定的にとらえていました。

僕は、自分で言うのもなんですが、お金持ちに対して全く嫉妬しないのですよ。お金持ちは、経済を循環させるポンプのようなものだと思っているので、お金持ちがいないと世の中は回っていかないのですよ。

で、話を元に戻すと、お金持ちがいるのはいいことなのですが、同時に、貧乏に漬物のように漬け込まれて、働いても働いても生活が苦しい人がいるのも事実。

で、働かざるを得ない人が、無理して働いて、その人自身の生活はかなり精神的にも追い詰められていたりするのを見ると、今の時代の便利さというものは誰かの犠牲の上に成り立っているとしか思えません。

たとえば、もう何年前になるのか、スキーバスの事故で、多くの若者がなくなりましたが、そのスキーバスの運転手は、65歳の男性。

彼は、生活に追われながらも、本来は、小型バスで近距離を専門にしていた人。

ところが、契約社員として入社したバス会社では、不慣れな大型バスの遠距離の運転をさせられ、断ることができなかったと言います。

生活費も底をつきやっとありついた会社で、彼は必死だったのだと思います。

110768

長距離バスの運転を断れば、また、路頭に迷うことになりますからね。

格安のスキーバスには、少しでもお金を節約したい若者たちが乗っていました。

生きるためのお金のためにハンドルを握り雪道を走る高齢ドライバーと、スキーバスの費用を少しでも抑えたい裕福とは言えない学生たち。

自らもその事故で亡くなった高齢ドライバーの男性は、家族や身内のいない孤独老人で、遺体の引き取り手もなかったそうです。

「独身のまま迎える老後はつらいですよ」と彼女は言った


先日、今、そこにある老後破綻、という記事を読んでいたのですが、

575457

シングルの老後は年老いた親が頼り

 60代のC子さんは「シングル」という言葉が嫌いです。

「今の人たちはシングルがかっこいいと思っているようですが、独身のまま迎える老後はつらいですよ」

 今から45年以上前、短大を卒業して就職、結婚して専業主婦になったものの離婚。当時、30代女性の再就職は厳しかったため、フリーランスとして働き続けました。

 このため厚生年金への加入期間はほとんどなく、年金は年額70万円ほどの国民年金のみ。月額では6万円にも届きません。フリーランスだったため収入は不安定で、貯金もほとんどありません。それでもなんとか生活ができているのは「80代の母親と実家で暮らしているからです。(高齢者の介護を高齢者が行う)老老介護の日々で負担も大きいのですが、一人では暮らしていけないし」と、ため息交じりです。

 昔の友達から旅行に誘われることがあるのですが、「親の介護を理由に断っています。本当は旅費が工面できないせいだけど」。

 もし母親が亡くなったときの遺産は、地方都市の実家と、親のわずかな預金。しかし預金は介護費用でなくなりそうで、生活費を作るために実家を売ると、今度は住むところがなくなります。



うーん、地方都市の実家に住む60代の娘、と言っても、すでにシニアで、今風に言うと、6080問題、でしょうか。

確かに、親世代のもらっていた年金額は、多かったな、と、僕も思っています。

それゆえ、僕も、介護離職した時の生活費は、親の年金でした。

それがあったから、介護もできたわけです。

この、C子さんの心配は、親がなくなった後の生活。

まさに、僕と同じケースですが、強みは、持ち家であること。

僕などは、親がなくなって、年金収入がなくなっても、住宅ローンは、ありましたから、すぐに仕事をしなければ、生活が破綻するところでした。

そして今は、アルバイト暮らし。

人生、何とかなるものです。

貧乏人は、宝くじを買い、福袋の行列に並ぶ


宝くじが愚か者の税金であることは、このブログでも過去記事で何度も書いているため、同じ発言をまたここで繰り返すことは致しません。
0-83

まあこれは僕だけではなく、そこそこ賢くなり、世の中に張り巡らされている搾取の仕組みに気づいた人であれば、みんな知っている話。

もちろん、絶望的な確率を潜り抜けて宝くじが当たる人もいるので、そうした人はその大金をゲットした後に、また大きな選択肢が待ち受けているでしょう。

福袋についても、過去記事で触れています。


福袋というのを買ったことがない

まあ、福袋には、店側の都合がぎっしり詰まっているので、そんなものを買う気にはならないし、そもそも今の僕には、よほどのことがない限り、モノを買う習慣がありません。

買わざるを得ないもの、食料品とか洗剤とか、まあ、食べ物関係と日用品ね、そうしたものを買う程度。

それだと、つまらないものが増えずに、掃除もしやすく、心が軽い。

なんてったって、心が軽いのが一番。

年賀状も、やめたので、書く必要もないし、来ることもない。

そのようにして、どんどん身軽になっていくほうが、ましてやこれから老後を迎える自分にとっては、最重要。

さて、話は変わりますが、那須川天心、強かったですね。

まあ、格闘技を見つつ、時々、紅白も見たのですが(見ないと言っていたのにね)、ヨシキがキッスと、共演しているのにはびっくり。

また、misiaの、ステージは、圧巻でした。

あれを見て、紅組が勝ったと思いましたが、白組が勝ったようで、まあ、いいか。

昨日は、撮りためておいた、昨年のM1を見たのですが、ミルクボーイには、笑わされましたねえ。

ただ、決勝ネタは、かまいたち、のほうが良かったかな、と。

ミルクボーイは、同じパターンのネタでしたが、かまいたちは、幅の広さと奥深さがありますね。


年末年始は格差が身に染みる時期かもしれないが


大手企業の冬のボーナスの平均は95万円で、二年連続過去最高を更新。

こうしたニュースが流れると、大半の労働者は、自分と比較して、様々な思いを持つでしょうね。

僕も、現役時代は、そうでした。

また、この時期、海外に繰り出す親子連れなどを見ると、金のない独身者などは、みじめな思いになるかもしれません。

事程左様に、年末年始のこの時期は、世の中が浮かれる分、不遇を託つ人にとっては、つらい季節。

さて、昨日は、和食よへいで、ここ数年、恒例になっているしゃぶしゃぶ食べ放題忘年会を、AさんとIさん、の、3人でやりました。

ここで思ったのも、考え方や感じ方は、三人三様であるということ。

それ故に、違う見解を持った人たちとの、語らいは、世の中を複眼的に眺めるのに役立ちます。


ただ、この3人は、基本的に、精神的なことを優位に置いているという共通項はあります。

それゆえ、それぞれの事象に対する見解の相違を認め合いながらも、より高次の視点を模索するという発展的な関係が築けているのだと思います。

Aさんからは、グレタさんやローマ教皇についての、また別の視点を、提示してもらいました。

また、Iさんは霊的感性が優れていて、たとえば、霊臭、と言って、霊のにおい、あるいは、霊界のにおい、などが、わかるようです。

Iさんは、日蓮系の宗教家庭で育ち、まあ、日蓮系と言っても、日蓮宗、日蓮正宗、あるいは、日蓮正宗からたもとを分かった創価学会、さらには、顕正会、など、あるのですが、千葉の、あるお寺の名前を出して、そこの霊的雰囲気の話などをしていました。

僕は、こうした話はとても好きで、Iさんは、ほかにも、トラックドライバーで全国を回っていた時なども、熊本県から鹿児島県に入ると、雰囲気が全然違う、とも言っていました。

雰囲気は、霊域ともつながるので、幕末維新で活躍した鹿児島の地の独特の霊域というのがあるのだと思います。もちろん、幕末維新前から、島津家の家風というか、一本筋の通ったところがあるのだと思います。

熊本も、加藤清正が治めていた地ですから、こちらもそれなりの気風があるのだと思いますが、それぞれの地にはその地独特の霊域があるのかもしれません。

Iさんは、特に、伊勢神宮の霊域の荘厳さというか、そうした話もしてくれました。

まあそのように、人は、この世に生きながらも、実は、その本質は、霊、なのだと思います。

シルバーバーチは、あなたとは何か、という章の中で、次のように言っています。

いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。

あなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。霊的部分が本来のあなたなのです

それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。つまりあなたの奥にはいわゆる〝神〟の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。


シルバーバーチの話をすると長くなるのでこの辺にしますが、霊臭を感じる能力のあるIさんは、それをギフトとして活用し、物事を判断する基準にしたり、あるいは、自分が間違った方向に行かないような歯止め、にもしています。

すべての人には、個性があり、特質があり、強みがあると思います。

それをどう活用し、生かしていくかは、当の本人に委ねられているのでしょう。

そう考えると、格差や、他人との比較ではなく、
482236
自己を掘り下げることこそが、まずはやるべきことだと思うのは、僕だけではないでしょう。

不動産担保型生活資金を借りるという選択肢

僕は、年金受給見込み額が少ないので、現時点で、9万円ほど、なのですが、これを増やすには、繰り下げ受給で、これがまず一つの戦術。

もう一つは、住宅ローンを払い終えたあとの一戸建てを、担保にして、
不動産担保型生活資金、なるものを、借りる手もあるかと。


リバースモーゲージを扱う銀行は増えているのですが、不動産の所在地が限定されていることが多く、僕の家は、たぶん現状では範囲外、だと思います。

で、浮上してきたのが、不動産担保型生活資金。

これは、低所得の高齢者を救済する制度なので、年金が少ない人は対象になりやすいようです。


つまり、僕のような人、ね。

ただ、これも、物件に条件があるとのことなので、そこが一つのネック、かも。

これは、窓口が、社会福祉協議会。


今はアルバイトで、定期収入がありますが、今後の経済を考えると、いろいろな選択肢を、考えざるを得ません。

まあ、それが、いい頭の体操になってもいますが、おひとり様は、自分を頼りにして、頑張るしかありません。

頼れるのは、自分ですよ。

最新記事
スポンサードリンク
最新コメント
スポンサードリンク
  • ライブドアブログ