僕が極真空手をやっていたのは、
高校時代のわずか3か月。
昇級試験で青帯を取ったものの、
実戦経験はほぼないに等しいのですよ。
所沢市美原町にあった、
極真会館所沢支部での昇級試験でした。
僕が通っていた道場は、
極真会館飯能支部。
安田さんという人が支部長で、
のちに極真を離れ、
テコンドーの道場になりました。
所沢支部の支部長が、
極真の虎と言われた添野義二さん。
添野さんも、
その後、
極真を離れ、
自ら士道館を立ち上げます。
昇級試験での相手は、
185センチの長身。
僕の身長は、
今と変わらない164センチ。
まあ、
それでも、
互角に戦いましたけどね。
その後、
大会のチケットを売りさばけとか、
ノルマがうざくなって、
極真会館をやめ、
自己流で、
中国拳法などを、
学ぶようになりました。
そんな僕でしたが、
一度だけ、
喧嘩をしたことがあります。
中野英雄が所属していた、
阿佐ヶ谷マッドスペシャルのメンバーに、
吉祥寺で絡まれ、
どこかに連れて行かれそうになったので、
無意識のうちに、
金的蹴りとローキックで相手の動きを止め、
そこからは遮二無二逃げ帰ったという話。
逃げるときは脱兎の如く、ね。
当時、
マッドスペシャルとブラックエンペラーが対立していて、
何をどう誤解されたのか、
僕を、
ブラックエンペラーのメンバーだと、
勘違いしたようでした。
ブラックエンペラーと言えば、宇梶剛士。
松重豊さんくらい背の高い奴です。
会ったことはありません。
中野英雄にだって、
会ったことなんかありません。
二人とも、
僕よりも年下ですし。
そもそも僕は、
東京都民でもないし、
二十二、三才の頃だとは思うのですが、
多少、
尖った眼をしていたのかもしれません。
竜二という映画を、
自ら製作し主演した金子正次に、
目つきが似ていると、
言われていた頃でしたからね。
でも、
無意識で戦ったときは、
全然恐怖心が、
なかったんですよね。
本当に、
不思議な感覚でした。
ただ、
我に返った後は、
必死で、
逃げましたけどね。
戦うときは、
静かな心でないと、
勝てません。