介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

おひとり様のひとりごと

クリック一つで他人の人生を垣間見ることのできるブログ

世は、YouTubeばやりで、それはそれでいいのですよ。

僕もYouTubeは見ますし、というよりも、実際は、聴くことのほうが多いのですが、聴くというのは、朗読ですね。

本を読むのは好きですが、朗読を聴くのも好きで、毎晩、YouTubeにはお世話になっています。

朗読を聴きながら、眠りに入ることが多いのですよ。

それはそうと、僕にはお気に入りのブログがたくさんあるのですが、クリック一つで、その人の世界に入っていけるのが、とても気に入っています。

人生は、どう頑張ったところで、しょせん、一人分の経験しかできません。

ところが、ブログを読むことで、赤の他人様の赤裸々な日常を知ることができます。

これは、匿名ゆえのなせる業で、僕も、同じです。

匿名でなければ、とてもではありませんが、ブログで、こんなに言いたいことは言えません。

たとえば、職場で、スピリチュアルな話をしても、は? で終わりです。


僕は、このブログで言いたいことを言い、それで、ずいぶん助けられているし、同時に、他の人のブログを読むことで、別の人生を観察しています。

また、僕が現在のマネーリテラシーを身につけられたのは、他の人の有益なブログから学んだからでもあります。

この人のブログはおもしろい、と思うと、かなりさかのぼって、何日もかけて過去記事まで読み込んだりもします。

世の中には、賢い人、仕事で大変な苦労をしている人、節約の達人のような人、資産構築の上手な人、旅行好きな人、犬や猫との生活を克明に記録している人、片付け上手な人、自分で小屋を建てて暮らしている人、などなど、興味の持てる分野は無限にあり、定期的なブログパトロールは欠かせません。

自分と価値観の似ている人も好きですが、自分とは真逆の価値観の人からも、実は学ぶことは多いのですね。


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週に二日くらいは、ブログパトロールで何時間も費やしていますが、いろいろな人生を眺めることができる喜びは、ブログならではのものだと思っています。

自分のブログも、そうしたブログの一つでありたいと、思っています。

年収が増えても、45000円の生活費で暮らす

昨日は、友人のAさんがお昼前に我が家を訪れ、夕方まで一緒に過ごしました。

まずは、2階の12畳の居間に上がってもらい、そこで談笑。

Aさんから、現在の世界情勢や政治の状況、そしてまた、先日Aさんが参加した香港革命のデモの様子なども、聞くことができました。

気がつくとあっという間に、15時近くになってしまい、一階に降りて、僕はニンニクをたっぷりと振りかけたピザを焼きました。

そのピザを半分ずつに分け、大根と蒟蒻だけのヘルシーでローコストの煮物と、ポテトサラダという質素な晩い昼食を食べ、Aさんが手土産に持って来てくれたビールとノンアルコールドリンクを飲みながら、さらに談笑。

そこで、Aさんの質素な暮らしぶりを知ることに。

Aさんは隣の市でも、もっとも住環境の良い場所に、昨年一戸建てを購入したのですが、それ以前は木造アパートに何十年も住んでいました。

その当時も、そして今も、基本の生活費は、45000円だといいます。

ここで言う基本生活費とは、家賃などを除いた、食費などのことです。

で、45000円を超えて、例えば50000円ほど使ってしまったときは、使い過ぎてしまったな、と、思うそうです。

Aさんは私立高校の事務方トップなので、年収はかなりあるようなのですが、生活レベルは上げないでやってきたそうです。

そのような質素な生活だからこそ、信仰生活でも、私生活でも、自立した盤石に近い基盤があるのだと、改めて思いました。

収入が増えるにしたがって生活レベルを上げる人が大半ですが、収入が増えても、同じ生活レベルで暮らせる人はきわめて少ないでしょう。

こうしたところにも、Aさんの、薩摩隼人としての、質実剛健さは表れているように思います。

また、Aさんとは、西郷隆盛をはじめとした明治の偉人の話でも盛り上がったのですが、鹿児島県民は郷土の偉人に誇りを持っている人が多いので日教組の自虐史観の悪影響を跳ね飛ばせる力があるように思うと、僕が言うと、そうですね、と言っていました。

僕の住む埼玉県などは、郷土に誇りを持つ人も少なく、それなりに歴史を勉強していないと、左寄りの馬鹿教師に、篭絡される輩も出てきがちです。

60に近いほうの50代のAさんは、そろそろ仕事の引き際を考えているようで、職場に迷惑をかけないように配慮しつつも、自分のこれからの人生でこれまでやりたくてもできなかったことに、重心を移していきたいようでした。

昨日は、8時間以上、Aさんと話し込み、8時間と言えば、フルタイムの労働時間で、同じ8時間でも、あっという間に過ぎて行った実りある時間でした。

眠っているときに起こされるのは、つらいよね

昨日は、山形県からくるトラックドライバーが、布団の中でゆっくり眠れるのは週に一度という話をしたのですが、僕も、正社員時代は、24時間勤務でしたから、ソファの上での仮眠が常態化していました。

そして、眠りにつき始めたころに、電話かトランシーバーで呼び出されるということが多々ありました。

ソファで横になるだけなので、ベッドや布団とは違いますし、また、寝込んでしまって起きられないのでは仕事になりませんから、勤務中はどこまで行っても仮眠です。

4時間ほどの仮眠中に、たたき起こされるのですから、ダメージも大きいわけです。

今は、そうしたこともないアルバイト生活。

眠りに関しては、幸せです。

ただ、アルバイトを終えて、昼食後のひと眠り中に、エホバの証人に、起こされたことは何度かありました。

あれほど伝道に熱心な宗教団体は、他に例を見ないのではないでしょうか。


ちょうど眠りについたころに、エホバに起こされたことは何度かあります。

断っても断っても、ゾンビのようにやってきます。

まあ、悪い人たちではないのですが、迷惑なときもありますよ。

人は流れ、消えていく

昨日は株主優待を消化するために大宮に行き、焼肉万里で3000円分の優待を消化(9月が有効期限)後、西口へ。

大きな歌声が聞こえ、空中舗道から見下ろすと、駅前のビルの前で、女性歌手がキャンペーンなのか、歌を歌っていました。

一曲歌っては、少し喋りなどしていて、少し聴いていたのですが、宮下という名字しかわからず、下の名前は僕の位置からはわからず。

土曜日の昼下がり、それなりの人が、地上で、あるいは、空中舗道から、彼女が歌い、語る様子を眺め、拍手などをしていました。まあ、僕も、通りすがりとは言え、そのうちの一人だったのですが、ね。

で、いったいこの世には、どれだけの、売れたいと思っている人がいるのだろうと、思ったわけです。

歌手然り、アイドル然り、お笑い芸人然り、役者然り、ミュージシャン然り、漫画家然り、小説家然り、映画監督然り。

で、自分が満足するまで売れるのは、どの分野も、一握り。いや、一握り以下。

実力とは、そもその何なのかということを話せば、これもまたわからなくなり、カラオケバトルなどを見れば、プロ以上に上手い素人もいるわけで、やっぱり、運も含めて実力なのかなあ、とか、ね。


で、今朝、ネットで検索したら、昨日歌っていた彼女の、名前がわかりました。

宮下舞花さんでした。

検索すると、候補っぽい名前が、他にも三つ。

宮下由衣、こちらも歌っている人のようです。他には、宮下麻衣子、こちらはファッションモデルのよう、それと、宮下永遠、こちらは女優のようです。

で、この話はそれくらいにして、ソニックシティへ。


大宮は、東口と西口の雰囲気が違いますからねえ。まあ、ソニックシティがあるほうがあか抜けているんですが、東口も昭和の雰囲気が残っており、これはこれでいいかな、と。

その後、ふと気まぐれを起こし、かつて一度行ったことのある、幸福の科学大宮支部へ。

僕はすでに会員ではなく、退会しているのですが、行ってみたのですよ。

何やら集会の真っ最中で、中に入るのはやめようかとも思ったのですが、まあいいか、となかへ。

いろいろな話を聞いてきましたが、内容は割愛。

ただ、集会終了後、かつて一緒に活動した仲間(K支部とS支部)と会い、しばし歓談。違和感なく話している自分にも、びっくり。

大宮支部は、大宮駅よりもさいたま新都心駅のほうが近いとかで、久しぶりに再会したY君と、一緒に電車で帰りました。

Y君は色白の好青年。僕の中では、今でもそうですが、本人は、もう49歳で、青年部ではありませんよ、と、言っていました。

僕は川越駅前のスタバと本屋に用事があったので、そこで別れました。Y君は、そのまま、自宅のある東松山まで帰っていきました。




人は流れ、消えていきます。

それだけが、真実なのかもしれません。


なぜ母(義母)と仲良く暮らしてこれたのだろう、と考えてみた

僕の父(3年前に他界)が、母(1年前に他界した義母)と再婚したのは、僕が19歳のとき。

当時、僕の家は、世界救世教という宗教団体に入っていて、そこで、紹介されたのですね。

つまり、母も、東京で、同じ宗教団体に所属していたわけです。

実は、父は、母と再婚する前に、二人ほど、やはり、世界救世教の信者の女性を紹介されていたのですが、縁がなかったようです。

で、僕は、父が再婚したので、家を出たりして、放浪し、好きなように生きてきました。

その間、世界救世教をやめ、統一協会で、集団生活をしたり、まあ、転職と放浪の生活をしていたわけです。

落ち着いたのは、35のときですが、そのときには、統一協会はやめており、幸福の科学の会員になっていました。

父も母も、再婚した当時は、世界救世教の信者だったのですが、その後、僕と歩調を合わせるようにして、統一協会、そして、幸福の科学へと、宗旨替えしていきます。


で、その幸福の科学も、僕が53歳のときに辞めると、その後、両親も、辞めました。


まあ、しかし、どんな宗教であれ、人を惹きつけるには、それなりの理由というか、魅力があるわけですよ。

で、どの宗教にも、それなりの、心の教え、と、いうモノは、あります。

母の場合は、世界救世教の、お任せする、という教えが、気に入っているようでした。

あれこれ悩んでも仕方がないので、お任せする、ゆだねる、ということですね。

まあ、これは、仏教的に解釈し直すと、執着を手放す、ということにつながるように思います。


で、宗教遍歴の話になるとまた長くなるので、なぜ母と上手くやってこれたのかを再考すると、たぶんこれは、ウィンウィンの関係にあったのが大きいのではないか、と推測します。

つまりですね、母が、再婚もせずに東京で一人暮らしをしていたら、かなり貧しい老後になっていたと思います。職歴もわずかで、当時、板橋区のアパートに住んでおり、ちょうどそこを取り壊すので、出ていくように言われたタイミングで、父との再婚話があったのですね。


まあ、渡りに船だったわけで、こうしたタイミングというのも、ある意味、運命かなあ、と、思うのですよ。

で、父は父で、のち添えを得て、助かったところは多かったと思います。

僕もまた、父が再婚してくれたおかげで、自由に放浪できたわけですから、近江商人の三方良しの家族版、というか、そんな感じ。


で、父は、どちらかと言うと高給取りでもない、会社員というか、米軍横田基地というところに勤めていたので、準公務員に近い感じでしょうか。


で、父の世代は、ねんきん的にはかなり恵まれていたのですよ。

だから、非常にお金のかかる幸福の科学にいたときも、年金暮らしで何とかやり繰りできていたようです。


幸福の科学をやめた経緯などは、過去記事でも触れているので省きますが、そのときに大きな力となったのが、斎藤一人さんや小林正観さんの本でした。


ちょうど幸福の科学の総裁である大川隆法さんが、長年連れ添った妻と離婚するときで、支部に行くと、連日、妻への悪口を法話という形で聴かされていました。

法話である以上、それを聴くにも、お金がかかります。

お金を払って、妻への悪口を、支部に行くたびに聴かされるわけです。


それだけが原因ではないのですが、僕は徐々に精神に不調を覚えました。

それまで、大川隆法さんの妻のことを、文殊菩薩だ、アフロディーテだと、崇めていた信者たちが、てのひらを返すように、糞女とか、ユダとか、言ってののしる姿も、見るに堪えませんでした。

そうしたときに、斎藤一人さんや小林正観さんの本に出会い、普段話す言葉の大切さを、学びました。

実際、当時は本当に苦しい毎日でしたが、そうした天国的な言葉で、教祖の吐き出す毒舌の毒を解毒していったのです。


で、両親を説得し、ともに、幸福の科学を退会したのですが、実は、幸福の科学には、良い人もたくさんいて、このブログでも登場するAさんやIさん、とは、今も、親密な付き合いが続いています。


組織は離れても、人間をラベルで見ない、というのは、大事なことです。


さて、母とはウィンウィンの関係だったという話をしましたが、一緒に斎藤一人さんや小林正観さんの本を読むようになって、互いにありがとうを、言い合う機会が増えたことも、関係性の維持向上に役立ったように思います。


今日は長くなったので、ここまで。

我慢は体にも精神にも良くないから、逃げ回ってきた人生だった

我慢、などというモノは、すべきではない、と、僕は思っています。

身体にも、精神にも、よろしくない、からです。

僕は、アルバイトを含めれば、転職は135で、スタン・ハンセンの体重と同じ、であることは、何度も言っていますが、この転職は、主に、35までのもの。

20代は、めちゃくちゃな人生で、その後も、のらりくらり。

でも、逃げ回ってきたからこそ、今も、元気に生存しているのですよ。

それほど、かつて、日本の労働現場は、今とは別の意味で、きつかったのです、僕にとっては、ね。

で、この逃げ勘とでも言いますか、やべえ、逃げろ、と、自分に言い聞かせて、速攻逃げまくる感覚は、今も健在で、今のアルバイトの前の、倉庫では、働いて10分で、逃げることを決意。

初日だけ働いて、即連絡し、辞めました。

勿論、いい年ですから、無言でバックレるなんてことはしませんよ。

そんなことしたら、働いた分の賃金も得られないじゃないですか。

もらえるものは、権利として、しっかりもらわないと、ね。


厭々我慢してサラリーマンをしていたら、そのストレスによる、体と精神へのダメージは、ボディブローのように効いてきて、だんだん鬱になってくるのですよ。

僕は、体が強いほうではないので、すぐに体に現れ、その後、精神が病んできます。

いわゆる、鬱、というやつ。

それが、わかるから、逃げるんです。

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逃げて逃げて逃げまくって、それでもしぶとく、自分がいられる場所を探すんです。

で、僕が長く働けた会社は、いずれも、負荷が軽いところ。

このヘタレの僕が働けたんですから、まあ、楽なんですよ、僕にとってはね。

ただ、そんな会社だった、前職の、ビジネスホテルも、続かずに辞めていく人が多かったのは、その人にとっては、ブラック企業だったんだと思います。

つまり、ブラックかどうかは、人それぞれ、なのかもしれません。

あくまでも、自分主体で、働く場所を選べばいいので、自分にとってブラックでなければいいのですよ。

だって、自分の人生なんですからね。

他人の評価なんか、知ったこっちゃありません。

こちらの記事も参考になるかも、です。

僕が転職が多かったのは仕事から逃げ回っていたから

逃げられるものからは、逃げるし、逃げられないとなったら諦めて、やることをやる、まあ、そういうことかもしれません。

たとえば、僕の場合だったら、親の介護は逃げられないので、やれるだけのことはやりました。

まあ、そんな感じ。

できないことは潔く諦めて、できることはしっかりやる。

だから、今のアルバイトも、続いているのかもしれません。

このひ弱な自分がよくぞここまで生きてこれたものだと思う

大きな病気というのはしたことがありませんが、精神も肉体も強靭なほうではありません。

と言うか、弱いほうだと思います。

転職が多かったのも、どこの職場でも使い物にならず、つまり、精神も肉体も、仕事に耐えられず、逃げ回っていたからです。

そして、どうにも逃げられなくなった頃に、運良く、自分でも続けられそうな会社に潜り込むことができ、そこで、経験を積み、転職もでき、さらに介護離職後は介護が始まり、それも終わり、そして今は、アルバイト生活。

こう見てくると、このひ弱な自分がよくぞここまで生きてこれたものだと、改めて、思いました。

僕が仏教に惹かれたのも、自分の弱さと無縁ではありません。

仏教では、一切皆苦ということが言われます。

この世は、すべてが苦しみである、という意味になります。

この教えに出会ったとき、少しだけ、心が楽になったのを覚えています。

あんなに偉いお釈迦様が言われているのだから、僕が毎日苦しいのは、当たり前なのだ、と。

まあ、苦しみの連続の人生でしたが、50歳の頃に大きな苦しみがあり、それを最後に、自分の目に映る風景が変わり、今は、苦というモノがあっても、それに執着することなく、サラサラと生きられるようになりました。

56歳で介護離職したときも、周りからは大変だね、と言われましたが、一度も、大変だ、苦しいと、思ったことはありません。

では、苦しみがないのか、と言えば、そんなことはなく、衰えつつある肉体の苦しみ、具体的には、関節や腰の痛み、など、もあるし、アルバイトとは言え職場に行けば、老害先輩社員からの理不尽な罵声もあります。

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老害先輩社員から怒鳴り飛ばされた話は、過去記事でも何度か触れていますが、60歳にもなって怒鳴り飛ばされる経験は、貴重以外何ものでもありません。

いまでは、この老害先輩社員を、心の中で、小暴君、と名付け、「今日の小暴君」として、観察材料にしています。

観察者になることで、苦しみが消えていきます。

まあ、そのことは、後日、記すとして、ここまで生き延びてこれましたから、これまでの経験と、失敗を通して学んだ生きた知恵を使って、今後は、しぶとく、また、できるだけ楽しんで、生き抜いてやろうと、考えています。

まさに、それを怖れていたんですよ

世の中には、怖れていたことが起こる、ということは、たまにあります。

よく、スピリチュアル系の本などで、怖れているとその怖れていることを引き付ける、みたいなことが書いてあったりします。

まあ、一面正しい気もしますが、これを真に受けてお人よしの楽天家になりすぎて、老後の備えもできず下流老人になっても困りますが。


まあ、それはさておき、昨日、東武鉄道で、信号故障があり、かなりの線で、動きが止まりました。

実は、僕が、先日の群馬方面への旅行で怖れていたことが、それでした。

東武は、ときどき、こういうことがありますからねえ。

それが、自分の旅行の日とぶつかったらどうなるだろう、くらいのことは考えますわあねえ。


まあ、東武に限らず、交通機関というモノは、ときどき故障やら事故やらで、動かなくなります。


たとえば、結婚式など、冠婚葬祭に絡む場合は厄介です、動かない電車に乗っていたら、ね。

あるいは、大事な交渉事とか、契約の当日、とか。

そうした、重要イベントのときに、自分の乗っている交通機関が動かなくなったら、慌てますね。


僕が一度だけ出くわしたのは、国連英検という、さして有名でもない試験当日に、やはり東武鉄道が動かなくなり、この理由が、確か強風で、ビニールハウスのビニールが風に飛ばされて、電線に絡んだとか、そんなしょうもない理由だったのですが、とにかくしばらく動かず、その国連英検を受けそこなった、というのがありました。

まあ、さして重要ではない試験でしたが、そのときは、人生にはこういうこともあるなあ、とは、思いましたね。


まあ、一泊旅行ぐらいならば、ダメージもそれなりですが、去年、北海道と沖縄に行ったときは、それぞれ、4日、5日、と、それなりの長さだし、何よりも飛行機に乗り遅れたらパーなので、本当に早めに家を出ましたよ、東武の事故や故障を警戒してね。

川越まで行ってしまえば、東武がダメでも、JRや西武があるので、他にオプションがありますから、まずは川越に行くのが一つのポイント。

とまあ、昨日は東武が長い時間止まったようでしたが、影響を受けた人は、気の毒でした。

僕のいとこは、子供部屋おじさん

昨日アルバイトの帰りに、今年4つ目のスイカをベイシアで買い、半分に切って冷蔵後に入れ、風呂に入ろうとしたら、スマホが鳴りました。

着信を見ると叔母の名前。

Kちゃん、お母さんの一年供養をしておいたからね、との声。

この叔母は、立正佼成会の信者で、先祖供養に熱心。

頼まないのに、勝手に、亡くなった僕の父や母の供養をしてくれています。そして、できれば、僕にも、立正佼成会に入ってほしい様子。

それには、理由があり、勿論、純粋な善意での伝道なのですが、それと同時に、息子への不安もあるのだと思います。

その息子、僕から見るといとこですが、40代で、働いていない、今で言うところの、子供部屋おじさんなのです。

学校を出て20年くらいは同じ会社で働いていたので、最初からの引きこもりではありませんが、どうやら通勤時間の長さに、辟易して、退社したらしいのですよ。

まあ、それも理由の一つだとしても、他にも理由があるのかもしれませんが、僕が叔父夫婦を良いなと思うのは、全然この長男であり一人息子を、責めないところです。

下の二人の妹は嫁いでいて、家で暮らすのは叔父夫婦と長男だけなので、親ががみがみ言ったら、家庭は荒れますからねえ。

親子関係は円満なようで、そのいとこも、仕事を探しているとは言っても、必死さはありません。

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で、おとなしい性格なので、あまり話もしないのですが、親の心配は、たぶん、親の死後、このいとこが、どう生きていくか、なのではないか、と。

で、比較的、如才なく生きている僕が、どうも頼りになりそうだと、思っているようなのですね。

まあ、僕にとっても、もう親戚で残されているおじ叔母と言えば、この夫婦だけなので、良い関係は続けているのですが、このおじ叔母の死後は、その息子であるおとなしい長男とも、連絡は取っていきたいと、思っています。

まあ、この子供部屋おじさんの長男とは、一回りほど離れているのですが、おとなしく、あまり、というか、ほとんど自己主張はなくて、僕といても、僕が一方的にしゃべる場面が容易に想像できるのですが、お互いに年を取ったときには、茶飲み友だちくらいにまでなれれば、とは、思っています。

で、僕の考えでは、生活に困らないのであれば、別に子供部屋おじさんでもかまわなくね、ということなのですよ。

この叔父夫婦は、年金はたっぷりもらっていて、生活には余裕がありそうだし、大きな持ち家もあるしで、このいとこも、これまで働いていた分の年金だけでも、僕のそれ以上あるだろうから、まあ、問題はないのですよ。

ただ、もう、子供部屋おじさんになって、4年くらいは経っていると思うので、それだけ長引くと、本人も、社会復帰する気力もだいぶなくなっているのかもしれません。

でも、それで、生活が回っているというか、困らないならば、全然いいし、親も、お兄ちゃんがいてくれると助かるとか言って、何かと、頼りにしているようなのです。

ならばこれは、ウィンウィンの関係なわけで、たぶんこのままいくのではないかと、思われます。


今年初めての鰻重で、エネルギーをチャージ

昨日、日曜日は、隣の市に昨年居を構えたAさんと会い、大穀で、食事をしながら会話をしました。

今年に入ってから、土用の丑の日にも鰻を食べなかったので、昨日は、鰻重の松を注文。

鰻重と言えば、昨年、母の死後、花火師で投資家のSさんに、鰻の名店で御馳走になって以来。

ほぼ一年ぶりの鰻は、さすがにおいしかったですね。

あれは、待ち時間も、味を良くしているのかもしれません。焼きに40分ほどかかりますが、と、店員さんが念を押していましたからね。


さて、Aさんと言えば、毎年、年末には、華屋与兵衛で、しゃぶしゃぶの忘年会をするのですが、この時に一緒に会うのが、ロック通のIさん。

Iさんは、Aさんや僕の年代とは、10歳ほど下になりますが、結婚歴もあるなかなかの苦労人。

ちなみに、Aさんも僕も、独り者。

僕は、今はすでに辞めている宗教団体に、このIさんも、Aさんも、属していて、未だに、交流が続いているというのは、珍しいケースのようです。

だいたい、宗教団体などのような、思想的な集団は、辞めたりするとそのまま縁が切れるのが普通ですからね。

僕が、この二人と今も交際を続けているのは、二人とも人柄がいいからに他なりません。

それと、Iさんとは、音楽的な趣味が合い、あるお宅で、数人で忘年会をしたときに、ロック談議で盛り上がりました。

そのときに、Aさんが、ベイシティローラーズが好きだったと言ったようなのですね。

で、そのときに、僕とIさんとが、それをディスったらしく、その話をAさんが持ち出したときに、僕のほうはほぼ忘れていて、そう言えば、僕やIさんの音楽の趣味から言ったら、ベイシティローラーズはちょっと、下に見るかな、と、思い、そんなことを言ったのかもしれないと、思いました。

Aさんも、特に音楽にこだわりがあるわけではなく、ただ、単に、意見を述べたまでで、さして傷ついているようでもなかったのですが、そうは言っても、安易にディスるのはよろしくない、と、思い直しました。

で、今日は、Aさんに謝罪も込めて、次の一曲を。




そのAさんですが、今回は、長めの休暇を取って、鹿児島に帰省するそうです。

帰省後は、那須のペンションに旅行にも、行く予定だそうで、なかなかの充実ぶり。

で、Aさんは隣の市の駅近の一戸建てに住んでいるのですが、その駅前から、羽田空港行きをはじめ、日帰りバスツアーなど、さまざまなバスが、発着します。

長い老後を見据え、将来は、一緒に日帰りバスツアーに行く話などでも、盛り上がりました。

まあ、それはだいぶ先の話になるので、直近では、恒例の年末のしゃぶしゃぶ忘年会。

また、Iさんと、Aさんと、僕の3人で、盛り上がりたいと、思っています。

ディープインパクトが、今日死んだ

僕自身は、ディープが活躍していた頃には、もう競馬をやめていましたが、ディープの強さは、知っています。

凱旋門賞を勝つとしたら、この馬かな、と期待していましたが、それはかないませんでした。

僕が初めて、競馬で勝ったのは、ビギナーズラックの、高松宮記念。


今でこそ、短距離のレースですが、当時は、2000メートル。

で、勝ったのは、人気薄のロンシャンボーイで、2着が皐月賞馬のナリタタイシン。

馬連で40倍くらいだったか、と。

1000円が40000円になった、このビギナーズラックが、競馬への入り口でした。

10数年ほどの競馬歴だったと思いますが、万馬券を取ったのは3回。

当時は、後楽園の場外で買うことが多かったですね。

たまには、中央競馬だけでなく、浦和競馬などにも行きました。

ディープが活躍していた頃には、すでに競馬をやめていたので、馬券は買っていませんが、レースは見ていました。

後輩の故郷、津久見市の人口が減っていくってよ

これは、東洋経済オンラインで見たのですが、人口が、今後激減していく市というのが載っていて、その中に津久見市を発見して、ある男の顔が浮かびました。

 

彼は、大分県津久見市の出身で、前前職のビル管理会社に勤務していたときの後輩です。

 

僕は、その会社で、3つの現場を経験していますが、たまに、消防設備点検の補勤にも駆り出されていました。

 

その補勤で、彼と知り合い、野球の話で盛り上がったのですが、野球といっても、甲子園ね。

 

津久見高校が優勝したときの話で盛り上がったことを想いだすと同時に、僕にとっては、津久見市は高校野球が強いイメージしかなかったのですが、それもずいぶん昔のこと。

 

で、将来人口が減少するランキングというのに、その津久見市が13位くらいだかに、入っているのを見て、突然、その後輩のことを想いだしたのですね。

 

2015年の国勢調査で、津久見市の人口は、17969人だそうで、これが2045年になると、推計人口7812人だそうです。

 

10000人以下になっても、まだ、市なのでしょうか。

 

もう、村、のレベルかもしれません。

 

まあ、これは、津久見市に限ったことではなく、そうした市が、全国にはたくさんあるそうです。

 
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日本全体がシュリンクして行く感じで、少し寂しい気持ちがしました。


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