介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

おひとり様のひとりごと

低エネルギー体質者の生きる道


昨日、久しぶりに10時間の通し勤務をして、改めて、自分の低エネルギーぶりを再確認。

帰ってきて、風呂に入り、夕食を食べて歯を磨くと、もう、残っているエネルギーは殆どなく、そのままベッドへ。

まあ、疲れているときの睡眠はことのほか気持ちがよく、眠れば回復するのはモノの道理。

しかし、世のサラリーマンは、これが連続するわけで、僕も、正社員時代はありましたが、そこは、自分に合った職場を探し続けて職を転々。

そして、僕が続いた職場は、休みが多く、何とか、低空飛行で乗り切ってこられた、というわけ。

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で、齢61になり、改めて、体力の低下と己の低エネルギーを実感するとともに、暑い夏が来る前にアルバイトを辞め、瞑想生活に入ることを決定。

そして、過去を振り返り、内省し、いったい自分の人生が僕に教えようとしていることは何なのかを、じっくりと、見つめてみたいと、思っています。

今は、おもに、多感だった70年代を想起、しています。




でも、アルバイトで中断されると、深い思索には入れません。 


昨日、夕食を食べているときに何げなくつけたテレビで、鷺巣詩郎さんが出ていたのですが、パリの大豪邸のほかに、数か所の住処を持ち、それらを渡り歩いているのだ、とか。

それ以上にびっくりしたのは、その生活ぶりで、創作優先のために、食事もろくに食べていないとか。

つまり、行っちゃっている人は、全方位には、神経が向かないのでは、と、思ったのですね。

つまりですね、意外に、こういう人は、腐るほどのお金がありながらも、食べる楽しみとか、そうしたものには無頓着で、その必然の結果として、幸福のバランスは、いまいちなんじゃね、と。

ただ、奥さんがよくできた人で、まあ、幸せそうだから、全然問題ないのですが、他人の人生から大いに学びたい僕としては、結局、それぞれが、それぞれに与えられたギフトで、生きるしかない、と、思いましたよ。

僕は、僕に与えられたギフトを活用して、低エネルギー、低支出、低消費ながらも、内省的、瞑想的、自由ほのぼの、のびのびとした、縁側で日向ぼっこする猫のような、時間を過ごしていきたいと、思っています。

憂鬱からの深淵


ローラアシュレイが経営破綻したようですね。

僕も、イギリスに住んでいた時期があるので、イギリスは当時から斜陽でしたが、なぜか、没落のイメージが似合います。

ローラアシュレイに限らず、また、イギリスに限らず、どんな企業も、国家も、盛衰というものからは逃れられません。

盛んなるものは必ず衰える、は、道理。

僕は、若い頃は、鬱病にこそならなかったものの、それに近く、まあ、今であれば医者に行けば、鬱病と診断されたのかもしれませんが、鬱々としながらも、何とか自殺はせずに生きてこれました。

若い頃の、苦しい時間は長く、まあ、心が晴れた日などは、ほとんどなかったと思います。

そうした傾向性もあって、様々な宗教や哲学、思想に、惹かれたのでしょうねえ。

いろいろなものを摘んでは味見する、みたいな。

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今でこそ、悩みはほぼ全くないところまで来ましたが、それは別に僕が偉いわけでもなく、まあ、成り行き、みたいなもの。

まあ、この世は一炊の夢。



まあ、僕も、旅をしてきた、と、いうことでしょうねえ。

ちなみに、今も、旅の途上です。

暇耐性のある人とない人がいるようだ


僕は、暇が大好きな人間なので、暇が苦痛になることはありません。

でも、いろいろな人を見て感じるのは、暇だとやることがない、と考える人が意外に多い事実。

今日も、職場で、K君が、そんなことを言っていました。

K君は、実は高校一年の時の同級生で、今のアルバイトをするようになった2年前に、40ぶりに再会したのですね。

僕が、メール便で回る本社内のある部署にいるのですが、今日、少し立ち話をして、彼は、正社員時代も、有休はほとんどとらなかった、といっていました。理由を訊いたら、やることがないから、と。

僕は、有休は無駄なく使っていました。年20日平均でしたね。それだけ有休を自由に使える職場だったので、介護離職するまでの11年間も続いたのだと思います。

さて、このK君以外にも、今のアルバイト先で、70歳のアルバイト定年で、強制的に辞めざるを得なかった人も、辞めたら、やることがなくて一日が長いなあ、と、ぼやいていました。

それ以外にも、僕はこれまでの人生でいろいろな人を見てきましたが、どうも、人間には、暇耐性のある人とない人がいるようだ、というのがわかってきました。

暇耐性のない人は、仕事がないことは恐怖のようです。

一方、僕のように、暇耐性のある人は、仕事がなくても、退屈はしません。

長い老後を考えると、僕は、暇耐性がある人のほうが有利ではないか、と、思います。

ただ、暇耐性のある人の一般的な弱点は、仕事が好きではない人が多いこと。

それゆえ、できれば働きたくないと思っているし、なるべく早期リタイアをしたいと、思っています。

また、それゆえに、よほど計画的にしない限り、お金がたまりません。

ただ、仕事嫌いを逆手にとって、強い決意で計画的にお金を貯められれば、早期リタイアも可能で、念願の暇生活に入ることができるでしょうね。

僕は、空を見ているだけで幸せなので、

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暇耐性があるうえに、安上がりにできているのですよ。
 

静かな生活へと流れていく自分


今日は曇天で、小雨が降っている様子。 

こういう日もまた、落ち着いていていいのですよ。

さて、今の僕の生活は、一日一食の時もあれば、2食の時もあるといった感じ。

3食食べなければ、といった、強迫観念はありません。

正社員で働いていたころは、そうはいきませんでした。

仕事が込み入ってくると、昼食を抜くこともあり、それなりに重労働な仕事もあったので、食事は食べられるときに食べておかねば、という気持ちがありました。

今は、現役時代よりも、体重も10キロほど少なくなっていますが、これはダイエットしたわけではなく、かといって病気でもなく、自然に、今の生活に対応しただけの話。

つまり、自然な流れこそが大事だと、思っているわけです。


まあ、老子の無為自然が理想なので、少しでもそれに近づければ、と、思っているだけ。

で、唐突ですが、そろそろアルバイトも辞めて、人生をたたみ始めようと、思うようになりました。

アルバイトは、おそらく、来年の今頃までは、契約が更新されそうなのですが、そのため、僕もそのつもりでいたのですが、最近、どうにも、内省への思いが抑えられなくなりました。

つまり、隠遁し、自分を見つめたい、と。

当然、収入がなくなるので、預貯金の取り崩し生活となりますが、少ない貯金でどこまで持つのか、という心配もありますが、その時は、またその時対応すればよいのではないのか、と、思うようになりました。

それよりも、今、の、気持ち、を、大切にしたい、と。

なので、おそらく夏になる前には、アルバイトも辞めて、野山を歩いたり、川原で黙想したり、しながら、ひたすら自分を見つめていきたいし、その後、金に窮すれば、また、労働市場に身を投げてもいいかな、と。

先の心配よりも、今の気持ち、今の流れ、今の自分。

まあ、人は、生まれてくる前に、自分の人生を計画して来るらしいので、僕は、僕の人生に、身を任せて流れていくつもりです。

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通勤途上で見た、外国人の男性

信号待ちの時間でしたが、その短い時間にも、その男性が、礼拝しているのを、見ました。

おそらく、イスラム教かとは思いますが、敬虔な信者が多いですよね。

遠い異国の地で、彼を支えているのは、信仰なのでしょう。

コンビニの駐車場の片隅で、体を折るようにして祈っている姿を見て、僕は、気持ちが、引き締まるのを感じました。

反社会的なものを別にすれば、それが何であれ、その人が真剣に対峙しているモノを、軽視してはいけないと、強く、思いました。


格差の底辺で、地面にはいつくばって暮らしている


恋愛、結婚、出産をあきらめる、三放世代、それに加えて、就職やマイホームをあきらめる五放世代、さらに、人間関係や夢までもあきらめる七放世代、を通り超えて、今は、すべてをあきらめて生きるN放世代、が、韓国の若者を象徴している言葉だ、そうです。

日本の若者以上に厳しい韓国の状況を知るようになったのは、僕がビジネスホテルで働いていたころ。

二人の、韓国人の若者が、フロントスタッフとして働いていた時期がありますが、二人とも、優秀でした。しかし、自国の韓国では就職がままならず、新宿で働いていたわけです。

僕がもっとショックを受けたのは、まだ、母が生きていたころに、旅行で行った長野県の上山田温泉。

旅行日和の過去記事を辿れば、その記事もあるかと思いますが、 夜、温泉街を散歩していたら、まだ若い女性に声をかけられ、まあ、表向きはスナックの、裏では売春までやっているような店で、なんでこんな田舎の温泉街に韓国人がいるのだろうと思ったのですが、あとでネットで調べたら、そういう場所のようでした。

今回、パラサイト半地下の家族、というのが、話題なようで、韓国の大学で働く日本人の記事を読んだのですが、その内容は以下の通り。


 韓国で家を借りるには、巨額の頭金が必要だ。私が今住んでいる家でも、毎月支払う家賃とは別に、500万円ほどの頭金を預けている。それは家を引き払うときに戻ってくるから差し引きゼロなのだが、入居時にかき集めるのは大変だ。

 韓国人はその頭金を準備するのに、たいていの場合は夫婦で銀行から借りる。だが、私のような外国人は、つい数年前まではそれができなかった。

 お金を工面できなければ、頭金や家賃が飛び切り安い半地下生活が待っている。

 あるとき、転居先を探そうと不動産屋を周っていたとき、「お得な物件があります」というので、下見に行ったことがある。歩いて向かっている途中、家内が「たぶん、半地下よ」と言っていたのだが、ずばり当たっていた。韓国人にはそれとわかるものだったらしい(家内は韓国人である)。部屋に入ってみると、映画に出てくるように、歩いている人の足が窓から丸見えだった。

 その半地下の家に私の家族が住むことはなかった。結局、私の家族は何年も、一人暮らし向けのような狭い家に暮らすことになった。

 というのは、私には半地下の生活を受け入れがたいつらい記憶があったからだ。それは、映画でも描かれる大雨である。それが、この映画を見ていられない3番目の理由である。

 恐らく10年ほど前だろうか、私は半地下の部屋がある集合住宅の3階に住んでいた。半地下には高齢の女性が1人で住んでいた。ある夏の日、ソウルを大雨が襲った。すると、長時間にわたる集中豪雨で下水道が逆流したのだ。半地下のその女性の部屋にあっという間に浸水し、私は部屋から水をかき出したり、ポンプで排水できるようになってから家具を外に出してあげたりした。

 映画でも下水道が逆流する様子が描かれている。トイレから黒い液体がシュッと吹き出るのを、便器の蓋を占めてその上に乗って抑えるという場面だ。でも、実際はそんなお上品ではない。きっと排泄物も混ざっているに違いない茶色の液体が、化粧室からダムの放水のように流れ出るのだ。私はトイレのドアを閉めて、流れ込んでこようとする汚水を堰止めた。私はサンダルを履いて家具を運んでいたのだが、漏電防止のためブレーカーを落として電気を消しているのと、汚水に被われているために、床など見えるはずはない。家具を持ち上げて踏ん張ったとき、ガリッと足で何かを踏みつけた。その感触からしてグラスか何かのガラス製品だろう。一歩間違えば、大けがだった。

『パラサイト』という映画は、そういった場面を、ずいぶん見やすく描いていると思った。その一方で、半地下生活の映像を見ながら、私が見聞きしている実際の半地下生活の姿が脳裏でフラッシュバックされ続けていたのだ。私は映画を見ている間、何度か思わず目をつぶってしまった。

うーん、日本の、万引き家族を、思いだしました。

お金があってパートナーがいたら、チャータークルーズがいいよね


昨日は、ちょっと暗い記事を書いたので、今日は夢のある話を。

まあ、今月は、午後勤務なので、余裕ぶっこいてますよ。

昨日は、JRAで、すごい馬券が出たようです。

当たった人は、100円の馬券が、4億3390万円になったとか。

その日一日で、人生が、変わりましたねえ、おめでとうございます。

うーん、最近の僕は、現実主義者で、あまり妄想とかしないのですが、もし僕にそれだけのお金があり、なおかつ、伴侶と言うべきパートナーがいたら、チャータークルーズの旅に行くでしょうねえ。

あれは、一人では、参加しにくいですからねえ。

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船上のジャグジーバスで、あるいは海に面した部屋や、デッキの上で、優雅に過ごし、世界中のごちそうに舌包みを打つと、いう感じでしょうか。


まあ、数時間後には、時給のアルバイトに行かねばならぬ身。

妄想は、今だけに、とどめておきましょう。


さて、まだ、先月の外食記録をしていなかったので、まとめると、5日が餃子の満州でモヤシソバ、6日が福よしでタンメンと餃子、8日がレストラン天狗で日替わりランチ、9日が串カツ田中、12日がジョイフルで和定食、17日が活鮮で寿司ランチ、18日が神楽坂さくらでロースかつとカキフライ定食、同じく18日が日高屋で中華そば大盛り、19日が個人経営の中華料理屋で青椒肉絲定食、21日がレストラン天狗で日替わりランチ、30日がブロンコビリーのランチ、31日がステーキ宮のランチ、でした。

外食は、計12回で、珍しくマックには一度も行かなかったようですね。


数か月前から、月が変わるたびに、前の月の外食を記録しているのですが、多少の漏れがあるかもしれません。

外食も楽しみつつ、基本は自炊のローコスト生活は、まだまだ続きます。

弱くなっていく親と弱くなっていく自分


もうすでに、親の介護を終えている僕ですが、介護している最中は、日々、弱くなっていく親を見ていました。

人間は、生まれた以上、死ぬのは定め。

いつ死ぬかは人それぞれで、寿命でしょうが、僕の弟は生まれてすぐに死に、僕の実母は、僕が16の時、51歳で死にました。

弟の場合は、赤ん坊ですから無念、の思いはなかったかもしれません。

しかし、実母の場合は、51歳という若さと、まだ大人になる前の一人息子を残しての死ですから、さぞや無念なことだったろうと思います。

父を、在宅介護で見送って、今年で早いもので4年になります。

そして、その2年後の、同じ5月に、母も末期がんが発症して病院でなくなりました。

父の場合は、数年の介護生活の後だったので、覚悟の上での老衰でしたが、母の場合は、あまりにも急な死でした。

ただ、父と母の死を通して、僕も、死と向かい合う機会を持てたことは良かったと思っています。

弱くなっていく親を見るのはつらかったのですが、同様に、僕自身も、いろいろなところが弱くなっていくのを感じています。

どのみちこれからは、衰退の人生。

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静かに、幕が下りていく人生。

坂道を下りていく人生。

で、僕は、弱くなっていくことが、嫌いではありません。

むしろ、好き、かもしれません。

柔弱謙下。

そこに、近づいていきたいと、思っています。

三峯神社に行くことになりました


まだ少し先の話ではありますが、三峯神社に行くことになりました。

幸福の科学退会以後も、年に一度ほどの頻度で会っていたIさんと、最近連絡が取れ、Iさんの提案で、三峯神社に行くことになったのです。

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さて、紛らわしいのですが、このIさんは、年末にしゃぶしゃぶ食べ放題の忘年会をしたほうのIさんとは、別のIさん。

で、忘年会をしたほうのIさんは、まだ、幸福の科学の会員さんで、こちらのIさんを、これからは、ITさんと呼ぶことにします。

で、今度一緒に三峯神社に行くことになったIさんのほうは、僕とほぼ同じ時期に幸福の科学を退会しており、IKさんと、呼ぶことにします。

どちらも、名字だけだと同じになってしまうので、区別するために、名前の頭文字を付け加えました。

この二人は、名字が同じだけでなく、年齢も、確か同じはず。さらに言えば、どちらも、優秀な好青年です。

で、このブログを書いているときに、ちょうどそのIKさんからラインが。

まあ、ラインというのは便利ですねえ。メールもできるし、無料通話もできる。しかも、無料。

さて、三峯神社ですが、前回行ったのは、いつだろうと記憶を手繰ってみたのですが、思い出せないくらい前、になります。

確か、まだ両親が生きていたころ、行った記憶があります。

山梨方面に行くときには、圏央道と中央高速で行くことが多かったのですが、時々、秩父を通って雁坂トンネルを通り抜けるコースで行くこともありました。

そんな時でも、三峯神社に寄ることはなかったのですよ。

両親を連れて行くときは、温泉がメインでしたからね。

あとは、高校時代、仲間と雲取山に登ったときに、三峯神社に寄ったように思います。

いずれにせよ、三峯神社には、数えるほどしか行っていません。

でも、何やら、霊験あらたかな神社のようで、今から、楽しみではあります。

静かな暮らしが大好き


まったくもって、静かな暮らしが大好きな自分がいる。

何もない空間に、一人いる自分。

自分が、自分こそが、宇宙だと感じる瞬間。

満たされていて、必要なものは、何もない。

今はアルバイト暮らしなので、アルバイト先では、多少、騒々しいこともあるが、家に帰れば、一人の時間。

何をするのも自由。

何を思うのも自由。

この解放感。

まったく、このような境地に導かれるとは、思ってもいなかった。

我が人生には、感謝しかない。

我が人生への感謝。

我が人生が、僕を、ここまで導いてくれた。

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これからも、僕は、僕自身とともにいる。

ボケの兆候とブログの効用


最近、直近の記憶が曖昧であることが多く、戸惑っています。

ここ数日のことなのに、思い出せない、ということが、ままあります。

先日などは、ライフに行ったときに、立ち止まってしまいました。自分が、何を買いに来たのかが、一瞬、思い出せなかったのです。

これはやばい、と、思いましたね。

何しろ、天涯孤独のおひとりさまですから、ボケたら終わり、だと、自戒しています。

その点、こうしてブログを書くことで、言いたいことを言って発散すると同時に、行動を記録することで、思いだしやすくなる利点があります。

今日は、ジョイフルで、Aさんと、Mさんと、3人で、質素な新年会をしました。昨年、12月28日にも、同じメンバーで同じ場所で、忘年会をやったのですが、あれはいつだったですかねと、Aさんに訊かれたとき、即座に、12月28日です、と、答えられたのも、ブログを書いているおかげ。
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ブログは、ボケ防止というか、記憶の定着に役立つを事を、改めて、再認識した次第。

なのでこれからは、自戒の意味も込めて、一週間の行動も記しておきたいと、思いました。

振り返ると、6日の月曜日は、アルバイトの後、ビバホームに行き、フードコートで、ラーメンと餃子の、昼。これは、モテコのサービス券を有効活用したかったため。つまり、餃子無料券を使うために行ったのですよ。

その後、飯能の行きつけの床屋で散髪。

7日は、アルバイトの後、日高図書館に行き、返却と貸し出し。その後、ライフで、水をゲット。

8日は、アルバイトの後、カインズホームで子犬と子猫を見て、レストラン天狗で株主優待で昼食後、坂戸図書館に行き、返却と貸し出し。その後、ふるさとの湯で温泉につかり、帰りに、コモディイイダで水をゲット。

9日は、ブログにも書きましたが、アルバイトの後、いったん帰宅して、川越に行き、お笑いライブを見てきました。

10日は、アルバイトの後、ベイシア日高モールで買い物をし、帰宅。

昨日、11日は、日高アリーナに行き、トレーニングセンターの使用について、訊いてきました。今、ちょっと、トレーニングセンターに通うかどうかを思案中。コナミスポーツの専属スタッフが常駐しているようで、健康管理には有益かな、と。

その後、シェルイージーペイで給油し、自分の町の図書館に、行きましたよ。その後、ライフで買い物と無料の水ゲット。

スーパーマーケットで、無料で、良い水をゲットできるのは、良いですね。

ということで、ボケ防止を兼ねて、日々の行動を記録しておくことで、記憶の定着を図ろうと、考えています。

カルロス・ゴーンの目は、魔女に似てなくね


以前から思っていたのですが、上手いことトンズラこいたカルロス・ゴーンですが、あの目、男のくせに、なんか、魔女っぽいのですよ。
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で、なんか胡散臭かったのですよ。

だって、目は、口ほどに、モノをいう、って言うでしょ。


同じカルロスでも、トシキのほうが、マシですよ。



うーん、懐かしい。

この曲も、カラオケに行くと必ず歌います。


初老男たちの集いは、今後何年続けられるのだろう


昨日は、ほぼ、恒例化しつつある、年初の集いが、我が家でありました。

今回は、鬱状態が回復できないでいる、OY氏は欠席し、昨年は用事で来ることのできなかったMK氏(皆野町)が、参加してくれました。

実は、MK氏(藤沢市)は、もう一人いて、こちらは去年も参加したほうのMK氏。

そして、いつも僕を歴史研究会に連れて行ってくれるKM氏は、川越から電車を乗り継いでの来場。

で、計4人での懇親会に。


この、恒例化しつつある年初の集いも、各メンバーの高齢化も進み、いつまでできるかはわかりませんが、そもそもこのメンバーのサークル母体は、高校時代からのものであり、しかも、クラスも、学年もバラバラで、あえて言えば、文芸部、もしくは、生徒会、が、その触媒とも考えられますが、それ以外のつながりもあり、わけがわかりません。

まあ、縁、なのでしょうねえ。


ということで、昨日の10時前後にゆるゆるとはじまった懇親会。

まったりと、寿司などをつまみながら、車で来た人はソフトドリンクを、電車で来た人と家主である僕は、ビールなどを飲みながら、ゆるゆると話しましたよ。

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まあ、話をしだすと、長いのでねえ。

寿司がだいぶなくなったころに、メインをピザに変えて、


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ビールがなくなったら、ソフトドリンクに変えて、ゆるゆると飲み、ゆるゆると話す。

話すは、放す、にも通じで、解放、にもなりますね。

だからみんな、話したがるのでしょうねえ。

そんな、ゆるゆる懇親会は、夕方まで続き、日が暮れるころに散会となりました。

その後は、僕も、まったりして何もする気が起こらず、まったくの、ぐうたらな一日でした。

まあ、今日は、少し、気持ちを引き締めないと、明日から、仕事ですからねえ。



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