介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

おひとり様のひとりごと

九州の大雨は他人事ではない


河川が氾濫し、複数の死傷者や行方不明者が出ている九州の大雨ですが、 昨年、僕の家の近所でも同様の被害があり、とても他人事とは思えませんでした。

よく利用していたピオニウォークというショッピングモールが水没したのはまだ記憶に新しいところ。

今は再開してかつての賑わいを見せつつも、コロナ禍による客足の減少もあるようです。

このような大雨は、これからは毎年のようにあるかもしれない、という専門家の見立てもあり、日本国中、どこにいても、安全な場所などないのではないか、と、

まあ、これは、地震についても言えるのですが、首都直下型地震がいつ来てもおかしくないと思っているので、僕も、都内に通勤していた間は、いつもそのことは頭の片隅にありました。

特に地下鉄に乗っているときなどは、今地震が来たらどうなるのだろう、などと、考えましたね。


一度大きな災害にあってしまうと、その後の生活の再建はなかなかに困難を極めます。
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台風被害で屋根を飛ばされた千葉県の家でボランティアの人が作業する様子をテレビで見ても、その大変さはわかります。

かび臭い家に住み続けざるを得ない住民のストレス。

コロナ禍で作業が滞り、またやってく台風シーズンへの不安。

本当に日本は、世界でも稀に見る災害大国。

それにめげず復興する国民が忍耐強くなるのは道理かもしれませんが、国民全体が今高齢化しつつある今、今後は人口も1億人を切り、8000万人へと向かっていく予想も出ています。

8000万人になるころには、もう僕もこの世にはいないかもしれませんが、国力の衰退だけでなく、連日尖閣に領海侵犯して来る中国をはじめとした外国の脅威もあり、外交の分野でのかじ取りもますます混迷を深めています。


災害、戦争、疫病、貧困、その他諸々の現象はとどまることなく、変化していきます。

そうした中、悔いなく人生を生き切るにはどう生きたらいいのかが、日々、自分に問いかけていることの一つ、でもあります。


「貯金だって8000万円もあるんだ」と憤慨


今日も、朝から雨が降っていますが、この雨音を聴きながら、ぼんやりするのも趣があってよろしいか、と。

晴耕雨読という言葉がありますが、僕は耕すべき畑も持っていないので、晴れた日には外をぶらつき、雨の日には読書をするか雨そのものをしみじみと味わうか、ですね。

今週は、晴れた日が二日くらいしかなく、貴重な晴れ間は外をぶらつきましたよ。

特に、木曜日は良く晴れたので、行田市まで行ってきました。

忍城と足袋が有名なところです。
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忍城も良いが、その近くにある水城公園も、リラックスできます。
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水城公園では、釣り人がかなりいましたが、いずれも、シニアばかり。

さて、今日は、婚活について、興味を引く記事を見つけました。

 一流企業に勤める40代男性Aさんは、20~30代は海外赴任で世界を飛び回り、ようやく転勤が終わって東京本社に戻ったタイミングで結婚を考え始めました。「今の年収は2000万円。結婚して奥さんが支えてくれたら、1億円にも手が届く」と語っていました。

 職場ではそれなりの役職についていて、「いい上司」として認められています。ところが、私生活では未婚のまま、ほぼ2~3年ごとに転勤を繰り返してきたため、恋愛をろくにしていません。お付き合いをしたとしても短期間で破局。女性とじっくり向き合った経験に乏しく、恋愛における感覚は20代のように感じました。

 こうした男性はAさんに限らず意外と多いんです。このタイプの男性のほとんどは、感覚が20代なだけに自分の老いに気がついていません。実際は40代半ばのおじさんですから、お腹は出てるし、髪も白くなったり薄くなったりしています。

 そういう人への婚活アドバイスは、まず、若い男性の写真をたくさん見せて、「この男の子たちは若くてきれいですよね。この子たちと同じ土俵で戦わなければならないんです」「肌だってこんなに違うし、スタイルもこんなに違う。だから若い子以上に努力が必要になります」というような話をします。

 Aさんにもそう説得しましたが、最初は「これまで頑張ってきたのに何を頑張るんだ。年収も高いし、貯金だって8000万円もあるんだ」と憤慨していました。

 「そりゃ仕事は頑張ったでしょうね。だから結果が出ているし、年収にも表れている。でも結婚するためには何をしてきましたか。恋愛もしてませんし、女性がどんな生き方をして、どんな考え方をしているか知らないですよね?」と説いてレッスンを始めました。ここまで来るのに1~2カ月かかりました。

 レッスンでは、それぞれの会員に合わせて髪型やファッション、礼儀作法を“婚活向き”に変えていきます。実際にスタイリストが同行して買い物にも行きます。エスコートも特訓します。

 女性がヒールを履いているのに1人でどんどん歩いて行ってしまう、エスカレーターがあるのに階段を勢いよく下りてしまう、寒い季節に何キロも歩かせる⋯⋯事前に想定されるNG事項は細かくお伝えしています。

 Aさんはずっと「エリートの自分がなぜ女性に媚びなければいけないんだ」という意識が強かったのですが、「結婚するには、自分を変える必要性を理解しないと。変わろうとしない人は縁遠くなるばかりですよ」と説得しながら進めていきました。

 若い女性を希望していたので、20代女性とマッチング。女性は「こんなに高学歴で素晴らしい人、うれしいです」と大喜びしてデートを重ね、いよいよプロポーズというところまで進みました。

 当日、Aさんを呼んで「今日はプロポーズだよ。きちんとした場所をセッティングして、お花を持ってね」と散々念を押しました。Aさんは「わかりました」と返事をしていましたが⋯⋯残念ながらまったくわかっていませんでした。

 その日、Aさんが連れて行ったお店は焼肉屋さん。一応、都心の高めのお店だったそうですが、若い女性と膝を突き合わせるという状況に気持ちが高ぶってしまったのでしょうか。それとも、プロポーズを前に緊張をほぐそうとしたのでしょうか。お酒を何杯も飲み、ベロベロに酔ってしまいました。プロポーズをリードすべき立場としてありえない大失態です。

 しかし、Aさんの過ちはそれだけではありません。あろうことか予定していたプロポーズの場に行かず、お花も買わず、手を引っ張って3流のシティホテルに連れて行ってしまったそうなんです。

 翌朝6時、女性から大泣きしながら私のもとへ電話がかかってきました。「プロポーズしてくれるって言っていたじゃないですか」と。私はてっきりうまくいったものと思っていましたから驚きました。あれだけ念を押したのに、プロポーズをせずにホテルに連れ込むなんて、断じてあってはならないこと。

 女性は「こんないい条件の男性に捨てられたくない」という思いで我慢してついて行ってしまったそうですが、相手は酔っ払ったずっと年上の男性。いつものエリートビジネスマンの印象は崩壊し、ひどくショックを受けたそうです。成婚前の性交渉は契約違反。2人とも「成婚料」(性交渉をした時点で成婚とみなす)を払って退会となります。


うーん、 この女性は、ある意味、良い体験をしたのではないでしょうかねえ。

まあ、男は、年収だけじゃないよ、と。

年収もあり、性格も良く、見栄えも良く、といった男を望んでも、そういう男はタダでさえモテる上に、その男にも好みというものがあるでしょうからねえ。

高学歴高収入高身長の男と結婚できたけど、冬彦さんだった、なんてこともあるかもしれないし。

ちなみに僕は、低学歴定収入低身長でしたが、今では、低学歴無収入低身長と、さらにスペックが下がっていますが、幸せそのもので、世のありようを眺めています。


年寄りになったら生活できへんかもしれん


24時間勤務の頃は、仕事明けに良く都内をぶらついていたのですが、 だいたい営団地下鉄の一日券を買って、あっちに行ったりこっちに行ったり。

そんなことを、ホテル勤務時代の11年間で、月平均3回くらいのペースでやっていたので、地下鉄の効率的な乗り換え方法なども、勝手に覚えますよねえ。

で、そんな風にぶらついていると、いろいろな乗客の話し声なども、耳に飛び込んでくるのですよ。

「年寄りになったら生活できへんかもしれん」

そんな関西弁が聞こえてきた時もあり、そのときに見た婦人は、いかにも金持ちそうな身なり。

話し相手の女性も、頷いていましたが、そちらも、指にはパライバトルマリンの大きな指輪をしていましたから、お金持ちなのは明らか。

まあ、関西方面から東京に旅行に来ているようでした。

おそらくですが、年寄りになったら今のような贅沢な暮らしはできない、という意味だったのだと思います。

そして、その場面を思い出した僕が、また関連して思いだしたのが、石田ゆり子さんのこと。

以下は、ネット記事からの引用。

「ファミリー向けの高級マンションで、都内の一等地にもかかわらず100平方メートル以上の部屋も多いです。なかでも石田さんが購入されたのは140平方メートルを超える物件。価格は3億円近くするのでは」(不動産関係者)

 豪邸を建てたわずか2年後に、高級マンションを買っていただけでも驚きだが、実は、この物件は3軒目だった。

「昨年夏にも都内の閑静な住宅地にあるビンテージマンションの最上階を買っています。こちらも100平方メートルを超える広さで1億円近くはするでしょう。現在は賃貸に出されているようです」(別の不動産関係者)

年1軒のペースで不動産を連続購入していたことになるが、いったいどういう理由からなのか。

「一戸建てに引っ越した後、石田さんは愛犬が階段の上り下りをすることを嘆いていました。犬にとってヘルニアになる危険性がありますからね。だから“階段のないマンションに”と考えたのかもしれません。『おしゃれイズム』で明かした“ペット専用の部屋”とは、彼女の新居のことかもしれません」(テレビ関係者)

 特徴的なのは、住み替えではなく、3軒とも所有し続けている点。しかも、すべて値下がりしにくい優良物件ばかりだ。

「石田さんは樹木希林さん(享年75)をとても尊敬していました。希林さんは若い頃から不動産が趣味で、亡くなる前に少なくともマンション3戸、一戸建てを5軒も所有していたそうです。娘の也哉子さん(43才)・本木雅弘さん(53才)夫妻にも“年金のつもりで家賃収入をいただきなさい”とすすめていたほど。石田さんもこの“教え”に従っているのかもしれません」(芸能関係者)

うーん、お金持ちの石田さんに僕がこんなことを言うのはおこがましいのですが、物件が全部都内にあるのはやばくね、と、思うのですよ。

僕だったら、東京は、自宅の他は一軒にとどめ、神戸と福岡にマンションを買いますね。

理由は、物件が全部東京だと、
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首都直下型地震が来たらやばくね、ということ。

神戸市がいいと思うのは、阪神淡路大震災で、一度震災を経験した後なので、もうしばらくは地震もないだろうし、その後建てられているマンションは耐久性が高いのではないか、と思うから。

福岡市がいいと思うのは、住みたい街ランキングの上位で、まだまだ伸びしろがありそうだから。

どちらも、政令指定都市ですしね。

玉子は一つのかごに盛るな、は、投資の格言ですが、それは、不動産投資にも言えると思うのですよ。

まあ、石田ゆり子さんからすれば、金もないお前なんぞに言われたくもないわ、と、いうことかもしれませんが。



どうすれば楽に生きられるのかを求め続けてきて


昨日は、友人のIさんと、三峯神社に行ってきました。

Iさんが、川越から車で来てくれて、彼の車に乗せてもらい、話をしながら2時間ほどで、到着。

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前回、三峯神社に来たのはいつだったろうと記憶をたどっても、すぐには出てこないくらい前のこと。

記憶をたどると言えば、内省においてはこの記憶をたどるということが不可欠で、アルバイトを辞めた理由の一つが夏の暑さから逃げるためであり、もう一つの理由が、内省への思いが強くなってきているからであることは、依然述べた通り。

で、実は、どちらの理由も、深く関わり合っているのですよ。 

まず、自分の体力の衰えがあり、腰痛やめまいなど、体調の不良もときおりあり、このような状態でこの夏を乗り切るのは、危険であると判断。

空調の効いた快適な環境であれば、また、違うのでしょうが、高温多湿の無風状態の中での作業は熱中症の危険大。

加齢とともに、そうした温度調節機能も衰えており、天涯孤独の一人暮らしである事情もかんがみて、アルバイトを辞めたわけですが、同時に、内省への思いが強くなっていたのも事実。

で、ここで問題になるのが、仕事を辞めて生きていけるのか、というお金に関すること。

で、僕は、いろいろな人のブログを読んでいて、家賃込みで10万円、あるいは8万円、あるいは6万円、あるいは5万円、あるいは、それ以下のお金で、暮らしている人を見て、僕よりも食欲も旺盛な若い人たちでも、そのような、ローコスト生活が可能なのだから、齢61の僕であれば、なお可能であろうと。

まあ、僕の場合は、だいたい無理をしない範囲で、6万円での生活が最適と判断。

残る問題は、住宅ローン。

こちらの残債も計算し、今の持ち金と株の価値を計算し、さらに、2年後から貰える、報酬比例部分の年金額を見て、何とかギリギリ、辞めても、生きられると、判断。

で、この選択が間違ってなかったと思うのは、僕の今の気持ち。

この、無限大の解放感。

目覚まし時計に起こされない暮らし。

毎日、自由に過ごせる日常。

で、この幸福の根底を支える条件が、健康の維持。

しかし、健康や寿命は、かなり不可抗力的なものもあるのも事実。

そこで、決めた覚悟は、自分の才覚の中でできる限りのことをして、あとは天に任せる、というもの。

つまり、食事と睡眠と運動に配慮したうえで、可能な限りのストレスフリーな生活を送ること。

僕の、大してできの良くない頭では、それ以上のことは思いつきませんでした。

でも、そこまでの自助努力をしたら、たとえ不治の病に侵されても、それを、天命だと受け止めることもできます。

そうした、潔い気持ちでいると、小さなことにはこだわらなくなりますしね。

シンプルイズベスト、だと、思っています。




上総一ノ宮での思い出


千葉県に、上総一ノ宮という駅があります。

実はこの駅、何度か乗り降りしているのですが、理由は、この駅から送迎バスで、千葉正心館というところに行っていたのです。

千葉正心館は、幸福の科学の精舎と呼ばれる施設の一つ。

まあ、おもに、泊りがけの研修で行っていたのですが、いろいろと楽しい思い出があります。

送迎バスは、上総一ノ宮駅に行くのですが、千葉正心館があるのは、長生村。

なので、上総一ノ宮というのは、あくまで駅の名前であって、だから、長生村での思い出、なのかもしれませんが、新宿に勤めていたので、そこから電車を乗り継いで上総一ノ宮に行っていたので、どうしても僕の中では、上総一ノ宮として記憶されているというわけ。

で、だいたいは電車で行くことが多かったのですが、一度、ワゴン車で数人で行ったことがありました。

運転は、ワゴン車の所有者のKさん、それとほかに数人。

その中には、僕のブログにたびたび登場するAさんとAさんの友人の中国からの留学生の劉さんも一緒でした。

そのとき、偶然ですが、千葉正心館で、かつて僕たちの支部で支部長をしていたSさんとも会いました。この支部長は、なかなか人徳のある人でした。

いろいろ、館内の説明もしてくれたのですが、劉さんが何よりも喜んだのは、自転車を貸してもらって、皆で、海に繰り出した時。

やっぱり、海なし県に住んでいるので、海が見たいのですよ。

その時の、劉さんの嬉しそうな顔は、今でも、忘れません。

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自転車で、海に繰り出す前の劉さん。

僕の記憶では、海に行ったのは、劉さんとAさんと地区長をしていたHさん、と僕の4人だったような。

ワゴン車を運転してくれたKさんと、もう一人のKさんは、精舎内で研修か、あるいはビデオを見ていたか、海には、いなかったように、思います。

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  房総の海。

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僕も、当時は世界伝道を、と思っていましたから、いずれ、劉さんが中国に帰って、主の教えを広めてくれたらいいなあ、と、思っていました。

で、その日は、海にも行ったし、食堂で、皆で食事もして、一日ゆったりとして過ごして、日帰りで帰りました。

まあ、幸福の科学時代は、そうした楽しい思い出も、実はたくさんあって、ときどき思い出しては、ほっこりとした気持ちになることもあります。

それと、これは、Aさんとも話したことがあるのですが、精舎などに行くと、時折、素晴らしく美しい女性職員がいたりします。

ここでいう美しいというのは、外見も確かに美しいのですが、もう少し違う、霊的な美しさなのですよ。

これは、説明が難しいのですが、清らか過ぎて、この世で働くにはきつすぎるというか、とてもではないが、荒い波動の濁世では生きられないような女性がいたりするのですよ。

竜宮界の人かな、と思うような、あるいは、日本神道系で、巫女さんなんかが似合うタイプ。

こういう人の生きる場所もないと、つらいのではないか、と思うのですね。

その点、精舎などで働くことができれば、そういう人の場所、ができると、思うのです。

まあ、本当にときどきですが、とても清らかな波動の女性を見たことも、良い思い出の一つです。





 

低エネルギー体質者の生きる道


昨日、久しぶりに10時間の通し勤務をして、改めて、自分の低エネルギーぶりを再確認。

帰ってきて、風呂に入り、夕食を食べて歯を磨くと、もう、残っているエネルギーは殆どなく、そのままベッドへ。

まあ、疲れているときの睡眠はことのほか気持ちがよく、眠れば回復するのはモノの道理。

しかし、世のサラリーマンは、これが連続するわけで、僕も、正社員時代はありましたが、そこは、自分に合った職場を探し続けて職を転々。

そして、僕が続いた職場は、休みが多く、何とか、低空飛行で乗り切ってこられた、というわけ。

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で、齢61になり、改めて、体力の低下と己の低エネルギーを実感するとともに、暑い夏が来る前にアルバイトを辞め、瞑想生活に入ることを決定。

そして、過去を振り返り、内省し、いったい自分の人生が僕に教えようとしていることは何なのかを、じっくりと、見つめてみたいと、思っています。

今は、おもに、多感だった70年代を想起、しています。




でも、アルバイトで中断されると、深い思索には入れません。 


昨日、夕食を食べているときに何げなくつけたテレビで、鷺巣詩郎さんが出ていたのですが、パリの大豪邸のほかに、数か所の住処を持ち、それらを渡り歩いているのだ、とか。

それ以上にびっくりしたのは、その生活ぶりで、創作優先のために、食事もろくに食べていないとか。

つまり、行っちゃっている人は、全方位には、神経が向かないのでは、と、思ったのですね。

つまりですね、意外に、こういう人は、腐るほどのお金がありながらも、食べる楽しみとか、そうしたものには無頓着で、その必然の結果として、幸福のバランスは、いまいちなんじゃね、と。

ただ、奥さんがよくできた人で、まあ、幸せそうだから、全然問題ないのですが、他人の人生から大いに学びたい僕としては、結局、それぞれが、それぞれに与えられたギフトで、生きるしかない、と、思いましたよ。

僕は、僕に与えられたギフトを活用して、低エネルギー、低支出、低消費ながらも、内省的、瞑想的、自由ほのぼの、のびのびとした、縁側で日向ぼっこする猫のような、時間を過ごしていきたいと、思っています。

憂鬱からの深淵


ローラアシュレイが経営破綻したようですね。

僕も、イギリスに住んでいた時期があるので、イギリスは当時から斜陽でしたが、なぜか、没落のイメージが似合います。

ローラアシュレイに限らず、また、イギリスに限らず、どんな企業も、国家も、盛衰というものからは逃れられません。

盛んなるものは必ず衰える、は、道理。

僕は、若い頃は、鬱病にこそならなかったものの、それに近く、まあ、今であれば医者に行けば、鬱病と診断されたのかもしれませんが、鬱々としながらも、何とか自殺はせずに生きてこれました。

若い頃の、苦しい時間は長く、まあ、心が晴れた日などは、ほとんどなかったと思います。

そうした傾向性もあって、様々な宗教や哲学、思想に、惹かれたのでしょうねえ。

いろいろなものを摘んでは味見する、みたいな。

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今でこそ、悩みはほぼ全くないところまで来ましたが、それは別に僕が偉いわけでもなく、まあ、成り行き、みたいなもの。

まあ、この世は一炊の夢。



まあ、僕も、旅をしてきた、と、いうことでしょうねえ。

ちなみに、今も、旅の途上です。

暇耐性のある人とない人がいるようだ


僕は、暇が大好きな人間なので、暇が苦痛になることはありません。

でも、いろいろな人を見て感じるのは、暇だとやることがない、と考える人が意外に多い事実。

今日も、職場で、K君が、そんなことを言っていました。

K君は、実は高校一年の時の同級生で、今のアルバイトをするようになった2年前に、40ぶりに再会したのですね。

僕が、メール便で回る本社内のある部署にいるのですが、今日、少し立ち話をして、彼は、正社員時代も、有休はほとんどとらなかった、といっていました。理由を訊いたら、やることがないから、と。

僕は、有休は無駄なく使っていました。年20日平均でしたね。それだけ有休を自由に使える職場だったので、介護離職するまでの11年間も続いたのだと思います。

さて、このK君以外にも、今のアルバイト先で、70歳のアルバイト定年で、強制的に辞めざるを得なかった人も、辞めたら、やることがなくて一日が長いなあ、と、ぼやいていました。

それ以外にも、僕はこれまでの人生でいろいろな人を見てきましたが、どうも、人間には、暇耐性のある人とない人がいるようだ、というのがわかってきました。

暇耐性のない人は、仕事がないことは恐怖のようです。

一方、僕のように、暇耐性のある人は、仕事がなくても、退屈はしません。

長い老後を考えると、僕は、暇耐性がある人のほうが有利ではないか、と、思います。

ただ、暇耐性のある人の一般的な弱点は、仕事が好きではない人が多いこと。

それゆえ、できれば働きたくないと思っているし、なるべく早期リタイアをしたいと、思っています。

また、それゆえに、よほど計画的にしない限り、お金がたまりません。

ただ、仕事嫌いを逆手にとって、強い決意で計画的にお金を貯められれば、早期リタイアも可能で、念願の暇生活に入ることができるでしょうね。

僕は、空を見ているだけで幸せなので、

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暇耐性があるうえに、安上がりにできているのですよ。
 

静かな生活へと流れていく自分


今日は曇天で、小雨が降っている様子。 

こういう日もまた、落ち着いていていいのですよ。

さて、今の僕の生活は、一日一食の時もあれば、2食の時もあるといった感じ。

3食食べなければ、といった、強迫観念はありません。

正社員で働いていたころは、そうはいきませんでした。

仕事が込み入ってくると、昼食を抜くこともあり、それなりに重労働な仕事もあったので、食事は食べられるときに食べておかねば、という気持ちがありました。

今は、現役時代よりも、体重も10キロほど少なくなっていますが、これはダイエットしたわけではなく、かといって病気でもなく、自然に、今の生活に対応しただけの話。

つまり、自然な流れこそが大事だと、思っているわけです。


まあ、老子の無為自然が理想なので、少しでもそれに近づければ、と、思っているだけ。

で、唐突ですが、そろそろアルバイトも辞めて、人生をたたみ始めようと、思うようになりました。

アルバイトは、おそらく、来年の今頃までは、契約が更新されそうなのですが、そのため、僕もそのつもりでいたのですが、最近、どうにも、内省への思いが抑えられなくなりました。

つまり、隠遁し、自分を見つめたい、と。

当然、収入がなくなるので、預貯金の取り崩し生活となりますが、少ない貯金でどこまで持つのか、という心配もありますが、その時は、またその時対応すればよいのではないのか、と、思うようになりました。

それよりも、今、の、気持ち、を、大切にしたい、と。

なので、おそらく夏になる前には、アルバイトも辞めて、野山を歩いたり、川原で黙想したり、しながら、ひたすら自分を見つめていきたいし、その後、金に窮すれば、また、労働市場に身を投げてもいいかな、と。

先の心配よりも、今の気持ち、今の流れ、今の自分。

まあ、人は、生まれてくる前に、自分の人生を計画して来るらしいので、僕は、僕の人生に、身を任せて流れていくつもりです。

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通勤途上で見た、外国人の男性

信号待ちの時間でしたが、その短い時間にも、その男性が、礼拝しているのを、見ました。

おそらく、イスラム教かとは思いますが、敬虔な信者が多いですよね。

遠い異国の地で、彼を支えているのは、信仰なのでしょう。

コンビニの駐車場の片隅で、体を折るようにして祈っている姿を見て、僕は、気持ちが、引き締まるのを感じました。

反社会的なものを別にすれば、それが何であれ、その人が真剣に対峙しているモノを、軽視してはいけないと、強く、思いました。


格差の底辺で、地面にはいつくばって暮らしている


恋愛、結婚、出産をあきらめる、三放世代、それに加えて、就職やマイホームをあきらめる五放世代、さらに、人間関係や夢までもあきらめる七放世代、を通り超えて、今は、すべてをあきらめて生きるN放世代、が、韓国の若者を象徴している言葉だ、そうです。

日本の若者以上に厳しい韓国の状況を知るようになったのは、僕がビジネスホテルで働いていたころ。

二人の、韓国人の若者が、フロントスタッフとして働いていた時期がありますが、二人とも、優秀でした。しかし、自国の韓国では就職がままならず、新宿で働いていたわけです。

僕がもっとショックを受けたのは、まだ、母が生きていたころに、旅行で行った長野県の上山田温泉。

旅行日和の過去記事を辿れば、その記事もあるかと思いますが、 夜、温泉街を散歩していたら、まだ若い女性に声をかけられ、まあ、表向きはスナックの、裏では売春までやっているような店で、なんでこんな田舎の温泉街に韓国人がいるのだろうと思ったのですが、あとでネットで調べたら、そういう場所のようでした。

今回、パラサイト半地下の家族、というのが、話題なようで、韓国の大学で働く日本人の記事を読んだのですが、その内容は以下の通り。


 韓国で家を借りるには、巨額の頭金が必要だ。私が今住んでいる家でも、毎月支払う家賃とは別に、500万円ほどの頭金を預けている。それは家を引き払うときに戻ってくるから差し引きゼロなのだが、入居時にかき集めるのは大変だ。

 韓国人はその頭金を準備するのに、たいていの場合は夫婦で銀行から借りる。だが、私のような外国人は、つい数年前まではそれができなかった。

 お金を工面できなければ、頭金や家賃が飛び切り安い半地下生活が待っている。

 あるとき、転居先を探そうと不動産屋を周っていたとき、「お得な物件があります」というので、下見に行ったことがある。歩いて向かっている途中、家内が「たぶん、半地下よ」と言っていたのだが、ずばり当たっていた。韓国人にはそれとわかるものだったらしい(家内は韓国人である)。部屋に入ってみると、映画に出てくるように、歩いている人の足が窓から丸見えだった。

 その半地下の家に私の家族が住むことはなかった。結局、私の家族は何年も、一人暮らし向けのような狭い家に暮らすことになった。

 というのは、私には半地下の生活を受け入れがたいつらい記憶があったからだ。それは、映画でも描かれる大雨である。それが、この映画を見ていられない3番目の理由である。

 恐らく10年ほど前だろうか、私は半地下の部屋がある集合住宅の3階に住んでいた。半地下には高齢の女性が1人で住んでいた。ある夏の日、ソウルを大雨が襲った。すると、長時間にわたる集中豪雨で下水道が逆流したのだ。半地下のその女性の部屋にあっという間に浸水し、私は部屋から水をかき出したり、ポンプで排水できるようになってから家具を外に出してあげたりした。

 映画でも下水道が逆流する様子が描かれている。トイレから黒い液体がシュッと吹き出るのを、便器の蓋を占めてその上に乗って抑えるという場面だ。でも、実際はそんなお上品ではない。きっと排泄物も混ざっているに違いない茶色の液体が、化粧室からダムの放水のように流れ出るのだ。私はトイレのドアを閉めて、流れ込んでこようとする汚水を堰止めた。私はサンダルを履いて家具を運んでいたのだが、漏電防止のためブレーカーを落として電気を消しているのと、汚水に被われているために、床など見えるはずはない。家具を持ち上げて踏ん張ったとき、ガリッと足で何かを踏みつけた。その感触からしてグラスか何かのガラス製品だろう。一歩間違えば、大けがだった。

『パラサイト』という映画は、そういった場面を、ずいぶん見やすく描いていると思った。その一方で、半地下生活の映像を見ながら、私が見聞きしている実際の半地下生活の姿が脳裏でフラッシュバックされ続けていたのだ。私は映画を見ている間、何度か思わず目をつぶってしまった。

うーん、日本の、万引き家族を、思いだしました。

お金があってパートナーがいたら、チャータークルーズがいいよね


昨日は、ちょっと暗い記事を書いたので、今日は夢のある話を。

まあ、今月は、午後勤務なので、余裕ぶっこいてますよ。

昨日は、JRAで、すごい馬券が出たようです。

当たった人は、100円の馬券が、4億3390万円になったとか。

その日一日で、人生が、変わりましたねえ、おめでとうございます。

うーん、最近の僕は、現実主義者で、あまり妄想とかしないのですが、もし僕にそれだけのお金があり、なおかつ、伴侶と言うべきパートナーがいたら、チャータークルーズの旅に行くでしょうねえ。

あれは、一人では、参加しにくいですからねえ。

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船上のジャグジーバスで、あるいは海に面した部屋や、デッキの上で、優雅に過ごし、世界中のごちそうに舌包みを打つと、いう感じでしょうか。


まあ、数時間後には、時給のアルバイトに行かねばならぬ身。

妄想は、今だけに、とどめておきましょう。


さて、まだ、先月の外食記録をしていなかったので、まとめると、5日が餃子の満州でモヤシソバ、6日が福よしでタンメンと餃子、8日がレストラン天狗で日替わりランチ、9日が串カツ田中、12日がジョイフルで和定食、17日が活鮮で寿司ランチ、18日が神楽坂さくらでロースかつとカキフライ定食、同じく18日が日高屋で中華そば大盛り、19日が個人経営の中華料理屋で青椒肉絲定食、21日がレストラン天狗で日替わりランチ、30日がブロンコビリーのランチ、31日がステーキ宮のランチ、でした。

外食は、計12回で、珍しくマックには一度も行かなかったようですね。


数か月前から、月が変わるたびに、前の月の外食を記録しているのですが、多少の漏れがあるかもしれません。

外食も楽しみつつ、基本は自炊のローコスト生活は、まだまだ続きます。

弱くなっていく親と弱くなっていく自分


もうすでに、親の介護を終えている僕ですが、介護している最中は、日々、弱くなっていく親を見ていました。

人間は、生まれた以上、死ぬのは定め。

いつ死ぬかは人それぞれで、寿命でしょうが、僕の弟は生まれてすぐに死に、僕の実母は、僕が16の時、51歳で死にました。

弟の場合は、赤ん坊ですから無念、の思いはなかったかもしれません。

しかし、実母の場合は、51歳という若さと、まだ大人になる前の一人息子を残しての死ですから、さぞや無念なことだったろうと思います。

父を、在宅介護で見送って、今年で早いもので4年になります。

そして、その2年後の、同じ5月に、母も末期がんが発症して病院でなくなりました。

父の場合は、数年の介護生活の後だったので、覚悟の上での老衰でしたが、母の場合は、あまりにも急な死でした。

ただ、父と母の死を通して、僕も、死と向かい合う機会を持てたことは良かったと思っています。

弱くなっていく親を見るのはつらかったのですが、同様に、僕自身も、いろいろなところが弱くなっていくのを感じています。

どのみちこれからは、衰退の人生。

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静かに、幕が下りていく人生。

坂道を下りていく人生。

で、僕は、弱くなっていくことが、嫌いではありません。

むしろ、好き、かもしれません。

柔弱謙下。

そこに、近づいていきたいと、思っています。

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