介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

50男の考え方

すべての人は忘れ去られる運命にある

去る者は日日に疎し、という言葉があります。

死んだ人のことは、次第に忘れていく、ということでもありますし、生きている者でも、交流の機会が減れば、次第にその関係は希薄なものになっていきます。

思えば、この宇宙の星々も、ものすごい勢いで遠ざかっているわけで、一切のものが遠ざかっているのかもしれません。

人は、どんなに有名な人でも、やがて忘れ去られていきます。ましてや凡夫であればなおのこと、そんな人いたっけ? みたいになっていきます。

仏陀やイエスのように、歴史の風雪に耐えて記憶されている人たちでさえ、その存在は記憶されていても、本来の彼らの教えは亡骸のようになり、彼らがもし生きていたならば、おいおいそれは違うだろう、と言うでしょうね。

自分の考えに固執する人であれば、自分の教えなり考え方を違った形で解釈されるのはとても残念でしょう。

ただ、仏陀もイエスも、さっぱりとした性格の人だと思うので、そのことで苦しみを作ることはないと思います。

誰であっても、すべての人は忘れ去られ、忘却の彼方へと消えていきます。

こういう話をすると、気が楽になる人もいれば、虚しくなる人もいます。

何が正解かは僕にはわかりませんし、そもそも正解などというモノがあるのかないのかもわかりません。

ただ、諸々の事象は過ぎ去っていきます。

どうやらそれだけは、真実のようです。

さらば50代、されど50代

今日のタイトルは、僕が友人のAさんと見た映画、「さらば青春、されど青春」が、元歌です。

50代でいられるのも、あと二日ぐらいなので、あっさりと振り返ってみようと思ったのです。

まあ、大半の50代は、子供が大学生とか、高校生とか、あるいはもう社会人になっていたりして、結婚した年齢にもよりますが、だいたいその年齢あたりの子供が一人や二人いたりするのではないでしょうか。

子育ても一段落して、自分の老後のことなども考え始める時期かもしれません。

僕の場合はずっと独り者だったので、子供を通して自分の成長や衰えなどの変化を感じるということはなく、まあ、かなり浮世離れした人生を歩んでいたように思います。

50代を端的に言うと、自分でもはっきりとわかる体力の衰え、ですね。

体力が落ちると、気力も削がれます。

さらに具体的な年齢を言うと、僕の場合は、56歳がギアが落ちるように体力の低下を実感した年でした。

疲れやすくなり、気力がなくなり、ついでに好奇心も少なくなりました。

56歳前と後では、体力気力的には、別人のように感じます。

で、その体力が落ちてきて、いくぶん内省的になってきてから、このブログを始めたので、ブログを書くという点においては、この衰えは良いほうに作用したのかもしれません。

拡大と収縮、という考え方がありますが、人生も、思春期から働き盛りへと拡大していくときと、やがて盛りを過ぎ、収縮していくときがあるのだと思います。

その転換点の年が、僕の場合は、56歳だったということでしょう。

で、早期退職と、父と母を相次いで見送ったのも、50代。

自宅を建て替えて、新たなローンを背負ったのも、50代。

天涯孤独になったのも、50代。

まあ、あとどのくらい生きるかわかりませんが、男の平均寿命プラス10年くらいのスパンで、自分の未来を眺めています。

兄弟がいないので、その必然として甥も姪も存在せず、まさに正真正銘の天涯孤独なので、その点では、さっぱりとしています。

あとは、自分が、ひとりで死んで行けばいいだけですからね。

一か月更新の派遣社員として働く僕自身の意見

僕は現在59歳のアルバイト暮らしです。雇用形態は、一か月更新。

派遣会社で面接をし、その後、実際に働く工場に行き、また面接。

そして、現在、アルバイトとして働いています。

今月は午後勤務なので、こうして午前の時間を使ってブログも書けています。

で、明日からは月が替わるので、午前勤務となり、朝は5時起きになります。

僕はもう年金支給も見えているし、この人生そのものにあまり執着もないので、僕個人としては、今の生活に何ら不満はありません。

むしろ、今くらいのゆるい働き方が合っていると思っています。

で、昨日書いた記事に、二つのコメントが寄せられました。コメントへの返信は、通常はコメント欄に書くのですが、返信が長くなりそうだったので、今回は、この記事で、返信も兼ねることにしました。


昨日の記事での、青字の部分は、例のクボタの事件に寄せられた発信者も特定できないコメントであり、僕自身の意見ではありません。

僕の意見は、

竹中平蔵はろくなもんじゃない

僕が気になるのは、その短絡性

物事のその先の展開を少しでも考える余裕と言うか、スペースがあれば、普通は起こり得ない事件だと思う

なんか、いろんな人が、切羽詰まったところで生きているような気がしてなりません

です。

大阪のパチンコ屋での事件も取り上げているように、日本の労働問題だけに焦点を当てているのではなく、それをも含んだ今の時代の空気のようなものを取り上げたわけですね。


さて、竹中平蔵は、ググればわかるように、弱者を食い物にして自己の利益を最大化している点で、ろくなもんじゃない、と僕は思っています。

誤解なきように付け加えると、自己の利益を最大化するのは人間の常なので、それ自体をどうこう言っているのではなく、多くの人を犠牲にしている点、人間をモノのように見ている点、さらに言えば、その政策が、ひいては日本国の将来に影を落としているその元凶を作った一人だからです。

これは、物事の展開を考えればわかる話で、大量の非正規社員は、十分な納税もできず、結婚もままならず、などなど、そのツケが将来悲惨な形で、日本国そのものに返ってくるのは、アキラかでしょう。

グローバル化の流れは、時代の要請なので、勿論、竹中平蔵一人が悪いわけではありませんし、韓国の若者の就職難、アメリカの若者、特にミレニアル世代の若者などは、厳しい経済環境のあおりを受けています。

で、それ以外の僕の意見としては、事件の短絡性を憂い、先の展開を考えたほうが良いのではないか、という提案と、あとは今の時代の雰囲気として、多くの人が切羽詰まったところで生きているような気がする、という僕自身の皮膚感覚を述べているわけで、僕自身は、今の自分の雇用形態に不満がないばかりか、自分にちょうど良い働き方だ、と思っています。


で、ここからが、多少はコメントの返信にもなるかと思いますが、かつて日本は、一億総中流社会と言われるように、経済的にはある意味幸福な時代がありました。

勿論、公害や、エコノミックアニマルと揶揄されるような、バランスの悪さもありましたが、概ね、中間層が幸福を満喫できる時代だったように思います。

しかしそれは、世界から見たら稀有なことで、社会主義が最も成功した国は日本ではないか、と思われるくらい、横並びの中流生活が奇跡的に維持できていたのです。

これは、高度経済成長という時代が後押ししたものでしょう。

本来、終身雇用などというモノが、長期にわたって維持できたこと自体が、世界にあまり例を見ない出来事なのです。

ですから、終身雇用が当たり前という意識は、本来持つべきではありません。

ところが、多くの頭の固い年寄りが、自分の常識でモノを言うので、変なことになったりするのですね。

で、僕の立場はどうかと言うと、僕はきわめて自分よりも年下の世代に同情的です。とてもではありませんが、多くの年寄りのように、説教を垂れる気にはなれません。

今自分が若者だったら、かなり絶望していたように思うからです(この点ではペシミストです)。


このあたりの自分の考えは、別ブログにはなりますが、以下の記事で、かなり明確に書いています。

氷河期世代の消費は抑制的にならざるを得ない

で、日本はこれから厳しい時代を迎えますが、世界的に見ると、この世界は少しずつ良くなっていくと思っています。


で、このまま書き続けていくと、アセンションなど、スピリチュアルな話になって終わらなくなるので、この辺にしておきます。

先日、40代の非正規が40代の正社員を刺したが、今度は50代の男が

少し前になりますが、クボタで、40代の派遣社員が、同じく40代の正社員を刃物で切り付け、重傷を負わせた事件がありました。

この事件を知ったときに、いろいろな想像を掻き立てられたのは、僕だけではないでしょう。

事実、この事件についての書き込みには、いろいろな意見が寄せられていました。以下は、それらのほんの一部。

二人の間で何があったのかはこのニュースだけでは詳しく分からない。
しかし、ナイフを持っていた所を見ると被害者の指導の仕方に問題があり、加害者側に鬱憤が溜まってて次に何か言って来たら殺ってやるくらいの覚悟が出来てたのかもね。

派遣社員の犯行は許されることではないし、あってはならない。
しかし、被害者の正社員の言動や態度、行き過ぎた指導はなかった
か、そこに至った状況に何があったのかをしっかりと調査する必要
がある。以前にあった、警察官の上司が部下に拳銃で撃たれて亡くなった事件を思い出した。


派遣という最悪の雇用システムが終身雇用による人材の育成も安定した社会生活も破壊した。そのシステムを作ったのが小泉政権で人材派遣でもうけているのが竹中平蔵。必要なのは働き方改革ではなく終身雇用による安定した生活を送れるシステムと残業システムの改革。でも一番大事なのは国民がもっと考え声を上げ現在の状況を変えていくことだけど同調圧力と生来の日本国民のどこか陰湿な考え方はシステムを変える妨げにしかならず変わることなく負の遺産は子供たちに引き継がれていくのだろうと思う。

正社員と派遣社員は格差があからさまにあるからね。同じ仕事をしても給料や福利厚生は違うし、不安定。40代あたりは就職氷河期と言われる年代で、派遣社員も特に沢山いる。本来だったら40代は正社員で仕事バリバリやってある程度の地位を築いて、安定した生活を送っている年齢層。当然、この年代の派遣社員が沢山いるからなかなか結婚できなかったり、出産を躊躇したり、派遣社員の制度には深い闇がある。少子化を根本から食い止めるためには、こうした格差のある社会構造から変えるべき。

派遣経験ありますが今思うとロボットのように扱われた。社員さんと揉めてる場面もよくみた。各地の派遣先で働いている渡り鳥みたいな方もいたが毎日不安で苦しいと嘆いていた。

竹中、小泉さんの置き土産!
派遣を増やし、日本の雇用をダメにした感は、否めないね。

工場への労働者の派遣を解禁したのは、小泉総理と、竹中平蔵氏のとき、これで世の中が一気におかしくなった。正社員とアルバイトだけでよく、派遣など必要ないと思う。派遣の人の境遇は劣悪で同情します。なくしてくれると信じ民主党に投票しましたが、裏切られましした。

怒りの矛先は本来小泉政権や竹中、派遣会社に向かうべきだが。


うーん、小泉、竹中、の名が散見されます。

僕も、竹中平蔵はろくなもんじゃない、と思っています。

そして今度は、50代の男が、同じく50代の男を刺す事件が、起こりました。場所は、大阪のパチンコ店。

51歳の無職の男が、53歳の男を刺したようです。

こちらは、パチンコ店内という遊戯場内での話であり、職場での格差とか、そういう話ではありませんが、僕が気になるのは、その短絡性。

煽り運転もそうですが、物事のその先の展開を少しでも考える余裕と言うか、スペースがあれば、普通は起こり得ない事件だと思うのです。

なんか、いろんな人が、切羽詰まったところで生きているような気がしてなりません。

いかに、つまらない日常を遊びに変えるか

人生は基本的には、自分で面白くしない限り、おもしろくならないと思っています。

これは、60年近く生きてきた僕の、現時点での見解です。

だから、他者をあてにしたり、他者に依存して喜びを得るということは、極力排除しています。

そうすれば、被害者意識を持たずに済みますしね。

で、可能であれば、付き合う相手を多少でも尊敬できたらよい、と思っています。

あまり尊敬し過ぎると、別の意味で危ないので。

で、僕がいつも世話になっているAさんなどは、人格的にも尊敬できる部分が多々あり、これはまさに理想的な友人関係です。

長年の付き合いになる友人Oも、尊敬できる部分があり、なかなか大したものだと思っています。

それ以外にも今も付き合いのある人たちというのは、人間的に律儀であったり、視野が広かったりと、それぞれ良い資質を持っている人たちです。

僕は一人でいることが全然寂しいとは思わないので、たぶん友人が一人もいなくても、やっていけると思います。

ただ、自然に知り合いになった人たちというのは、縁のある人たちなので、そのような人たちとの付き合いは、大切にしています。

さて、高杉晋作が言ったように思うのですが、「おもしろきこともなき世をおもしろく」でしたか、まさに僕もそう思います。

何も工夫しなければ、基本、人生はそうおもしろいものではありません。

いや、それどころか、苦しみの連続でしょう。

だからこそ、知恵を使っておもしろくするのです。

家賃込みで、年間50万円以下で暮らしている人がいる

うーん、僕はいろいろな人のブログを読むので、年間100万円ほどで暮らしている人は、けっこう見かけるのですが、さすがに50万円以下というのは、あまり知りませんでした。

で、さらにすごいのが、それが、家賃込みだということ。

たとえば、家賃がもったいないので、中古住宅を購入して、それで、ひと月3万とか、4万円くらいで生活する人のブログなどは、けっこう見かけたりするのですよ。

しかし、家賃込みで年間50万はすごい。

で、この人、ちゃんと、何を食べているかを写真でアップしたりしているので、やり繰りも上手なのでしょう。そうでなければ、やっていけません。

以下、青字の部分は、その人のブログからの引用。

食材は業務スーパー・トライアル・ドンキホーテで7割購入

だ、そうです。トライアルというのは、初めて聴きました。業務スーパーは、僕も最近利用するようになりました。

僕の場合、ライフ、ベイシア、業務スーパー、ベルクの順で、食材を購入しています。


1年を通して全く出費しなかった衣類は、
今までのあるもので間に合わせている状態です。
体型も変わって買い替えないといけないのですが、
家で着る物は気を使う必要は無いので、
穴が開いてようが裾がボロにになろうが
着られれば着ている感じです。

そういう見栄えや体裁に掛けるお金が、
個人的には一番お金が掛かると思えます。


電車やバスにも乗らなかったので、
交通費も一切かかりませんでした。

年100万円生活と謳うブログはいくつかありますが、
その半分でも何とかやっていけたので、
家賃さえなくなれば、
将来少ない年金でも暮らしていける自信が付きました。

働くにしても、ほんの少し働けば生活できるので、
昔のような仕事に追われながらの生活は、
もうしなくても良さそうです。


この人、凄すぎ。

ただ、窺い知れるのは、仕事に追われながらの生活に嫌気がさしての、今の質素な生活なのだろう、ということです。

わかります。

仕事で命をすり減らすくらいならば、質素な生活で生き延びるほうがましです。

ほんと、僕も、そう思いますね。


ポツンと一軒家を見て、淡々と生きている人は強いと思った

毎回見ているわけではないのですが、たまたま見てしまった先日のポツンと一軒家。

印象に残ったのは、岡山県の山奥で暮らす73歳の女性。60代の弟さんも、毎日のように来ているようですが、基本は一人暮らし。

で、この女性、ずっとそこに住み続けて、結婚もせず。

理由は、親の介護。

他の姉妹は嫁いでしまい、残った自分が介護せねばならなくなった、というようなことを言っていたのですが、被害者感も悲壮感もまったくなし。

むしろ、田舎暮らしが良いようで、街は怖い、とのこと。

で、この女性、午前3時台に起き出して車を運転。

細い山道を運転して麓まで。

そこで押し寿司ですか、何かそのようなものを作っていました。

この製造工場での労働が、4時から12時まで。

休憩時間はあるのでしょうが、8時間の労働。

そして、また車を運転して山奥まで帰る生活。

さすがに体がきつい、とは言っていましたが、その顔に悲壮感はなし。

実に、淡々とした表情。

まるでその田舎の空気と一体になったかのような無為自然な生活。

こういう人は、自分の場所、で、生きているので、強いですね。

勿論、人が怖い、と言っているように、街では生きられない人でしょうし、街にいたら、たちまち弱者の側になる人でしょうが。

要は、自分の場所で生きれば、それでいいのですよ。

自分の場所で生きている人は、普通に強いし、自然な形で強いのだ、と、改めて思いました。

44歳の引きこもり長男のために高齢に鞭打って働くHさん

うーん、このブログでも何度か、毒親やダメ兄弟、あるいは働かない子供のために、ずっと労働市場にしがみつかないと生きていけない人たちのことを記事にしてきましたが、今朝の読売新聞の1面のコラム、「安心の設計」が、まさにそれ。


東大阪市に住むHさん(67歳女性)は、25年間働いた会社を66歳で退職後、フルタイムの仕事につけずに、ホテルで朝食バイキングのパートをしながらハローワークに通ったそうです。


Hさんがフルタイムにこだわる理由は、引きこもりを続ける44歳の長男のため。

この長男の生活費を全額支出しているために、お金が必要だとのこと。

「自分の背中を見て何かを感じてほしい」と、自分の生きざまで長男にメッセージを送るHさんが、「年齢ではなく、働けるがどうかで判断する社会になってほしい」と、社会に対する不満を口にしていましたが、おいおい、そうじゃないだろう、と僕は思いました。


44歳になっても親のすねをかじっている息子が、今更親の背中を見て何かを感じるだろうか、とも思いましたし、まあ、やめておきましょう。

人には人の人生があるし、このHさん、立派と言えば立派なのかもしれません。


70社に履歴書を送り、13社が面接まで進み、今は、機械工具の会社に採用されているそうです。

うーん、67歳になってまで、44歳の息子の生活費まで稼ぎ出さねばならない状況というのは、おひとり様の僕には、想像を絶します。

で、僕はと言うとお気楽なアルバイト暮らしではありますが、世間では祝日の今日も、出勤日。

午後から、しっかりと稼いできます。

誰かのためにではなく、自分の生活のためにね。


幸不幸を分けるのは、わずかな差かもしれない

先週は、3日間の通し勤務のとき、自分の時間が全く取れずに、ただ、食べて寝るだけ、の生活でしたが、そのおかげで改めて気づいたことがあります。

それは、人の幸不幸は、わずかな差で決まるものだ、ということです。

これはもちろん、個人のキャパの問題もあり、個人差が甚だしいものではありますが。

で、僕は僕の人生を生きているのであり、僕の基準で言うと、半日勤務であれば幸福が維持されますが、一日勤務となると、危うくなる、ということです。

まあ、これまでのように、月に1度か2度くらいの一日通し勤務であれば、問題はありませんが、先週のように、連続すると、自分の時間が取れずに、ストレスとなり、それが続けば、体調を崩します。

これはもう、自明の理。

で、僕としては過酷な週を終えたときの週末休みの喜びはひとしおでした。

土曜日は疲れをとって、図書館に行き、ライフに買い物に行くくらいのことしかしませんでした。まあ、それで十分でしたね。

昨日の日曜日は、いくぶん体力もあまり出してきたので、さりとて遠出するほどまでの気力もなく、まずは隣の市の図書館に行き、そこの駐車場に車を停めて、返却期限の過ぎた図書を返したついでに、街を散策。

その後、図書館に戻り、本を借りてケーズデンキへ。

ちょうど単4の電池が切れていたのでそれを買うついでに、マッサージチェアで、40分ほど、体をほぐし(もちろん家電量販店のマッサージチェアですから無料でね)、その後、池のある公園へ。

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公園では、釣りをしている人をかなり見かけました。

また、この公園は散歩コースも整備されており、イヌを連れて歩いている人が大勢いました。


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同じ公園でも、別の角度から写真を撮ると、まるで遠くまで旅をした旅先でのそれのようにも見えます。

まあ、僕の住んでいるところは、適度な田舎なので、近くには公園や湖も複数あり、最近では、メッツァとかいうレジャーランドもできました。なんでも、ムーミン谷を再現したところのようです。

まあそういう人工的なところよりも、僕は川でカヌーをしたりとか、山歩きをしたりとか、のほうがいいかなあ。

で、話を元に戻すと、この公園のベンチに座って、マイタンブラーに入れた紅茶を飲みながら、チョコデニッシュを食べて、午後のティータイムを過ごしました。

そして、日曜の午後の穏やかな風景を眺めながら思ったことは、人の幸不幸を分けるのはわずかな差だなあ、ということでした。

たとえば、僕は今のアルバイト先で、先輩社員に何度か絡まれたことがありますが、そのときも、それを自分の心の毒にするか否かは、自分次第です。

アルバイトを始めて3か月、老害先輩社員に怒りをぶつけられたときの対応法

生きている以上、外部状況は絶えず変化しています。

つまり、相手の機嫌次第で絡まれることもあれば、相手の体調次第で、半日勤務が一日勤務になったりもします。そうしたことは、自分の埒外のことで、これはどうすることもできません。

しかし、その後、それをどうとらえ、消化するかは、自分次第です。

僕の場合、先週は、30代の上司に、どうしても外せない用があると言って、31日の木曜日だけは、昼で帰ることにしてもらいました。これで、自分の体調と精神の健康を守りました。

わずかな選択の差が、幸不幸を分け、長い目で見れば、それは人生全般にも影響を与えていきます。

自分の人生のハンドルは可能なかぎり自分で握る、僕は、そう思って生きています。


土曜日は15時間睡眠、日曜日の夕方から買い物というサイクル

多くのサラリーマンが週休二日だとは思うのですが、残業が半端ない人も多いか、と思います。

そうしたサラリーマンの場合、「
土曜日は15時間睡眠、日曜日の夕方から買い物というサイクル」になりがちなのではないか、と思うのですね。


一か月の残業が、100時間を超えると、普通の休日すら過ごせなくなる、という説があります。

うーん、何となく、わかりますね。

僕の場合は半日勤務の、土日休みですが、金曜の夜からの睡眠は、半端なく長い。

それだけ、疲れているのだとは思いますが、半日勤務でもそれですから、フルタイムで、しかも残業100時間越えとなれば、週末は寝るだけで終わるでしょうね。

いったい何のための人生なのか、と思わずにはいられませんが、そうした人生から、降りられないサラリーマンも多いのではないでしょうか。

今日は僕自身も疲れ気味なので、短い記事で失礼しました。



死は、前方から徐々に近づいてくるのではなく、背後からぽんと肩をたたかれ、不意に訪れるもの

今日のタイトルは、吉田兼好の言葉、「死は前よりもきたらず」「かねてうしろに迫れり」からの引用ですが、去年母を亡くしたときが、まさにこの言葉の通り。

だって、死の2か月前には、一緒に湯河原温泉に行っていたのですよ。

大好物のケンタッキーフライドチキンもバクバク食べていたし、体重も、70キロはあって、僕よりも重かったくらい。元気そのものでしたからね。

その母の母は、103歳まで生きていましたから、僕も楽勝で、94くらいまでは生きると思い込んでいました。

ところが、死は、突然やってきたわけです。

諸行は無常です。

煎じ詰めれば、人は、ただ生きて死ぬだけ、ただそれだけ、です。

そう考えると、ガクンと執着は小さくなります、僕の場合はね、人様はどうか知りませんが。

で、ただ生きて死ぬだけなのがわかっているのだから、この命なにをあくせく、と思うのですよ。

毎年、彼のもくろみを聞いているだけのような気もするが

同じ出来事でも、視点が変わると違った風に見えるというのはよくある話。

たとえば、韓国で大田万博があったのは、いつのことだったか、だいぶ前ですが、友人Oと2週間ほど、韓国を周遊したのですよ。

で、帰国後思い出話をしたら、見ている風景が全然違っていました。

お互いに、印象に残ったものが違うので、話がかみ合わないことしきり。

つまり、着目点が違うので、同じ行動をしても、その視野に映るものや印象が違うのですね。

で、今日の話は、新年の5日に我が家で行われた懇親会で、僕がそれを記事にしたのは6日のことですが、その参加者の一人が、彼のブログで、この同じ懇親会の模様を記事にしていました。

そして、それを昨日読んで、思わず笑い転げてしまいました。以下が、彼のブログ記事からの転載になります。


今日は朝10時から午後5時過ぎまで、高校時代から続いている、同人誌の仲間の懇親会だった。

 

独身者のお宅にお邪魔して、飲み物、食べ物を持ち寄ってただ、しゃべった。

 

近況報告もほどほどに会場提供者のパワフルな自分の余生の生活経済構想に聞き入った。

 

この御仁、しっかり者で株式投資をしたりして、確実に生き長らえる構想を持っている。

 

私の経済破綻を前提とした生活も否定はしない。

 

生活保護の人がパチンコ屋に入り浸っていても、その人が節約したお金でもって自分のやりたい事をしているのだから、良いではないかという持論の持ち主で、極めて合理的である。

 

他には1年先輩の定年上がりの方、同級生で、今は神奈川県在住の警備会社勤務の人と私の4人。

 

本来は幹事役の園芸会社経営者が、ここに居るはずだったのが、どういう訳か、東日本大震災後、被災地に通って復興支援をしている同級生が今日も東北に行っていることが判明してしまった。

Facebookで判明した。

 

この5人が同人誌もどき団体の中心メンバーである。

 

話を戻すと3人は車などで帰るので、酒は飲めない。

飲んでいるのは、場所提供者のパワーのある株主たる者だけで、酒が入っているので少々話がくどい。

 

まあ、一人だけ飲んでいることなど気にはしてないが、飲めない相手に一人だけ飲むようなことは、普通の友人関係なら、やらないことだろう。

 

そうなのだ、単なる友人関係とは微妙に違っている。

 

だから40年以上も続いているのかもしれない。

 

ともかく、7時間のほぼ80パーセントは家主たる株主者がしゃべった。

この人の人生計画といったら明確である。ギリギリのところでも、持ちこたえパワーがある。

 

毎年、彼のもくろみを聞いているだけのような気もするが、40年以上の付き合いになると、目新しい話題もなくなってくる。

なのに80パーセントをしゃべくりまわす彼には皆さん諦めているのかもしれないが、まあ面白いので、しゃべれる人にしゃべってもらおう、ぐらいの覚悟で毎年会っているのである。



以上が、彼のブログからの引用記事です。

いやあ、このように、忌憚なく記事にしてもらえると、自分という存在が客観視できて、おもしろい。

ちなみに彼は、1月6日の僕の記事の中に出てくるOY氏です。



ろくでもない兄弟姉妹なら、いないほうが良くね

昨日は、おひとり様のアドバンテージを含め、つらつらと書いてみましたが、僕にも弟がいましたが、彼は生まれてすぐに他界したので、実質上一人っ子として、育ちました。

一人っ子の良い点悪い点を、書き出すと長くなるので省略し、ただ、今はおひとり様である事実だけを受け止め、その条件の中で、最大限楽しく生きることを志向しているのですね。

で、思うのですが、ろくでもない兄弟や姉妹ならば、いないほうがいいのではないか、と思うのですよ。

兄弟だから仲良くしなければいけないとか、姉妹だから理解し合わねばならないとか、そんな道徳に縛られていたら、息苦しくなると思いますね。

だって、実際上、ろくでもない兄弟や、ろくなもんじゃない姉妹、というのはいると思うからです。

で、こっちが、アイツろくでもないと思っていれば、たいがい向こうも、こちらに対し、ろくでもないと思っているわけで、まあどっちにしろ、修行なわけです。

これは親子の関係にも言えて、酷いのは毒親ですが、そこまで行かなくても、父と息子、母と娘、というのは、たいがいいがみ合うものと相場は決まっております。

更にはこじれて、母と息子、父と娘、義父と嫁、義母と婿、などなど上げていけばきりがないのですが、そこに兄弟同士の葛藤や、離婚再婚による、さらなるもつれ、などなど、シンプルではないのですよ。

そこへ行くと、天涯孤独のおひとり様はいたってシンプル。

シンプル イズ ベスト。

僕は頭の構造が単純なので、複雑なのは苦手です。

シンプルであれば風通しが良く、澱むこともない。

精神は、いつもサラサラとしている。


血液と一緒で、精神もサラサラしていないと詰まってくるのですよ。

何に詰まるって、人生にですよ。

世の中には、人生に煮詰まった人が起こす犯罪や、迷惑行為が後を絶ちませんが、それは、自分の面倒を自分で見切れない輩がやらかすことなんです。

血液も精神も、サラサラといきまっしょい。

生活保護について、もう少し言わせてください

前回は、薬痴寺先輩にも登場していただいて、言及した生活保護ですが、確かに一般的なレベルの生活よりは少ない収入で暮らすことになります。

そのため、多くの人からは、あの程度のお金で暮らしてくのは大変だろうとの認識はされているでしょう。

しかし僕は、多くの現実と、また、生の肉声が吐露されている数多くのブログを徘徊して思うに、生活保護の生活扶助費よりも少ない、お金でやりくりしながら、そこから税金も払い、医療費も負担している事実を知っています。

僕自身も、今月は、住宅ローンを支払った残りの、生活費、6万円の中から、歯科治療費も捻出しています。

そういう意味では、僕も、生活保護以下の生活費で暮らしている一人かもしれません。

自分のことを棚に上げて物を言うつもりはありませんので、ここで、あえて自分のことにも触れました。


生活保護をもらっている人も、十把一絡げではないことも、容易に想像できます。

中には、本当に申し訳ない、と思いながら、肩身の狭い思いで受給している人もいるでしょう。そういう人に対しては、僕は何も言うつもりはありません。

そうではなく、前回の記事で言及したY氏のような人です。

若い頃の不摂生や無計画な支出、自身の放埓な生活が招いた末の生活保護で、さらにそれを感謝もせず、当たり前のように受け取って、その上不平不満までたれる輩のことを、薬痴寺先輩の言葉を借りて、評したのですね。


これは本当に、だんだん役者のようになっていくのですよ。

これは、役割演技というモノで、だんだんその役柄を演じるようになっていくのですね。

つまり、生活保護を受けているのだから、それらしく不景気な顔をして、同情を引かねばならない、というふうにです。

これは、本人にとっても幸せなことではないのですが、ぬるま湯につかっているような楽な部分はあるのですよ。そう言っておけば、何とかなる、からです。

一方、生活保護費よりも少ないお金で暮らしている人たちは、泣き言を言っても一歩も改善しないことを知っていますから、自助努力で生活を切り詰めたりして、国民の義務を果たしているのです。

このあたりのことを、つたない文章ではありますが、言いたかっただけなのです。


さらに、前回は言及できなかったことも、付け加えます。

それは、生活保護をめぐる周囲が、ビジネス化していることです。いわゆる、貧困ビジネスですね。

生活保護者を囲い込んで上前を撥ねるやり方ですが、これだと、生活保護者も自由がなく、囲い込まれた家畜状態です。

金の臭いのするところには敏感な闇社会の人たちが、手を出しやすい環境がそこにあることもまた、問題ではないでしょうか。

世の多くの人たちは、場合によっては、生保をもらっている人よりもきつい体調を引きずりながら、今日も仕事をしています。

僕自身も、先週は腰を痛めていましたが、アルバイトとは言え、仕事の分担責任がある以上休むということは考えませんでした。

通常の業務に加え、年末は廃棄物の量が増えます。それらの仕分けに忙殺される中、営業車の洗車も仕事に加わったため、水仕事が増え、両手の指先の幾つかはあかぎれ状態です。さらには歯科治療中の入れ歯の金具が当たって痛く、まあ、腰痛がメインでしたが、3つの痛みを抱えながらの作業でした。

僕などは、まだ半日仕事で大したことはありませんが(体力的に一日仕事は回避しています)、世の大半の人たちは、大変なストレスの中、仕事をし、生活をし、税金を払っています。

そうした生活者こそが、報われる社会であってほしいと、思っています。

生活保護のY氏に薬痴寺(やくちじ)先輩からも一言が

いやあ、生活がきつくてね、と、Y氏は言う。若い頃から仕事が長続きせず、厚生年金もどのくらい納めていたのか会社任せで記憶にない。どうやら、受給権利がないくらい少ない年数らしい。

金があるときは、競馬に競艇、パチンコパチスロ、あとは風俗。不摂生がたたり、病気がちになり、働けなくなって、生活保護に。

今度テレビを買い替えたいが、お金がなくてね(まあそのくらいの金はあるがそう言っておかないと世間がうるさいからな)。

大っぴらではないがたまには気晴らしにパチンコにも行き、タバコも吸う(パチンコしてるとこ見られたく無しい、タバコくらい吸わせてよ、医療費タダなんだし、いいじゃん)。

Y氏の仕事は、強いて言えば、不景気そうな顔をして、同情を誘うこと。つらい、苦しい、が口癖。

Y氏は、自炊は苦手。時間は有り余るほどあるが、自炊などめんどくさい。スーパーマーケットの寿司の弁当や、出来合いの総菜と発泡酒で、夕食を食べることが多い。食費がかさむが、自炊する気はなし。(それでもやっていけるんだからいいじゃん)

Y氏の昼はガストでランチ(たまにはステーキガストに行かせてよ)。

Y氏の支持政党は共産党。自民党は嫌い。

Y氏の政治家への希望。「弱者にやさしい世の中にしてほしい。生活保護費をこれ以上削らないでほしい」

Y氏の嫌いな言葉。「自己責任」「自助努力」


Y氏(65歳一人暮らし)の生活保護費の内訳。

住宅扶助 53700円。

生活扶助 79530円。

合計の生活費 133230円。


なお、今回、上記Y氏に対し、薬痴寺(やくちじ)先輩からも、コメントをいただいております。


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一方、身を粉にして働いて、きちんと40年間、国民年金を納めてきたUさん。

月額66008円の年金でつつましく暮らす。この低年金でも、医療費はタダではないため、タバコも吸わず、パチンコにも行かない。

食事はもちろん自炊。

外食は何年もしたことがない。

ボロやだが、持ち家であることが救い。

ただ、今後の修繕費が不安で、まだどこか節約できるところはないか思案中。

飼い猫が病気のため、自分の食費を削って獣医費用を捻出(来年度のペット保険を検討中)。


つぎは、零細企業を3社ほど渡り歩いてきたCさん。給料は少なかったが厚生年金の空白期間はほとんどない。ずいぶん払ってきたつもりだったが、年金の月の手取りは12万ほど。

老後、おひとり様は賃貸が借りづらいと聞いて、50歳のときに中古マンションをローンで購入。幸いローンの支払いは終えているが、年々上がる管理費と修繕積立金が、今や合計で月3万円に。

さらに追い打ちをかけるように、マンションの機械駐車場が耐用年数を迎え、入れ替えることに。老後生活の節約で車を手放したCさんも負担金を免れることはできず、大きなお金が出て行った。これには、老後の備えで毎月積み立てていた投資信託を解約して対応した。元本割れだが仕方がない。

Cさんの家計内訳

マンションの管理費と修繕積立金 30000円
65歳を過ぎてからかさむようになった医療費 20000円
マンションの固定資産税を含む税金関係の月割り10000円

残りの6万円が事実上の生活費だが、食費は自炊を基本にして20000円以下に抑えている。

現在の心配事は、持病を持っているがゆえにどうしても必要な月20000円の医療費が、今後増え続けるのではないかということ。


上記3例は、僕が今急遽こしらえた絵空事ですが、生活保護費の内訳は東京都独身高齢者の支給実態に基づいています

日本が弱者?にやさしく、真面目な生活者に厳しい国であることを、言いたかっただけなのですね。

ただ、誤解なきように言っておきますが、困っている人は堂々と生活保護費を受け取ってください。

特に子供のいる母子家庭なら余計、堂々ともらってください。子供は国の宝であり、子供を育てているだけで立派ですからね。

ただ、少数だとは思いますが、Y氏のような人もいると思います。若いころ遊び惚けて、将来の備えもせず、それで生活保護に逃げ込んで、真面目に年金を納めてきた人よりも有利な立場で暮らしている人ですね。

その矛盾について、ちょっと言いたかっただけなのです。


おい、くりすますいぶにするはなしじゃねえべ。

年金受給だけを目標にしていたKがついに力尽きる、節約疲れか

会社員生活が嫌で早期退職したK氏が、40代の若さで力尽きました。周囲からは、節約疲れではないか、との噂が。

K氏がリタイア生活中に唯一楽しみにしていたのは年金受給。

それまでの長い年月は、ひたすら預貯金の目減りを抑えた節約生活。

K氏によれば、働くことの苦しさに比べれば、節約など大したことはない、とのこと。

しかしそのK氏、年金受給前に力尽きました。

政府は、財政上の理由から、年金受給を70歳からとしていましたが、それを75歳に延長。

平均寿命も延びているため、90歳まで生きると仮定して、15年ほどならば、年金も支給できるとの判断によるものです。

K氏、残念だったのは、K氏の数か月前に生まれた人は、70歳からの支給だったことです。その数か月が、K氏の年金支給を5年先延ばしにしたのみならず、これまで我慢に我慢を重ねてきた節約暮らしの疲れが一気に噴き出し、K氏を床につけてしまったのです。



このK氏、僕の過去記事にも登場しますが、隣の市に住んでいる世捨て人です。

世捨て人に会いに行く

早期リタイア貧乏古家暮らしの課題は寒さ対策


Kの名誉のために言っておきますが、もちろん彼はまだ倒れてはいませんし、今後も倒れる予定はないでしょう。

ただ、相変わらずの貧乏暮らしは、文学青年崩れにありがちなものとはいえ、大変なようです。彼はアルバイトをしているようなので、のたれじぬことはないでしょう。


多くの人にとって、年金受給までは長い道のりになりました。

一方、生活保護者は、恵まれていますね。

それに関しては、次の記事で書いてみます。


人生は苦しみの連続だからこそ小さな楽しみを大切にしたい

人類の理性と知性の最高峰のひとりが仏陀釈尊であることに、異議を唱える人は少ないでしょう。

その最高の知性が、人生は苦なり、と喝破したのは2500年の昔。

2500年前のインドは衛生状態も悪く、今よりも過酷な環境だったので、それだけでも楽ではないことは想像しやすいのですが、今の生活が文明の恩恵で快適さを増していることを割り引いても、人生が苦であることは現代も変わりません。

生老病死の四苦が有名ですが、それ以外にも4つあり、併せて四苦八苦。

そのうちの一つ、愛別離苦を、僕も今年母を亡くして、痛感しました。

サラリーマンであれば、怨憎会苦は、ほぼ毎日でしょう。パワハラ上司、傲慢な顧客、言うことを聞かない部下。

で、家に帰れば安らぎがあるかと言えばそうでもなく、気持ちが通い合わない妻、反抗期の子供がいて、その妻子を養うために、会いたくもない会社での人間の顔を脳裏に浮かべ、それでも満員電車に揺られながら、痴漢冤罪の恐怖にも怯えながら通勤する毎日。


それ以外にも、求不得苦がありますね。こんなボロアパートにいたくない、壁も薄いし、夜も眠れない、その上寒さで暖房費もかさむ、でも、金がないから引っ越しもできない、マイホームなどは夢のまた夢、欲しいものが手に入らない苦しみ。

漫画家になりたいのになれない、あいつは一発でオーディションに受かっていい役をもらえたのに、俺はもう20回も落ち続けている俺のほうが才能があるのに、あんなにサービスしたのにちっとも店にきてくれない、やり逃げは許さないわよ、などなど、世の中の事象も他人様も、自分の思うようには動いてくれません。


今つらつらと挙げた事柄は苦しみのほんの一部で、僕であれば、今は腰痛で苦しんでいる最中です。

これは、生老病死の、病の苦しみに分類されるでしょうか。実際に腰が痛いと、二足歩行がすんなりとできなくなります。痛い腰をかばいながら歩きますからね。

ついでに言うと、僕は上の歯も下の歯も部分入れ歯で、最近部分入れ歯の金具が歯茎に当たっていたくて、痛みを感じながら食べています。


今アルバイトで働いている職場に行けば、老害先輩社員はいるし、正社員にも横柄な人がいたりします。

で、そなことをあげていけばきりがないので、僕はすべてを受け入れて生きることにしています。病気もオッケーだし、嫌な人間関係もオッケー。所有株の値下がりもオッケー。

全部受け入れて、明るく生きる。まあ、暗く生きてもいいんですけど、かつての僕のように。

ただねえ、人生は、他人様がおもしろくはしてくれないのですよ。

自分で自分の機嫌を取るしかないんです。

で、僕は、日々の生活の中に、ささやかな楽しみを見つけるようにしているんです。


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先月は午前勤務だったので、6時頃に家を出るのですが、通勤途上に小さな橋があり、朝もやがかかっていたので写真をパチリ。

束の間ではありますが、こんな朝もやの風景に感動を覚えることが、僕の言う小さな楽しみだったりします。

そんな小さな楽しみを搔き集めれば、この苦しみの人生も輝くのではないでしょうか。

仏教では、それを大河の中にある中州にたとえています。

まあ本来の仏教は、神様に頼ることなく自分で幸せになっていく哲学のようなもので、大乗仏教が出てきてから本来の教えはゆがめられてしまいました。

で、別に大乗仏教でも、その人がそれで楽になるのであればいいのです。

日本に伝わているのは、99%が大乗仏教ですから、まあ、偽経ですね。

偽経でも、僕は別に否定はしません。仏陀釈尊が絶対かと言えば、それもまあ怪しいからです。仏陀釈尊と言えども、人間には違いありませんから、完璧ではありません。

まあ、偽経を掲げる日蓮で救われようが、親鸞で救われようが、かまわないのです。その人に合った救いで良いのではないでしょうかね。

だから僕は、今は大川隆法を1ミリも信じてはいませんが、大川隆法の教えですくわれる人がいても構わないわけです。

まあ何はともあれ、自分で自分をハッピーにしていくしか道はないということを言いたかっただけなんですね。

弱い人間には弱い人間なりの生き方がある

僕は自分がつくづく、弱い人間であることを、20代の頃から自覚しているので、あまりできの良くない頭をそれなりに使って、どう生きれば楽になるのかを考え続けてきました。


20代から35くらいまでの地獄の日々を思えば、年を取ったとは言え、今のほうがはるかに幸せなのですが、傍から見れば、好き勝手に生きてきた僕は、自由で楽しそうに見えたかもしれません。

で、弱いのは昔も今も変わりません。

弱くて、いいのです。

柔弱謙下ですからね。

僕は、自分に対してものすごく甘い人間なので、他人に対してもなるべくやさしい人間でありたいと、思っています。

自分に甘くて、他人に厳しいのは、最悪ですからね。

せめてその、最悪の路線だけは避けたいというだけなのです。

世の中には自分に厳しくて、他人には寛容な人格者もいますが、そこは目指さなくてもよろしい。

で、今もつくづく、自分は弱いなあ、と感じています。

ですが一方、弱い人間は慎重になり、危険を避けることができやすい、という利点があります。

この能力を最大限に生かして、何とかこの後の人生を乗り切っていきたいと思っています。

今は腰痛で苦しんでいる最中ですが、この腰痛も、人生を生きるヒントにしたいと思っています。

たとえば、腰痛になって改めて、断捨離の功徳を感じました。

部屋がすっきりしているので、移動が楽です。

健康であれば大して気にもならないことでも、腰痛で歩きづらくなっていると、歩きやすい環境か否かは重要です。

今後、年を取っていくにしたがって、歩行も困難になっていきます。そのときに部屋が散らかっていたら、危険がいっぱいです。

今のような腰痛を抱えながら、以前の部屋のようであったなら、ストレスも大きかったに違いありません。散らかった部屋にいたら、心が休まりません。

腰痛を通して、改めて、断捨離の重要性と、住環境の大切さを感じました。

弱い人間は、その弱さを逆利用して生きていくしかありません。

つまり、弱さが、プラスに転じる生き方ですね。

弱さについては、以下の記事でも、取り上げています。

僕くらい、弱い人間はいない

弱くても、だいじょうぶです

弱くてもいいのだ、と、僕は自分の弱さを肯定しています。そのほうが、生きるのが楽だから。

なんせ僕のテーマは、この苦海のごとく苦しみの連続の人生をいかに楽に生きていくか、ですからね。


ゆるやかな劣化は、精神衛生上ありがたい

僕が体力の衰えを感じたのは56歳のとき。

ギアが一段階落ちるように、ガクンと衰えました。

仕事でもミスが目立つようになり、自分でも、これはやばいかも、と思いました。

まあ、自覚症状があったのは救いでした。

老朽ビジネスホテルの設備管理の仕事だったので、ボイラーや冷凍機、あるいは老朽化した配管なども扱うため、ひとたび事故でも起こせば、即営業停止です。

一度、僕のケアレスミスで、危うくボイラーの爆発事故になりかねない出来事もありました。

そのときのことは、今でもよく覚えていて、それ以降、何か重要なことをするときには、指をさして点検するようになりました。今でも、その行為は実践しています。

駅員さんが、ホームなどで、指をさして確認していますが、あれは大切な行為なのですね。

で、今も、僕は劣化の途上にあり、体力、気力が、相当落ちているので、それに比例して、欲望も少なくなっています。

欲望が少なくなるのは、楽になることでもあるので、ゆるやかな劣化は良いほうにも働くのですね。

それに対し、急速な劣化は、戸惑うと思います。

以前は簡単にできていたことがいきなりできなくなる、とか。

それまで自信満々だった人ほど、パニックになるかもしれません。

能力の劣化は、もう致し方なく、それは素直に受け入れて、同時に、新たに目覚め始めている別の能力のほうを、注目するほうが良いように思います。

別な能力というのは、内省力、とも言うべき静けさに耳を傾ける心です。

これが研ぎ澄まされてくると、孤独は畏怖すべき対象ではなく、親友になり得ます。

今日は曇天。

一昨日鑑賞した相原求一朗が描く絵のような空です。

この灰色の空を背景にした冬景色を味わいながら、内省的な時間を過ごすことは、至福以外の何物でもありません。

こういう日は、ジャズではなく、シューベルトの冬の旅がBGMには最適です。

心配性の人からは貧乏波動が出ている

僕は、他人様から見るとびっくりするほど預貯金額も少なく、株を所有していると言ってもわずかなもので、いわゆる弱小投資家なのですが、貧乏ではありません。

それはなぜか。

それは、僕からは貧乏波動が出ていないからです。

預貯金額だけを比べれば、僕よりもはるかに多く持っている人でも、貧乏波動を出している人がいたりします。

預貯金額というのは、豊かさを測る物差しの一つにすぎません。お金がいくらあっても、貧しい人は貧しいのです。

一方、大してお金もなく、資産も少なくても、豊かな人は豊かなのです、僕のように。

これはきわめて簡単な話で、この世の一切のものは、波動でできているからなんです。その波動で、豊かか貧しいかが決まるんですね。

まあ、幸せ、不幸せも、そうです。


僕は、幸せです。

この理由も簡単で、僕からは幸せの波動が出ているからなんです。

みんな頭が良すぎて、複雑に考えすぎるんです。その、無駄なことを考える頭で判断するから、騙されたりするんです、かつての僕のようにね。

無名の素朴なおばあさんが、凄い眼力を持っていたりするのは、いい意味で単純に生きているからなんです。このおばあさん、一発で、大川隆法の欺瞞性を見抜きましたからね。

下手に頭のいい人は、・・・まあ、やめておきましょう。


話を元に戻すと、心配性は損だよね、ということです。

良寛さんのように、素朴に生きていれば、困ることはありません。

女性のほうが、定年後の居場所で悩む人が少ない

大半の男が、定年で一線を退くと、むなしさを感じるらしいのですが、僕は少数派なのか、早く会社をやめたかったので、そのようなことはありませんでした。

定年前に介護離職をしたときも、抵抗なく辞められたのは、会社勤務への執着がなかったからだと思います。

だから、介護を不遇に思うこともありませんでした。ラッキー。

で、大半の男連中が、定年後の居場所がないらしいのですよ。お気の毒に。

それに対し女性はと言うと、定年後の居場所で悩む人はほとんどいないのだとか。

女性のほうが定年後の居場所で悩む人が少ない、ということは、この点では、男よりも女性のほうが成熟している傾向があるということでしょうね。

なんか男は、不器用ですねえ。

会社を辞めると肩書も剥奪されますからね。それにアイデンティティを依拠していた人間は、それだけでディスアドバンテージです。肩書なんて、ただの記号だということがわかっていないのですね。

その点、フリーター、ヒッキー、あるいは僕のような転職放浪者は、強いですよ。

もともと下に見られることになれているので、バカにされても阻害されても、立ち直るすべを心得ています。

他人や環境に頼らず、自分で上機嫌を回復することができるんです。

このアドバンテージは計り知れません。年を取るほど、効いてきます。

保険定期解約し、被害1億円超 、現在預金8円

日本消費経済新聞の特設ページに掲載されていたジャパンライフ被害者の悲痛な叫び。

61 歳の女性は、 4年前にジャパンライフと契約をし、 被害額は 86 歳の母親と合わせて1億円を超える。 製造業で 40 年間働いて得た退職金をすべてつぎ込んでしまった。

保険を見直す専門の社員がやってきて、 満期時に入ってくる保険料と比較した具体的な数字を示され、 保険も解約した。

郵便局や銀行の預金、 定期預金は、 マイナンバー制度で税金がかかると言われ、 根こそぎチェックさせられ、 解約した。

老後も老人ホームをあっせんしてもらえると言われ、 すべての資産をつぎ込んでしまった。

ジャパンライフからの入金が途絶え、 通帳には8円の残額しかなかった。 「ばかでした」。 年明けには死を考えた。今は時給 700 円のアルバイトを始めたが、 「この先、 どうやって生きて行けばいいのか」


気の毒すぎます。

有り金を調べ、根こそぎ持って行くところは、カルト宗教を連想させます。

ただ、今は最低時給も少しは上がっていると思うので、時給700円では安すぎですね。

いずれにせよ、大金を根こそぎ持って行かれた後の時給アルバイト暮らしは、本当につらいと思います。

特設ページに掲載されていた別のケースも紹介します。

 63 歳の女性は、 親や家族も含め 2000 万円を超える被害に遭ったが、 同社のカウンセラーとして月々数万円の報酬をもらって、 友人を勧誘してしまった。 1000 万円、 2000 万円、 700 万円と、 友人の被害額も高額だ。 カウンセラーで得た報酬はすべて新たな契約に回され、 手元にお金はない。

  「友人が老後に、 少しでもお金をためられればいいなと思った」 というが、 今となっては 「悪くて、 昔のような関係ではいられなくなった」 という。 友人も家族に相談できず、 1人で泣いていた。


  「大切な仲間だったのに、 引け目を感じる」 「死にたいと思った」 「ご飯ものどを通らない」 「下痢になって、 朝まで眠れない日が続いた」 「こんな年になって、 皆、 老後の資産をすべてなくしてしまった」 「会長は人間じゃない。 鬼だ」。 そう訴えた。



これも、つらい話です。お金だけでなく友人も失うという、まさにこれも、カルト宗教に洗脳されたケースと似ています。

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こうした事件を知るたびに、マネーリテラシーと言うか、眼力の大切さを痛感します。

斎藤一人さんの「眼力」を読んでいれば、簡単に見破れたのに、と思うと、僕も他人ごとではありません。

僕自身、カルト宗教に、お金と時間を奪われた人間ですからね。

自分を幸せにできるのは自分だけ

僕は長らく、他者依存の人生を歩んできました。

その端的な例が、宗教団体です。

生まれたときに、父が世界救世教という宗教の、そこそこ熱心な信者だったために、自然に神様を信じるようになりました。

しかし自我の芽生えとともに、自分なりの考えで真理というものを追求するようになり、複数の宗教団体を渡り歩きました。

そのへんの経緯はこのブログでも散々書いているのでここでは省略しますが、何が言いたいのかというと、人であれ、思想であれ、何らかの団体であれ、自分以外の他者が自分を幸せにすることはできない、ということなのです。

よく聴かれるつぶやきに、お金があれば幸せになれる、というのがありますが、まあ確かに瞬間風速的な救済や喜びはあるでしょうが、それは移ろうものです。

良い会社に入っていれば、良い大学を出ていれば、良い伴侶に出会っていれば、などなど、切りがないのですが、これらもすべて他者依存です。

他者依存の最大の悲劇のひとつが、カルト宗教で、これは、カルト教祖とその信者が、互いに依存しあっている関係ですね。

で、何が言いたいのかというと、自分以外に、自分自身を幸せにすることはできないということなのです。

こんな簡単な事実に気づくまでに、僕は50数年かかりました。

ただ、この気づきというのは、たんに本を読んで知識として知っている、というものとは違い、実体験から滲み出たものなので強いのです。

で、その気づきを得てからというもの、悩みは一切なくなりました。偉そうに聞こえるかもしれませんが、本当にそうなのです。

でも、課題は、あります。悩みではなくて、課題です。

僕にとっての悩みの定義は、生木を割かれるような精神状態のこと、です。これを直近で経験したのは、50歳から53歳までの3年間で、長年信仰をしていた幸福の科学という団体をやめるかどうか悶え苦しんでいたときですね。

それは、自分のアイデンティティを依拠している、謂わばレゾンデートルに関わる問題だったからです。

話は変わりますが、僕は、オウム信者の気持ちもある程度は理解できます。

で、また話を戻すと、解決の糸口さえ見えないほど混乱しているのが悩みなのですよ。

そう考えると、20代は悩みの連続でしたし、30から35までは、地獄の日々でした。

35あたりから、いくぶん楽に生きられるようにはなりましたが、その後、50にして壮絶な悩みを経験し、53歳までの3年間で、頭と心をフル回転させて苦しみ抜きました。

その経験のあと、父の介護が始まり、介護離職を経験し、経済的な問題も克服し(これは現在進行形で克服中)、今年は母を亡くし、今に至っています。

つまり、課題はいくつかあるのですが、それは悩みではありません。なぜならば、何をどう対処すればいいかがわかっているからです。

たとえば、お金がないなら働けばいい、のです。仕事がなかなか見つからないならば、自分の要求するハードルを下げればいい、つまり、仕事を選ばずに働く、ことが解決策になります。

メタボならば、運動すればいいし食事を工夫すればいいわけです。

部屋が散らかっているならば、断捨離してスッキリすればいい、のです。

つまり、解決する方法がわかっているものは、悩みではありません。それは課題であり、やるかやらないか、の話です。

その課題に対して、やるのも自分なら、やらないのも自分です。悩みではなく、課題であるとわかれば、それにどう取り組むかは自分次第、ということになります。

僕は自分の課題を知り、それに対し前向きに取り組んでいるので、毎日幸せに生きています。それは、自分次第で幸せに生きられることを皮膚感覚で知っているからでもあります。

だから職場で先輩に怒鳴り飛ばされたときも、それで自分が不幸になることもありません。それは、課題に対する対処法を知っているからです。

アルバイトを始めて3か月、老害先輩社員に怒りをぶつけられたときの対応法

幸不幸のキャスティングボートを、他人に握らせてはいけません。

自分自身の人生のハンドルは、自分が握っていなければいけません。

僕が今日も幸せなのは、自分の人生のハンドルを自分自身が握っているからです。

子供がいなくて良かったこともたくさんある

おひとり様に朗報です。

というほどのことではないのですが、おひとり様で、結婚もせず、子供がいない場合、あるいは、結婚はしても子供ができなかった場合、あるいは、離婚していま一人の場合、などなど、人生いろいろおひとり様もいろいろなのですが、子供がいなくてラッキーなことも、けっこうあるのですよ。

というのはですね、僕の職場でも、60過ぎて働いている人の中には、結構な割合で、すでに成人した子供に金を使っていたりします。

まあ、子供もいろいろで、親孝行ないい子もいれば、カードローンを借りまくって親に尻拭いをさせるとか、働かずに親の金を頼る、とか、まあいろいろいるのですよ。

つまり、家族の中に金喰い虫がいると、いくら稼いでも追っつかないし、下手に資産を持っていたらそれをあてにされたりもします。

これでは、老後の資金計画も立てられません。

ところが、子供のいないおひとり様は、さらに言えば、他に家族のいない、僕のような天涯孤独のおひとり様は、自己管理さえできれば、計算が立ちます。

勿論、おひとり様には、保証人の問題などもあり、大変な部分もありますが。


天涯孤独おひとり様の保証人問題

で、おひとり様の場合は、おひとり様の不利な部分を見て落ち込むよりも、アドバンテージに目を向けて明るく生きたほうが、精神衛生上もいいし、体にも優しいのです。

と、言うことで、今日も僕は元気です。


台風が近づいているので自転車を家の中に

台風が近づいていて、関東圏を通過するのは、深夜になる模様。

台風は、目の東側が風が強いので、雨よりも、風のほうが心配です。

我が家の狭い庭には自転車が一台置いてあります。

その自転車を、家の中に。

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一階の廊下に避難させました。

まあ、それは良いのですが、心配なのは、前の家。

前の家は大きな家で、少し距離はありますが、前のほうが高くなっているのですよ。そこは、貸農園になっているのですが、いろんなものが置いてあります。

それらが飛んでくる恐れがありますが、農園を借りている者たちは、それらを片付ける気配がありません。

それと、前の家の、屋根には、ソーラーパネルが乗せてあるのですが、伊勢湾台風以来の強力な台風だと、あのソーラーパネルが、メンコがひっくり返されるようにして風に引きはがされて、こちらに飛んでくるのではないかという恐れもあります。

まだ何も起こっていないので、今、こちらからどうこうせよとは言えないのですが、台風の恐ろしさを知っている僕としては、心配ではあります。

まあしかし、他人の持ち物をどうこうできませんから、まずは自分ができることをするだけです。

レバニラ炒めにゴキブリが入っていた

うーん、この記事は書こうか書くまいか、迷ったのですが、書いてみます。

昨日、軽のバンがパンクしたことを書きました。まあ、それは、仕事内での話なのですが、アルバイトを終えて、床屋に行ったのです。

そしてその床屋の並びにある、中華料理屋に入ったのです。そして、そこのレバニラ炒めセットというものを頼んだのです。

それなりにチェーン店のある店なので、名前の公表は避けますが、食べている途中で、レバニラ炒めの、レバーについている焦げ目を取ろうとして、箸でつまんだら、その黒いモノは、なんと虫でした。

より、ありていに言えば、ゴキブリの子供です。

で、そのことを店の人に言うかどうか、数秒躊躇しました。

しかし、言ったほうがいいだろうと判断し、あのう、虫が入っていますけど、と言いました。ゴキブリと言わなかったのは、他にもお客さんが食事していたからです。

すぐに女店員が来て、虫を確認し、料理を作った若者を呼び、彼もそれを確認して、すぐに新しいものを作り直すと言いました。

もうご飯も残り少なくなっているし、別にいいのに、と思っていたのですが、2分ほどで、新たなレバニラ炒めが運ばれてきて、ご飯も、小ライスを持って来てくれました。

30代の頃、高田馬場のラーメン店で、タンメンにかなりの数のゴキブリが入っていたことがあります。勿論、小さい奴ですが、そのときは、5,6匹を、箸でつまみだして、店の人には何も言わずに出てきました。

それを思いだしました。

今回、店の人に言ったのは、事実は伝えたほうがいい、と思ったからです。

ゴキブリは、大きくなると、姿かたちがおぞましくもありますが、小さいうちは、それほどでもありません。料理に混ざっていても、まあ、毒にはならないでしょうしね。

今回の一件で、結構知らずに、ゴキブリに限らず、小さな虫を、食べている可能性があることを改めて感じました。

僕はたまたま、焦げ目を取ろうとして箸でつまんだら虫だったわけで、食べずに済んだのですが、まあ、食べても病気にはならないでしょうが、火を通してあるのでね、でも、気色はよくありません。

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とにかく虫は、それも、特にゴキブリは、いろいろなところに紛れ込む習性があるので、注意が必要です。

高齢者の寂しさは家族の中の孤立のほうが大きい

おひとり様は孤独だと思われがちなのですが、果たしてそうなのでしょうか。

個として、生きている事実は変わらないものの、その人が寂しいと感じているか否かは、その人の内面の問題なので、他人がうかがい知ることはできません。

たとえば、僕はかつてよく一人旅をしていましたが、バイキングの食事会場で、家族連れの子供の一人から指をさされたことがあります。

「あ、あの人、一人」とね。

子供に悪気はあるわけはなく、単純に気づいたことを声にしただけでしたが、その親はバツの悪そうな顔をして子供をたしなめていました。

僕はおかしくなって笑っていましたが、もしこれが、普段から強く孤独を感じている人であれば、この一件だけで落ち込んだとしても不思議ではありません。

同じ水を飲んで牛は乳を作り、蛇は毒を作る、と言います。

同じ体験をしても、受け取り方や感じ方はさまざまなのです。

さて、高齢者の寂しさはおひとり様よりも家族の中での孤立のほうが大きい、と改めて思ったのは、ある人生相談を読んだからなのです。

その女性は、息子夫婦と暮らしているのですが、息子夫婦から疎外されているそうなのです。外出も外食も自分だけ外され、話もしてもらえない、とのことでした。

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でも将来自分がさらに高齢になったときのことを考えて、不満も言わずに我慢しているそうです。

僕は、常々、ひとり者の孤独などたかが知れている、と思っています。

本当の孤独は、家族の中の孤独であり、集団の中の孤独です。とりわけ、家族の中の孤独はきついであろうことが想像できます。

家族の中にいることがきつければ、家族から離れる選択肢があってもいい。ただ、そのためにも、まず、個として、独立していなければなりません。

精神的にも、経済的にも、です。

人生の晩年に必要なのは、お金よりも精神的自由

僕は50歳までの人生で、お金をあまりにも粗雑に扱ってきました。そのツケが今、出ているわけで、世間一般の同年代よりも持ち金は少ないのです。

猛省すると同時にカルト宗教も退会し、お金を大切に扱うようになっていきました。大事に扱うようになってから、お金も少しずつですが僕になつくようになりました。

お金は、確かにこの人生を過不足なく乗り切るためには必要不可欠なものです。

しかし同時に、あまりにも多くの人々が、お金信仰に陥っていることも事実です。信仰する相手が神ではなく、お金なのです。それでも、かつての僕よりはかなり賢い。僕はと言えば、神を騙る男に、大金を貢いでいたのですからね。

多くのカルト宗教の信者がそうであるように、実はお布施、あるいは献金、と言ったものは、それはそれで快感があるものなのですよ。手放してすっきりする感覚です。この辺りは、断捨離に似ているかもしれません。

で、いつもお金がない、貯金ゼロが当たり前で、いい年まで来てしまい、少しずつ経済の勉強なども始め、今に至っているわけですが、お金があまりなくても生きられることを知っているし、耐性が付いているので、根本において、お金に対しては楽観的になれるのです。

決して貧乏を肯定しているわけではないのですが、老後に必要なお金は3000万とか1億などという話を聞くと、違和感が甚だしいのです。

ここでちょっと逆説的な話をします。

お金は、持ちすぎると苦しみを生みます。

減らしたくない、という執着の苦しみ。

お金信仰に陥っていると、例えば旅行に行って楽しいはずなのに、それはお金が減るという苦しみを伴うので、心から楽しめなかったりします。これなどは、お金信仰信者の特徴ですね。

さて、いくらお金を持っていても、死というゴールは確実にやってきます。
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そのときに、心安らかに死ねるのは、実はあまりお金を持っていない人だったりします。

これは、容易に想像がつくのではないでしょうか。ありすぎるお金が執着となって余計な苦しみを生みます。紀州のドンファンも、仲の悪い兄弟に一円たりとも渡すまいと、執着したらしいです。

何が言いたいのかというと、人は死というゴールが決まっており、その死すら、いつ訪れるかわからないので、あまりお金を貯めても意味がないというか、むしろ苦しみの原因にすらなりかねないということなのです。

しかし同時に、この砂漠のような世をひと様に迷惑をかけずに生き抜いて行く程度のお金は持っていなければいけません。それと、多少は人生を楽しむ程度の余裕があるくらいのお金を持っていればなお良いでしょう。

お金に関しては、その程度の執着でとどめておいたほうが良いように思っています。

ただ僕の場合は、あまりにもお金に頓着しない生活を送りすぎていたために、自戒の意味を込めて、お金に関する話を結構書いていますが、多くの賢い人には釈迦に説法でしょうから、聞き流してもらえれば幸いです。

僕自身、お金への配慮はほどほどにして、精神的自由を謳歌する生活へと意識を切り替えていきたいと思っています。

先天性労働者の嘆き

僕のアルバイト先に、この10月で70歳になる人がいます。

会社の規約で、70歳になると強制定年。

その人と話をしていたときに、その人がふと、寂しそうな顔をしたのが忘れられません。

その人は、お金は十分あるようです。でも、アルバイトをやめることが、寂しいようなのですね。

何となく、わかるようなわからないような。

つまり、生活には困っていないのですよ。だから、経済的には、働く必要はないのですよ。

だけど、働くことで、一定の居場所をその人は得ているんだと、僕なりに解釈したわけです。

勿論、僕の解釈が正しい保証はどこにもありません。

ただね、人は、お金に困っているときは、それでいっぱいいっぱいなんです。

で、お金に余裕ができたら、幸せかというと、そうでもないらしい。

金がないと生きることでいっぱい、金があると寂しさでいっぱい

僕が介護離職するまで働いていた会社の社長夫人は、お金は腐るほどあったけど、あまり幸せそうでもなかったな、と。なんか、充実感のないような、生きている実感のないような顔をしていました。

貧乏人は生きることに必死で、哲学的な悩みを抱えている余裕はないんです。だから、逆説的ではありますが、ある意味、充実感はあるのかな、と。

その70歳になる同僚は、先天性労働者なのかもしれません。
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         スターリンの肖像


先天性労働者
とでも言うべきその先輩は、退職後はニヒリズムと向き合うのかもしれません。

大切なのは、可処分所得より可処分時間

今はゆるーく働いている身で言わせてもらうとすれば、「可処分所得より可処分時間のほうが重要じゃね」ということになります。

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お金がいっぱいあったと仮定しますね。

マジで、あまり欲しいものがないのですよ。

もうすでに家はあるし(住宅ローンを支払い中ですが)、車はあるし(日産マーチという車です)、日々、ちゃんと食べているし、他に何が必要なのでしょうかね。

レジャー費?

図書館に行けば本が自由に借りられて、さらに広域制度というのがあり、隣の3つの市からも、僕は本を借りられます。

新刊がでれば、リクエストも可能です。

今年になって買った本は、3冊くらいしかないんじゃないかな。これは、過去の僕からしたら激少ないのですよ。

繰り返し読みたい本だけ買えばよいのですよ。

とすると、他に何が欲しいのかって、考えると、あとは旅行に行きたいくらいですが、母が生きているときにずいぶん行っているので、近場ではほとんど行きたいところもないかなと。

欲しいものがないとあまり消費しませんね。さて、ここが大事。消費しないで済んでいるのは、ストレスがあまりないからなのです。

ところがストレスがあるとそうはいきませんよ。

仕事をすると、ストレスで金使いが荒くなる

そこなのですよ。

僕が今、あまり欲しいものがないのは、ストレスがないからなのです。ストレスがないと、満たされているので、欲しいものがない。

欲しいものがないと、あまり消費せずに済む。

その必然として、あまり消費しないと、お金がかかりませんね。

お金があまりかからないと、そんなにムキになって働くこともありませんね。

その結果として、ゆるーく働いて、低収入でも生きていけると、こういうことになっています。

で、大切なのは、可処分所得より可処分時間なのですよ。

タイムイズマネーということわざがありますが、タイムイズライフなのですよ。

つまり、時間こそが人生なのです。その大切な時間を、嫌な仕事厭な上司厭な人間関係で、黒く塗りつぶしてはいけないんです。

仕事とはさらりと薄く関わって、あとは好きに生きるための自由時間を確保する、これがよろしいかと。

で、完全リタイアも、確かにうらやましくも思いますが、ゆるい労働のセミリタイアも、適度な気分転換があって、むしろ今では、こちらのほうがいいかなと思っています。

平日は、必ず一度は仕事で家を出ますからね。全く働いていなかったときは、何日も家の中にこもっていたこともありますが、それはそれで、ストレスになる場合もあります。

やはり、バランスが大事なのではないかと思います。

というわけで、低収入のゆるい仕事こそ、僕にとっては、可処分時間を確保できる良い仕事なのです。

人生は、苦しいのが基本

人が生きるということは、楽ではありません。

人の幸不幸が、その多くを外部環境に依存している以上、それは避けては通れない問題です。

つまり、人生は苦しいのです。それが、当たり前なのです。

まず、最初に遭遇する外部環境、それは大半の人の場合、親でしょう。良い親に恵まれれば、まずは幸福ですが、毒親だったらどうでしょう。

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あるいは、生まれてすぐに捨てられる人もいます。親ではない他者に育てられる人もいますね。

その他者が、良い人であれば良いのですが、そうでない場合もあります。

人が生まれて、まず最初に出会う人間、関わる人間によって、大きく人生は変わってしまいます。

また、生まれた家や環境が裕福であるか貧乏であるかなどの経済の問題、あるいは、生まれつき病気があったりという人もいます。

そうした、経済や健康といったものも、人の幸不幸に大きく関わってきます。

人は、一人では生きられない以上、他者、もしくは外部環境に依存せざるを得ず、その依存相手や依存の度合いによって、ずいぶん幸不幸がわかれます。

さて、僕自身、母の死後は天涯孤独となり、今は、アルバイトで生計を立てていますが、50代後半での、初めての仕事は、覚えるのに時間と労力と気疲れを、要します。

それは、やはり、苦、ですね。

母の介護をしていたときは、年金収入が自動的に入ってきましたが、今は、自分の労働だけが基本となる収入源です。

つらいから、いやだから、と言ってやめてしまったら、即、生活に困ります。

つまり僕の場合で言えば、アルバイト収入に依存した生活を送っているわけです。勿論、どうしても続けられなければやめるという選択肢もあるだけ、独り身は楽な部分もあるのですが、その場合は、さらに切り詰めた生活を余儀なくされます。

今の仕事で大変だなと思う部分は、廃棄物の仕分け作業ですね。今日はいくぶん涼しいですが、一昨日あたりまでの暑さは半端ではありませんでした。

今日は昼からの仕事なので、こうしてブログも書いていますが、何とかこの夏を乗り切って、仕事にも慣れていきたいと思っています。


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