介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

在宅介護生活

今は、親を介護していたときとは別の意味で緊張した生活をしている

会社を離職する前に数年、そして離職後に数年、が、僕の介護生活でしたが、その時の緊張は、今も覚えています。

一人っ子は、自分が倒れたら、親の介護は、できなくなります。

その、緊張感、がありました。

また、お金を稼がねば、という気持ちもありましたね。

さらに僕の場合は、住んでいたマンションの売却と、実家に戻ってからの自宅の建て直しという課題があり、立ち止まっている時間はありませんでした。

当時のことを考えると、高速で物事が、展開していった感があります。

さて、今は、その両親も他界し、自分一人の生活。

もう、親を介護し、見取る、という責任はありませんが、今度は、自分一人が生き抜く算段。

これは、これで、別の緊張感が、実はあります。

親兄弟妻も子もいない天涯孤独者は、まずは保証人の問題が付いて回ります。

誰も頼れないので、自立心は一層強くなります。

ボケてなどいられない、と思うのです。

この緊張感があればこそ、アルバイト先で嫌なことがあっても、乗り越えられているのだと思っています。

そのような緊張感がなければ、自分は、楽なほうへと流れていきたがる人間なので。

で、この緊張感が、良いほうに働いていると、思えるのですね。

これも、人生計画なのかな、と。

さて、昨日は、母が生きていた頃によく一緒にランチを食べた寿司屋で昼食。

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一番乗りだったので、あらじるの身のあるところをお椀に、入れることができました。

ランチは、あら汁飲み放題なので、2杯いただきましたよ。

今週は、外食が、これで3回目、かな。

そのあと、町の図書館に行き、堀江貴文の本を借りて、そのまま、アルバイトへ。

昨日は、雨の中の作業でしたが、一昨日ほどは暑くなくて、助かりました。


ダブル介護をしていた頃に、はなはだ迷惑だった営業の電話

3年数か月前に、父の介護で会社を辞めたとき、母も膝が弱っており、介助が必要でした。

ダブル介護というほどではありませんが、介護と介助の生活。

で、おひとり様の僕が、介護と介助をしていたわけですが、そのようなときに、はなはだ迷惑だったのが営業の電話でした。

これは主に、固定電話のほうにかかってくるのですが、ケアマネジャーや看護師からの電話もあり、電話のたびに、いろいろな作業を中断して応対したのですが、それが、長々とした営業の電話だったりすると、ええかげんにせんかい、という気持ちにもなりました。

多かったのが、インターネット接続関係の営業。

回りくどい話をしながら、結局は営業。


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何でこんなことを想いだしたのかと言うと、先日、似たような電話がかかってきたからです。

今、NURO光というのを契約しているのですが、それを、マノマにしろ、との内容でした。

まあ、今は、介護をしているわけでもないので、そうした電話も迷惑にはなりませんが、当時は、本当に迷惑以外の何物でもありませんでした。

たとえば、痰の吸引をしている最中の電話でも、もしかしたら、ケアマネや看護師からの大事な要件かもしれないので、介護作業を中断してでも出るのですよ。

その電話で、営業の話をされたら、怒りもわいてくるというモノです。


インターネット関係の電話営業が圧倒的に多く、それ以外では、家のリフォームとかの電話営業などでしたね。


介護をやり切ったあとは、自分が生き抜く算段を

僕の在宅介護生活は、足掛け6年ほどでした。

父が85歳のときに発病し、89歳で亡くなるまでの4年間と、その後、2年間の母の介助。

母は今年亡くなったので、振り返ると、2012年から始まった介護は2018年に終わったことになります。

この間、自宅マンションの売却、実家に戻っての大量の片づけ、その後実家を建て直すための借家住まい、そして建て直した実家に戻っての介護生活。

その間、父は2度、入退院をしました。

母のほうは、死ぬ直前の一か月弱の入院で他界。

介護をしているときは、あまり自分の将来と言うか、老後のことは考えませんでしたが、いざ介護を終えてみると、今度は、自分が生きる算段をしなければなりません。

父と母が生きているうちは、年金収入というものが生活費を賄っていました。

二人が亡くなると、まだ年金をもらえる年齢には達していない僕は、当然のことながら働かねば生きてはいけません。ましてや家のローンもあります。

通常、健全な財政では、定年退職までに住宅ローンを完済することが必要です。

しかし僕の場合は、親の介護のために実家を建て替えたのが54歳だったために、そこで組んだ15年の住宅ローンは、69歳まで続きます。

この住宅ローンを払いつつ、自分自身の食い扶持を得なければ、路頭に迷うことになります。

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路頭に迷うとは、住宅ローンが払えずに家を取られ、さらに職もなく、食べるに事欠く生活です。

そうなったら、最後の手段は生活保護ですが、そうならずに済んでいるのは、母の死後、ほどなくして、職を得ることができたからです。

アルバイトをしてまだ3か月ほどなのですが、だいたい10万から12万円くらいのレンジでの月収になりそうです。

9月分の月収は、僕の別ブログで公開しています。

9月分の給与明細を公開します

今は自分が生き抜くことで精いっぱいですが、経済的には厳しい分、精神的には少しずつ強くなっている気がしています。

母の49日法要を終えて

今日、7月1日、母の49日法要を終え、お墓への納骨を済ませました。

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母方の親戚の甥と姪、計4名が来てくれました。

その墓には、二年前に亡くなった父と、僕の実母、そして、生まれてすぐになくなった僕の弟のお骨があります。

今回、母のお骨を入れたので、計4つ骨壺が並びました。

いずれは、僕もそこに入れたらいいのですが、後継者のいないおひとり様ゆえ、どうなるかは未定です。

何はともあれ、納骨を終え、一区切りがつきました。

また、新たなる一歩です。


バイトで疲労困憊し面会に行けなかった昨日を反省

あっという間に過ぎた一日の終わりに、やっと今、こうしてパソコンを開き、ブログに文章をつづることができます。

NHKのクラシック音楽館を聴きながら、書いています。昔は、N響アワーとか、言っていましたね。ロックもジャズもボサノバも沖縄民謡も好きだけど、クラシックも好きなのですよ。

それはそうと、今の現状報告。

まず、一昨日の金曜日の夕方、母と、僕は、担当医の先生から、現状を聞きました。

「まだ確定ではないが、なかなかに厳しい状況」だそうで、今後は、5月1日に予定している、MRIの検査を待つことになりました。

母の血管は、点滴のための注射針が入りにくいようで、両腕がはれ上がっていました。

もう点滴はやめて、口から栄養を取りながら、様子を見ることになりました。

それと並行して、シャワーなども浴びられるようにするそうです。

これは母が、家に帰りたいと言いだし、その理由をよくよく聞いてみると、何日も風呂に入っていないのが耐えられないとのことで、それならば、ということで、病院でシャワーを浴びさせてもらうことになりました。


基本、僕は毎日病院には行っているのですが、昨日は、アルバイトでかなり消耗し、暑さのせいもあるのですが、帰宅後、寝込んでしまい、寝て起きたら、もう面会時間は過ぎていて、行くことができませんでした。

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勿論今日は行ったのですが、どうして来なかったのだ、と、母から言われました。

事情を説明してわかってもらい、明日は、入浴のための、リンス入りシャンプーとボディソープ、その他、いくつかのものを持って行きます。

昨日面会に行けていれば、今日、持って行くことができたのですが、その点は反省しています。



汚れたパンツを持ち帰って洗濯しました

4月16日に母が入院して今日で、5日になります。毎日病院には行っていますが、行くたびに、母の表情の変化には気をつけるようにしています。

昨日は、CT検査がありました。

その前日である4月18日には、母の病室のサイドテーブルに、同意書が2通置いてあり、それに、サインしました。

そして昨日、病室に行ったときには、すでにCT検査は終わっていて、同意書は、1通が、残されていました。

朝、たくさんの薬を飲まされて、検査を受けたのだと言っていました。母は太っていて暑がりなので、それが心配でしたが、案の定、暑くてたまらない、という不満をしばらく聞きました。

そして今朝、病院から電話があり、扇風機を持ってきてほしいと言っているということを聞き、僕のほうでもそのつもりだったので、今日は、まずは、面会開始の、13時きっかりに、紙パンツをはじめとした必要品と扇風機をもって病室に行きました。


僕が病室に着くとすぐに、母はトイレに行きたいと言いだし、トイレに行ったのですが、だいぶ汚してしまったようです。

前回あまりにも汚し過ぎたパンツは廃棄してもらったのですが、今回は、汚れたパンツをビニール袋に入れて持ち帰りました。

母は、通常、普段からパンツは2枚はきます。小さなパンツの上に、デカパンをはきます。おそ松くんに出てきた、あのデカパンがはいているような、パンツです。

家に帰ってから、一度風呂場で、汚物を洗い落とし、その後洗濯機で洗いました。

今日はまた、夕方から、先生が話があるとのことで、病院に行きます。今はその束の間の時間で、このブログを書いています。

明日のバイトの準備もあり、また、今週と来週は、年に一度回ってくる、町内会の、ごみ置き場の清掃当番なので、先ほど、清掃をしてきました。

まだいろいろ、他にも書きたいことがあるのですが、バイトの準備やその他の用事もあるため、今日はこの辺にしておきます。

明日は6時過ぎからバイトに行き、帰ってくるのは14時ごろの予定で、母の見舞いに行けるのは、そのあとになるかと思います。

母の入院生活を支える日々

3月20日ごろから体調を崩していた母が、入院したのは、もう3日前になります。

3日前のその日、埼玉医大の産婦人科に行き、検査結果を知りました。子宮頸がんの疑いがあるとのことで、その日のうちに紹介状を書いてもらい、国際医療センターへ。

その日は、慌ただしい1日でした。

国際医療センターの産婦人科での検査を終えたのは、夕方で、最初は入院を抵抗していた母でしたが、女医先生の説得もあり、その日に入院し、翌朝まで点滴を受けました。

僕は家に帰って、必要な荷物をまとめたり、入院に際しての書類書き、などをしました。

父のときに一度経験しているので、入院がどういうものかはだいたいわかってはいます。

しかし、やはり、書類作成は、僕の得意とするところではありません。

また、書類を書いていて思ったのは、まだまだ日本は、保証人社会であり、天涯孤独の人は、どうなるのだろう、ということも、考えさせられました。

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昨日も面会に行きましたが、今日も、午後から面会に行く予定です。

アルバイトも始めたばかりであり、両立ができることを望んでいますが、どうなるのかは、まだわかりません。

いずれにせよ、今日できることを今日やる、それしか、ありませんね。

最近トイレを汚すことが多くなった母

母はもともと便秘症で、2,3日便がでない日も普通にあったようですが、最近は、トイレに行くたびに汚すことが多くなりました。

以前からも、そういった傾向はありましたが、3月後半から体調を崩してからは、寝込む日々が増え、食も細くなり、食べないからますますでないと言っていました。

そして先日、何とか風呂に入れる程度に体調が良くなったときに、風呂に入ったそうです。

そのときに、おなかが温まったせいか、急に便意を催し、急いでトイレに駆け込んだのですが、そのときに、だいぶ汚してしまったと、自分でも自覚していました。

母は、頭のほうはしっかりしているので、それだけでも、僕としては、助かっています。

トイレの汚れなどは、そうじすれば済むことです。

今朝も、便座周りについていた汚れをふき取っていたときに、母がトイレに行きたいと起き出してきました。

便器を汚している自覚はあるようなので、それだけでも、僕としてはありがたい話なのです。

これが、ボケていて、その自覚もなかったり、訳の分からないことを言っているのだとしたら、大変困ります。

体が衰えるのは、誰しものことで、それは問題ではありません。

僕にしても、徐々に衰えていき、死んで行くのですからね。

父を自宅で在宅介護で見送り、今は母の介助をしている僕ですが、二人が、老いというものを僕に見せてくれているのだと、思います。

老いを、間近で見られることは、大いなる勉強でもあります。


昨日はアルバイトに行ってきましたが、このところ、母の介助の記事ばかりで、なかなかそれ以外のことに言及することができないでいます。

アルバイトのことについても、いずれ書いてみようと思っています。

母の晩年に向き合い、自分の老後生活に思いを馳せる

このところめっきり食欲がなくなった母なのですが、今日は、食べたいもののリクエストがあったので、ライフまで買い出しに行ってきました。

バナナとカステラとリンゴジュースと鮭とはちみつ梅干しが、そのリクエストでした。それに加えてぬか漬けのキュウリともやしを買いました。

僕自身も、花粉症で体調は万全ではなく、アルバイトを始めたため、生活も少し変化し、それ以外は、母を見守りながら介助するという、静かな日々です。

静かな日々は嫌いではありませんが、父を自宅で看取った僕は、今は母の晩年に向き合いながら、自身の老後生活にも、思いを馳せています。


母の救急外来付き添いと僕のアルバイト初日

3月から体調のすぐれなかった母ですが、昨日の夜は、特に苦しかったようです。

ようです、と言うのは、僕は昨日がアルバイトの初日で、疲れて寝ていたためです。

今日、どうにも苦しいので、ということで、僕がいくら勧めても、断っていた検査を、やっと受ける気になってくれました。

しかし、今日は日曜日。

ケアマネに電話してもつながらず、何度か試みて、昼頃に話ができたので、ケアマネのアドバイスも受けて、母を連れて救急外来に行ってきました。

少し待たされましたが、CTを撮って、子宮筋腫がどうのこうのという話になり、明日、産婦人科に行くことになりました。

やっと原因がわかって、僕も少しホッとしました。

まあ、明日の病院は、明日考えるとして、今日はまず、一息つきました。


今日見てくれた先生が、緊急性はないと言ってくれたことが、安心材料になりました。


さて、僕のほうも、アルバイトが決まり、昨日が初日でしたが、これについては、後日、書きたいと思います。


何分にも、母の健康と言うか、母の世話が優先ですからね。

今月の母のデイケアは全休になりそうです

毎週月曜日は、母のデイケアの日なのですが、今週の月曜日は、体調不良で休みました。

どうも、今月は、デイケアには行きたくないようです。

そして、母の希望で、気功整体に急遽連れて行きました。

高坂の気功整体は毎週金曜日なのですが、今週は、週2回となりました。

食欲がなく、腹が張る、ということで、まずは医者に連れて行き、薬などをもらってきて、寝込む日々が続いています。

父は、要介護度が5だったのですが、はじめは、2から始まりました。

今のところ、母は、要介護ではありません。要支援、ということのようです。

しかし寝たきり状態なのです。

食が細くなり、お粥とそうめんぐらいしか食べられません。

でも、自分のこと、お風呂とかトイレは、自分で行けるので、要介護というほどではないのかもしれませんね。

僕自身も花粉症で体調が思わしくなり、今はひたすら、静かな時間を過ごしています。

60代の子が90代の親の介護をするケースに移行しそうです

50代の子供が、80代の親の介護をしているケースは多いように思います。

あるいはまた、40代の子が、介護離職して70代の親の介護をしているケースもあるでしょう。


それ以外では、60代の子が、90代の親の介護をするとかですね。

僕は50代後半。

母は80代後半。

なので、このままいくと、60代の子が90代の親の介護をするケースに移行しそうです。


先日はテレビで、70代の子が、100歳代の親の介護をしているのを見ました。

これなどはもう、親の介護とは言え、老々介護と言ってもいいケースかもしれません。

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