介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

在宅介護生活

加齢というのは実に残酷なもの



僕は介護離職し、

父を自宅で看取ったのですが、

その中で学んだことがあります。 


それは、

加齢というのは、

実に残酷なものだということ。


元気で畑仕事をしていた父が、

家の前が貸農園になっていて、

それが良い気晴らしでもあったのでしょう。


それが、85歳のときに、

急に足が浮腫みだして、

そこからは入院後、

あれよあれよという間に、

衰えていきました。


読書家だった父が、

どんなに良い本を薦めても、

読もうとしなくなり、

読書するにも体力と、

気力が必要なのだと、

知りました。


僕自身も、

60を過ぎてから、

いろいろなところで衰えを感じており、

今年の5月1日に、

救急搬送された経験ののちは、

何をするにも、

かなり臆病になってはいます。


天涯孤独のおひとり様は、

自分だけが頼り。


だからこそ、

何にせよ、

用心に、

越したことはありません。

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加齢は、

確かに残酷だけど、

前を見て、



歩きます。






介護離職者親子の貯蓄を取り崩しながらの生活



これは、まさに僕の親戚の、

子供部屋おじさんにも言えることなのですが、

親の介護が必要になって離職した場合、

その生活の原資は、親の年金。


あるいはまた、親子で、

それぞれの貯金を取り崩しながらの生活。


この生活の不安が尽きないのは、

寿命がわからないから。


この先何年、

こんな生活が続くのか、

という精神的な疲れと、 

生活費が尽きるのではないか、

という金銭的な不安。


以下は、ネット記事からの一部抜粋。


仮に75歳以上の親の介護で離職となると、年齢は50代でしょうか。厚生労働省によると、日本のサラリーマンの平均年収は推定546万円。50代前半で671万円とピークに達します。そんな年収を捨て、親の介護に専念するわけです。一方貯蓄はというと、50代で1,775万円(総務省『家計調査 貯蓄・負債編』より)。ただこれは平均値であり、他調査では600万~700万円程度が中央値とされています。 親の年金だけで子どもの生活費まで賄うのは難しいでしょうから、親子の貯蓄を取り崩しながら、二人三脚で生活していく……それが介護離職者親子のよくあるパターンです。そんな現実に、前述の調査では「仕事を辞めた後の自身の変化」を尋ねています。それによると「負担が増した(「非常に負担が増した」と「負担が増した」の合計)」の回答が、精神面と肉体面で過半数、経済面では7割近くにも達しています。 公益財団法人生命保険文化センターの調査によると、過去3年間に介護経験があるひとが経験した介護期間は、平均4年7ヵ月。なかには介護生活が10年以上にも及ぶ場合もあります。その間、肉体的にも精神的にも経済的にも、大きな負担を背負わなければならないわけです。


うーん、僕も、親戚の子供部屋おじさんを見ていて、

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かなり精神的に追い詰められているのを感じています。


ときどき、介護の手伝いをしたり、

愚痴を聞いてあげることぐらいしか、

僕にはできませんが、

何とか耐え忍びながらも、

その中で、

小さな喜びを見つけてほしいと、

思っています。




介護が長引くと貯蓄がゼロになることもあり得る



僕の場合は、父の在宅介護も長くはなく、

また、その2年後に亡くなった母も、

入院後すぐだったため、

介護が長引くことによる弊害はなかったのですが、

世の中には、3000万円もの貯蓄がありながらも、

介護離職後に使い果たしてしまうケースもあるようです。


以下は、その一例で、

幻冬舎オンラインからの抜粋。


「介護離職」で生活が破綻…3,000万円の貯蓄がゼロに



うーん、 800万円の年収が300万円台に。

そして、預貯金は底をついている、と。

独身者の一人介護の1例ですが、

人生いろいろ、介護もいろいろ。

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僕の親戚の子供部屋おじさんも、

今は、介護の日々。

ときどき、手伝いに行っていますが、

いろいろあるようです。




親の介護が終わった後に自分の老後資金不足に気づく悲劇



台風が近づいているというので、

昨日は、

今日の分も前倒しで検針業務をしたため、

ほぼ一日仕事となりました。


それなのに今は、

何か空が明るく、

まあ、嵐の前の静けさ、

なのかもしれません。


さて、今日は、介護の話。

僕の場合も、介護離職でしたが、

介護の後に、

気がついたら自分の老後資金がだいぶ少なくなっていた、

ということもあります。


今日は、そんなケースをネットで見たので紹介します。


問題は両親が亡くなった後に気づきます。介護していた兄弟姉妹の老後資金不足です。あるケースでは、両親が亡くなった時には、その娘も60代以降になっており、老後資金に困窮したという事例もありました。介護のため離職して以降、長年働いていなかった人が、その年になって急に働くのは困難極まりありません。

なかには、兄弟姉妹のことが原因で配偶者からクレームが発生し、夫婦問題に発展することも。できたら、両親が健在のうちによく話し合っておく方がよいでしょう。親が遺言書を残してくれれば理想ですし、せめてその兄弟姉妹の老後資金を準備対策しておいてもらわないと、大変なことになります。

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うーん、 僕自身の親の介護は、すでに終わっていますが、

今、親戚の介護の手伝いをしていて思うのは、

子供部屋おじさんの増加と、一人介護。


僕もそうでしたが、

配偶者のいない中年男が一人で介護を担うと、

煮詰まる場合も、あります。


僕の介護は、50代で終わりましたが、

世の中には、老々介護もあります。


親の介護も大切ですが、

親亡き後、

自分も年老いてくるわけで、

そのときに、

老後資金が不足していたら、

困るのは、

自分
です。


その辺のことも勘案しながら、

同時に、

後悔のない介護ができるのが、



一番いいですね。



ケアマネと再会しました


昨日は外に買い物に行く途中、思い立って湖に行きました。

僕の町には、二つの湖がありますが、昨日行ったのは小さいほうのもの。

湖の手前にある駐車場に車を止めた時に、ダッシュボードの埃を見つけたので、拭き取ろうと、トイレの水でタオルを濡らして拭いていたのですよ。

そして、タオルを洗おうと、トイレのほうを見たら、何やら見覚えのある人が。

もしかしたら、と思って声をかけたら、父の在宅介護の際にお世話になったケアマネでした。

彼は、4年前の当時二十代でしたが、もう子供もいました。

今はもう、30代になっているでしょうね。

会津の出身で、仕事のできる人でした。

その彼が、缶コーヒーを飲みながら煙草を吸っていたのです。

声をかけ、お互いのことなどはなし、短い時間でしたが、思い出話などで盛り上がりました。

息抜きの休憩場所として、ここにはよく来るのですよ、などと言っていました。

その彼と別れ、僕も、湖へと足を運びました。

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うーん、 結構な数の釣り人がいました。


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このベンチで、しばしの休憩。

もう、風は、秋の風、でしたねえ。

そのうちに、壮年の夫婦がやってきて、その夫婦と、思いがけず長い時間、話し込むことになりました。

特に、旦那のほうとは、1時間以上話していたかもしれません。

これから病院に行く途中、時間つぶしに立ち寄ったのだ、と、言っていました。

壮年夫婦と別れてから、湖をのんびり一周し、それから、買い出しのために、ライフに行きました。

ライフでは、今年6つ目のスイカを買いました。

お盆時期は高くて手が出せなかったスイカですが、買い求めやすい価格に落ち着いていました。

ついでに梨も買ったのですが、果物を見ていると、季節の移り変わりを感じます。



仕事を辞め、食べる術を失ってしまった自分はどうなってしまうのだろう


僕が、介護離職してホテル勤務を辞めたのが56歳のとき。

今日、配信されたネットニュースで、まさに僕と似た状況の50代の男性の記事を読みました。

以下が、その内容。

 柏原佳一さん(仮名・55歳)は「両親の介護のせいで、人生がすべて狂いました」と、うつむいたまま吐き出しました。  閑静な住宅街の一角に建つ、周囲と比べて大きなレンガ造りの家。ガレージには外国製の高級車。裕福な家庭であったであろうことが見て取れます。しかし「家計は、火の車なんですよ」と佳一さん。彼に、一体何が起こったのでしょうか。 「6年前に父が、4年前に母が、ともに認知症を患い、介護をせざるを得なくなったんです。父1人の時は母と2人で介護をしたので、私自身は仕事を辞めず出張や残業を減らして対応しました。しかし、母が倒れてからはそうもいかなくなり、仕方なく仕事を辞めることになったんです」  仕事を辞めた現在、もちろん収入はゼロ。大手企業で働いてきた父親の年金と、これまでの貯蓄で何とかやりくりをしているといいます。しかし、自分自身が好きで就いた仕事を辞めてしまった後悔が毎日のように襲ってくるのだとか。 「正直、仕事は辞めたくなかったです。でも、父は要介護認定1で、母は要支援2。こんな状態じゃ、特別養護老人ホームにはとてもじゃないけど入れません。民間の介護施設も考えましたが、両親の年金と私の稼ぎをすべて足して、どうにかこうにか2人を入居させられるレベル。そうなると私の生活が立ち行かなくなるし、家の維持費なども払えなくなるので入居させられませんでした」

 佳一さんには姉が1人いますが、「嫁いだ身だから、お金も支援もできない」と、実親のことにもかかわらず実家にも近寄らないそう。 「私自身も、もっと早くに家を出ていれば、もっと早くに結婚していれば……」  時に、いろいろな考えがよぎってしまうといいます。
今後両親が亡くなった際、仕事を辞め、食べる術を失ってしまった自分はどうなってしまうのだろう? 自分自身はいくら年金がもらえるのだろう? 結婚もせず独身の自分がボケた際、誰にも迷惑をかけずに死ぬことすらできないかもしれない……。佳一さんは、そんな不安に苛まれ、夜もゆっくり休むことができずにいるといいます。

 しかし、佳一さんの悩みは金銭的な不安だけではありません。現在、大きな悩みの種になっているのは、転んで腰を傷めたことがある母親のことでした。 「すでに完治して動くことができるはずなのに、ベッドの上に寝たきりになり『身動きを取ることができない』と言い張っています。そのため、何か用事があると私を呼び出すのですが、枕元に用意してあるステッキを使って、壁やタンスをバンバン叩くんです」  名前を呼んでくれれば聞こえるから「ステッキで叩くのはやめてくれ」と、母親に対して何度もお願いしているといいますが、認知症のせいもあって叩くのをやめてくれません。一度ステッキを母親のベッドから離してみたそうですが、狂ったように騒ぎ出してしまい、取り上げるのは断念したことも。 「深夜であろうと、早朝であろうと、母は何か少しでも不満があると、ステッキをガツンガツンと家具にぶつけ、私を呼ぶんです。もう、あの音が怖くて怖くて……」  朝起きてすぐに朝食を作り、2階と1階、別々で寝ている両親の部屋を回って食事をさせることから、佳一さんの1日が始まります。

「入浴は週に数回、ケアセンターへ行っています。しかし、その日以外は2人を着替えさせ、昼食を作り、食べさせ、掃除をし、夕食の準備をし……と、丸々1日が介護に費やされてしまっています。私1人の時間が取れないこともつらさを倍増させている気がしますね」  佳一さんは趣味だったゴルフにも、この5年間1度も行けておらず、テレビをゆっくり見たり、理容室に行くのでさえも半年に1度がやっとだといいます。 「両親を放って逃げ出したい。どこか遠くに行きたい。何なら、今すぐにでも自分が死んでしまえたらどんなに楽だろうと、そう思うこともあります。でも、ここまで育ててもらった恩もあり、どんなにつらくても見捨てられないのが現状です」  佳一さんは自分なりに誠心誠意、頑張って介護をしていますが「気配りが足りない」と母親からは面倒を見る度に罵倒され、追い詰められている様子。単身者介護は孤立しやすいと言われており、佳一さんもそういった状態に陥っているようです。


うーん、 お姉さんはいるようですが、事実上は一人介護状態。

僕との大きな違いは、仕事を辞めたくなかったこと。

僕はちょうど仕事に疲弊していて、辞めたいタイミングでの介護でしたから、すんなり介護の日常に入っていけました。

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また、就業中も、それなりの介護はしていましたから、慣れというのもありました。

外国製の高級車を持ち、ゴルフもしていたというから、ある程度贅沢な暮らしをしていたのでしょうね。

そういう人が、生活レベルが落ちるのは、苦しいのかもしれません。

僕の場合は、介護離職した後も、生活レベルはあまり変わりませんでした。

親と一緒にいられる時間を出来る限り楽しもう、としか、思っていませんでした。

介護のおかげで、会社を辞めるいい口実ができてラッキーぐらいに思っていましたから、同じ50代での介護離職でも、人それぞれなのだな、と、思った次第です。


今は、親を介護していたときとは別の意味で緊張した生活をしている

会社を離職する前に数年、そして離職後に数年、が、僕の介護生活でしたが、その時の緊張は、今も覚えています。

一人っ子は、自分が倒れたら、親の介護は、できなくなります。

その、緊張感、がありました。

また、お金を稼がねば、という気持ちもありましたね。

さらに僕の場合は、住んでいたマンションの売却と、実家に戻ってからの自宅の建て直しという課題があり、立ち止まっている時間はありませんでした。

当時のことを考えると、高速で物事が、展開していった感があります。

さて、今は、その両親も他界し、自分一人の生活。

もう、親を介護し、見取る、という責任はありませんが、今度は、自分一人が生き抜く算段。

これは、これで、別の緊張感が、実はあります。

親兄弟妻も子もいない天涯孤独者は、まずは保証人の問題が付いて回ります。

誰も頼れないので、自立心は一層強くなります。

ボケてなどいられない、と思うのです。

この緊張感があればこそ、アルバイト先で嫌なことがあっても、乗り越えられているのだと思っています。

そのような緊張感がなければ、自分は、楽なほうへと流れていきたがる人間なので。

で、この緊張感が、良いほうに働いていると、思えるのですね。

これも、人生計画なのかな、と。

さて、昨日は、母が生きていた頃によく一緒にランチを食べた寿司屋で昼食。

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一番乗りだったので、あらじるの身のあるところをお椀に、入れることができました。

ランチは、あら汁飲み放題なので、2杯いただきましたよ。

今週は、外食が、これで3回目、かな。

そのあと、町の図書館に行き、堀江貴文の本を借りて、そのまま、アルバイトへ。

昨日は、雨の中の作業でしたが、一昨日ほどは暑くなくて、助かりました。


ダブル介護をしていた頃に、はなはだ迷惑だった営業の電話

3年数か月前に、父の介護で会社を辞めたとき、母も膝が弱っており、介助が必要でした。

ダブル介護というほどではありませんが、介護と介助の生活。

で、おひとり様の僕が、介護と介助をしていたわけですが、そのようなときに、はなはだ迷惑だったのが営業の電話でした。

これは主に、固定電話のほうにかかってくるのですが、ケアマネジャーや看護師からの電話もあり、電話のたびに、いろいろな作業を中断して応対したのですが、それが、長々とした営業の電話だったりすると、ええかげんにせんかい、という気持ちにもなりました。

多かったのが、インターネット接続関係の営業。

回りくどい話をしながら、結局は営業。


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何でこんなことを想いだしたのかと言うと、先日、似たような電話がかかってきたからです。

今、NURO光というのを契約しているのですが、それを、マノマにしろ、との内容でした。

まあ、今は、介護をしているわけでもないので、そうした電話も迷惑にはなりませんが、当時は、本当に迷惑以外の何物でもありませんでした。

たとえば、痰の吸引をしている最中の電話でも、もしかしたら、ケアマネや看護師からの大事な要件かもしれないので、介護作業を中断してでも出るのですよ。

その電話で、営業の話をされたら、怒りもわいてくるというモノです。


インターネット関係の電話営業が圧倒的に多く、それ以外では、家のリフォームとかの電話営業などでしたね。


介護をやり切ったあとは、自分が生き抜く算段を

僕の在宅介護生活は、足掛け6年ほどでした。

父が85歳のときに発病し、89歳で亡くなるまでの4年間と、その後、2年間の母の介助。

母は今年亡くなったので、振り返ると、2012年から始まった介護は2018年に終わったことになります。

この間、自宅マンションの売却、実家に戻っての大量の片づけ、その後実家を建て直すための借家住まい、そして建て直した実家に戻っての介護生活。

その間、父は2度、入退院をしました。

母のほうは、死ぬ直前の一か月弱の入院で他界。

介護をしているときは、あまり自分の将来と言うか、老後のことは考えませんでしたが、いざ介護を終えてみると、今度は、自分が生きる算段をしなければなりません。

父と母が生きているうちは、年金収入というものが生活費を賄っていました。

二人が亡くなると、まだ年金をもらえる年齢には達していない僕は、当然のことながら働かねば生きてはいけません。ましてや家のローンもあります。

通常、健全な財政では、定年退職までに住宅ローンを完済することが必要です。

しかし僕の場合は、親の介護のために実家を建て替えたのが54歳だったために、そこで組んだ15年の住宅ローンは、69歳まで続きます。

この住宅ローンを払いつつ、自分自身の食い扶持を得なければ、路頭に迷うことになります。

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路頭に迷うとは、住宅ローンが払えずに家を取られ、さらに職もなく、食べるに事欠く生活です。

そうなったら、最後の手段は生活保護ですが、そうならずに済んでいるのは、母の死後、ほどなくして、職を得ることができたからです。

アルバイトをしてまだ3か月ほどなのですが、だいたい10万から12万円くらいのレンジでの月収になりそうです。

9月分の月収は、僕の別ブログで公開しています。

9月分の給与明細を公開します

今は自分が生き抜くことで精いっぱいですが、経済的には厳しい分、精神的には少しずつ強くなっている気がしています。

母の49日法要を終えて

今日、7月1日、母の49日法要を終え、お墓への納骨を済ませました。

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母方の親戚の甥と姪、計4名が来てくれました。

その墓には、二年前に亡くなった父と、僕の実母、そして、生まれてすぐになくなった僕の弟のお骨があります。

今回、母のお骨を入れたので、計4つ骨壺が並びました。

いずれは、僕もそこに入れたらいいのですが、後継者のいないおひとり様ゆえ、どうなるかは未定です。

何はともあれ、納骨を終え、一区切りがつきました。

また、新たなる一歩です。


バイトで疲労困憊し面会に行けなかった昨日を反省

あっという間に過ぎた一日の終わりに、やっと今、こうしてパソコンを開き、ブログに文章をつづることができます。

NHKのクラシック音楽館を聴きながら、書いています。昔は、N響アワーとか、言っていましたね。ロックもジャズもボサノバも沖縄民謡も好きだけど、クラシックも好きなのですよ。

それはそうと、今の現状報告。

まず、一昨日の金曜日の夕方、母と、僕は、担当医の先生から、現状を聞きました。

「まだ確定ではないが、なかなかに厳しい状況」だそうで、今後は、5月1日に予定している、MRIの検査を待つことになりました。

母の血管は、点滴のための注射針が入りにくいようで、両腕がはれ上がっていました。

もう点滴はやめて、口から栄養を取りながら、様子を見ることになりました。

それと並行して、シャワーなども浴びられるようにするそうです。

これは母が、家に帰りたいと言いだし、その理由をよくよく聞いてみると、何日も風呂に入っていないのが耐えられないとのことで、それならば、ということで、病院でシャワーを浴びさせてもらうことになりました。


基本、僕は毎日病院には行っているのですが、昨日は、アルバイトでかなり消耗し、暑さのせいもあるのですが、帰宅後、寝込んでしまい、寝て起きたら、もう面会時間は過ぎていて、行くことができませんでした。

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勿論今日は行ったのですが、どうして来なかったのだ、と、母から言われました。

事情を説明してわかってもらい、明日は、入浴のための、リンス入りシャンプーとボディソープ、その他、いくつかのものを持って行きます。

昨日面会に行けていれば、今日、持って行くことができたのですが、その点は反省しています。



汚れたパンツを持ち帰って洗濯しました

4月16日に母が入院して今日で、5日になります。毎日病院には行っていますが、行くたびに、母の表情の変化には気をつけるようにしています。

昨日は、CT検査がありました。

その前日である4月18日には、母の病室のサイドテーブルに、同意書が2通置いてあり、それに、サインしました。

そして昨日、病室に行ったときには、すでにCT検査は終わっていて、同意書は、1通が、残されていました。

朝、たくさんの薬を飲まされて、検査を受けたのだと言っていました。母は太っていて暑がりなので、それが心配でしたが、案の定、暑くてたまらない、という不満をしばらく聞きました。

そして今朝、病院から電話があり、扇風機を持ってきてほしいと言っているということを聞き、僕のほうでもそのつもりだったので、今日は、まずは、面会開始の、13時きっかりに、紙パンツをはじめとした必要品と扇風機をもって病室に行きました。


僕が病室に着くとすぐに、母はトイレに行きたいと言いだし、トイレに行ったのですが、だいぶ汚してしまったようです。

前回あまりにも汚し過ぎたパンツは廃棄してもらったのですが、今回は、汚れたパンツをビニール袋に入れて持ち帰りました。

母は、通常、普段からパンツは2枚はきます。小さなパンツの上に、デカパンをはきます。おそ松くんに出てきた、あのデカパンがはいているような、パンツです。

家に帰ってから、一度風呂場で、汚物を洗い落とし、その後洗濯機で洗いました。

今日はまた、夕方から、先生が話があるとのことで、病院に行きます。今はその束の間の時間で、このブログを書いています。

明日のバイトの準備もあり、また、今週と来週は、年に一度回ってくる、町内会の、ごみ置き場の清掃当番なので、先ほど、清掃をしてきました。

まだいろいろ、他にも書きたいことがあるのですが、バイトの準備やその他の用事もあるため、今日はこの辺にしておきます。

明日は6時過ぎからバイトに行き、帰ってくるのは14時ごろの予定で、母の見舞いに行けるのは、そのあとになるかと思います。

母の入院生活を支える日々

3月20日ごろから体調を崩していた母が、入院したのは、もう3日前になります。

3日前のその日、埼玉医大の産婦人科に行き、検査結果を知りました。子宮頸がんの疑いがあるとのことで、その日のうちに紹介状を書いてもらい、国際医療センターへ。

その日は、慌ただしい1日でした。

国際医療センターの産婦人科での検査を終えたのは、夕方で、最初は入院を抵抗していた母でしたが、女医先生の説得もあり、その日に入院し、翌朝まで点滴を受けました。

僕は家に帰って、必要な荷物をまとめたり、入院に際しての書類書き、などをしました。

父のときに一度経験しているので、入院がどういうものかはだいたいわかってはいます。

しかし、やはり、書類作成は、僕の得意とするところではありません。

また、書類を書いていて思ったのは、まだまだ日本は、保証人社会であり、天涯孤独の人は、どうなるのだろう、ということも、考えさせられました。

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昨日も面会に行きましたが、今日も、午後から面会に行く予定です。

アルバイトも始めたばかりであり、両立ができることを望んでいますが、どうなるのかは、まだわかりません。

いずれにせよ、今日できることを今日やる、それしか、ありませんね。

最近トイレを汚すことが多くなった母

母はもともと便秘症で、2,3日便がでない日も普通にあったようですが、最近は、トイレに行くたびに汚すことが多くなりました。

以前からも、そういった傾向はありましたが、3月後半から体調を崩してからは、寝込む日々が増え、食も細くなり、食べないからますますでないと言っていました。

そして先日、何とか風呂に入れる程度に体調が良くなったときに、風呂に入ったそうです。

そのときに、おなかが温まったせいか、急に便意を催し、急いでトイレに駆け込んだのですが、そのときに、だいぶ汚してしまったと、自分でも自覚していました。

母は、頭のほうはしっかりしているので、それだけでも、僕としては、助かっています。

トイレの汚れなどは、そうじすれば済むことです。

今朝も、便座周りについていた汚れをふき取っていたときに、母がトイレに行きたいと起き出してきました。

便器を汚している自覚はあるようなので、それだけでも、僕としてはありがたい話なのです。

これが、ボケていて、その自覚もなかったり、訳の分からないことを言っているのだとしたら、大変困ります。

体が衰えるのは、誰しものことで、それは問題ではありません。

僕にしても、徐々に衰えていき、死んで行くのですからね。

父を自宅で在宅介護で見送り、今は母の介助をしている僕ですが、二人が、老いというものを僕に見せてくれているのだと、思います。

老いを、間近で見られることは、大いなる勉強でもあります。


昨日はアルバイトに行ってきましたが、このところ、母の介助の記事ばかりで、なかなかそれ以外のことに言及することができないでいます。

アルバイトのことについても、いずれ書いてみようと思っています。

母の晩年に向き合い、自分の老後生活に思いを馳せる

このところめっきり食欲がなくなった母なのですが、今日は、食べたいもののリクエストがあったので、ライフまで買い出しに行ってきました。

バナナとカステラとリンゴジュースと鮭とはちみつ梅干しが、そのリクエストでした。それに加えてぬか漬けのキュウリともやしを買いました。

僕自身も、花粉症で体調は万全ではなく、アルバイトを始めたため、生活も少し変化し、それ以外は、母を見守りながら介助するという、静かな日々です。

静かな日々は嫌いではありませんが、父を自宅で看取った僕は、今は母の晩年に向き合いながら、自身の老後生活にも、思いを馳せています。


母の救急外来付き添いと僕のアルバイト初日

3月から体調のすぐれなかった母ですが、昨日の夜は、特に苦しかったようです。

ようです、と言うのは、僕は昨日がアルバイトの初日で、疲れて寝ていたためです。

今日、どうにも苦しいので、ということで、僕がいくら勧めても、断っていた検査を、やっと受ける気になってくれました。

しかし、今日は日曜日。

ケアマネに電話してもつながらず、何度か試みて、昼頃に話ができたので、ケアマネのアドバイスも受けて、母を連れて救急外来に行ってきました。

少し待たされましたが、CTを撮って、子宮筋腫がどうのこうのという話になり、明日、産婦人科に行くことになりました。

やっと原因がわかって、僕も少しホッとしました。

まあ、明日の病院は、明日考えるとして、今日はまず、一息つきました。


今日見てくれた先生が、緊急性はないと言ってくれたことが、安心材料になりました。


さて、僕のほうも、アルバイトが決まり、昨日が初日でしたが、これについては、後日、書きたいと思います。


何分にも、母の健康と言うか、母の世話が優先ですからね。

今月の母のデイケアは全休になりそうです

毎週月曜日は、母のデイケアの日なのですが、今週の月曜日は、体調不良で休みました。

どうも、今月は、デイケアには行きたくないようです。

そして、母の希望で、気功整体に急遽連れて行きました。

高坂の気功整体は毎週金曜日なのですが、今週は、週2回となりました。

食欲がなく、腹が張る、ということで、まずは医者に連れて行き、薬などをもらってきて、寝込む日々が続いています。

父は、要介護度が5だったのですが、はじめは、2から始まりました。

今のところ、母は、要介護ではありません。要支援、ということのようです。

しかし寝たきり状態なのです。

食が細くなり、お粥とそうめんぐらいしか食べられません。

でも、自分のこと、お風呂とかトイレは、自分で行けるので、要介護というほどではないのかもしれませんね。

僕自身も花粉症で体調が思わしくなり、今はひたすら、静かな時間を過ごしています。

60代の子が90代の親の介護をするケースに移行しそうです

50代の子供が、80代の親の介護をしているケースは多いように思います。

あるいはまた、40代の子が、介護離職して70代の親の介護をしているケースもあるでしょう。


それ以外では、60代の子が、90代の親の介護をするとかですね。

僕は50代後半。

母は80代後半。

なので、このままいくと、60代の子が90代の親の介護をするケースに移行しそうです。


先日はテレビで、70代の子が、100歳代の親の介護をしているのを見ました。

これなどはもう、親の介護とは言え、老々介護と言ってもいいケースかもしれません。

最近、寝込むことが多くなった母

僕が北海道旅行に行っている間に、母の体調が悪くなり、食欲が落ちたようで、最近、寝てばかりいます。

僕が北海道に行っていたのは、先週の19日から22日の間。

帰宅した22日の夜、居間のソファベッドに横になっていた母は、食欲がないのだと言っていました。

一日置いた、24日は、いつもどおり高坂の気功整体に連れて行きましたが、昼食は食べずに帰宅。

そして、週が変わった今週の月曜日は、週に一度のデイケアを休んで、僕が医者に連れて行きました。これはかかりつけの医者で、通常は、送りだけして、帰りは、町営バスに乗って帰ってくるのですが、この時は、帰りも僕が迎えに行きました。

昨日も、一日中寝ていて、まだ、食欲がないようです。


80代の母は、これまで大きな病気もなく、やってこれました。父と再婚した当初は、背中が詰まって苦しいとか、体がコチコチだとか言っていましたが、少しずつ、そうしたところもよくなっていったようです。


今は、毎週月曜日がデイケアで、火木土の、三日間は、午前中に、整骨の資格のある先生が、20分間のマッサージのために訪問してくれています。

そして、毎週金曜日が、気功整体なので、ほぼ毎日のように、何らかの体のケアをしています。

デイケアのあとは疲れるようです

今日は母のデイケアの日で、朝8時半ごろに、車でお迎えが来ました。

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そして、帰ってくるのはお昼ごろです。

僕にとっては、この月曜日の午前中こそが、家事を集中的にできる日です。

まあ、家事と言っても、料理は毎日僕が作っているので、月曜日の午前中に集中して行うのは、もっぱら掃除ということになります。

母の居室である一階の居間と台所が、主な掃除場所です。

今日はこれを1時間以内に終わらせることができました。

まあ、台所が、冬の間は、掃除が楽なのですよ。特に流し台の排水系統や、シンク下の引き出しなどは、楽なのです。

これが冬以外の季節ですと、ゴキブリ対応がありますから、少し時間がかかります。あのゴキブリというのは、本当にしぶとい存在ですからね。

人類よりも、長い歴史を生きていて、さらにあまり進化もしていないという種になります。

まあ、そんなゴキブリの話はともかく、母は、火曜日も、午後は、近くの集会所で、健康体操というのをしています。

集会所までの距離は、直線距離にして、150メートルくらいでしょうか。まあ、それでも、母にとってはそこまで杖を突きながら歩くだけでも、いい運動になっているようです。

月曜日と火曜日は、能動的な運動ができる貴重な日なのですね。

バランス的には、そのような運動の日が二日続くのではなく、二日おきとか三日おきくらいがいいように思うのですが、こちらの都合でどうこうできませんから、仕方がありません。

運動したあとは疲れるのか、よく眠りますね。

まあ、人間も80代になれば、少し動くだけでも大変なのはわかります。

僕自身も、50代半ばから、いろいろなことを億劫に感じるようになりましたからね。

何はともあれ、母が今日も元気にデイケアに行ってくれたことを、僕は感謝しています。

今日は、今年最後のデイケアの日

今日は、母の今年最後のデイケアの日でした。

毎週月曜日の週一なので、貴重な家事の日です。

さて、次の月曜日は元旦でお休み、その次の月曜日も祝日でお休み、振替で、十日になるそうで、つまりは、半月もの間、デイケアはありません。

僕のところは、介護というよりも、介助程度なので、そう大変ではありませんが、介護度が高い家では、あまり長いお休みをされてしまうと大変ですね。


今日は、貴重なデイケアの日を利用して、汚れたレンジ台を蒸気洗浄できれいにしました。

それを中心に台所周りの清掃。一階の母の居住空間の清掃。

そしてお昼の準備をしていると、あっという間に半日が過ぎ、タイムアップ。

今日の昼は、卵サンドを作りました。

僕は朝食抜きだったので、それに鶏の唐揚げとサラダ。母は、卵サンドと鶏のから揚げです。あまりサラダは食べないのですね。


そして今日は、生協が食材を届けてくれる日なので、母は眠らずに待っていました。そして生協が来て、食材を受け取ったら、そくベッドで仮眠です。


文句も言わず、僕の作るものは何でも食べてくれるので、ありがたいのですが、あれが食べたいという要求はあるので、なるべく答えるようにはしつつ、脂分の摂り過ぎには注意するようにしています。

まあしかし、デイケアがある日はありがたいですね。


おひとり様の介護と老後生活について


昨日は、友人Oと、隣町のいつもの小高い丘の上のベンチに座り、話しました。

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丘の上のベンチからの眺め

友人Oもまた、高齢の母親を一人で介護しています。姉がときどき見舞いに来るそうですが、実質的に介護しているのは彼一人です。

彼は、さまざまなカードや電子マネーを使い分け、賢くポイントを貯めながら、節約にも励んでします。

また、アンケートサイトなども利用して、小遣い稼ぎもしています。

外に働きに出ることができない彼にしてみれば、それも一つの貴重な収入にはなるでしょう。小遣い程度であっても、バカにはできません。

節約は、まず、小さな工夫から始まりますからね。

彼は、僕とは違って手堅く生きている男なので、やり繰りする能力は高いのです。

また、自分でできることは可能なかぎり自分で調べて自分で行動を起こすので、たいがいのことは自分でできる能力を持っています。

たとえば、自宅のトイレの手すりなども自分でつけています。

最近では、玄関ドアの細工も自分でしたそうです。

おひとり様の老後は、創意工夫が必要で、僕がブログを書いているのも、半分はボケ防止も兼ねています。

まあ、ブログなどは向き不向きもありますが、何でもいいので、創意工夫をして、楽しく生きたほうが得ですね。

僕自身、自分に与えられた能力と環境の中で、いかに前向きに楽しく生きていけるかを、これからも、考え続けていきたいと思っています。

要介護度の認定も、金次第なのか

要介護度”が改善された自治体には、国から交付金などのインセンティブ(報奨)が与えられるという記事を、プレジデントオンラインが書いていました。

そしてこのことによる影響は、調査員による要介護認定の聞き取り調査に現れるはずです。

つまり、要介護度の改善した自治体にはインセンティブを与えるということは、多くの自治体が要介護度の判定を、さらに厳しくする可能性が出てくるということです。

以下は、プレジデントオンラインからの引用です。

「たとえば要介護3の方を同居している娘さんが介護しているとします。平日はすべてデイサービスを利用することで、仕事を続けることができた。

ところが、認定更新によって要介護2と判定されてしまった。2では他のサービスとの兼ね合いで、デイサービスを減らすことになり、娘さんが自力で介護する日が増えてしまい、離職を決断せざるを得なくなった。

それによって困窮し、追い詰められていく……。こんな事態が起きることも考えられます」

僕が感じたのは、自治体の財政状況次第で、要介護認定が左右されてしまうのではないか、ということです。

実は、うちの母も、現在要支援ということになっていますが、以前であれば、要介護1くらいであった可能性があるのです。

これは、ケアマネが言っていたのですが、認定の締め付けが厳しくなっている、とのことでした。

それで、今町が進めているのは、自治会館を活用した体操の推進です。

これに、母も毎週火曜日に参加しています。

毎週月曜日がデイケアで、火曜日が自治会館です。

デイケアは半日ですが、自治会館は昼過ぎの1時間半くらいです。

それでも、そうした行事に行っている間は、僕の家事もはかどります。

とにかく、健康寿命を長く保つことが、ますます大切になっていますね。

特におひとり様は、自分がボケたら終わりです。頭と体を、しっかりとケアしていきましょう。


独身50男の親の介護の悲惨さについて

嫁のいない独身男は、自分で稼ぎながら、介護もしなければなりません。

嫁がいれば、自分は仕事に専念し、専業主婦の嫁に親の介護をしてもらうこともできます。

または、嫁も、空いた時間にパートでもすれば、家計の足しになります。

つまり、夫婦であれば、助け合いながら、親の介護を分担できます。ただし、良い夫婦関係を築けていればの話だとは思うのですが。

僕が独り身なのは自業自得なので、父親の介護が必要になって長年勤めていた会社を辞めたときも、さしたる葛藤はありませんでした。

ただ、兄弟がいれば、どうだっただろうとは思いました。

嫁もいない、兄弟もいない、50代おひとり様にとって、頼れるのは自分です。セルフヘルプ。自助の精神。

で、昨年、父の介護に専念し、すでに高齢だった父は、その後4か月ほどで他界しました。

そして今年、1月、僕と同じ50代で、兄弟がいながら悲惨な介護生活をしているOさんと、アルバイト先で知り合いました。このOさんについては、以下の記事で書いています。

23年間介護、59歳、貧困

このOさんは、僕のブログにときどき出てくる、友人Oとは違います。

頭文字がともに、「お」なので、アルファベットでは、Oと表記するしかないのです。

介護の話に戻ります。

で、そのOさんについては、以下の記事でも書いています。

重い介護負担と兄弟からのサポートがないという追い打ち

Oさんも僕も、ともに50代後半、独身の貧困層です。

ただ僕は、自分がローコスト生活者なので、お金のかからない生活が苦ではありません。

そのため、僕自身は自分のことを豊かだと思っています。豊かさというのは、なにもお金だけで測られるものではありませんからね。

僕は、そこそこに食べられて、あとは好きな本でも読んでいろいろなことを考えているだけで、けっこう幸せを感じられる安上がりな男なのですよ。

その辺が、僕とOさんとの違いです。


要介護にならないためにも必要な経費

母は高齢のため、いろいろな体のケアが必要なのですが、新聞などでいろいろなサプリや健康食品を見ては、いろいろ試していました。

そうした中で、耳が良く聞こえるようになるとかいうサプリを飲むうちに、体中に腫物ができ、皮膚科に行って良くはなりましたが、そのサプリは、新しいものは、返品しました。


すでに口を開けてしまったものは、廃棄処分にし、お金は払ったのですが、封を開けていないものは、僕が、日暮里まで返しに行きました。

そのような経緯があり、飲む健康食品には注意が必要です。


さて、今日は、いつもは毎週金曜日に行く、気功整体に、母を連れて行ってきました。先週は、那須塩原方面への旅行で行けなかったので、その振替です。


毎週の気功整体は、母の体調維持には欠かせません。

僕は、西洋医学はあまり信頼していなくて、薬もほとんど飲みません。

僕は父の在宅介護の経験から、一度、要介護になってしまうと、大変であることがわかっています。

そのため、毎週の気功整体は、それなりにお金がかかりますが、要介護になってからかかるお金や労力のことを想えば、月2万円ほどのそうした出費は、必要な出費だと思っています。


母が、気功整体をしてもらっている間は、ケーズデンキのマッサージチェアで、揉んでもらっていました。

ただ、今日は日曜日のためか、混んでいて、お目当ての椅子が占有されており、仕方なく、別のマッサージチェアへ。

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最近では、だいぶ、マッサージチェアに詳しくなりました。

70歳の息子が97歳の母親を老老介護

直木賞受賞作家の篠田節子さんの読売新聞のコラムに読者からの反響が多くあったようです。

その中で、70歳の息子が97歳の母親を老老介護をしているものがありました。

そして、息子は都内に住み、母親は、千葉に住んでいたようです。

片道2時間半をかけての介護だと言います。

 

そんな生活を7年間も続けたようです。

 

過去形になっていることから、すでにその母親は他界したのでしょうが、今後、老老介護の問題は、さらに出てくるのではないでしょうか。

 
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僕自身、すでに50代の最後のほうで、60まではあと1年と少し。

 

つまり僕も、御多分にもれず、老老介護まっしぐらです。

 

そして介護については、父の介護を経験しているため、何をどうすればいいかは一応心得ているつもりではあります。

 

ただですね。

 

母は、父と比べて、体重が重いのですよ。

 

70キロ台の体を、ベッドの上で動かすことを想像するだけで、腰が痛みだします。

 

 

まあ、今は、介護ロボットもあるようですが、高そうですし、まあ、そんな心配はしても仕方がないのですが、元気でいてほしいものです。

 

 

先日は、母は、米寿のお祝いというものを、町から貰いました。

 

民生委員の人が届けてくれたのですが、いずれは僕のところにも、民生委員の順番が回ってくるかもしれません。

 

まあ、田舎は、近所づきあいは大切ですからね。

 

順番が回ってきたら、頑張るつもりです。

 

 

介護の話に戻りますが、97歳の母親を介護していたその息子は、その後どうなったのでしょうか。

 

今では自分もさらに年を重ねて、体もきつくなっているのではないかと思います。

 

 

僕のようなおひとり様は、介護も一人で頑張らねばなりませんし、将来は、自分を介護してくれる身内もいないので、ますますお金は大切になってきます。

 

お金と人間関係ですね。近所の人とか、友人知人とか。

 

それと言うのも、親戚はあまりあてにできないので。

 

まあ、何とかなるでしょう。

友人の介護生活、そして僕の介助生活

母が、膝の調子が思わしくないと言い、昨日は病院に連れて行きました。

数年前にレントゲンを撮ったときに、手術をすすめられたのですが、そのときは断ったそうなのです。


それで今回、またレントゲンを撮ってもらい、手術をしたほうが良いならそうしたいと言っていました。

そのため、昨日、9時半に、病院まで送り、診察時間がどのくらいかかるかわからないので、帰りは町営の巡回バスで帰ってもらうことにしました。


そして僕は、そのあと、隣町の図書館の駐車場に行き、久しぶりに友人Oと会いました。

友人Oも、自宅で、高齢の母親の介護を、この春から始めており、昨年他界した僕の父同様、胃ろうで、栄養を取っているようです。


彼には姉がおり、たまに見舞いには来るそうなのですが、手伝うこともなく、口だけ出してくるそうです。そして、金銭的な援助もないとか。

僕の場合、兄弟がいないおひとり様なので、兄弟や姉妹とのもめごとは、一切ありません。

まあ、プライバシーにかかわることなので、彼の姉のことはこれ以上は書けませんが、たった一人の姉が、あまり頼りにならず、むしろ足を引っ張るような状態では、大変だと思いました。

手伝わず、金も出さず、口だけ出してくる姉というのは、困ったものです。


まあ、その友人Oと、山の中腹で街を眺めながら話をし、その後、昼食をスーパーで買って、川原に歩いていき、川の流れを見ながら、話しをしました。

3時間以上、自然の中で話をしたので、それに多少、歩きましたから、お互いに良い気分転換になりました。


家に帰ると、すぐに母親も帰ってきて、手術はしなくてよくなった、と言っていました。

太っているためもあり、少し動くと疲れるようなので、すぐに横になります。


昨日も、夕方まで寝ていました。

今日も、昼間、ずいぶん寝ていたようです。

今のところ、母については、介助程度で済んでいますが、今後は、どうなるのでしょうか。

まあ、僕の作る料理は、たいてい何でも食べてくれるので、助かっています。あれが食べたいという注文は、ときどきありますが、すべてにこたえられるわけではありません。

今日の夕食は、だいたい決まっていますが、母が笑点を見終わるころに作り始める予定です。

むごたらしくも悩み多き日常だからこそ

在宅介護生活を振り返ると、昨年他界した父についてですが、よくぞ自宅で見送れたものだと思います。

その一つの大きな要因は、父が、大変我慢強い人であったからです。


13だから15だかで、この辺は記憶があいまいなのですが、僕のほうの記憶ですが、口減らしで北海道に奉公に出され、不如意を若くして経験していたことが、父の我慢強い性格をつくったのだと、推測します。

介護される側がわがままだと、おそらく、たとえ家族であっても、場合によっては、憎しみが生じることもあるでしょう。

ましてや僕のような、人格者でもない凡庸な男が、大変な介護を担わされたら、それでも、やり切れるかといったら、大いに自信はありません。


僕の場合は、ひたすら、ラッキーだったのです。


我慢強い父を持ったことが、そして、良い親を持ったことが、本当にラッキーでした。


最後は、人工呼吸器や痰吸引器、そして胃ろうからの注入と、人間的には、そうまでして生かすべきなのかという煩悶は、あとになって思うことで、当時は、といってもわずか去年のことなのですが、毎日が無我夢中で、そんなことを考えることすらありませんでした。


今は、母との二人暮らしで、幸いまだ母は元気といえば、元気なのですが、だいぶ衰えも見え、また、今後、自分も年を取り、自分の場合は、見取ってくれる人も、世話をしてくれる身内もいないので、まあ、覚悟は決めていますが、できるだけ、そうは言っても自宅で、眠るように死にたいとは思っています。


北朝鮮のミサイルも、確かに大問題ではありますが、身近なことにばかり、関心が行ってしまう僕は、紛れもないエゴイストであり、そのことは今に始まったわけではなく、きっとずっとそうなのだと思われ、この小市民的な思考の中で、「むごたらしくも悩み多き日常だからこそ」僕は、明るく生きようと思うわけです。


だって、いずれ死ぬんですからね。


これは、決定事項ですからね。


ミサイルで死ぬか、病気で死ぬか、孤独死で死ぬかはともかくとして。

ボケへの恐怖は他人ごとではなく

今日、ジャパネットたかたで買い替えた冷蔵庫が来たのですが、その設置のためのスペースを昨日から作り、通路も確保していました。

庫内のものを入れ替え、少したってから、昨日買った食パンがないことに気づきました。どこを探しても見当たりません。

食パン一斤といえば、かなりの大きさですから、すぐに見つかると高をくくっていました。しかし、見つからないのです。

冷蔵庫の買い換えを機に、キッチンのレイアウトを少し変え、ついでに床を蒸気洗浄しました。そして片付けなどをしていたら、あっという間に、昼を過ぎてしまい、母が、腹が減ったと文句を言い始めました。

今日は母のデイケアはお盆休みでなしのため、家にいたのですが、食欲はあるほうなので、食材を買い込みすぎてしまうきらいがあります。

これは、僕が諫めてもなおらないので、半ばあきらめてはいるのですが、食品を新しい冷蔵庫に入れ替えたときに、賞味期限切れの食材が結構見つかりました。

母は、身長は140センチ台で、体重は70キロ台と、かなり太めです。食欲があるのは元気な証拠と、良いほうに考えていますが、体脂肪率はかなり高めです。

救いなのは、頭がしっかりしていることです。ボケられたら、大変です。

むしろ、ボケを心配しているのは、僕自身です。その一例が消えた食パンです。

不安になって、昨日買ったライフのレシートを見ても、確かに食パンを買っていることがわかりました。

食パン以外の食材はあるのに、食パンだけがないのです。

よく、痴ほう症の初期に、食品を変なところにしまうことがあると聞いたことがあり、いろいろな場所を探しましたが、見つかりませんでした。

今考えている可能性としては、食パンだけを買い物袋に入れ忘れたということです。しかしこれも、考えにくいのです。

昨日は、買い物袋は4つになりましたが、食パン以外の食材はすべてそろっているので、食パンという、比較的嵩の張るものだけを入れ忘れるというのもあまりないはずなのです。

実は僕が、早期リタイアをしてほっとした理由の一つが、職場での火器や危険物の扱いからの解放です。一度ですが、危うくボイラーの爆発事故を起こしそうになったことがあります。

あと1秒遅かったら大惨事になっていたという危ない場面がありました。

それ以来、慎重の上にも慎重にボイラー操作をするようになりましたが、かなりのトラウマになってしまったようでした。

そうした、自身の衰えと、ときどきボケをかます、危うさが、自分にあることを自覚はしているのですが、今日のように食パンが消えてなくなるなどということがあったりすると、またぞろ、不安にもなるのですね。

まさか自分がボケてしまって、高齢の母が僕の介護をするなどということのないようにしなければと自分に言い聞かせています。

デイケアに行っている月曜日は貴重な家事の日

毎週月曜日は、母がデイケアに行く日なのですが、同時に僕にとっては、貴重な家事をこなす日でもあります。

母が家にいるとできない掃除というものがあり、それを集中して行うことができるからです。

我が家は1階には一部屋しかなく、そこに母が常駐しているため、一階の居室の清掃は母が不在のときしかできません。

また、居室続きのキッチンの清掃も、なるべく母がいないときに行うほうがはかどるのです。特にこの時期は、ゴキブリを滞在させないためにも、こまめな清掃は不可欠です。

今日は、母が午前8時40分に、デイケアのお迎えの車に乗った後、エアコンを切って、掃除を始めました。エアコンも、このところ休みなしで稼働し続けているため、母が留守中は停止させておきたいためです。

キッチンと居間の清掃に2時間かかりました。特にシンク下の引き出しに、ゴキブリの糞が点在していたため、かなり念入りに掃除しました。

その後家周りの草むしりをざっと行いました。これは先月、ガーデニングの会社を経営している僕の友人のところにお願いして、家裏とサイド一か所に赤砂利を敷き詰めてもらったので、いつもよりも楽な草むしりでした。あとは生垣の枝切りなどをして、作業を終えました。

母が帰ってくるのは12時過ぎです。この母が不在の月曜午前の3時間半は、最も集中して家事仕事が進みます。

以前は、月曜日が祝日と重なると、デイケアはお休みになっていましたが、近ごろは、他の曜日に振り替えてくれます。他の曜日でも何でも、週に1日は、集中して家事をする日がないと、はかどりません。

それと、月曜日は生協がたのんでいた食料品を届けてくれる日でもあります。生協は、母のボケ防止の意味もあり、もう4年以上続けています。多少お金はかかりますが、自分が欲しいものをカタログで見て注文するのが楽しいようです。

友人も、在宅介護を始めるようです

昨日は、同じ県内の別の町に住む友人Oのところへ行ってきました。

今週末から、入院中の母親を自宅で介護することになったと言います。

僕自身が、父の介護を終えたのは昨年の5月で、すでに1年以上が経過し、当時の資料などもだいぶ廃棄してしまったため、僕の経験談は、あまり彼の欲しい情報の役には立たなかったようです。

僕の町では、補助でおむつ代が出ていたため、そのことを話しました。月5000円を上限に、おむつ代が支給されました。おむつや尿取りパッドなどを選べ、数の配分も自分で決められたので、これは助かりました。

友人の家にはすでに介護用のベッドなども置かれており、あとは、母親が退院するのを待つばかりの状況でした。

ケアマネの話になり、僕の父を担当してくれたケアマネは大変良い人で、今でもときどきうちに顔を出してくれます。ケアマネのアドバイスで、ずいぶん助けられました。

友人の話によると、彼のところの担当のケアマネはいまいちのようでした。ケアマネもいろいろな人がいるのでしょう。
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