介護離職からのおひとり様ローコスト生活

定年まで数年を残して、介護離職したのち、父を自宅で看取り、その後、母も末期がんで亡くしました。両親の介護のために建て替えた家の住宅ローンを払いながら、ローコスト生活で生き抜く日々の暮らしと心象風景を綴っています。

在宅介護生活

ケアマネと再会しました


昨日は外に買い物に行く途中、思い立って湖に行きました。

僕の町には、二つの湖がありますが、昨日行ったのは小さいほうのもの。

湖の手前にある駐車場に車を止めた時に、ダッシュボードの埃を見つけたので、拭き取ろうと、トイレの水でタオルを濡らして拭いていたのですよ。

そして、タオルを洗おうと、トイレのほうを見たら、何やら見覚えのある人が。

もしかしたら、と思って声をかけたら、父の在宅介護の際にお世話になったケアマネでした。

彼は、4年前の当時二十代でしたが、もう子供もいました。

今はもう、30代になっているでしょうね。

会津の出身で、仕事のできる人でした。

その彼が、缶コーヒーを飲みながら煙草を吸っていたのです。

声をかけ、お互いのことなどはなし、短い時間でしたが、思い出話などで盛り上がりました。

息抜きの休憩場所として、ここにはよく来るのですよ、などと言っていました。

その彼と別れ、僕も、湖へと足を運びました。

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うーん、 結構な数の釣り人がいました。


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このベンチで、しばしの休憩。

もう、風は、秋の風、でしたねえ。

そのうちに、壮年の夫婦がやってきて、その夫婦と、思いがけず長い時間、話し込むことになりました。

特に、旦那のほうとは、1時間以上話していたかもしれません。

これから病院に行く途中、時間つぶしに立ち寄ったのだ、と、言っていました。

壮年夫婦と別れてから、湖をのんびり一周し、それから、買い出しのために、ライフに行きました。

ライフでは、今年6つ目のスイカを買いました。

お盆時期は高くて手が出せなかったスイカですが、買い求めやすい価格に落ち着いていました。

ついでに梨も買ったのですが、果物を見ていると、季節の移り変わりを感じます。



仕事を辞め、食べる術を失ってしまった自分はどうなってしまうのだろう


僕が、介護離職してホテル勤務を辞めたのが56歳のとき。

今日、配信されたネットニュースで、まさに僕と似た状況の50代の男性の記事を読みました。

以下が、その内容。

 柏原佳一さん(仮名・55歳)は「両親の介護のせいで、人生がすべて狂いました」と、うつむいたまま吐き出しました。  閑静な住宅街の一角に建つ、周囲と比べて大きなレンガ造りの家。ガレージには外国製の高級車。裕福な家庭であったであろうことが見て取れます。しかし「家計は、火の車なんですよ」と佳一さん。彼に、一体何が起こったのでしょうか。 「6年前に父が、4年前に母が、ともに認知症を患い、介護をせざるを得なくなったんです。父1人の時は母と2人で介護をしたので、私自身は仕事を辞めず出張や残業を減らして対応しました。しかし、母が倒れてからはそうもいかなくなり、仕方なく仕事を辞めることになったんです」  仕事を辞めた現在、もちろん収入はゼロ。大手企業で働いてきた父親の年金と、これまでの貯蓄で何とかやりくりをしているといいます。しかし、自分自身が好きで就いた仕事を辞めてしまった後悔が毎日のように襲ってくるのだとか。 「正直、仕事は辞めたくなかったです。でも、父は要介護認定1で、母は要支援2。こんな状態じゃ、特別養護老人ホームにはとてもじゃないけど入れません。民間の介護施設も考えましたが、両親の年金と私の稼ぎをすべて足して、どうにかこうにか2人を入居させられるレベル。そうなると私の生活が立ち行かなくなるし、家の維持費なども払えなくなるので入居させられませんでした」

 佳一さんには姉が1人いますが、「嫁いだ身だから、お金も支援もできない」と、実親のことにもかかわらず実家にも近寄らないそう。 「私自身も、もっと早くに家を出ていれば、もっと早くに結婚していれば……」  時に、いろいろな考えがよぎってしまうといいます。
今後両親が亡くなった際、仕事を辞め、食べる術を失ってしまった自分はどうなってしまうのだろう? 自分自身はいくら年金がもらえるのだろう? 結婚もせず独身の自分がボケた際、誰にも迷惑をかけずに死ぬことすらできないかもしれない……。佳一さんは、そんな不安に苛まれ、夜もゆっくり休むことができずにいるといいます。

 しかし、佳一さんの悩みは金銭的な不安だけではありません。現在、大きな悩みの種になっているのは、転んで腰を傷めたことがある母親のことでした。 「すでに完治して動くことができるはずなのに、ベッドの上に寝たきりになり『身動きを取ることができない』と言い張っています。そのため、何か用事があると私を呼び出すのですが、枕元に用意してあるステッキを使って、壁やタンスをバンバン叩くんです」  名前を呼んでくれれば聞こえるから「ステッキで叩くのはやめてくれ」と、母親に対して何度もお願いしているといいますが、認知症のせいもあって叩くのをやめてくれません。一度ステッキを母親のベッドから離してみたそうですが、狂ったように騒ぎ出してしまい、取り上げるのは断念したことも。 「深夜であろうと、早朝であろうと、母は何か少しでも不満があると、ステッキをガツンガツンと家具にぶつけ、私を呼ぶんです。もう、あの音が怖くて怖くて……」  朝起きてすぐに朝食を作り、2階と1階、別々で寝ている両親の部屋を回って食事をさせることから、佳一さんの1日が始まります。

「入浴は週に数回、ケアセンターへ行っています。しかし、その日以外は2人を着替えさせ、昼食を作り、食べさせ、掃除をし、夕食の準備をし……と、丸々1日が介護に費やされてしまっています。私1人の時間が取れないこともつらさを倍増させている気がしますね」  佳一さんは趣味だったゴルフにも、この5年間1度も行けておらず、テレビをゆっくり見たり、理容室に行くのでさえも半年に1度がやっとだといいます。 「両親を放って逃げ出したい。どこか遠くに行きたい。何なら、今すぐにでも自分が死んでしまえたらどんなに楽だろうと、そう思うこともあります。でも、ここまで育ててもらった恩もあり、どんなにつらくても見捨てられないのが現状です」  佳一さんは自分なりに誠心誠意、頑張って介護をしていますが「気配りが足りない」と母親からは面倒を見る度に罵倒され、追い詰められている様子。単身者介護は孤立しやすいと言われており、佳一さんもそういった状態に陥っているようです。


うーん、 お姉さんはいるようですが、事実上は一人介護状態。

僕との大きな違いは、仕事を辞めたくなかったこと。

僕はちょうど仕事に疲弊していて、辞めたいタイミングでの介護でしたから、すんなり介護の日常に入っていけました。

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また、就業中も、それなりの介護はしていましたから、慣れというのもありました。

外国製の高級車を持ち、ゴルフもしていたというから、ある程度贅沢な暮らしをしていたのでしょうね。

そういう人が、生活レベルが落ちるのは、苦しいのかもしれません。

僕の場合は、介護離職した後も、生活レベルはあまり変わりませんでした。

親と一緒にいられる時間を出来る限り楽しもう、としか、思っていませんでした。

介護のおかげで、会社を辞めるいい口実ができてラッキーぐらいに思っていましたから、同じ50代での介護離職でも、人それぞれなのだな、と、思った次第です。


今は、親を介護していたときとは別の意味で緊張した生活をしている

会社を離職する前に数年、そして離職後に数年、が、僕の介護生活でしたが、その時の緊張は、今も覚えています。

一人っ子は、自分が倒れたら、親の介護は、できなくなります。

その、緊張感、がありました。

また、お金を稼がねば、という気持ちもありましたね。

さらに僕の場合は、住んでいたマンションの売却と、実家に戻ってからの自宅の建て直しという課題があり、立ち止まっている時間はありませんでした。

当時のことを考えると、高速で物事が、展開していった感があります。

さて、今は、その両親も他界し、自分一人の生活。

もう、親を介護し、見取る、という責任はありませんが、今度は、自分一人が生き抜く算段。

これは、これで、別の緊張感が、実はあります。

親兄弟妻も子もいない天涯孤独者は、まずは保証人の問題が付いて回ります。

誰も頼れないので、自立心は一層強くなります。

ボケてなどいられない、と思うのです。

この緊張感があればこそ、アルバイト先で嫌なことがあっても、乗り越えられているのだと思っています。

そのような緊張感がなければ、自分は、楽なほうへと流れていきたがる人間なので。

で、この緊張感が、良いほうに働いていると、思えるのですね。

これも、人生計画なのかな、と。

さて、昨日は、母が生きていた頃によく一緒にランチを食べた寿司屋で昼食。

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一番乗りだったので、あらじるの身のあるところをお椀に、入れることができました。

ランチは、あら汁飲み放題なので、2杯いただきましたよ。

今週は、外食が、これで3回目、かな。

そのあと、町の図書館に行き、堀江貴文の本を借りて、そのまま、アルバイトへ。

昨日は、雨の中の作業でしたが、一昨日ほどは暑くなくて、助かりました。


ダブル介護をしていた頃に、はなはだ迷惑だった営業の電話

3年数か月前に、父の介護で会社を辞めたとき、母も膝が弱っており、介助が必要でした。

ダブル介護というほどではありませんが、介護と介助の生活。

で、おひとり様の僕が、介護と介助をしていたわけですが、そのようなときに、はなはだ迷惑だったのが営業の電話でした。

これは主に、固定電話のほうにかかってくるのですが、ケアマネジャーや看護師からの電話もあり、電話のたびに、いろいろな作業を中断して応対したのですが、それが、長々とした営業の電話だったりすると、ええかげんにせんかい、という気持ちにもなりました。

多かったのが、インターネット接続関係の営業。

回りくどい話をしながら、結局は営業。


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何でこんなことを想いだしたのかと言うと、先日、似たような電話がかかってきたからです。

今、NURO光というのを契約しているのですが、それを、マノマにしろ、との内容でした。

まあ、今は、介護をしているわけでもないので、そうした電話も迷惑にはなりませんが、当時は、本当に迷惑以外の何物でもありませんでした。

たとえば、痰の吸引をしている最中の電話でも、もしかしたら、ケアマネや看護師からの大事な要件かもしれないので、介護作業を中断してでも出るのですよ。

その電話で、営業の話をされたら、怒りもわいてくるというモノです。


インターネット関係の電話営業が圧倒的に多く、それ以外では、家のリフォームとかの電話営業などでしたね。


介護をやり切ったあとは、自分が生き抜く算段を

僕の在宅介護生活は、足掛け6年ほどでした。

父が85歳のときに発病し、89歳で亡くなるまでの4年間と、その後、2年間の母の介助。

母は今年亡くなったので、振り返ると、2012年から始まった介護は2018年に終わったことになります。

この間、自宅マンションの売却、実家に戻っての大量の片づけ、その後実家を建て直すための借家住まい、そして建て直した実家に戻っての介護生活。

その間、父は2度、入退院をしました。

母のほうは、死ぬ直前の一か月弱の入院で他界。

介護をしているときは、あまり自分の将来と言うか、老後のことは考えませんでしたが、いざ介護を終えてみると、今度は、自分が生きる算段をしなければなりません。

父と母が生きているうちは、年金収入というものが生活費を賄っていました。

二人が亡くなると、まだ年金をもらえる年齢には達していない僕は、当然のことながら働かねば生きてはいけません。ましてや家のローンもあります。

通常、健全な財政では、定年退職までに住宅ローンを完済することが必要です。

しかし僕の場合は、親の介護のために実家を建て替えたのが54歳だったために、そこで組んだ15年の住宅ローンは、69歳まで続きます。

この住宅ローンを払いつつ、自分自身の食い扶持を得なければ、路頭に迷うことになります。

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路頭に迷うとは、住宅ローンが払えずに家を取られ、さらに職もなく、食べるに事欠く生活です。

そうなったら、最後の手段は生活保護ですが、そうならずに済んでいるのは、母の死後、ほどなくして、職を得ることができたからです。

アルバイトをしてまだ3か月ほどなのですが、だいたい10万から12万円くらいのレンジでの月収になりそうです。

9月分の月収は、僕の別ブログで公開しています。

9月分の給与明細を公開します

今は自分が生き抜くことで精いっぱいですが、経済的には厳しい分、精神的には少しずつ強くなっている気がしています。

母の49日法要を終えて

今日、7月1日、母の49日法要を終え、お墓への納骨を済ませました。

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母方の親戚の甥と姪、計4名が来てくれました。

その墓には、二年前に亡くなった父と、僕の実母、そして、生まれてすぐになくなった僕の弟のお骨があります。

今回、母のお骨を入れたので、計4つ骨壺が並びました。

いずれは、僕もそこに入れたらいいのですが、後継者のいないおひとり様ゆえ、どうなるかは未定です。

何はともあれ、納骨を終え、一区切りがつきました。

また、新たなる一歩です。


バイトで疲労困憊し面会に行けなかった昨日を反省

あっという間に過ぎた一日の終わりに、やっと今、こうしてパソコンを開き、ブログに文章をつづることができます。

NHKのクラシック音楽館を聴きながら、書いています。昔は、N響アワーとか、言っていましたね。ロックもジャズもボサノバも沖縄民謡も好きだけど、クラシックも好きなのですよ。

それはそうと、今の現状報告。

まず、一昨日の金曜日の夕方、母と、僕は、担当医の先生から、現状を聞きました。

「まだ確定ではないが、なかなかに厳しい状況」だそうで、今後は、5月1日に予定している、MRIの検査を待つことになりました。

母の血管は、点滴のための注射針が入りにくいようで、両腕がはれ上がっていました。

もう点滴はやめて、口から栄養を取りながら、様子を見ることになりました。

それと並行して、シャワーなども浴びられるようにするそうです。

これは母が、家に帰りたいと言いだし、その理由をよくよく聞いてみると、何日も風呂に入っていないのが耐えられないとのことで、それならば、ということで、病院でシャワーを浴びさせてもらうことになりました。


基本、僕は毎日病院には行っているのですが、昨日は、アルバイトでかなり消耗し、暑さのせいもあるのですが、帰宅後、寝込んでしまい、寝て起きたら、もう面会時間は過ぎていて、行くことができませんでした。

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勿論今日は行ったのですが、どうして来なかったのだ、と、母から言われました。

事情を説明してわかってもらい、明日は、入浴のための、リンス入りシャンプーとボディソープ、その他、いくつかのものを持って行きます。

昨日面会に行けていれば、今日、持って行くことができたのですが、その点は反省しています。



汚れたパンツを持ち帰って洗濯しました

4月16日に母が入院して今日で、5日になります。毎日病院には行っていますが、行くたびに、母の表情の変化には気をつけるようにしています。

昨日は、CT検査がありました。

その前日である4月18日には、母の病室のサイドテーブルに、同意書が2通置いてあり、それに、サインしました。

そして昨日、病室に行ったときには、すでにCT検査は終わっていて、同意書は、1通が、残されていました。

朝、たくさんの薬を飲まされて、検査を受けたのだと言っていました。母は太っていて暑がりなので、それが心配でしたが、案の定、暑くてたまらない、という不満をしばらく聞きました。

そして今朝、病院から電話があり、扇風機を持ってきてほしいと言っているということを聞き、僕のほうでもそのつもりだったので、今日は、まずは、面会開始の、13時きっかりに、紙パンツをはじめとした必要品と扇風機をもって病室に行きました。


僕が病室に着くとすぐに、母はトイレに行きたいと言いだし、トイレに行ったのですが、だいぶ汚してしまったようです。

前回あまりにも汚し過ぎたパンツは廃棄してもらったのですが、今回は、汚れたパンツをビニール袋に入れて持ち帰りました。

母は、通常、普段からパンツは2枚はきます。小さなパンツの上に、デカパンをはきます。おそ松くんに出てきた、あのデカパンがはいているような、パンツです。

家に帰ってから、一度風呂場で、汚物を洗い落とし、その後洗濯機で洗いました。

今日はまた、夕方から、先生が話があるとのことで、病院に行きます。今はその束の間の時間で、このブログを書いています。

明日のバイトの準備もあり、また、今週と来週は、年に一度回ってくる、町内会の、ごみ置き場の清掃当番なので、先ほど、清掃をしてきました。

まだいろいろ、他にも書きたいことがあるのですが、バイトの準備やその他の用事もあるため、今日はこの辺にしておきます。

明日は6時過ぎからバイトに行き、帰ってくるのは14時ごろの予定で、母の見舞いに行けるのは、そのあとになるかと思います。

母の入院生活を支える日々

3月20日ごろから体調を崩していた母が、入院したのは、もう3日前になります。

3日前のその日、埼玉医大の産婦人科に行き、検査結果を知りました。子宮頸がんの疑いがあるとのことで、その日のうちに紹介状を書いてもらい、国際医療センターへ。

その日は、慌ただしい1日でした。

国際医療センターの産婦人科での検査を終えたのは、夕方で、最初は入院を抵抗していた母でしたが、女医先生の説得もあり、その日に入院し、翌朝まで点滴を受けました。

僕は家に帰って、必要な荷物をまとめたり、入院に際しての書類書き、などをしました。

父のときに一度経験しているので、入院がどういうものかはだいたいわかってはいます。

しかし、やはり、書類作成は、僕の得意とするところではありません。

また、書類を書いていて思ったのは、まだまだ日本は、保証人社会であり、天涯孤独の人は、どうなるのだろう、ということも、考えさせられました。

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昨日も面会に行きましたが、今日も、午後から面会に行く予定です。

アルバイトも始めたばかりであり、両立ができることを望んでいますが、どうなるのかは、まだわかりません。

いずれにせよ、今日できることを今日やる、それしか、ありませんね。

最近トイレを汚すことが多くなった母

母はもともと便秘症で、2,3日便がでない日も普通にあったようですが、最近は、トイレに行くたびに汚すことが多くなりました。

以前からも、そういった傾向はありましたが、3月後半から体調を崩してからは、寝込む日々が増え、食も細くなり、食べないからますますでないと言っていました。

そして先日、何とか風呂に入れる程度に体調が良くなったときに、風呂に入ったそうです。

そのときに、おなかが温まったせいか、急に便意を催し、急いでトイレに駆け込んだのですが、そのときに、だいぶ汚してしまったと、自分でも自覚していました。

母は、頭のほうはしっかりしているので、それだけでも、僕としては、助かっています。

トイレの汚れなどは、そうじすれば済むことです。

今朝も、便座周りについていた汚れをふき取っていたときに、母がトイレに行きたいと起き出してきました。

便器を汚している自覚はあるようなので、それだけでも、僕としてはありがたい話なのです。

これが、ボケていて、その自覚もなかったり、訳の分からないことを言っているのだとしたら、大変困ります。

体が衰えるのは、誰しものことで、それは問題ではありません。

僕にしても、徐々に衰えていき、死んで行くのですからね。

父を自宅で在宅介護で見送り、今は母の介助をしている僕ですが、二人が、老いというものを僕に見せてくれているのだと、思います。

老いを、間近で見られることは、大いなる勉強でもあります。


昨日はアルバイトに行ってきましたが、このところ、母の介助の記事ばかりで、なかなかそれ以外のことに言及することができないでいます。

アルバイトのことについても、いずれ書いてみようと思っています。

母の晩年に向き合い、自分の老後生活に思いを馳せる

このところめっきり食欲がなくなった母なのですが、今日は、食べたいもののリクエストがあったので、ライフまで買い出しに行ってきました。

バナナとカステラとリンゴジュースと鮭とはちみつ梅干しが、そのリクエストでした。それに加えてぬか漬けのキュウリともやしを買いました。

僕自身も、花粉症で体調は万全ではなく、アルバイトを始めたため、生活も少し変化し、それ以外は、母を見守りながら介助するという、静かな日々です。

静かな日々は嫌いではありませんが、父を自宅で看取った僕は、今は母の晩年に向き合いながら、自身の老後生活にも、思いを馳せています。


母の救急外来付き添いと僕のアルバイト初日

3月から体調のすぐれなかった母ですが、昨日の夜は、特に苦しかったようです。

ようです、と言うのは、僕は昨日がアルバイトの初日で、疲れて寝ていたためです。

今日、どうにも苦しいので、ということで、僕がいくら勧めても、断っていた検査を、やっと受ける気になってくれました。

しかし、今日は日曜日。

ケアマネに電話してもつながらず、何度か試みて、昼頃に話ができたので、ケアマネのアドバイスも受けて、母を連れて救急外来に行ってきました。

少し待たされましたが、CTを撮って、子宮筋腫がどうのこうのという話になり、明日、産婦人科に行くことになりました。

やっと原因がわかって、僕も少しホッとしました。

まあ、明日の病院は、明日考えるとして、今日はまず、一息つきました。


今日見てくれた先生が、緊急性はないと言ってくれたことが、安心材料になりました。


さて、僕のほうも、アルバイトが決まり、昨日が初日でしたが、これについては、後日、書きたいと思います。


何分にも、母の健康と言うか、母の世話が優先ですからね。
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