介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

在宅介護生活

介護を終え天涯孤独になり無気力に



僕が、

天涯孤独者となって、

今年の5月で6年になります。


介護離職した僕の、

在宅介護の期間は、

そう長いものではありませんでしたが、

それでも、

一人になったときの喪失感は、

今でも思い出されます。


それはちょうど、

先日何気なくテレビをつけたら、

美輪明宏さんが映っていて、

相談者が50代の女性でした。


まさにその、

50代の女性が、

最愛の母親を亡くしたばかりで、

天涯孤独となり、

無気力になってどうしたらいいのか、

といった相談。


結婚もせず、

親の介護に明け暮れた日々が終わり、

気づくと無気力状態に。


美輪さんは黙って聞いていましたが、

さりげないアドバイスを。


美輪明宏さんは、

やや霊的な能力がおありなのか、

あるいはまた、

豊富な人生経験から、

人を見抜く力があるのか、

その人に合ったアドバイスが、

できる力があるようにも、

見受けられました。

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相談を終えた後、

一筋の光明というか、

再び前に歩き出す力を得たようで、

その50代の女性の声も、

幾分明るいものになっていました。


介護は、

確かに大変で、

さなかにある時は、

日々の暮らしで精一杯ですが、

終わってみると、

また、

別の苦しみと言いますか、

寂しさもあり、

それでも、

誰しもが生きていかねばならず、

美輪明宏さんの番組を見て、

僕自身も、

かつての自分が、

思い出されたのでした。




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長期介護の末、気づけば自身も年金世代に



介護の問題は、

僕も介護離職を経験しているだけに、

他人事ではありません。


幸い僕の場合、

親の年金がそれなりにあったので、

経済的な苦境には、

至らずに済みました。


以下は、幻冬舎オンラインからの一部抜粋。


『生命保険に関する全国実態調査』(2021年)によると、介護に要した期間の平均は5年1ヵ月。ボリュームゾーンは「4~10年未満」で31.5%ですが、「10年以上」も17.6%に及びます。親の介護のために離職した独身の40代男性、さらに介護は長期間に及び……。「もう、疲れた」と弱音を吐いても、単身者であれば周囲には頼れる人も少ないでしょうから、追い詰められるケースも多いといいます。さらに心配なのが、介護がひと段落した後の介護者の生活。40代で介護離職し、気づけばこちらが年金をもらう世代に。40代ギリギリ、49歳で介護離職をしたとすると、厚生年金部分は3万円減の6.9万円。国民年金と合わせると13.5万円ほどになります。


うーん、 確かに、50を前にして介護離職すると、

平均よりは年金額が少なくなりますが、

それでも、13万円を超えるのは、

切れ目なく働いてきたからでしょうね。

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男女ともにおひとり様も増えている今、

親の介護で気持ちが張り詰めているうちは考えもしなかったことが、

親の死後、

孤独と直面したり、

自分も、

気がつけば年金世代になっていたりして、

人生はどこまでも修行なのだと、

思わざるを得ない、



今日この頃です。





加齢というのは実に残酷なもの



僕は介護離職し、

父を自宅で看取ったのですが、

その中で学んだことがあります。 


それは、

加齢というのは、

実に残酷なものだということ。


元気で畑仕事をしていた父が、

家の前が貸農園になっていて、

それが良い気晴らしでもあったのでしょう。


それが、85歳のときに、

急に足が浮腫みだして、

そこからは入院後、

あれよあれよという間に、

衰えていきました。


読書家だった父が、

どんなに良い本を薦めても、

読もうとしなくなり、

読書するにも体力と、

気力が必要なのだと、

知りました。


僕自身も、

60を過ぎてから、

いろいろなところで衰えを感じており、

今年の5月1日に、

救急搬送された経験ののちは、

何をするにも、

かなり臆病になってはいます。


天涯孤独のおひとり様は、

自分だけが頼り。


だからこそ、

何にせよ、

用心に、

越したことはありません。

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加齢は、

確かに残酷だけど、

前を見て、



歩きます。






介護離職者親子の貯蓄を取り崩しながらの生活



これは、まさに僕の親戚の、

子供部屋おじさんにも言えることなのですが、

親の介護が必要になって離職した場合、

その生活の原資は、親の年金。


あるいはまた、親子で、

それぞれの貯金を取り崩しながらの生活。


この生活の不安が尽きないのは、

寿命がわからないから。


この先何年、

こんな生活が続くのか、

という精神的な疲れと、 

生活費が尽きるのではないか、

という金銭的な不安。


以下は、ネット記事からの一部抜粋。


仮に75歳以上の親の介護で離職となると、年齢は50代でしょうか。厚生労働省によると、日本のサラリーマンの平均年収は推定546万円。50代前半で671万円とピークに達します。そんな年収を捨て、親の介護に専念するわけです。一方貯蓄はというと、50代で1,775万円(総務省『家計調査 貯蓄・負債編』より)。ただこれは平均値であり、他調査では600万~700万円程度が中央値とされています。 親の年金だけで子どもの生活費まで賄うのは難しいでしょうから、親子の貯蓄を取り崩しながら、二人三脚で生活していく……それが介護離職者親子のよくあるパターンです。そんな現実に、前述の調査では「仕事を辞めた後の自身の変化」を尋ねています。それによると「負担が増した(「非常に負担が増した」と「負担が増した」の合計)」の回答が、精神面と肉体面で過半数、経済面では7割近くにも達しています。 公益財団法人生命保険文化センターの調査によると、過去3年間に介護経験があるひとが経験した介護期間は、平均4年7ヵ月。なかには介護生活が10年以上にも及ぶ場合もあります。その間、肉体的にも精神的にも経済的にも、大きな負担を背負わなければならないわけです。


うーん、僕も、親戚の子供部屋おじさんを見ていて、

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かなり精神的に追い詰められているのを感じています。


ときどき、介護の手伝いをしたり、

愚痴を聞いてあげることぐらいしか、

僕にはできませんが、

何とか耐え忍びながらも、

その中で、

小さな喜びを見つけてほしいと、

思っています。




介護が長引くと貯蓄がゼロになることもあり得る



僕の場合は、父の在宅介護も長くはなく、

また、その2年後に亡くなった母も、

入院後すぐだったため、

介護が長引くことによる弊害はなかったのですが、

世の中には、3000万円もの貯蓄がありながらも、

介護離職後に使い果たしてしまうケースもあるようです。


以下は、その一例で、

幻冬舎オンラインからの抜粋。


「介護離職」で生活が破綻…3,000万円の貯蓄がゼロに



うーん、 800万円の年収が300万円台に。

そして、預貯金は底をついている、と。

独身者の一人介護の1例ですが、

人生いろいろ、介護もいろいろ。

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僕の親戚の子供部屋おじさんも、

今は、介護の日々。

ときどき、手伝いに行っていますが、

いろいろあるようです。




親の介護が終わった後に自分の老後資金不足に気づく悲劇



台風が近づいているというので、

昨日は、

今日の分も前倒しで検針業務をしたため、

ほぼ一日仕事となりました。


それなのに今は、

何か空が明るく、

まあ、嵐の前の静けさ、

なのかもしれません。


さて、今日は、介護の話。

僕の場合も、介護離職でしたが、

介護の後に、

気がついたら自分の老後資金がだいぶ少なくなっていた、

ということもあります。


今日は、そんなケースをネットで見たので紹介します。


問題は両親が亡くなった後に気づきます。介護していた兄弟姉妹の老後資金不足です。あるケースでは、両親が亡くなった時には、その娘も60代以降になっており、老後資金に困窮したという事例もありました。介護のため離職して以降、長年働いていなかった人が、その年になって急に働くのは困難極まりありません。

なかには、兄弟姉妹のことが原因で配偶者からクレームが発生し、夫婦問題に発展することも。できたら、両親が健在のうちによく話し合っておく方がよいでしょう。親が遺言書を残してくれれば理想ですし、せめてその兄弟姉妹の老後資金を準備対策しておいてもらわないと、大変なことになります。

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うーん、 僕自身の親の介護は、すでに終わっていますが、

今、親戚の介護の手伝いをしていて思うのは、

子供部屋おじさんの増加と、一人介護。


僕もそうでしたが、

配偶者のいない中年男が一人で介護を担うと、

煮詰まる場合も、あります。


僕の介護は、50代で終わりましたが、

世の中には、老々介護もあります。


親の介護も大切ですが、

親亡き後、

自分も年老いてくるわけで、

そのときに、

老後資金が不足していたら、

困るのは、

自分
です。


その辺のことも勘案しながら、

同時に、

後悔のない介護ができるのが、



一番いいですね。



ケアマネと再会しました


昨日は外に買い物に行く途中、思い立って湖に行きました。

僕の町には、二つの湖がありますが、昨日行ったのは小さいほうのもの。

湖の手前にある駐車場に車を止めた時に、ダッシュボードの埃を見つけたので、拭き取ろうと、トイレの水でタオルを濡らして拭いていたのですよ。

そして、タオルを洗おうと、トイレのほうを見たら、何やら見覚えのある人が。

もしかしたら、と思って声をかけたら、父の在宅介護の際にお世話になったケアマネでした。

彼は、4年前の当時二十代でしたが、もう子供もいました。

今はもう、30代になっているでしょうね。

会津の出身で、仕事のできる人でした。

その彼が、缶コーヒーを飲みながら煙草を吸っていたのです。

声をかけ、お互いのことなどはなし、短い時間でしたが、思い出話などで盛り上がりました。

息抜きの休憩場所として、ここにはよく来るのですよ、などと言っていました。

その彼と別れ、僕も、湖へと足を運びました。

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うーん、 結構な数の釣り人がいました。


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このベンチで、しばしの休憩。

もう、風は、秋の風、でしたねえ。

そのうちに、壮年の夫婦がやってきて、その夫婦と、思いがけず長い時間、話し込むことになりました。

特に、旦那のほうとは、1時間以上話していたかもしれません。

これから病院に行く途中、時間つぶしに立ち寄ったのだ、と、言っていました。

壮年夫婦と別れてから、湖をのんびり一周し、それから、買い出しのために、ライフに行きました。

ライフでは、今年6つ目のスイカを買いました。

お盆時期は高くて手が出せなかったスイカですが、買い求めやすい価格に落ち着いていました。

ついでに梨も買ったのですが、果物を見ていると、季節の移り変わりを感じます。



仕事を辞め、食べる術を失ってしまった自分はどうなってしまうのだろう


僕が、介護離職してホテル勤務を辞めたのが56歳のとき。

今日、配信されたネットニュースで、まさに僕と似た状況の50代の男性の記事を読みました。

以下が、その内容。

 柏原佳一さん(仮名・55歳)は「両親の介護のせいで、人生がすべて狂いました」と、うつむいたまま吐き出しました。  閑静な住宅街の一角に建つ、周囲と比べて大きなレンガ造りの家。ガレージには外国製の高級車。裕福な家庭であったであろうことが見て取れます。しかし「家計は、火の車なんですよ」と佳一さん。彼に、一体何が起こったのでしょうか。 「6年前に父が、4年前に母が、ともに認知症を患い、介護をせざるを得なくなったんです。父1人の時は母と2人で介護をしたので、私自身は仕事を辞めず出張や残業を減らして対応しました。しかし、母が倒れてからはそうもいかなくなり、仕方なく仕事を辞めることになったんです」  仕事を辞めた現在、もちろん収入はゼロ。大手企業で働いてきた父親の年金と、これまでの貯蓄で何とかやりくりをしているといいます。しかし、自分自身が好きで就いた仕事を辞めてしまった後悔が毎日のように襲ってくるのだとか。 「正直、仕事は辞めたくなかったです。でも、父は要介護認定1で、母は要支援2。こんな状態じゃ、特別養護老人ホームにはとてもじゃないけど入れません。民間の介護施設も考えましたが、両親の年金と私の稼ぎをすべて足して、どうにかこうにか2人を入居させられるレベル。そうなると私の生活が立ち行かなくなるし、家の維持費なども払えなくなるので入居させられませんでした」

 佳一さんには姉が1人いますが、「嫁いだ身だから、お金も支援もできない」と、実親のことにもかかわらず実家にも近寄らないそう。 「私自身も、もっと早くに家を出ていれば、もっと早くに結婚していれば……」  時に、いろいろな考えがよぎってしまうといいます。
今後両親が亡くなった際、仕事を辞め、食べる術を失ってしまった自分はどうなってしまうのだろう? 自分自身はいくら年金がもらえるのだろう? 結婚もせず独身の自分がボケた際、誰にも迷惑をかけずに死ぬことすらできないかもしれない……。佳一さんは、そんな不安に苛まれ、夜もゆっくり休むことができずにいるといいます。

 しかし、佳一さんの悩みは金銭的な不安だけではありません。現在、大きな悩みの種になっているのは、転んで腰を傷めたことがある母親のことでした。 「すでに完治して動くことができるはずなのに、ベッドの上に寝たきりになり『身動きを取ることができない』と言い張っています。そのため、何か用事があると私を呼び出すのですが、枕元に用意してあるステッキを使って、壁やタンスをバンバン叩くんです」  名前を呼んでくれれば聞こえるから「ステッキで叩くのはやめてくれ」と、母親に対して何度もお願いしているといいますが、認知症のせいもあって叩くのをやめてくれません。一度ステッキを母親のベッドから離してみたそうですが、狂ったように騒ぎ出してしまい、取り上げるのは断念したことも。 「深夜であろうと、早朝であろうと、母は何か少しでも不満があると、ステッキをガツンガツンと家具にぶつけ、私を呼ぶんです。もう、あの音が怖くて怖くて……」  朝起きてすぐに朝食を作り、2階と1階、別々で寝ている両親の部屋を回って食事をさせることから、佳一さんの1日が始まります。

「入浴は週に数回、ケアセンターへ行っています。しかし、その日以外は2人を着替えさせ、昼食を作り、食べさせ、掃除をし、夕食の準備をし……と、丸々1日が介護に費やされてしまっています。私1人の時間が取れないこともつらさを倍増させている気がしますね」  佳一さんは趣味だったゴルフにも、この5年間1度も行けておらず、テレビをゆっくり見たり、理容室に行くのでさえも半年に1度がやっとだといいます。 「両親を放って逃げ出したい。どこか遠くに行きたい。何なら、今すぐにでも自分が死んでしまえたらどんなに楽だろうと、そう思うこともあります。でも、ここまで育ててもらった恩もあり、どんなにつらくても見捨てられないのが現状です」  佳一さんは自分なりに誠心誠意、頑張って介護をしていますが「気配りが足りない」と母親からは面倒を見る度に罵倒され、追い詰められている様子。単身者介護は孤立しやすいと言われており、佳一さんもそういった状態に陥っているようです。


うーん、 お姉さんはいるようですが、事実上は一人介護状態。

僕との大きな違いは、仕事を辞めたくなかったこと。

僕はちょうど仕事に疲弊していて、辞めたいタイミングでの介護でしたから、すんなり介護の日常に入っていけました。

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また、就業中も、それなりの介護はしていましたから、慣れというのもありました。

外国製の高級車を持ち、ゴルフもしていたというから、ある程度贅沢な暮らしをしていたのでしょうね。

そういう人が、生活レベルが落ちるのは、苦しいのかもしれません。

僕の場合は、介護離職した後も、生活レベルはあまり変わりませんでした。

親と一緒にいられる時間を出来る限り楽しもう、としか、思っていませんでした。

介護のおかげで、会社を辞めるいい口実ができてラッキーぐらいに思っていましたから、同じ50代での介護離職でも、人それぞれなのだな、と、思った次第です。


今は、親を介護していたときとは別の意味で緊張した生活をしている

会社を離職する前に数年、そして離職後に数年、が、僕の介護生活でしたが、その時の緊張は、今も覚えています。

一人っ子は、自分が倒れたら、親の介護は、できなくなります。

その、緊張感、がありました。

また、お金を稼がねば、という気持ちもありましたね。

さらに僕の場合は、住んでいたマンションの売却と、実家に戻ってからの自宅の建て直しという課題があり、立ち止まっている時間はありませんでした。

当時のことを考えると、高速で物事が、展開していった感があります。

さて、今は、その両親も他界し、自分一人の生活。

もう、親を介護し、見取る、という責任はありませんが、今度は、自分一人が生き抜く算段。

これは、これで、別の緊張感が、実はあります。

親兄弟妻も子もいない天涯孤独者は、まずは保証人の問題が付いて回ります。

誰も頼れないので、自立心は一層強くなります。

ボケてなどいられない、と思うのです。

この緊張感があればこそ、アルバイト先で嫌なことがあっても、乗り越えられているのだと思っています。

そのような緊張感がなければ、自分は、楽なほうへと流れていきたがる人間なので。

で、この緊張感が、良いほうに働いていると、思えるのですね。

これも、人生計画なのかな、と。

さて、昨日は、母が生きていた頃によく一緒にランチを食べた寿司屋で昼食。

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一番乗りだったので、あらじるの身のあるところをお椀に、入れることができました。

ランチは、あら汁飲み放題なので、2杯いただきましたよ。

今週は、外食が、これで3回目、かな。

そのあと、町の図書館に行き、堀江貴文の本を借りて、そのまま、アルバイトへ。

昨日は、雨の中の作業でしたが、一昨日ほどは暑くなくて、助かりました。


ダブル介護をしていた頃に、はなはだ迷惑だった営業の電話

3年数か月前に、父の介護で会社を辞めたとき、母も膝が弱っており、介助が必要でした。

ダブル介護というほどではありませんが、介護と介助の生活。

で、おひとり様の僕が、介護と介助をしていたわけですが、そのようなときに、はなはだ迷惑だったのが営業の電話でした。

これは主に、固定電話のほうにかかってくるのですが、ケアマネジャーや看護師からの電話もあり、電話のたびに、いろいろな作業を中断して応対したのですが、それが、長々とした営業の電話だったりすると、ええかげんにせんかい、という気持ちにもなりました。

多かったのが、インターネット接続関係の営業。

回りくどい話をしながら、結局は営業。


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何でこんなことを想いだしたのかと言うと、先日、似たような電話がかかってきたからです。

今、NURO光というのを契約しているのですが、それを、マノマにしろ、との内容でした。

まあ、今は、介護をしているわけでもないので、そうした電話も迷惑にはなりませんが、当時は、本当に迷惑以外の何物でもありませんでした。

たとえば、痰の吸引をしている最中の電話でも、もしかしたら、ケアマネや看護師からの大事な要件かもしれないので、介護作業を中断してでも出るのですよ。

その電話で、営業の話をされたら、怒りもわいてくるというモノです。


インターネット関係の電話営業が圧倒的に多く、それ以外では、家のリフォームとかの電話営業などでしたね。


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