あれが欲しい、これが欲しい、というのが執着であることはわかりやすい話です。

 ああなりたい、こうなりたいも、執着であることも、わかりやすいです。

 しかし、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようも、形を変えた執着です。いわば、心配執着ですね。

 そうなって欲しくないという、逆の執着が、自分を苦しめているわけですね。これは、結構、僕の場合、あるように思います。

 オリンピックなどでも、これはあるのではないでしょうか。メダル候補と言われているのに、取れなかったらどうしよう、とか。

 人は、取り越し苦労をするものです。消費が伸び悩んでいるのも、その一つには、将来への不安があるからです。週刊誌なども、不安な記事を書けば売れると思っている節があります。

 すべては需要と供給のバランスで成り立っているので、仮に国民すべてが楽天家になって、不安な記事の需要が落ちれば、週刊誌も明るい記事を書くようになるでしょう。

 今は、利益が出るのは早くて1年という仕事を始めている僕は、たまに、全然だめだったらどうしようと弱気になることがあります。
  
 こういうときは、僕も心配執着にとらわれます。これは結構苦しいものです。

 そういうときの打開策は、「まあ、それもいいかな」と思うことです。気を楽に持つ、手放す、おおらかになると、楽になります。楽になると、想像上の幻に怯えていたことがわかります。

 でもまた、不安になるんですね。そうしたことを繰り返すうちに、少しずつ、気づきを得て、前よりはいくらか賢くなったりします。強くなったり、おおらかになったり、寛容になったりします。

 悩みの大半は、実体のない幻です。