昨日の話の続きになりますが、

この世での日常が、

そのまま、

あの世での生活へと続くことを、

見ていきたいと思います。

引用元は、

昨日と同じく、

「500に及ぶあの世からの現地報告」です。

九年後、マイケルの述べたことと同じような内容が、別の霊から届けられた。「私の名前はブリッグスと言います。地上にいたとき何年もの間、クリスタデルフィアンの信者でした。これはアメリカの一宗派で、自分たちだけが死の世界から引き上げられ、キリストが世界に君臨するためにエルサレムから地上へ戻るとき、ともに地上へ戻ることができる、と信じていました。私は地上にいたとき、自分の狭い視野の中で、自分たちのような教えを受け入れ信じた者だけが神の王国を受け継ぐことができる、と信じ込んでいました。私は今、これは全く馬鹿げたことだったと思っています。誰もが神の王国を引き継ぐのです。なぜなら、それが自然の法則だからです。人が死ぬとその霊は、霊的世界(霊界)へ行って、そこに住むようになります。霊界は地上を取り囲むように存在しています。われわれは誰ひとり忘れ去られることはなく、誰でも自分の本性と地上で積み上げた内容、また不足している内容に応じて、自分にふさわしい霊的世界へ赴くようになるのです。このことに例外はありません。別の言葉で言えば、人は自分の考え方・生活を通してつくり上げてきた結果を、そのまま正確に自分自身で受け取るようになる、ということです。宗教それ自体には救いはありません。宗教は必ずしも人間を善くするものではありません。人が善くなるのは、自分が霊的存在であることを自覚して、正しい努力をしたときにのみ可能となるのです」さらに彼は、あの世へ行ったばかりのときの様子を話し続けた。「私の心は真理から閉ざされていました。最初こちらへきたとき、ある環境の中に自分自身がいることに気がつきました。そこは私にとって、とても心を満たされる幸せな場所でした。私は“パラダイス”にきたと思いました。しかし今にしてみれば、そのときの私は全く馬鹿げたパラダイスにいたことが分かります。そこは、完全に自分と同じような考えを持った人々から成り立っている世界でした。私がそれまで信じていたのと同じ信仰を持った人々が集まってつくられた特殊な世界でした。彼らも私と同様、教会の教えを絶対的真理であると信じ続けていました。私たちは、自分たちの集まりと讃美歌の合唱と祈りに満足しきっていました。そしていつになったら、これまで言われてきたように“復活の時”が到来し、肉体をまとって地上の楽園で楽しく生きることができるのか、と話し合っていました」彼の再教育の時は、ゆっくりとやってきた。彼が不安を感じ始めたとき、それは始まった。そして彼は自分のグループ以外の人たちの存在に気がついたのである。その人たちも自分と同じように死後の世界にいるように思えた。その人たちが彼に話しかけてきたが、その中の一人、バーナードという人間が彼を散歩に連れ出した。そしてバーナードは、自分は生前、ローマ・カトリックの司教であったと言った。ブリッグスは恐れた。いつもカトリックとスピリチュアリズムは呪われた邪悪な存在である、と教えられてきたからである。「心配しないでください」とバーナードは言った。二人は、ひと続きの小さな孤立した共同体を通り過ぎたが、そこにいた人々は、いまだに三百~四百年前の地上世界と同じような服装をしていた。そして最後に美しい町に着いた。そこでは人々は自由にのびのびと愛に満ちあふれて生活しているように見えた。ブリッグスは言った。「そこには、全世界の人々に与えたくなるような平和が満ちあふれていました。私は今、人間はいったん心の束縛から解放され、自分自身で自由に考えるようになると何の障害もなくなる、ということを声を大にして言いたいのです」彼の“再教育”は、こうして完了したのであった。


上記は、

ブリックスという、

かつてアメリカの、

とあるカルト団体の信者だった霊の告白。


霊界の様子は、

霊界にいる者に訊くのが良い、

とはまさにこのことです。


牧師が天の国の話をしても、

それは聖書、

もしくは自分たちの教義の、

範囲内のことしか、

語りようがありません。


彼は、地上に生きているため、

霊界のことなど、

知りようもないのです。


どの教団に属しているかなどは、

どうでもいいことであり、

霊性の向上には、

何の関係もないということです。

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肝心なのは、

ブリックス霊が言うように、

「宗教それ自体には救いはありません。宗教は必ずしも人間を善くするものではありません。人が善くなるのは、自分が霊的存在であることを自覚して、正しい努力をしたときにのみ可能となるのです」
 
の部分です。

霊界でのブリックス霊の覚醒は、

彼が不安を感じ始めたとき、それは始まった

とあるように、

内なる変化、

たとえば違和感のような、

そうしたものが生じたのち、

初めて、

外の世界を見ようというスペースが生まれるのです。


これは、

僕が、

最後に所属していた宗教団体においても、

実際に経験したことでもあります。


僕の場合は、

それが、

地上生活で起こったというにすぎません。


地上にあっても、

死後の世界にあっても、

その個性は変わらないので、

覚醒がいつ起こるかは、

他人には知る由もありませんし、

また、

別の視点に立てば、

個性というものは、

それだけ尊重されている
とも、

言えるのかもしれません。