この世に、完璧な人間はいない。
だが、同時に、全くダメな人間もいない。
人間にはいろいろな側面があり、
多面的な存在である、と。
これは、自分を観察していてもわかりますね。
たとえば、僕はかつてのバイト先では、
本当にわずかな側面だけで周りの人と接していました。
まあ、そうせざるを得なかった、という事情もありましたが。
以下は、日刊ゲンダイDIGITALからの一部抜粋。
「かつて、猿之助さんは一門の弟子に向かって“弟子なんか家畜だからな! お前らは家畜だよ!”と怒鳴り散らしたことがあったと言います。澤瀉屋のリーダーとして絶大な力を持っている分、一門に関係する役者たちは猿之助さんには絶対に逆らえない。そうした業務上の上下関係が、一般社会で言うハラスメント行為に発展してしまっているのです。もちろん猿之助さんは独身なので、業務上の上下関係があっても、お互いが求め合えば自由恋愛です。ただ、業務で優越な立場にある側が性的な関係を求めることは、相手の受け止め方によってはパワハラやセクハラにあたるのは、いまや常識です」「猿之助さんを拒絶したら怖い」というイメージが、一門の中には充満しているという。長年、澤瀉屋で役者をやってきた者も猿之助に嫌われれば、エキストラのような役しか与えられない。仕事のため、将来のためと自分に言い聞かせて我慢すれば、猿之助の覚えがめでたくなり、芸歴や実力には不相応ともいえる役を与えてもらえる。歌舞伎の世界は男社会である。同誌の中には「澤瀉屋周辺では、そうした猿之助さんの行動は知られた話で、周囲は、“今日は彼が腕枕要員だったんだな”という目で見るばかりだと言います」(劇場関係者)という記述もある。これが事実だとしたら、絶対的な権力を持つ者が、自分の欲望を満たすために下の者を性的に蹂躙(じゅうりん)していたジャニー喜多川のケースに酷似しているのではないか。
うーん、 僕が最初に家畜という言葉を、ネットで目にしたのは、
ある宗教団体の元職員の書き込み。
信者からは、美の女神、
アフロディーテと崇められていた教祖婦人が、
その人格は感情の起伏が激しく、
口が悪く、ときどきヒステリーを起こし、
その際に口にするのが、職員は家畜という言葉。
その教団は、仏教的な教えも説かれており、
仏教の基本教義の一つに五戒、というものがあり、
その中には不悪口、すなわち、
人の悪口を言わない、があるので、
また、何というでたらめなことをこの元職員は書きこんでいるのかと、
憤慨したものでした。

しかし数年後、
教祖がその夫人と離婚するにあたり、
実はその元職員の書き込みが、
真実であったことが知れ渡ります。
しかし僕のショックはそのことよりも、
神とされる教祖の口から際限なくあふれ出てくる嫁への悪口の洪水。
僕は、こちらのほうがショックで、開いた口がふさがりませんでした。
そのことだけが原因ではありませんが、
他にもいくつかの違和感があったことから、
3年ほど、教義の検証を行い、退会しました。
100歩譲って、教義が正しかったとしても、
その教義を少しも実践できないのであれば、
道の人ではありません。
自分を高いところに置き、
立派なことを言いながら、
実践が伴わないのであれば、
そのことに気づいた人から、
離れていくでしょう。
人間は不完全です。
だからこの世に生まれ出て、
それぞれが、
それぞれの立場で、
精進しているわけで、
その姿こそが尊いのです。