父を在宅で介護していた時は、
死ぬ瞬間には立ち会えませんでしたが、
死の前日、自宅で入浴サービスを受けた父が、
気持ちよさそうに微笑んでいたのを思い出します。
そしてその夜の深夜、
つまり翌日の午前3時ごろに、
老衰で息を引き取りました。
発見したのは夜明け前で、
僕がトイレに行った際にベッドを覗いたときでした。
その死に顔は安らかでした。
すぐに担当医に電話をし、
駆け付けた医師が死亡診断書を書き、と、
慌ただしく死後の行事が続きました。
さて、安らかな死というと、
お釈迦様を思い出します。
クシナガラの地で、弟子たちを前に、
仏陀亡き後は、法を拠り所として生きよ、と、
示唆を与えました。
有名な、法燈明自燈明の話です。
法と、自らを拠り所として生きなさい、と。
一方、イエスの死は十字架上での処刑。
罪人として裁かれた惨めな死でしたが、
三日後によみがえり、
弟子たちの前に姿を現し、
その後、イエスの復活を実体験した弟子たちは、
人が変わったように強い信仰者となり、
やがてキリスト教は世界宗教へと広がっていきました。
昨年の12月30日の、
牡丹園での、
Iさんとの対話以降、
観の転換があり、
さらに内省に拍車がかかり、
内へ内へと入り込みたがる精神。
その内にこそ、
実は広大な宇宙へとつながる道があるという感覚。
今年のイースターは4月9日らしく、
イースターとは復活祭のことで、
クリスチャンであれば常識でしょうが、
一般的には、クリスマスほどには認知されておらず、
イースターはその年によっては3月下旬になることもあり、
毎年4月にあるわけではありません。
そして、お釈迦様の誕生日とされるのもまた、4月。
4月8日には、灌仏会と言って、
釈迦像に甘茶をかけてお祝いしますね。
これも、仏教徒であれば知っていることですが、
クリスチャンの中には知らない人もいます。
さて、今年は、イースターは4月9日。
灌仏会はいつものように4月8日。
4月の第二土曜日曜がそれにあたります。
昨日で、
自治会の総会も終わったので、
僕のほうも、
一区切りがつきました。
これからは、
灌仏会、
そしてイースターに向けて、
仏陀とキリストという、
その死に方も、
教えの広がり方も異なる、
二つの世界宗教について、
更には、
今後の世界の在り方について、
思索を深めていきたいと、
思っています。