道、のことを、タオ、ということもありますね。

道があれば、人は、そこを歩いていくことができます。

勿論、道なき道を行く人もいますが、

それは、大変な苦労を強いられます。


これは、僕の人生観でもありますが、

人には、自ずと、定められた道が、

あるような気がしています。


子供の頃に土に釘などで文字を書き、

掘ったところを埋めてその文字を隠し、

友だちと、

書いた文字の当てっこをして遊んだときに、

ああ、人生とはこういうことなのかな、

と思ったのです。


子供ですから、

言語化能力はなかったのですが、

あらかじめ文字が書かれていて、

それは隠されていて、

その文字を見るには、

埃を払えばいいのだ、と。


それは、一瞬だけ、

頭をよぎった感覚のような思いで、

勿論そのことを友だちに説明する言語力もなかったし、

説明が難しいのですぐに手放したのを覚えています。


で、また遊びに興じて行ったのですが、

幼いころの記憶というものは、

長く保存されているものです。


何が言いたいのかというと、

答えはシンプルで、

それは、自分の内側にある、と。


この世の雑多な情報に流されていると、

とんでもない場所に連れて行かれますよ、と。

あなたの行く場所は、そちらではない、と。

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誰もが、本当の居場所を、知っているのです。


でも、日々の暮らしに流されている自分が、

あまりにも本質的な自己と乖離してしまうと、

その本来の自分からのメッセージを、

受け取れなくなってしまいます。 

だからこそ、

自分と向き合う時間は、

確保しなければいけません。


カルト宗教や占い師、街の霊能者などに頼ると、

さらにおかしなほうに連れていかれてしまい、

ますます自己を見失う羽目になります。


大切なことは、自分、をこそ、大切にすること。


それは決して、エゴイストになれ、ということではなく、

真に自己を大切にして生きている人だけが、

他者を思いやれるのだと。



「小事は智によって成し、大事は徳によって成すが、最大事は運によって成す」

と、言われています。

運、を、知ることが、安らぎへの道、なのかもしれません。

そして、それこそが、

天命に従って生きる

ということのように、

思えてなりません。