昨日は、請負アルバイトの現場が鳩山町。

夕方、おそろしいほどの豪雨の中で立ち止まる。

また、自治会の活動もあり、なかなかに大変な日でした。


夜には、僕の住む町でも、一時間に120ミリの猛烈な雨が。

警戒レベル4以上に相当する状況で、

スマホの警戒アラームが断続的に何度もなる、と。


まあ、昨日の僕のことは、そのくらいにしておいて、

安倍さんの葬儀の様子を夜、テレビで見て、

徳の高い政治家であったと、改めて思いました。

本当に日本が大好きで、

日本を思う気持ちが強かった、と。


さて、今日は、前回の記事からの続きです。


自民党というのは、右寄りから左寄りまで、

実に多様な議員の巣窟。

素晴らしい議員もいる一方、

クソのような議員がいるのも事実。


記憶に新しいところでは、18歳の女子大生に酒を飲ませ、

ホテルに連れ込んで淫行に耽った吉川議員などがいます。


そんなスケベ議員のところに、

美形の若い女性信者が、

ボランティアとして教団から送り込まれたら、

だいたいどうなるかは想像に難くないでしょう。


スケベなうえに頭も悪い、人間性もひどい議員であれば、

その女性信者の献身的な働きを見て、

とんでもない勘違いをすることもあり得ます。


これを、送り込まれた信者の立場から見ると、

どんなダメ議員であっても、

彼女はそこに、まことのお父様、を見ているのです。


つまり、幻を見ているということ。


そのように洗脳されていますからね。

これを、教団では、ハベル、と言います。

侍るという字ですね。


お父様だと思って尽くしてきなさい。

そうアベルから言われ、

送り込まれた女性信者の献身的仕事に、

感動する政治家は多かったようです。


大半の政治家は、感謝こそすれ、

そうした女性に手を出そうとは思わないものです。

お宅の教団には、本当に素晴らしい若者が多い、

とのお褒めの言葉を僕も何度も聴かされました。


念のため、誤解なきように付け加えておきますが、

政治家のところにボランティアに行くのは、

女性信者だけではありません。

数としては、男性信者のほうが多かったと記憶しています。


政治家からすれば、一円のお金も使わずに、

手弁当で駆けつけて応援してくれる若者が、

いずれも礼儀正しく、

徹底的に尽くしてくれるわけですから、

喜ぶのは当たり前です。


その必然として、

こんなに素晴らしい若者が学んでいる組織であれば、

悪い団体ではない、どころか、素晴らしい教えである、

と思うようになります。


つまり、教団も政治家も、winwinの関係にあるわけで、

それをつないでいるのが、

洗脳された純粋な若者たち、なわけです。

特に僕が当時所属していた第9地区は、北区赤羽にあり、

東北出身の若者が多く、素朴な人が多かったです。


岸田総理の側近に、木原議員というのがいますが、

たとえば、あんなワルのところに、

そうした純粋な女性信者が、

ボランティアに行ったらどうなるか、

想像しただけで、吐き気がしてきます。


岸田さん自身は真面目な人だと思いますが、

得てして真面目で権力のある人の近くには、

悪党議員が近づく傾向がありますね。


まあ、こんなことを話していると先に進まないので、

視点を変えて、

統一教会の若者たちの気持ちを代弁すると、

自分が捨て石になってでもみ旨を成就したい、です。

み旨とは、再臨主である文鮮明、

まことのお父様の目指す理想世界実現、です。

信者の若者が、

共通して目指しているのは、そこ、なのです。


だから、どんなに理不尽なことを言われ、

されても、耐え忍びます。


女性は結婚するまでは純潔を守り、

お父様が決めた相手と結婚する、

合同結婚式に出るのが、まずは最初の目標。


その過程でセクハラを受ける、

女性の気持ちを考えると、

いたたまれなくなります。

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自分はお父様のみ旨実現のための手足となって、今ここにいる、

しかし、その相手から、いやらしいことをされている、

この矛盾に晒されます。


それに耐えきれずに精神を病んだ姉妹もいるし、

アベルに泣きついて、

もう行きたくないと叫んだ姉妹もいました。

あまりにひどい場合は、配置換えもありました。


アベルにはその上のアベルがおり、

ホウレンソウが徹底されていましたから、

ああ、ホウレンソウというのは、報告連絡相談の略で、

すべてアベルの言いなり、です。


端的に言うと、政治家から見ても、教団から見ても、

信者は使い勝手の良いコマにすぎません。

洗脳された人間は、操り人形です。

権力者の思うままに操られるだけ。


今回も長くなってしまいましたので、この続きは次回とします。

人間は、痛みには慣れることもできますが、



悲しみは、止まりません。