安倍元総理が射殺されました。
ちょうど昨日はいくつかの用事を済ませ午後3時ごろに帰宅。
エアコンをつけると同時にテレビをオンにすると、
安倍元総理に関する報道が。
犯行を犯した男が、
ある団体についてうらみがあるとかで、
真っ先に頭に浮かんだのが統一教会。
まだ、事の真偽ははっきりしませんが、
統一教会内に勝共連合という組織があり、
僕が洗脳されていた20代の頃は、
自民党との太いパイプを自慢していました。
安倍元総理の冥福を祈ると思に、
この時代の生きづらさについて少しだけ。
この数年を見ても、
期待していた東京オリンピックは盛り上がりに欠け、
コロナの終息はまだ見通せず、
30年も横ばい、もしくは下がり気味の年収、
人口減少、社会保障費の際限のない増大、
世間に恨みを晴らそうとする無敵の人の増加、などなど、
不安材料は枚挙にいとまがない状況。
この調子で話すと長くなりそうなので、
結論から行きましょう。
達観、しかないと思います。
安倍元総理の悲劇を他人事とはせず、
誰にでも起こり得ることと思うこと。
現に宮城県でしたか、女子中学生が通り魔に襲われ、
襲った犯人は誰でも良かったと言っているとか。
つまり、自分だけは例外、と思うこと自体が危険。
別に有名人だけが襲われるわけでもありません。
あるいはまた、京都アニメの例を持ち出すまでもなく、
根拠のない思い込みによる逆恨みもあります。
事程左様に理不尽があふれているのが、この世、というもの。
だからこそ、
そうした理不尽な世界に生きる不自由さを自覚して、
いつ死ぬかなどわからない覚悟で、今日に向かうこと。
そうすれば、今日が、貴重に思えてきませんか。
そして、やりたいことは、先延ばしにしないこと。
人生は、
やりたいことを先延ばしにするほど、
長くはありません。
本当に明日のこと、否、少し先のことなど誰にもわからない、そう思います。
「人生はやりたいことを先延ばしにするほど長くない」
この言葉もしみます。
安倍さんのご冥福を祈るとともに、自分のいまを生きること、これを再確認しました。