いかに自分が学ばない、独りよがりな人間であったかは、
過去記事でも散々書いているので繰り返しませんが、
たとえば、このブログにもたびたび登場する友人Oなどは、
若い頃からかなり優れた見識を持っていたと思います。
それは、彼の生い立ちに起因することも多いかと思いますが、
やはり、資質なのだともいます。
一方僕はと言うと、愚か者の極みだったので、
感情の起伏が激しく、人を信じやすく、また、バカにもしやすく、
まあ、そこそこの人間からすれば、
簡単に操れるタイプの人間でしたね。
で、そんなレベルの低い自分でしたから、
当然、痛い目にも合うし、悲惨な目にも合うわけで、
そうした体験を通して、学んでいくしかなかったわけです。
これは一つには、僕が一人っ子で、
家庭内で社会性を身に付けるのが難しかったせいも、
多少はあるかもしれません。
兄弟がいれば、その中で上下関係や、
親からの愛情の分け前を意識するなど、
家庭内で、ある程度の自分の立ち位置という、
社会性、客観性を身に付けられるのでしょうが、
一人っ子は、家庭内では王子様になりやすく、
愛情を受けるばかりで、学べません。
さて、フルボッコにされたり、ハーフボッコにされたりで、
痛い目に遭いながら少しずつ学んでいった僕は、
おそらく、
そのようにプログラミングしてきたのではないかと、
思えるのですよ。
今、内省の時期に入っていて、
古代インドでは、林住期にあたります。
で、何が言いたいのかというと、
自分の成長に合わせて、いろいろな人物が現れ、
僕を導いてくれているように思えます。
最近では、風のハリマオさんから、
大きな気づきを得ました。
風のハリマオさんは、
その人柄ゆえか友人も多く、
人生の楽しみ方を知っている人、です。
また、ピクスタというサイトで、
自分の撮った写真を多数、
展示販売しています。
さらに言うと彼は、
名立たる写真の賞を、
数多く受賞している写真家でもあります。
愛犬の写真が多いので、
興味のある方は覗いてみてください。
で、話を戻すと、
人生の適材適所で、
お互いに学び合うような人間が登場し、
織物のように展開しながら、
心の成長をしていくのではないか、と。
友人Oとは、
今でも付き合いがありますが、
かつての友人の中には、
時の経過とともに疎遠になっていった人もいます。

人間関係というのは、
不思議な流れの中で形成されていくものだなあと、
実感する日々。
まあ僕は未熟な分、
人間関係には恵まれていて、
それで何とか、
これまで生きてこれたのだと思います。
これからの人生も、
,
ただこの流れのままに、
生きていく所存です。