実は僕も、

かつては、

「目標がないと生きがいを感じられない人」

でした。 


そして、

いろいろなことに、

罪悪感を感じてしまう人間、

でした。


かくあるべし、

という思いが、

強かったのですね。


これについて、ひろゆきが、面白いことを言っているので紹介します。


自分磨きが当たり前になることによる弊害。  それは、「何もしていない人」「ダラダラ過ごしている人」が「もったいない!」「人生を無駄にしている!」「何も考えていない!」と、攻撃される対象になってしまったことです。  あたかも悪いことをやっているかのようになったのです。  それにより、週末に何も生産的なことをせずにダラダラ過ごしている人が「私はダメな人なんだ……」「みんな頑張っているのに……」と、罪悪感を持つようになったんです。  でも、それって、ちょっと行き過ぎなんじゃないかと僕は思うんですよね。  別に、自分の時間に何をしようが、その人の自由なわけです。ダラダラすることが無駄なのであれば、なんのために生きているのでしょうか?  バリバリ働いたり、時間を有効活用している人は、逆の見方をすると、「目標がないと生きがいを感じられない人」です。  つまり、ヒマな時間を上手に過ごすことができない。それって、かなり息苦しい人生だと思いますよ。  ということで、ダラダラ過ごすことに罪悪感なんて持たずに、ヒマな時間をヒマなものとして過ごせるほうが、人生は豊かだと思います。


うーん、勝間和代と議論したひろゆきが、

彼女をフルボッコにしたのは、何年前でしょう。

僕は、勝間さんの考えも理解できますが、

人間は、そんなに立派ではないし、

ましてや、ロボットではないのですよ。


休日も、好きなように過ごせないのでは、

何のために生きているのか分かったものではありません。


充実感、

とやらの胡散臭さも、

一考の余地があります。

以下は、クリシュナムルティの言葉。

もしあなたが「私は退屈している。だから何か他のことをやりたい」と言うなら、あなたは単に退屈から逃避しようとしているだけなのです。そして私たちの活動の大部分が逃避であるため、社会的な面だけでなくあらゆる面で、あなたははるかに多くの実害を及ぼすことになるのです。あなたがありのままの自分でいるときより、あなたがあなた自身から逃避するときの方がはるかに実害は大きいのです


太字にした部分は、僕が強調したいところ。

あるがままの自分に向き合うことの功徳は、計り知れません。

目標を与えられ、走らされる人生ばかり生きていると、

このことの重要性に気づきません。

その結果、虚しさから逃避するために、

アルコール、セックス、ギャンブル、爆買い、などの刺激を求めます。

場合によっては、戦争すら引き起こします。

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本当に豊かな人は、

ダラダラ過ごしていても、

罪悪感など微塵もないし、

そのだらしない自分をも、

楽しめてしまうものなのです。