僕は60代で住宅ローンを支払っている身。
どう見ても、勝ち組では、ありません。
さらに言えば、天涯孤独者。
妻も子も、さらには、兄弟すらいない、と。
だけどいたって幸せで、満ち足りています。
幸せは、他人が判定するものではない。
自分が決めるものです。
さて、話を戻して、
何で幸せなのか。
それは、自由に生きているから。
自由の中の一つに、経済的自由、があります。
おめえ、60過ぎて、住宅ローンまで払ってて、
何が経済的自由だよ、と言われるかもしれませんが、
自分の才覚で収支をコントロールできていれば、
それは、自由の範疇、なのです。
僕は、わずかな資金ですが、
株式投資をしています。
そちらに持ち金をより多く投入しているので、
預貯金は50万円以下。
全財産をひっかき集めて、
住宅ローンの返済に充てたとしても、
まだ、完済には届きません。
ということは、
有り金をすべて投入しても、
住宅ローンの残債は残る、と。
であるならば、
長期に構え、
幸い金利も安いので、
手持ち資金を上手く回しながら生きていると、
こうなっております。
そこで、ロバート・アレンの言葉が、生きてきます。
裕福な人が裕福であるゆえんは、彼らがより多くのお金を持っているからではなく「自由になる時間」をより多く持っているからです。彼らの収入の流れは一度の労働に対し何度も支払われるタイプの収入であるため、やりたいことをやる時間がたっぷりあるのです。
「それきり型収入」は一度働いて一度収入を得るという意味。「一生型収入」は一度働いて、何千回も収入を得ることだ。眠っている間にお金を稼げなければ、決して金持ちにはなれない。
自分が現場から離れていても得られる収入の流れを目指すべきです。家族経営の零細ビジネスや街角の食品雑貨店をやろうというのではありません。手にしたいのは朝起きようが起きまいが、仕事しようがしまいが、確実に入ってくる収入の流れなのです。
医者やトップセールスマン、弁護士など、彼らのほとんどは一回の労働に対し一回の報酬しか得られません。彼らはお金持ちに見えるかもしれませんが、多くの人と同じように回転ドラムのなかをひたすら走っているにすぎないのです。
成功している人たちは、常に複数の収入源を持つ必要性を知っていました。一つの収入源が枯れても、他のたくさんの収入の流れで補うことができます。一方、普通の人たちはとても危険な立場にあります。一つの収入源を失うと、破滅してしまうということになりかねません。そして再起するのに何年もかかることになります。
うーん、豊かになりたい人には、どれも刺さる内容。
そして、考えさせられるのが、以下の言葉。
私が考える『クレイジーの定義』とは『わずかなお金を得るために嫌いな仕事を50年も続けた揚句、貧乏なまま死ぬこと』
うーん、刺さるなあ。
僕は豊かさの研究をするようになってから、
少ない資金でも株式投資で回しながら、
労働だけに頼らないお金の流れを作りました。
投入資金が少ないので、
そのフローはわずかですが、
できる範囲で、
行動することが肝要。
たとえば、ですが、
僕の外食の8割は、株主優待利用でのもの。


これだけでも、家計には大助かり、です。
そして年金が入るようになれば、
それは、死ぬまで入ってくるキャッシュフローですから、
さらに自由度は、増していきます。
ということで、
労働という名の「それきり型収入」だけに頼った生き方からの脱却が、
人生を生き易くするキモ、だと思っている、
僕なのでした。