ウクライナでは、この戦時下でも、新生児がいます。

つまり、この戦火の中で生まれたということ。


僕は、戦争も知らず、大した苦労もせず、60代に。

それは、たまたま、

生まれ合わせた時代が良かったから、

だけなのかもしれません。

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人生とは、配られたカードで生きることだと、

最近強く、思います。

麻雀で言えば、

最初の配牌が、生まれた時の状況。

役満に近い手もあれば、

どう足掻いても、テンパりそうもない手もあります。

でも、その配牌で、進めるしかない、と。


また、過酷な配牌にある人達に思いを馳せ、

祈ることも、人としての在り方。

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こうした避難民の苦しみを想うとき、

自分がこの群衆の中の一人であったとしても、

何の不思議もない、と。


過酷な状況を憂い、

涙しながら祈っている僕のクリスチャンの友人と、

電話で話しました。


主イエスに祈り、神に祈っている、と。

僕はクリスチャンではありませんが、

僕も、彼とともに祈りました。


すべてのキリスト教会がそうではないかもしれませんが、

多くの教会で、兄弟姉妹のために祈る、

ということを、していますね。

あれは、とても良い、と、思っています。

苦しみの時、苦難の時は、ともに祈り、支え合う。

そうした習慣ができているからこそ、

遠い異国にあって、苦難の中にある人のことも、

自然に祈れるのでしょう。


勿論、クリスチャンに限らず、

何ら宗教を持たない多くの人も、

ウクライナの人たちのことを気にかけ、

募金をしたり、祈ったりしていると思います。


プーチンに、どれだけの大義があるのか、

僕は、知りません。

ただ、こうしている今も、

ウクライナの人たちは、老いも若きも、

また、善人悪人を問わず、

死んで行っています。

それが、戦争というもの、です。


インフラが断たれ、

脱水症状で死んだ幼い女の子。

氷点下の気温の中、

震えながら歩く子供たち。


77年前、東京大空襲がありました。

21世紀の今この時に、

また、暴力に晒されている幼い命たち。


改めて、

自分の宗教遍歴と、

精神の足跡を振り返りました。


そして、

今できる、

今日の一手を、

考えています。


残された寿命を、

頭の中で、

推測しながら。