部屋が散らかっていたり、モノがありすぎると、
どこに、何があるかが、わかりません。
そのため、探し物にやたらと時間がかかったり、
探しても見つからずに、また、同じものを買ったり、
買った後に、大概出てきたりして、
必要のないものの二度買いもある、と。
実はこれ、前職のホテル勤務時代での経験。
ホテルの備品は、家庭の比ではありません。
膨大な数の備品、さらには道具、部品。
それらが、乱雑極まりない状態で放置されていたのですが、
誰も、片付けようとはしませんでした。
たまりかねて、重い腰を上げたのが僕。
僕自身、掃除も片付けも得意ではなかったのですが、
やむにやまれず始めて、片付け終わったときには、
社内での評価が上がっていました。
で、僕の話はそのくらいにして、
人生で、探し物に費やす時間は、膨大。
その時間、イライラするし、焦るし、
血圧も上がるしで、意味のないマイナスの時間。
ただでさえ、有限の人生。
汚部屋で探し物をしている時間、
そのイライラを募らせている時間、
生命力を蝕んでいる時間、
それが、人生の錘となっているわけで。
以下は、ネットで見つけた、タイムリーな記事からの一部抜粋。
なるべくモノを持たない、モノを減らすということは、可処分時間を増やすことにつながります。たとえば自宅に衣服が多ければ、衣替えに時間がかかり、クリーニングに出す点数も増えるでしょう。
部屋に小物類が多ければ、ホコリをはたくなど掃除をしなければならないし、文具や情報機器類が多ければ、充電したり外出時にカバンの中に入れたりするモノも増えます。モノが増えればそれを探す時間も増え、片付ける時間も増えるのです。
1日に10分、そうした作業が発生するとすれば、年間60時間、30年で75日分の時間が奪われ、その時間を使ってできたはずのことができなくなります。しかし、モノが少なければその分、保管する、探す、取り出す、掃除する、片付ける、という手間が不要になります。
うーん、モノを探す時間の無駄、
そして、その労力の不毛さ、
そうしたことが腹に落ちてわかれば、
断捨離への意欲も、明確となります。
迷ったら、捨てる。
捨てていいのはモノであって、
モノを溜め込むことで失う、
貴重な時間こそが、
人生の質を決める構成要素。
良い時間、良い空間、こそが、
豊かな生活だと、思っています。
日々断捨離しているのですが、今の時期などはつい衣類を増やしてしまい、前の服は捨てるのが勿体ないなどと考えてしまい、結果増えてる感じ。
探す時間も無駄だし、洗濯と畳んで収納の時間が最大の敵です。