僕自身は、孤独耐性があり、孤独には強いほうだと自負しています。
若い頃は、真逆でした。
ペシミストでしたから。
で、基本的には、一人で内省的な生活をすることに深い喜びを覚えているのですが、最近感じた孤独、寂しさについて、話そうと思います。
最近と言っても、それは、去年のことになりますが、長野県の渋温泉に行ったときのこと。
このブログでも、その旅行のことは少し書きましたが、11月のことです。
で、渋温泉の温泉旅館で、外湯めぐりを終えて、くつろいでいた時だから、17時半ごろでした。
急に、孤独を感じたのです。
温泉旅館は、一人暮らしになってからは、滅多に行かなくなっていました。
その理由は、一人で行くには不経済だし、ビジネスホテルのほうが楽だし。
でも、そのときは、例のgo-to-キャンペーンもあって、ちょっとお高い宿に泊まったのです。
で、18時から、夕食で、その前の時間だったのですが、急に襲ってきた孤独感。
広い部屋に一人。
そして、これから、個室での夕食も、一人。
これまで、温泉と言えば、親を連れてのもので、いつも、語らいながら楽しく食事をしていたころのことを思い出し、ああ、もう今は一人なのだと、実感。
すると急に、何もかもが、味気なく感じだしたのです。
そして、そこに一人いる、一人在る自分というものが、持ちきれなくなっていました。
ちょうどそうしたときに、iPhoneが鳴り、見ると、Aさんからの着信でした。
なんだか、救われたような気持になり、しばし、会話。
その電話は、珍しく、Aさんからの頼みごとの電話でした。
僕は、すぐに快諾。
だいたい、Aさんからしてもらったことと、僕がAさんに何かしたことを比べたら、9対1くらいの割合で、僕が、してもらうばかり。
なので、快諾したのですが、そのときに、今、渋温泉にいることを伝えはしましたが、そのときの心境については、特に触れませんでした。
急激な落ち込みのような孤独から、Aさんとの会話によって救い上げられた僕は、そのまま、時間になって、一人、夕食の用意された個室へと行ったのでした。
あの時、Aさんからの電話がある前のあの孤独感、を思い出すとき、そこには、向かい合うべき孤独、というものがあるように感じます。
孤独は、善でも悪でもありません。
そこに一人在り、ふと、それを寂しいと感じる、気持ち、です。
また、このことは、後日、書く機会があれば、と、思います。
孤独、と言えば、浅川マキ。
名曲、裏窓を、味わいながら。
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初めての投稿です。
涙があふれてしまいました。
親を亡くして9年め63歳。天涯孤独です。
コロナでパートの仕事もなし。
友達もなし。今後も孤独と付き合い
戦って行きます。