昨日は、いろいろなことがありすぎた日でした。

一昨日の夜、介護中の従兄弟から泣きの電話が入り、相談に乗りました。その内容は介護と、自分自身の社会復帰について。

可能なかぎりのアドバイスはしましたが、電話を切ったときには、朝方近くになっていました。

で、その一昨日の昼間は、その親戚の従兄弟の家で介護の手伝いをしていたのですよ。

そのときには泣きを見せずに、夜、一人になって不安になったのでしょうね。

朝、少し寝てトイレに起きた時には天気も良かったので、友人Oにメール。

この友人Oも、もう4年余り90代の母親の介護をしていて、木曜日がその母親がデイサービスに行くので、彼にとっては貴重な自由時間のある日。

以前から、木曜日のいずれかの日に、一緒に飯能へ行こうと言い合っていたのですが、どうせなら天気がいい日がいいと思い、延び延びになっていました。 

飯能の行き先は、双極性障害で障害者年金をもらいながら暮らしているOY氏のアパート。

彼の母親もまた、介護が必要なのですが、彼が障害者であることがこの場合は幸いして、優先的に特養に入れたため、彼自身の介護の負担はゼロ。

ただ、自分自身が双極性障害であるため、その苦しみは本人にしかわからず、じつは、そのOY氏はブログを書いており、更新が9月14日で止まったままになっていることも、気になるところではありました。

で、友人Oにも、そのOY氏のブログを読んでもらったのですが、これは、暗にSOSを出しているのではないか、との彼の推理もあり、昨日、訪ねてみることにしたのです。

OY氏のアパートに着いたのは午前11時過ぎ頃で、普通の生活者ならば、もう起きていてもいい時間。

しかし、アパートの2階の彼の部屋はカーテンが閉ざされ、いない気配。

念のためにと、呼び鈴を押すと、しばらくしてから彼が姿を現しました。

まずは、生存確認ができて安心はしましたが、とても家の中に入れてもらえる状況ではないことが、玄関ドアの隙間から見て取れ、彼も、やっと話ができるような状態だったので、少しだけ立ち話をして引き上げました。

まずは生存確認ができただけでも良しとしようと、友人Oとも言い合い、少し散策。

帰りには、友人Oがまだ行ったことがないというので、どうせ帰り道の途中だからと、ムーミンバレーパークのあるメッツァビレッジへ。

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つかの間の介護の合間の時間にくつろぐ友人Oを顔が映らないように配慮して背後からパチリ。

介護が日常の彼にとっては、つかの間の非日常。

友人Oも、母親がデイサービスから帰ってくる15時までには戻らないといけないので、滞在1時間ほどで帰宅。

友人Oの車は僕の家に停めてあるので、僕の家から、彼自身の車で帰っていきました。

その後、朝から何も食べていなかった僕は、米をといで炊飯器をオン。

ご飯が炊きあがるまで、一杯飲もうと思い、イカの塩辛と冷やっこを肴に焼酎をロックで飲みながら、前夜から朝方まで話し込んだいとこの介護のこと、また、今日訊ねたOY氏の母ももう認知症が進んでOY氏が特養を尋ねても彼が誰だか認識できないこと、そしてまた、友人Oがもう4年にもわたって一人で介護してきたこと(別に暮らす姉は家を訪ねてきても介護は一切手伝わないとのこと)など、僕自身は介護は終わっているとはいえ、そうした他者の介護状況に思いを馳せると、日本全国ではどのくらいの家族が介護にかかわっているのだろうと感傷的にもなりました。

なんだか少し気持ちが重くなり、焼酎のロックの2杯目を飲んでいるときに、タクシードライバーのMさんから電話がありました。

チワワのちなみちゃんが危篤らしく、今家に帰る途中なのだが、酸素ハウスを作るのを手伝ってほしいという内容のようでした。

英語での説明書なので、僕がいると助かるとのことだと理解しましたが、すでにアルコールが入っていて、さらには昨夜からの寝不足もあり、まずは車の運転はできない状態なので、行くとしたら自転車になるが、酔って自転車に乗るのもそれもまた危ないだろうと判断し、申し訳ないが今は行くことができません、と答えました。

実は、一昨日、親戚の家に行ったのも、本来はその日に行く予定ではなかったのですが、タクシードライバーのMさんから、パソコンのことで、わからないことがあるので手伝ってほしいと言われ、急遽、11月2日に、予定を入れたのです。

本来は、その日は、親戚の介護に行く日でしたが、親戚には予定を変更してもらっていたのです。

そうしたことまでは、説明しませんでしたが、僕もフラフラの状態であり、丸一日ご飯も食べていないので、食事をしたらすぐにでも寝ようと思っていたところだったのです。

そうした間の悪さもあって、Mさんの要請にはこたえることができませんでした。

わかりました、と言って電話を切ったタクシードライバーのMさんでしたが、そのおよそ2時間後、ちなみちゃんが亡くなりましたとのメールが。

以前ラッキーが急死した時のタクシードライバーのMさんの落胆ぶりを知っているだけに、その悲しみはいかばかりだろうと推測し、しかし、ラッキーの場合と違い、ちなみちゃんの場合は、高齢で目も見えなくなっており、それなりの覚悟はしていたのではないか、とも思え、ラッキーの時ほどの落ち込みがなければいいのだが、と、心配しつつも、たとえ酒を飲んでいたとしても、歩いてでも僕も駆け付けたほうが良かったのかとも悩みました。

レンタルでは費用がかさむからと、酸素ハウスを購入したのはだいぶ前の話で、当然のことながら組み立ては済んでいると、僕は思いこんでいました。

それに、酸素ハウス購入後に僕に何度も会っているのですから、組み立ての手伝いが必要であればそのときに言ってくれれば解決済みだったはずです。

何度か、タクシードライバーのMさんに酸素ハウスのことを聞いたこともあり、そのときは、今は使っていません、との話でしたが、使ってはいなくても、いつでも使える状態にしてあるのだろう、とは思っていたのです。

ところが、いきなりの電話でこれから組み立てるという話を聞き、意味がよくわからなかった僕は何度か聞き返したのですが、なぜ危篤状態になるまで組み立てていなかったのだろうという疑問は横において、まずは酒を飲むのをやめて、駆け付けるべきだったのかと、反省もしましたが、アルコールの入った心臓のどきどきする状態で歩いて訪ねていったとしても、僕に何ができただろうとも、思いました。

犬も、高齢になるといろいろな病気が顕在化してきて介護が必要になるし、人間と同じなのだなあ、とは、思いました。

一昨日からの従兄弟の泣きの電話も主に介護の話で、共にOY氏を尋ねた友人Oも4年にわたる介護で彼は淡々とはしていますが姉からの協力も得られず大変な思いをしているはずで、そしてOY氏は双極性障害があるために幸か不幸か認知症の母親が優先的に特養に入れて経済的にも労力的にも負担はなく、そしてまた、高齢犬であるちなみちゃんの死。

わずか一日でこれだけのことが重なると、前日からの寝不足もあり、体は疲れているのだとは思いますが、タクシードライバーのMさんの悲しみを思うと、僕も眠ることができず、一睡もしないうちに、結局この時間になってしまいました。

これから少し眠れるかどうか、わかりませんが、とりあえずは横になっておこうと思います。