吉田修一の小説、悪人、の中で、誰が本当の悪人なのか、を、突きつけられるように、ものごとの本質を見極めようとすると、大変な時間とエネルギーが必要となります。

そして、それだけの労力と犠牲を払っても、必ずしも本質が、見極められるものでもありません。 

それでも一部の人は、真実とは何かを、真摯になって追及するのですね。

大半の人は、日々の雑事に忙殺されて疲労困憊し、真実の追求どころの騒ぎではなく、日々、生き抜くだけで精一杯なのかもしれません。

僕自身が、まさに、そうでした。

生活の糧を得るための仕事をこなすだけで、9割近くの活力を奪われて、わずかな残り火で、内省する日々。

勿論、生活の糧を得るための時間が全部無駄ということではなく、会社内の人間関係を通しての学びや、困難な仕事をやり遂げた後の充実感、など、仕事や仕事環境の中でこそ経験できたことも多々ありました。

ただ、あまりにも、仕事に向けざるを得ない時間とエネルギーが、大きすぎると思うのですよ。

そうなると、生活の質も、価値観も、仕事中心にならざるを得ず、僕には、息苦しかったですね。

さて、今は、完全リタイアなので、内省の時間はたっぷりあります。

極端な言い方をすれば、生活のすべてが内省の時間、かもしれません。

埼玉県南西部にある5つの図書館を自由に行き来して、本やCD、DVDなどを借りまくっていますが、僕の住む町と隣接する3つの市と、2つの町の図書館カードが作れるので、実は、あと一つ作れるのですよ。

そうなると、外付けのハードディスクのように、6つの書庫があることになります

そのため、僕の内省を促すツールにも、事欠きません。

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人間の持つ根源的な悲しみや苦しみにも、正面から向き合うことができます。



忌野清志郎が死んで、何年になるのかなあ。