体力自体の衰えは、56歳ごろから顕著に感じていました。
それが仕事にも影響し、ミスなども出始めた頃に、父の介護が必要になるというタイミングが重なり、介護離職したわけですが、あのまま仕事をしていたら、場合によっては大きな事故を起こした可能性もあります。
それなりに、ガテン系の、仕事だったのですが、何にせよ、24時間勤務というのは、長いのですよ。
で、もうろうとした状態で働いていた時期もあり、これは、危ない、と、思っていました。
ある意味、介護離職は、天の助けでもあったのかもしれません。

で、この5月にアルバイトを辞めたのも、この暑い夏を見越して、冷房もない、40度にもなる倉庫での作業は、もはや無理であると判断。
この判断も、正解でした。
で、今は、低空飛行ながらも、何とか体調を維持している感じです。
そうは言っても、基本的に体力や活力はないほうなので、それに体調の悪さが重なると、もう動きたくなくなってきます。
まあ、こういうときは、ひたすら眠るしかなく、寝るか、横になるかして、やり過ごします。
そうするとまた、体が、徐々に回復してきて、何とかなる、と言う感じですね。
いろいろなことが億劫に感じる、ということ自体、生命力の衰えだと思うのです。
先日、友人のIさんと浦山ダムに行ったときも、車に乗せてもらい、連れて行ってもらったから行けた、みたいなところがあります。
以前は、親を温泉に連れて行くという目的があったから、平気で長距離運転もできたのでしょうねえ。
また、当時は、マーチという小型車とは言え、一応は、普通車に乗っていたのもあるかもしれません。
今乗っている、アルトでは、遠出する気にはなりません。
同じ軽自動車でも、Iさんのハスラーは、まったく乗り心地が違いました。
あの日は、昼食も、Iさんに作ってもらい、これまたIさんが持って来てくれた500ミリリットルの缶ビールを、運転しない僕だけが飲んだのですが、それを昼過ぎまでの4時間くらいで、2本飲むくらいのペースが、ちょうどよく、まさに何もかもがフィットした一日でした。
で、何が言いたいのかというと、体力の衰えに伴って、もともと弱かったアルコールもさらに弱くなったなあ、という実感。
つまり、これから先何年生きるかはともかくとして、体力はこれからも少しずつ落ちていくし、いろいろなものが衰えていくだろうということ。
自分に付随する様々なものが衰え、失われていく中で、その当然の帰結のように、内省的にならざるを得なくなっています。
で、そういう流れならば、その流れに沿って生きるしかない、と。
体調が悪いと、確かに気が弱くなるし、ペシミスティックになりますが、同時にそれは、内省への契機ともなり得ると。
まあ、僕は、アクティブな年寄りには、なれそうもありません。
体力がない人間はないなりに、お金がない人間はないなりに、何とか人生を生きていき、さらさらと流れていきたいものだと、思っています。