僕は、このブログでは、自分のことを、僕、と、して書いています。

別に、私、と、しても良いのですが、私、などと言うと、少し、硬い文章になる気がするのですよ。

俺、でもいいのですが、これだと、ちょっと粗雑な文章が誘発されそうだったので、僕、と、しているまで。

拙者、でも、わて、でも良いのですが、やっぱり、一人称に引っ張られますからねえ。

で、会社勤めの頃、営業をしていた時もあり、そのときは、弊社、などという言葉も、使っていましたねえ。

 
まあ、よほどの資産家でもない限りは、生きるために人は働かねばならず、

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とにもかくにも、自分の足で立たねばならないわけ、です。

そういう僕もご多分に漏れず、転職が多かったとはいえ、それなりに働いて、糊口をしのいできたのですよ。

で、会社という組織や、肩書という重荷を背負わされて、そのリターンとして生きるためのお金を得るというね、大半の人間が通る道を、僕も通ってきたわけです。

そして、今、晴れて自由の身となって生きて見ると、組織や肩書を背負わない自由の快適さをしみじみと感じています。

ついでに言いますと、モノを多く所有するほど気苦労が絶えないのではないか、とも、感じています。

僕は、甲斐性がなくて、結婚もできず、出世もできず、資産も残せなかったわけですが、幸せなのですよ。 

それはどうしてかと考えたのですが、僕は、自然と、人間観察をしてきて、金持ちが必ずしも幸せそうに生きていないことに気づいてしまったのですよ。

お金があって、奥さんのほかに愛人のいる人を知っていましたが、何か、気苦労ばかり多そうで、落ち着きのない人でしたね。

愛人を持つということ自体、奥さんへの裏切りだと僕は思うのですが、その人は、愛人への独占欲が強くて、愛人を束縛していました。

だから、その愛人が他の男に気を許そうものなら、烈火のごとく怒ったわけです、自分のことは棚に上げてね。

で、奥さんにもそれなりに気を使ったりして、あとは、事業をやっていて、金策のことでの苦労も絶えないようでした。

まあ、僕から見たら、少しも平安がないというか、幸せには見えないのですが、向こうから見たら僕は、金もなく、女にも恵まれず、何が楽しくて生きてんだあいつは、みたいなことなのだろうとは思います。

すいませんねえ、話がグダグダしていて。

で、何が言いたいのかというと、気楽が一番、背負わないのが一番、ということ。

女房一人でも大変なのに、愛人まで持ったら、それは大変ではないかと、思うのですよ。




うーん、中野サンプラザにも、しばらく行っていません。