昨日の記事に対するコメントを読んだときに、それはまた、僕自身が、過去の自分を反省する契機ともなりました。

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僕は、過去記事でも何度か言及しているように、統一協会と幸福の科学という、二つのカルト宗教を、経験しています。

そして、どちらの団体の信者であったときも、自分は特別だ、という、思いがありました。

これは、個人差はありますが、信者であれば多かれ少なかれ、持っている感情です。 

なぜ、そのような、自分は特別だ、という感情になれるかというと、その団体の教祖こそが、特別な存在、だから、です。

いや、もっと別の視点に立てば、その団体を主導するその教祖こそが、誰よりも自分のことを特別な存在だと思いたい人間、なのです。

誰よりも自分のことを特別な存在だと思いたい人間であるその教祖を取り巻く信者もまた、多かれ少なかれ、自分のことを特別な存在だと思いたい人間なのですね。

つまり、まあ、類は友を呼ぶ、というやつです。

で、この、自分は特別だと思いたい人間の集まり、は、カルト宗教にこそ顕著に現れます。

オウム真理教、統一教会、幸福の科学、まあ、他にもいくつか名前を上げたい団体はありますが、いずれの信者も、自分は特別だと思う根拠を、本人が自覚するしないにかかわらず共通認識のように持っており、この点が、なかなかその団体をやめられない潜在的な理由にもなっています。

潜在的な理由、と、今僕が言ったのは、当の信者その人が、自分を客観視できない人が大半なので、自分がその特別感に酔っていることに気づいていないし、教祖の持つ万能感、を、あたかも自分も共有しているような陶酔感のようなものを感じ、それにある種の快感を覚えているわけですね。

死刑が執行された後も、未だに麻原彰晃をグルと仰ぐ一定数の人間がいることからも、この陶酔感の麻薬的快感の強さを想像できるのではないでしょうか。

多くの仲間がグルへの帰依を放棄した中で、自分こそはまだそれを持ち続けている、という陶酔感に酔う中で、彼ら彼女らは、自分こそは、あるいは、自分たちこそは特別だ、との快感を強化しているのです。

わかりにくいですか?

思春期の頃の恋愛でも、これに似た経験をする人もいます。

彼、もしくは彼女、は、自分にとっては特別な存在であり、またそう思う自分も、彼もしくは彼女にとっては、特別な存在である、という特別感。

人間は、あなたは特別、という感覚に、弱いのですよ。

僕は、1000円の腕時計を左手首に巻いていますが、僕の友人の一人で、ロレックスのサブマリーナを巻いている奴がいます。一昨年前の同窓会で、見たのですがね。

時を刻むという機能は同じですが、1000円の時計のおよそ1000倍の値段のするロレックスをつける快感もまた、その時計をしていると自分の価値も上がるかのような感覚が持てるからでしょう。

ちなみに、神々の主を自称し、この宇宙の根本仏であるとも宣言している地球神、大川隆法さんは、ロレックスも持っているでしょうが、それよりも高い時計を数多く所有しています。

まあ、車にステイタスを感じる人もいるし、その辺の価値の配分は人の個性が現れるところ。

で、そうした、自己重要感といいますか、自己特別感のところを、商売をする側からすれば、ターゲットにするわけですね。

そこを巧くくすぐれば、高い商品でも買ってもらえるから、です。

彼らがお金を出すのは、商品の機能としての価値にではなく、ブランド価値、という付加価値、に対してなわけですね。

カルト宗教の場合も、信者が教団の提供する御本尊や法具などのグッズや研修や祈願などのソフトを、特別なものだと思ってもらえれば、たとえば、原価2万円の像も、300万円で売れる、わけです。

しかも宗教法人格を取得していれば、その利益には税金もかかりません。

売る、というとえげつないので、拝受、とか、言っていますけど、ね。

で、僕が何を言いたいのかというと、自分は特別だと思っているうちは、悟りの入り口にも立っていない、と、いうこと。

自分は平凡な人間の一人だとわかって初めて、真の平安への道が始まるのだということが、中二病をこじらせているカルト信者にはなかなかわからないところでもあったりします。