自分探し、という言葉がありますが、若い頃は、僕もその言葉にまどわされて、本当の自分、なるものを探そうと、していた時期があります。

自分探しという思考、あるいは感情の、背後にあるものは、自分の本来いるべき場所はここではないのではないか、という思い。

つまり、ここではないどこか、に行きたくて、そして、今の自分ではない本当の自分、に出会いたい、なりたい、ということなのではないでしょうか。

ここではないどこか、を、求めたくなる気持ちの根底にあるのは、疎外感、かもしれません。

この疎外感こそが人間存在の普遍的なジレンマであるとして小説を書いたのが、フランツ・カフカやジェームズ・ジョイス、アルベール・カミュ、などの作家ですね。

しかし、ここではないどこかを求め、今の自分ではない本当の自分なるものを探せば探すほど、本質からは遠ざかっていきます。


昨日は、僕の故郷でもある入間市を少し歩いてきました。

入間川の川原に車を止めて、街のほうへと歩いたのですが、今までは、いなげやの駐車場に車を止めていたのですよ。

でも、それだと、返報性の原理で、何かを買っていたりしたのですが、川原に車を止めるという方法があることに、昨日、気づいたわけです。

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入間市駅への緩く登っていく道を歩きながら、坂のある街はいいなあ、と、改めて思いました。

街歩きと言えば、多摩モノレールの一日乗車券を買って、沿線の街歩きをする際に、狭山市中央図書館に車を止めて、いく、という方法があるのですが、これだと、図書館の開館時間に行動を左右されるわけですよ。

でも、川原に止めれば、時間制限はなくなるわけで、狭山市から行こうが入間市から行こうが、玉川上水駅までの電車賃もたぶん同じくらいだと思うのですよ。

僕の家から、電車オンリーで、川越周りで行くと、電車賃がかさむし、やっぱ西武線の沿線まで車で行ったほうが、効率がいいわけです。

福生や八王子の街歩きをするときは、日高図書館に車を止めるとか、だいたいパターン化しているのですが、川原という手があることに気づいたのは、僥倖でした。

まあ、僥倖というのは少し大げさ過ぎるので、ラッキーと言い直しましょう。