僕がアルバイトを辞めた理由の一つが、暑すぎる日本の夏の労働から逃げるため、だということは、前記事で触れたのですが、それはいくつかある理由の一つ。

では、他の理由は、と言うと、自分の人生の残り時間を考えた場合、こんなことしていていいのか、と、切実に思ったこと。

僕のアルバイトは、メインは、メール便の集配送で、副次的に廃棄物の仕分けや洗車や除草作業がありました。

で、廃棄物の仕分けというのは、風の吹かない倉庫内で行うのですが、これが、40度にもなる暑さの中での作業。

幸い、昨年は、夏になるのが遅く、何とか乗り越えましたが、一昨年の夏は、死ぬかと思いましたよ。

ただ、2年前のそのときは、仕事を始めたばかりでもあり、意地でもやめてなるものかと、頑張りましたが、ね。

で、2回の夏を経験し、今年の夏を予想したら、例年並みかそれ以上の暑さと来たもんだ。

これは、やばくね、と、思ったのですよ。

保証人もいない、天涯孤独の男が、誰もいない倉庫で倒れていて後で発見されて病院に担ぎ込まれても、身の回りのものを用意してくれる人もいない、わけですからね。

それと、そんなに体力を消耗させて、残りかすのような体力で、内省と言っても、すぐに眠くなり、自分自身を見つめるという大切なことを出来ぬまま、日が過ぎていってしまうわけです。

そうした体力の低下を痛切に感じる中で、いろいろと、お金の計算をして、辞めることを決意しました。

で、そのお金の計算については、次回に譲るとして、辞めて正解だったと思える、このところの暑さ。

やっぱ、辞めてよかった、と、改めて思っていますよ。

そして辞めた後の毎日は、掃除と、内省と、読書と、散策と、思索の日々。

うーん、これこそが、望んでいた生活。

人生の短さについて考えた時に、誰だって、自分の寿命なんて、わからないのですよ。

で、暑い夏、アルバイトを継続していて、誰もいない倉庫で、40度の空気の底で、倒れている60男が、 僕だとしても、不思議はないのですよ。

そして、薄れゆく意識の中で、俺は、こんなことをするために生まれて来たわけじゃないだろ、とか、思いながら、あきらめも良いほうなので、まあ、それも仕方ないか、とか、思いながら、目を閉じる、みたいな、ことも、あり得るのですよ。


でも、アルバイトを辞めた今は、自分のペースで休むことができ、作務という名の労働も心地よい。

自分が、主体となって動く労働は、気持ちが良いのですよ。

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というわけで、一人修道院生活は、今日も、快適そのものです。