中国は、人口が多いだけに、それに比例して、人材の宝庫だと、僕は思っています。

憂うべきは、中国の一党独裁の今の体制であり、民ではない、ということです。 

この点は、カルト宗教に、似ています。

正すべきは、カルト教祖とカルト教団の体質であり、一人一人の信者は、善人が多かったりしますからね。

まあ、実在の人物かどうかは不明とされていますが、僕が最も尊敬する人の一人、老子、は、中国起源です。

また、孔子は、実在した人物で、説明の必要もないほど有名ですし、孫武、も、秀でた人物。

三国志にも、関羽や趙雲など、忠義に厚い人格者も多く登場します。

また、明代の聖人とされる、王陽明が、日本人に与えた影響は甚大なものがあります。

今あげたのは、中国の偉人のごく一部にすぎず、中国人がダメ、だとは、僕は一ミリも、思っていません。

むしろ、優秀な国民だと思っていますし、僕のこれまでの経験から言っても、一人一人は、良い人が多いと思います。

具体例を挙げると、僕の友人のAさんの中国人の友人は、劉さんと言い、とても素晴らしい青年でした。

また、僕が介護離職するまで働いていたホテルには、何人かの中国人の同僚がいましたが、皆優秀で親孝行で、人間的にも素晴らしかったですよ。

つまり、中国人そのものは、憎むべき対象でもないし、これは、僕が、左翼思想を批判するときも同じなのですが、左翼系の人間が悪人というわけではなく、むしろ、欲の皮の突っ張った資本主義に毒された人たちよりも、人間的には良い人が多いとさえ思っているくらいで、体制や思想と、人間とは切り離して見ています。

つまり、レッテルで、人を分類しない、と、いうことですね。

何よりも、ありのままに見る、というのは、仏陀釈尊の八正道の第一、正見、に通じるので、僕のような凡夫であればなおさら、人を見る目などないのですから、なるべく、レッテルで人を決めつけるのはよそう、と、思っているからなのですね。

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また、逆の視点から言うと、こういう発言をする僕自身が、かつて信仰していた幸福の科学のある支部長から、悪魔、だと、言われています。

その結果、それを真に受けた人は、街で僕と会っても、悪魔、というフィルターを通して僕を見ます。

そのため、僕が微笑みかけても、何か悪だくみをしている悪魔の笑いに、見えるかもしれません。

まあ、こうした刷り込みやフィルターは大小を問わず、世の中のいたるところにあると思いますが、よほど注意深く、心を落ち着けていないと、毒矢のような情報に流されていきます。

だからこそ、仏教でいう止観、が大切なのですね。

仏教と言えば、中国には、玄奘三蔵や天台智顗をはじめとした高僧が多くいます。

視力を失いながらも6回目の渡航で来日して仏法を伝えた鑑真、異国人である空海に法灯を継がせた恵果、などなど、綺羅星のごとく素晴らしい宗教家がいることも事実。

警戒すべきは、中国の一党独裁という体制であり、その害毒はカルト宗教と似たものがあり、人民が悪いわけではない、というのが、僕の意見です。