司馬仲達が曹操に仕官を命じられたとき、仮病を装って断りましたが、まあ、何度も要請されて、最後は、仕官か逮捕かの二拓を迫られ、しぶしぶ仕官。

つまり、仮病を使ってでも、仕官などしたくなかったのですよ。

しかし、曹操に見込まれるほど、もともと能力が高かった司馬仲達は、時とともに出世。

そして、曹操亡き後、ほぼ頂点に上り詰めるのですが、曹爽(曹操の甥・曹真の子) と対立。

この時の、司馬仲達の仮病が、すごい。

ボケ老人を装い、油断させ、電光石火のクーデターで、洛陽を制圧。

その後、司馬仲達の子孫が晋を建国しますが、長くは続きませんでした。

さて、電光石火と言えば、諸葛孔明との戦いで、蜀の食糧庫である街亭を抑えた時も、司馬仲達は、電光石火の動きを見せています。

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僕が思うに、司馬仲達のキーワードは、仮病と電光石火の動き。

強国、魏で、力を蓄え、機に乗じ、少しずつ、成り上がっていきながら、自分の力具合を、よく知っていたところが、彼の特質ではないかと、思っています。

つまり、自分を知っていた、と、いうこと。

能力でも、総合力でも、諸葛孔明のほうが上であることを知っているがゆえに、五丈原でも動かずに、時を味方につけて勝つほうを選びました。

動かなければ勝つ、ということを見抜いていたからです。

三国志では、司馬仲達は、他の英雄と比べたら、個人の技量としては、そう大したことはないはずです。

戦場で、関羽や呂布に出会ったら、ひとたまりもなくなぎ倒されて即死、でしょう。

不本意ながらも、曹操の要請でしぶしぶ出仕した司馬仲達は、なぜ、自分が、じわじわと出世していくのか、不思議だったと思います。

そして、その時に、自惚れることなく、時の流れに身をまかせているうちに、群雄割拠していた英雄たちは次々とこの世からいなくなり、いつしか自分が天下を狙えるところまで来ていた、と、いうことでしょう。

実は、司馬仲達については、言いたいことが、たくさんあるのですが、収拾がつかなくなるので、この辺にしておきます。