幸福というものを難しく考える必要はさらさらない、と、僕は思っています。

僕が考える幸福は、自分自身と自分の生活環境に満足していて感謝している人は幸福、というもの。

シンプルでしょ?

今日は、今年何回目かのオーパーク。

オーパークに行く前に、活鮮でランチを食べようと思ったら、今日は祝日でランチはなし。

そこで、春の旬盛り、という握り8巻のセットを頼んだのですが、ちょっと足りず、3種盛りと烏賊と巻き物を注文。通常のランチより少しお高くなりましたが、まあ、たまにはいいかな、と。

その後、オーパークに行ったのですが、親子連れがわんさか、いましたよ。

コロナの影響で、キャンプ用品が売れているようです。

うちの近所の川原でも、テントを張っている親子連れなどを見かけます。

さて、今日は、ちょっと重くて軽い話を。

 松本サリン事件というのがありましたが、あれから、もう25年。

その加害者とされ、のちに被害者と認定された河野義行さんを、僕は、尊敬しています。あんな人格者は、滅多にいませんからね。

その河野義行さんの記事を紹介します。


死者8人・重軽症者約600人を出したオウム真理教松本サリン事件から今年で25年。事件の被害者で、妻をサリンの後遺症で亡くした河野義行さん(69)は、オウムへの恨みや憎しみはないと公言してきた。教団元幹部への死刑が執行された際には「残念」「悲しい」とも語っていた。なぜ許すのか、許せるのか、を聞いた。

――事件のとき「松本市の会社員(44)」と報道された河野さんがもうすぐ古希なのですね。

 「世の中から自分の足跡を消す作業を始めています。住所は知人にもあまり教えていません」

 ――事件を知らない人も増えています。あの夜、妻の澄子(すみこ)さんが口から泡を吹き、全身をけいれんさせているのを自宅で見たのですね。記憶は今も鮮明なのですか。

 「ええ。彼女の苦しそうな顔を、リアルに覚えています」

 ――サリンは猛毒の神経ガスです。自身も被害に遭いましたね。


「死を意識しました。視力に異常が出て部屋が暗くなり、見るものの像が流れ始めて。ドッドッと幻聴も聞こえ、吐き気がして立っていられなくなったのです」

 ――被害に苦しむ中、長野県警からは容疑者扱いをされました。朝日新聞を含む報道機関も犯人視する報道をしてしまいました。

 「警察からは『犯人はお前だ』『亡くなった人に申し訳ないと思わないのか』『早く罪を認めろ』と自白を強要されました。私が有毒ガスを発生させたかのような報道もなされ、世間は私を松本サリン事件の犯人とみなしました」

 ――サリンで脳にダメージを受けた澄子さんは、意識が戻らないまま14年後に亡くなりました。8人目の犠牲者になっています。

 「彼女は、しゃべることも動くことも一切できませんでした。できたのは、悲しそうな顔を見せることと涙を流すことだけ。つらい状態の中、私や子どもたちを支えるために生きていてくれたようなものです。だから死は解放とも思えました。『よかったね、やっと死ぬことを許されたね。もう自由だよ』と声をかけました」

 ――報道による被害とは、どのようなものでしたか。


「逮捕もされず、まだ裁判も行われていないのに、一瞬にして犯人にされてしまいました。自宅には無言電話や嫌がらせの電話、脅迫の手紙がたくさん来ました。被害者の親戚を名乗る人から『お前を恨む。殺してやりたい』と書かれた手紙が来たこともあります」

 「報道被害とは、報道機関だけではなく世間も相手にすることでした。不特定多数の人が敵になるので戦いようがない。私を支えたのは、妻と未成年の子どもたちを守らなければという思いでした」

 ――殺人者のぬれぎぬをいつかは晴らせると信じていましたか。

 「事件の1週間ほど後、高校1年生だった長男に私は『世の中には誤認逮捕もあるし、裁判官が間違えることもある。最悪の場合、お父さんは7人を殺した犯人にされて死刑になるだろう』と言いました。もし死刑執行の日が来たらお父さんは執行官たちに『あなた方は間違えましたね。でも許してあげます』と言うよ、とも」


――中学生と高校生だった3人のお子さんに、苦境をどう受け止めようと話したのですか。

 「子どもには『人は間違うものだ。間違えているのはあなたたちの方なのだから許してあげる。そういう位置に自分の心を置こう』と言い聞かせました。意地悪をする人より少し高い位置まで、許すという場所まで心を引き上げようということです。悪いことはしていないのだから卑屈にならず平然と生活しようとの思いでした」

 ――許すという行為が精神的な支えになっていたのですね。

 「そうしないと家の中がどこまでも暗くなる状況でした。特定の宗教を信仰してはいません」

 ――翌95年には地下鉄サリン事件が起き、疑いの目は河野さんからオウムへと転じます。警察は河野さんを事件の「被害者」と扱い、メディアも謝罪しました。河野さんの中にオウムへの憎しみが芽生えても当然の状況です。

 「悪人というレッテルが私からオウムへ貼り替えられたからといって『じゃあ私はこれからはオウムを憎めばいいのか』といえば、そう単純なものではありませんでした。事実その当時、刑事さんから『松本サリン事件の実行犯に極刑を望みますか』と聞かれて、私は『いえ、罪相応の罰でいいです』と答えています」


――病床の澄子さんへの教団関係者の見舞いを受け入れましたね。断らなかったのですか?

 「断ったことはないです。実行犯ではない人たちでしたから。ただ、仮にその人が実行犯だったとしても、どうぞと言ったでしょうね。理解しづらいという声もありましたが、妻のためにという思いを大切にしたつもりです」



うーん、実は、河野義行さんは、被害者としての当然の権利である、賠償金も、受け取っていないそうです。

でも、神様は、こういう人は絶対に困らないように、最善の道へと、導いてくれます。

017

河野義行さんを見ていると、幸福の別名は満足、という言葉を思い出します。

いや、それ以上、ですね。

幸福の別名は、平安、安らぎ、寛容、受容、全托、でしょうか。

僕の浅い理解では、そのような言葉しか、思い浮かびません。