僕は50歳まで、お金を吐き出し続ける生活だったので、常にお金がない状態が、常態化していました。

つまり、お金がないのが当たり前で、お金のないことに、耐性があったわけです。

会社員として勤めていれば、その月、お金を使い果たしても、月末にはちゃんと給料が振り込まれる生活だったので、何とかなっていたのですね。

で、何よりも、自分のことは後回しで、宗教活動のほうに重きを置いていました。

ところが、50歳のときに素朴な疑問が生じ、それをきっかけに、様々な物事を見つめなおし、3年間の検証を経て、組織宗教から離れ、今日に至っています。 

複数の宗教組織にいたおかげで、ずいぶん多種多様な人間を見ることができたことは、有意義でした。

中でも、最後の所属宗教であった幸福の科学では、経済的に逼迫する人を何人も見てきました。

宗教に限らず、この人生そのものが、本人の自由意思で展開していく以上、他人がとやかく言う問題ではありませんが、熱量のある信者は、どうしても、教祖や教団の指示を真に受けて、自分の生活と照らして熟考する余裕もないままに、突っ走ります。

そして、安易に、これだけ、主のために、世の中のために頑張っている自分が、困ることになるはずはない、との、都合の良い自己納得をして、請われるままに多額のお布施をし、あるいは、伝道や啓蒙活動にと躍起になります。

そして、常に、貯金は、ゼロ行進。

生活に困った信者が他の信者からお金を借りることもありました。

つまり、多くの活動信者が、いつ倒れるかもわからない自転車操業状態。

で、大して活動もしていないいいとこ取りの信者もいて、彼らは、高みの見物状態。

あるいは、そもそもほとんど信仰心もない名ばかり信者も、かなりいたりします。

まあ、これは、実際に僕が退会してから、見えてきた部分もあるのですが、熱心な信者だった頃の自分であれば、高みの見物状態の信者や、名ばかり信者に対する、裁き心も出てきたでしょうね。

今はどうかと言うと、どんなありかたも、各人の自由だと思っているし、僕自身が、もうその教祖への信仰がないので、むしろ熱烈信者にこそ、モノ申したいのですが、自分の生活を大切にしてください、とね。

で、また今日も宗教の話かい、となってしまうので、お金の話に戻すと、お金のないことに耐性がある人は、実は結構幸せだったりします。

それは、僕自身も、まったくないわけではないが、預貯金は少ないほうだし、事実、50歳までは吐き出し続けた人生でしたからね。

で、僕の周りにも、ほとんど預貯金もない人がいますが、犬を飼ったりして、結構のんきに暮らしていたりします。そして毎日を、つつがなく暮らしています。

一方、そこそこお金があるのに、お金に対する不安が付きまとって離れない人もいます。

彼らはおそらく、無一文になった経験がなく、そのため、お金が無くなることを必要以上に、怖れているのかもしれません。

一度も転職したことのない人が、転職をひどく怖れるのに、似ているのかなあ。

昨日も、その預貯金もなく、むしろ借金のある人が、うちに来て、僕の淹れたコーヒーを二人で飲みながら、3時間ほど、楽しく会話したのですが、いやあ、幸福でしたねえ。

ほぼ、笑いっぱなしの3時間でしたよ。

金のない初老の男が二人、笑っているのですから、暢気なものです。

まあ、笑っているほうが、ナチュラルキラー細胞が活性化して、体調にもいいんですよ。

そう言えば、植木等が、こんな歌を歌っていましたねえ。




うーん、人生は、何とかなるもんですねえ。