父の介護で会社を辞めたのが、ちょうど4年前。

あれから4年が経ったのだなあと、感慨を新たにしています。 

良い区切りなので、当時のことを改めて思い起こしてみようと思います。

定年まであと3年と少しあったのですが、24時間の介護が必要になり、11年ほど勤めたビジネスホテルを退社したのですが、転職多き僕の人生で、結果的にその会社が一番長く勤めた場所でした。

そのビジネスホテル時代が、この世的にも、また、内面的にも、実に多くの学びを僕に提供してくれました。

それを、逐一書いていると膨大な量になるので、内面のみに焦点を当てると、そのホテルオーナーの社長と僕の上司、あるいは同僚との切磋琢磨の中で、意図せずに魂の足腰が強くなり、また、多くの気づきも与えられた、ということになります。

で、この気づき、こそが、生きていることの価値を高めるものだと、僕は思っているのですね。

つまりこれは、お金には換算できない価値、なのです。

気づきがあって初めて、人は変われる、と、思っているので。


さて、このビジネスホテル時代に、僕は18年弱信仰していた幸福の科学を辞めたのですが、そこに至る内面の葛藤は過去記事でも多少は触れていますが、本来ブログで簡単に書けるものではありません。

言葉の持つ意味性の限界があり、また、その言葉が人に与える印象も人それぞれなので、これは、直接会って話をし、言葉だけでなく、僕の放つ波動そのものから感じてもらうしかないことなのです。

で、これをした唯一の相手が、たびたびこのブログにも登場するAさんなのですが、おそらく僕の人生で、内面の深い話を、質的にも、量的にも、最も深く、多く話し合った相手が、Aさんであり、そのAさんは、今も、幸福の科学の信仰を把持しているので、そこは尊重しつつ、僕の思いを、かなり語りました。

こうして言葉を記しつつも、多くのことが言葉で掬い取れずに、零れ落ちていくのを、感じています。

それほど、言葉は頼りなく、つたなく、歯がゆいものなのです。

さて、話を先に進めましょう。

僕は、幸福の科学を53歳で退会しました。そして、介護離職したのが、57歳になる直前の56歳。

つまり、4年弱の期間、僕は、それまで幸福の科学に使っていたお金を、貯金することができました。

信仰心があるからこそ、別会計で、お布施や祈願、研修などにお金を使っていた僕でしたが、その信仰から脱した後は、自分の人生のために、お金を使うようになったのですね。

そして、その4年弱の期間に貯めたお金が、その後、大いに役立ちました。

もし、あの時期に幸福の科学を退会していなかったら、今頃は、間違いなく、生活破綻していたでしょう。

今、経済的にはそう余裕があるわけではありませんが、介護も終え、自分一人の経済なので、何とかやっていくことができています。

まさに、絶妙のタイミングでした。

まさに、僕の人生が、僕を導いてくれたのです。

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言いたいことの10分の1も言えていませんが、今日は、ここまでと、します。