まあ、今では悩むことはほとんどないのですが、ときどき、課題、にぶつかるときがあります。

そんな時、僕が頼りにするのは、親友のAさん。

先日も、あることで、Aさんに、相談しました。

あることというのは、僕が二十代の頃、統一協会時代に、出会った、山形県出身のS君のこと。


S君は、今は鶴岡市になった、温海町出身で、彼の実家に遊びに行ったときは、3日くらい泊めてもらい、一緒に羽黒山に登ったりしました。

そのS君ですが、働き者なのは良いとしても、同僚との諍いが絶えません。これは、もう30年来の、彼のカルマのようなもの。

仕事にはきわめて真面目に取り組み、それゆえに、動きの遅い同僚が許せなくなり、裁いてしまうのですね。どこに転職しても、同僚とのトラブルばかり。

で、ストレスをため込んで酒を煽り、そんな風だから、友人もどんどん去っていき、今、話ができるのは、おそらくだいぶ年上である僕くらい。


S君は、僕より、6つほど年下ですが、統一協会時代から、なぜか僕を慕ってくれていて、僕も、彼の一本気で純粋な気質に好感を持っていたのですが、ともに、時期は違うものの、統一協会を離れ、それぞれ社会の荒波にもまれる中、彼の生活は、荒んでいきました。

それでも、付き合いが続いていたのは、お互いに、認め合っていたからだと、思います。

しかしもう、彼も、54歳。


僕が、54歳のときは、親の介護のために実家を建て替えたとき。


それを想ったときに、もう、そろそろサンドバッグという役割は終えよう、と、思ったのです。

どういうことかと言うと、ちょうどラグビーワールドカップで、日本がスコットランドに勝った夜のことでした。


夜の10時半ごろだったか、S君から、電話がかかってきて、すぐに、酒を飲んでいるのがわかりました。そして、例によって、激しい口調で、職場の愚痴を吐き出し始めたのです。

通常であれば、僕も、ひとしきり彼の言うことを聞きながら慰めるのですが、翌朝のアルバイトのことを考えると、あまり遅い時間まで起きていたくはないし、ふと、彼の年齢を想ったとき、僕は、いつまで彼は、同じ場所(精神的にという意味で)にとどまっているのだろうと思い、少し話をさえぎってアドバイスをしたのです。

しかし彼は、うっぷんを晴らしきれない段階での、アドバイスには聞く耳を持たず、逆に、僕に向かって声を荒げ始めたので、僕は沈黙し、そののち、もう好きなようにすればいいのではないか、と、言いました。

S君は、いつもとは違う僕の対応に戸惑ったのか、憤懣やるかたない感じで、電話を切りました。

彼は、僕を信頼してくれていて、それゆえに、僕が、幸福の科学に伝道したときも、素直に、話を聞いてくれ、今も、会員でい続けています。

僕自身は、すでに幸福の科学を退会していますが、彼の信仰については、僕がどうこう言うこともありません。

ただ、でき得るならば、幸福の科学の職員の方に、もっと、抜苦与楽、の、思いを持ってもらいたいとは、思っています。

職員は、上から与えられたノルマの達成の邁進に忙しく、一信者の悩みを聞く時間も心の余裕もないのでしょうが、数字を追いかけるよりも大切なことが、本来はあるはずなのですね。

でも、そうしたことが、置き去りにされているように、思います。

その点、Aさんなどは、辛抱強く、僕の言うことに耳を傾けてくれ、僕も、S君のことを、Aさんに、相談して、気が楽になりました。

で、これは、S君のことは僕がどうこうできる話ではなく、S君の人生そのものが、S君を導くだろう、という見解を持つに至りました。

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S君に限らず、それぞれの人の人生が、それぞれの人を導くのです。

今は、そうとしか、言うことができません。

だから、人は皆、修行の途上であり、尊いのですね。