現生人類の歴史という観点で見れば、2万年ほど、そして、もう少し広く解釈した人類種という観点からすれば、700万年ほどが、人、あるいは、人らしき存在としての長さです。

一方、長くこの地球の王者として君臨した恐竜は、2億年には届かないものの、1億数千万年の繁栄を謳歌しました。

もし、隕石の衝突という外部要因がなければ、恐竜の繁栄は、さらに長いモノになっていたでしょう。

この、隕石の衝突がなかったならば、という仮定を元に、知能を持った二足歩行する恐竜の話が尾ひれを付けて、独り歩きしていきます。まあ、レプタリアンとか、レプティリアンなどに代表される、妄想話、ですね。

しかしですね、1億数千万年もの長い時間、進化もせず、同じような暮らしをしていた恐竜種と、わずか2万年で、急速の進化を遂げた人類種を、一緒には論じられないでしょう。

また、進化論を根拠として、神はいない、と結論付ける人に言いたいのは、神という言葉ほど、誤解を生みやすい単語はない、ということ。

確かに、白ひげを生やした仙人のような神がこの世を作ったとは思いませんが、宇宙の意志のような存在、さらに言えば、シルバーバーチの説く大霊なる神が、この世の物理法則にのっとった形で、霊的存在を徐々に進化させた、と、考えることは、大いに理性的でしょう。

さて、今日は、恐竜の話ではなく、無常についての考察。

僕たちの住むこの地球も、やがては最後を迎えます。

まあ、地球の寿命が尽きる前に、人類の愚かな行為が、自ら自滅の道を歩む可能性もあります。

まあ、そうした人類の愚かさは横においても、地球そのものにも惑星としての寿命があり、仮に地球が存続していても、太陽が恒星として年老いて、赤色矮星などになれば、その過程で、もはや地球は、今のような状態では存続しえません。

つまり、人類はおろか、生物種そのものが住めない死の惑星になるでしょう。

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そしてそのハルカのちには、この銀河系そのものが、お隣のアンドロメダ銀河と衝突します。

そのような視点に立って宇宙を眺めれば、仏陀釈尊の説く、諸行無常も、わかりやすいのではないでしょうか。

無常なのは、祇園精舎の鐘の音だけではありません。