誤解を招くタイトルかもしれませんが、僕がこれまでの人生で会ってきた、在日の韓国朝鮮人、あるいは、中国人は、いずれもいい人ばかりでした。

僕が今、非常に残念だと思うのは、朝鮮半島や中国との関係が、なかなか上手く行っていないことです。

勿論、どの国にも、いい人もいれば、悪い人もいます。

また、国民性、というモノも、確かにあるでしょう。

韓国などは、恨の文化だと、よく言われます。

僕自身、韓国には、3回ほど行っているので、日本語のガイドブックを持っていただけで、小学生に、指をさされ、悪人を見るような目で見られたこともあります。

まあ、反日教育のなせる業なのかもしれませんが、そんなに怖がらないでよ、という意味で、微笑んだのでしたが、彼らの反応は芳しくありませんでした。

しかしその反面、とても親切な人がいたりして、日本人だとわかると、むしろ話したがる人もいて、いろいろだな、と思ったものです。

さて、僕はイギリスで暮らしていたことがあるのでわかるのですが、自国以外で暮らすということ自体、大変です。


僕の場合は、留学と旅行でしたから、イギリスでお金を稼ぐのではなく、むしろお金を使うほうだったので、多少の差別はあったものの、さほど厭な体験はしませんでした。

しかし、異国で、お金を稼いで暮らすということは、大変です。

僕が、介護離職するまで働いていた新宿のビジネスホテルでも、下請けの清掃やベッドメイキングの仕事を、在日の台湾人、中国人、フィリピン人の人たちが、従事していましたが、僕は、彼らをリスペクトしていました。

自分だったら、あんなにがんばれるだろうか、と、思ったものです。


僕は、中国の古典や老荘思想、あるいは、三国志が好きで、今も、図書館からレッドクリフを借りて、昨日も見ましたが、今の、共産中国は、問題があるとしても、孔子や老子を生み出した中国という国は、奥深いと思うのですよ。

また、韓国には、クリスチャンも多く、迫害されてきた国だからこそ、主イエスの苦しみが、理解できるアドバンテージも、あるのだと、思います。

その点、日本は、クリスチャンの人口は、1%未満。

なかなか、キリスト教が根付かない国なのですよ。

まあ僕は、人工的なキリスト教神学には、違和感を覚えていて、いわゆるクリスチャンではありませんが、主イエスは、敬愛しています。

まあ、この話をすると、つまり、キリスト教の話をしだすと、その辺の牧師よりも、長い説教になってしまうので、やめますが、どうか人を、ラベルで判断しないでください、と、言いたいのです。

長くなったので、今日はここまで。

本当はもっと、ノンストップで話したいのですが、ね。