僕は今、アルバイト暮らしで、時給労働者なのですが、これといった不満はありません。

連日の猛暑の中での作業はこたえますが、それは不満にはなりません。

どうやったらこの暑さの中で無事に作業できるだろうか、ということは考えます。

で、なぜ不満がないかと言うと、不満を持つと、損だから、です。

単純に、これだけ。

今朝、ネットで見つけた、女性の人生相談。

その内容よりも、この人の収入を見て、かつて、東京都の障害者施設の現場で働いていたときのことを想いだしました。


20190803-00019097-argent-001-1-view
この人の手取りは、55万円。ボーナスの手取りは、年間で220万円。

手取りということは、額面ではもっと多いわけで、これを見たとき、都の職員の給与を思いだしました。

僕が働いていた都営の障害者施設には、当然のことながら都の職員が働いているのですが、その現場の設備管理要員として、僕は民間会社から派遣されていました。

何よりもびっくりしたのは、全部とは言いませんが、一部の都の職員の、あまりにも楽すぎる仕事内容。

そして、その、遊んでいるような楽な仕事なのに、僕の3倍近い年収を得ていること、そのことにショックを受けると同時に、他人との比較に苦しみました。

で、苦しむだけでなく、その不公平感に、大変不満を持ちました。

いやな仕事は、下請けの僕たちに丸投げし、きつい仕事をするのは僕たちで、収入は彼らの3分の1。

なんじゃこの不公平はーと、ずいぶん憤ったものです。

官民格差を痛切に感じるとともに、比較の苦しみ、というモノを、感じるだけでなく、考察するようにもなりました。

人は、他人との比較により、優越感を感じたり、劣等感を感じたりしますが、それって、他者に、幸不幸をゆだねているんじゃね、と、思うようになってから、そういうばかばかしいことは、だんだんしなくなっていきました。

人は、一気には変われません。

少しずつ、変わっていくのが普通です。

勿論、ダマスコの回心ということも、稀にあり、一気に人が変わってしまうこともあり得ますが、一般的には、人は、徐々に、習慣的な方向付けによって変わるものだと思います。

僕も、苦しみながら、他人との比較の無意味さを感じつつ、自分の幸せというモノを、求めていきました。

なので、今は、この54歳女性公務員の給料を見ても、たくさんもらっているな、とは思いますが、それで、自分が惨めな気持ちになることはありません。

ただ、30代の2年ほど、都の障害者施設で働いていたときの自分のことを想いだしたのですね。

で、こんなに収入がある女性でも、不安があるから、相談しているわけで、人の不安の多様性というモノを、改めて感じた次第です。