昨日は、友人Oと、数か月ぶりに会い、近場を散歩したのですが、彼は90を過ぎる母親の介護を在宅でしているため、母親がデイケアに長めの滞在をする土曜日しか、自分一人で少し長めに外出する時間が取れません。
僕が介護をしていたのは、50代のとき。そのとき、親は80代。
友人Oの場合は、60代の子が90代の親を介護するケースです。
その友人Oが僕の家にやってきたのは、10時20分ごろ、そして僕の家を二人で出て、近場の散歩に行ったのが10時半。
のんびりと歩き、大学が3つほど並ぶ通りを抜け、坂を下り、狭い橋を渡りました。
そのまま歩いて行けば、今話題になっているムーミンバレーパークにも行けますが、友人Oの自由時間も限られており、今回は、橋を渡った向こうの遊歩道を川沿いに歩きました。
いくつかの家族ずれがバーベキューの準備などをしている広場のトイレに寄り、その後川沿いの道から離れて緩やかな坂を上り、新しき村を目指しました。
新しき村というのは、作家の武者小路実篤が、宮崎県木城町に創設した農村共同体、ある種の理想郷です。その後、その場所がダムに水没することが決まり、遠く埼玉県の田舎町に、移り住んで作り直したのが、新しき村、ということになります。
で、その新しき村を目指して勝手に歩いていたのですが、まあ、方向だけを見定めて歩き、空き家がちらほらと目立つ住宅街を抜け、森の中に。
まあ遠くに行かなくても、近場に川や森があるのはありがたく、森の中の道を方向転換などしながら、北側に下っていき、田んぼ道に出ました。
すると遠くで、二人の老人と一匹の犬が、何やら、作業らしきことをしています。
新しき村の住民かもしれないと思いながら、そちらの方向へ。
そして、左手に電車のようなものが見えたので、そちらのほうへ向かいました。
電車といっても、今は走ってはいない電車。

坂道を上り、裏手に回り込んで、車内へ。


かつて都電として走っていた電車でした。
幼少期、東京で暮らしていた友人Oには、どこか懐かしい路線図だったようで、二人でしばし、その路線図を眺めていました。

動かない電車の外は、のどかな田舎の風景。

電車のフロントは、こんな感じ。
その後、また、僕たちは歩いて行き、新しき村の入口へ。

何やら、文字が書いてあります。

今も少数とは言え、そこで暮らしている人もいる新しき村に入るのは、僕自身、数十年ぶりかも。
新しき村生活文化館や新しき村美術館を見学。
生活文化館のほうは無料のギャラリーでしたが、新しき村美術館のほうは、入館料が200円かかりました。
また、ちょうど昼時だったため、美術館の向かいにある公会堂では、何人かの村人が、昼食を摂っていました。その風景は、共同生活の日常の一こまを見た感じでしたね。
新しき村も、他の日本の現状と同じく、高齢化が進んでいる感じでした。
武者小路実篤が理想とした暮らしが、細々とではありますが、続いていることに、感慨を新たにしました。
この同じ時間に、ここからそう遠くない場所にあるムーミンバレーパークは、来場者で溢れているのでしょうが、ここは、静かでした。
友人Oと僕は、そのまま歩き続けて新しき村をでて、野の道を歩き、住宅街に入り、丘を越えて、また歩きなどし、のんびりと、僕の家に帰りました。
3時間弱の、ゆったりとした散歩でしたが、少しだけタイムスリップしたような感じがしましたね。
僕が介護をしていたのは、50代のとき。そのとき、親は80代。
友人Oの場合は、60代の子が90代の親を介護するケースです。
その友人Oが僕の家にやってきたのは、10時20分ごろ、そして僕の家を二人で出て、近場の散歩に行ったのが10時半。
のんびりと歩き、大学が3つほど並ぶ通りを抜け、坂を下り、狭い橋を渡りました。
そのまま歩いて行けば、今話題になっているムーミンバレーパークにも行けますが、友人Oの自由時間も限られており、今回は、橋を渡った向こうの遊歩道を川沿いに歩きました。
いくつかの家族ずれがバーベキューの準備などをしている広場のトイレに寄り、その後川沿いの道から離れて緩やかな坂を上り、新しき村を目指しました。
新しき村というのは、作家の武者小路実篤が、宮崎県木城町に創設した農村共同体、ある種の理想郷です。その後、その場所がダムに水没することが決まり、遠く埼玉県の田舎町に、移り住んで作り直したのが、新しき村、ということになります。
で、その新しき村を目指して勝手に歩いていたのですが、まあ、方向だけを見定めて歩き、空き家がちらほらと目立つ住宅街を抜け、森の中に。
まあ遠くに行かなくても、近場に川や森があるのはありがたく、森の中の道を方向転換などしながら、北側に下っていき、田んぼ道に出ました。
すると遠くで、二人の老人と一匹の犬が、何やら、作業らしきことをしています。
新しき村の住民かもしれないと思いながら、そちらの方向へ。
そして、左手に電車のようなものが見えたので、そちらのほうへ向かいました。
電車といっても、今は走ってはいない電車。

坂道を上り、裏手に回り込んで、車内へ。


かつて都電として走っていた電車でした。
幼少期、東京で暮らしていた友人Oには、どこか懐かしい路線図だったようで、二人でしばし、その路線図を眺めていました。

動かない電車の外は、のどかな田舎の風景。

電車のフロントは、こんな感じ。
その後、また、僕たちは歩いて行き、新しき村の入口へ。

何やら、文字が書いてあります。

今も少数とは言え、そこで暮らしている人もいる新しき村に入るのは、僕自身、数十年ぶりかも。
新しき村生活文化館や新しき村美術館を見学。
生活文化館のほうは無料のギャラリーでしたが、新しき村美術館のほうは、入館料が200円かかりました。
また、ちょうど昼時だったため、美術館の向かいにある公会堂では、何人かの村人が、昼食を摂っていました。その風景は、共同生活の日常の一こまを見た感じでしたね。
新しき村も、他の日本の現状と同じく、高齢化が進んでいる感じでした。
武者小路実篤が理想とした暮らしが、細々とではありますが、続いていることに、感慨を新たにしました。
この同じ時間に、ここからそう遠くない場所にあるムーミンバレーパークは、来場者で溢れているのでしょうが、ここは、静かでした。
友人Oと僕は、そのまま歩き続けて新しき村をでて、野の道を歩き、住宅街に入り、丘を越えて、また歩きなどし、のんびりと、僕の家に帰りました。
3時間弱の、ゆったりとした散歩でしたが、少しだけタイムスリップしたような感じがしましたね。
武者小路実篤創設の新しき村に行かれたのですね。今の時代でもこのような理想郷が各地に新しく出来ていくことが良いと私は思っています。
しかし、こういった共同体(コミューン)は難しいところもやはりありますね。
新しき村に集まってきた人々は、仲良く質素に助け合って平等に暮らそうとする人達ばかりだと思っていたら、風呂(共同浴場)に置いてある一つの風呂桶を使う順番をめぐって争いがあったという話があります。武者小路実篤氏は愕然としたらしいです。
マルコムX(アメリカの黒人の公民権運動活動家)もアメリカでの活動に希望を失っていた時期、母国であるアフリカに渡るという決断をしました。肌の色や言語、文化や宗教が違いが、アメリカ社会で黒人が差別される原因とマルコムXは考えていました。ならば、同じ民族であるアフリカ(マルコムXのルーツ)に行けば、人々は差別もなく仲良く暮らしているだろうと考えたからです。
ところが、母国アフリカの村でも、部落間で、争いや差別があるという現実を知り、マルコムXも愕然としたようです。
同じ民族、言葉も文化も同じはずなのに・・・。
その時、マルコムXは、「差別というものは人の心の中に起こるものである」という考えに至ったようです。
やはり、ダスカロスが言っているように、エゴイズムが人間にはあります。それをいかに小さくコントロールしていくかが、理想的と言われる共同体でも鍵となると私は思います。