今月60歳になることもあり、そうなると、50代ではなくなるため、50代おひとり様カテゴリーを離れます。
セミリタイアカテゴリーのほうは、そのまま居続けますが、なにかもうひとつ、所属するカテゴリーを今、模索中です。
自然な流れで行けば、60代おひとり様カテゴリーに移行するのですが、あまりにも村人の数が少なく、盛り上がりもなさそうなので、他を探しています。
さて、そこで、ほぼ3年ぶりに、自己紹介を、回顧的に書いてみることにしました。
進路も決めないまま高校を卒業。
フジパンというところで、アルバイトをしながら自動車教習所に通い、18歳で自動車免許を取得。
19歳のときに父が再婚。これで、安心して家を出られると、自宅を出て、いろいろなところを放浪。
当時、練馬区桜台に住んでいた、友人Oのところに居候させてもらったり、それ以外にも、神奈川県の葉山町の友人宅に居候など、住居を転々。
いや、この調子で書いていくと膨大な長さになるので、端折りながら書いていきます。
20歳のときに、僕を含む友人、計4名(男2名女2名)で、高尾に一戸建てを借りて住む。借主は僕だが、他の3名にもそれぞれお金を負担してもらう。
この形態で、その後、僕は神奈川県逗子市へ。ちょうど愛甲の、横浜高校が優勝した年でした。逗子では、書店のアルバイトをしながら、逗子市山の根という、ちょっとした山の中腹に住んでいました。
ほぼ一年ほど住み、その後実家に戻ります。このとき、22歳。まあ、大学に行ったと思えば、ちょうど卒業の頃。
そこで、入間市の工業団地にある、主に避雷針などを製造している工場に就職。これが、最初の正社員で、約2年勤めます。この時、初めて、厚生年金にも加入。このとき、テニスとスキーにはまり、運動三昧。
スキー好きが高じて、24歳のときに会社を辞め、新潟へ移住。
その後、25歳の夏に、板橋区のアパートに住み、そのときに、悪名高き統一教会に伝道される。
で、この板橋時代に、上福岡にある不動産会社に束の間就職、ただし厚生年金は未加入。統一教会には、2年ほどいましたが、赤羽にいる期間が長く、その後、新小岩、葛西へ。さらに、愛知県名古屋市、瀬戸市などを放浪。ただし、いずれも短期間。
28歳で、廃人のようになって実家に戻るが、その前に、当時、武蔵境に住んでいた友人Oの家に、しばらく居候。でもまだ、この時は、完全には洗脳がとけておらず、一度連れ戻される。
しかし、使い物にならないということで解放され、実家に戻り、廃人のような生活。
家で寝てばかりの生活の果てに、何とか、米軍横田基地のNCOクラブで働くようになる。このとき、英語に目覚め、英語を独学。ただ、給料のあまりの安さに、半年でやめて、植木のリース会社に就職。
そうこうしているうちに30歳を過ぎ、その後、坂戸市にある不動産仲介会社に就職。この不動産会社は2年ほどいました。仕事をしながら英語の勉強を継続。
英語熱が高まり、不動産会社をやめて、東武ストアでアルバイトをしながら、英会話学校に通い、その一年後、念願のイギリスへ。
イギリスが初めての外国となりましたが、チチェスター、エディンバラなどに住んで、イギリスを堪能し、さらに、旅行もして帰国。
その後地元の食品会社で働きなどしましたが、長続きせず、再びの引きこもり生活に。
再びの、というのは、統一教会をやめたあとの廃人生活は、全く働くこともできない、引きこもり生活でしたからね。
ここまで書き流してきましたが、アルバイトは長く続けたモノ以外は、端折っています。
で、35歳のときに、友人Oの紹介で、設備管理会社に入り、まあ、この時から、生活が安定しました。
35歳までは、年金加入も虫食い状態ですき間だらけでしたが、ここからは、継続しての支払い。
この設備管理会社時代は、仕事も楽で休みも多く、僕には打ってつけでした。この安定期に、アメリカ、タイ、香港、韓国など、海外旅行にかなり行きました。
9年数か月勤めた設備管理会社をやめたあと、一年間充電期間を置き、その間に、九州と四国を旅してまわりました。
その後、ビジネスホテルに就職。11年働き、介護のために退職。
年金加入期間は25年以上はあるものの、30年には届かない感じで、このあたりが、高校を卒業後ずっと働いてきた友人たちとは、年金受給でかなり差がついている点ですね。
若い頃は気にもしなかった年金ですが、僕の友人でも、勤め人と自営業の間でかなりの格差が生じていたりと、現役時代には見えなかった金銭事情が露呈し始めています。
まあ、僕は、転職が多かったとはいえ、厚生年金にも加入していたので、自分次第で何とかなるローコスト生活でなら、何とか生きていけると考えています。
本日は時間をかけてtoroさんの過去の記事を何件か読んで、私と共通する部分がかなりある方だと思いました。
一つ目は介護に関する事。
二つ目は生き物が好きそうな人。
三つ目は取引きに関する事。
四つ目は同じ星座であり、私の一つ下の方であるという事です。
取引では私はハイローオーストラリアのバイナリーオプションと、FXの仮想通貨のトレード経験なら7年以上はあります。
ハイローオーストラリアの方は掛け金が一回当たり最小金額千円からなのでそれほどリスクはなく、何よりも塩漬けによりお金を失う心配がなく、時間がくれば自動で勝負が決まる点ですが、海外のものなので万一出金出来ないなどがあれば怖い所。
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FXの方は、正木利彦さんのスパンモデル手法を習得すれば勝てますが、勝てる位置にチャートが来るまで待つ事の難儀さがあります。
個人投資家で月数百万稼げる人もいて、以前はそちらのブログ
人の読者でしたか、記事を行進しなくなり数年経過しました。