僕の実母が死んだのは、今から43年前になります。
43年前の今日、実母は51歳で亡くなりました。
今年、義理の母を末期がんで亡くして、天涯孤独のおひとり様となったわけですが、アルバイト暮らしのローコスト生活で、普段は仏壇に花を供えることもありません。ときどき、食べ物を供えるくらいです。
さて、今日は、奮発して花を買い、お墓参りに行ってきました。
途中、美杉台の紅葉を見たのですが、もう盛は過ぎていましたね。

実母が眠り、生まれてすぐ亡くなった弟が眠り、2年前に亡くなった父が眠り、今年亡くなった義母が眠る墓からは、僕の産まれた家を見下ろすことができます。
小さな家なのではっきりとは見えませんが、だいたいあのあたりだな、というのが認識できる程度には見渡せます。
その風景を見ながら、もう43年が経ったのか、と思ったものでした。
帰りは、下の道から帰っても良かったのですが、少し贅沢をして、入間から圏央道に乗り、隣の狭山日高飯能インターで降りました。
これは、軽に買い替えて、初めてのETCを確認したかった意味もあります。
また、途中にある狭山パーキングに立ち寄って、ちょっとした旅行気分を味わいたかったのもあります。
土曜日だけあって、昼時を過ぎているのに、パーキングはかなり混んでいました。
実母を偲び、実母に感謝した一日でした。
何しろ、生みの母がいなければ、今の僕はいませんからね。
墓前で僕が思ったことは、残された人生を幸せに生きることが供養になる、でした。
43年前の今日、実母は51歳で亡くなりました。
今年、義理の母を末期がんで亡くして、天涯孤独のおひとり様となったわけですが、アルバイト暮らしのローコスト生活で、普段は仏壇に花を供えることもありません。ときどき、食べ物を供えるくらいです。
さて、今日は、奮発して花を買い、お墓参りに行ってきました。
途中、美杉台の紅葉を見たのですが、もう盛は過ぎていましたね。

実母が眠り、生まれてすぐ亡くなった弟が眠り、2年前に亡くなった父が眠り、今年亡くなった義母が眠る墓からは、僕の産まれた家を見下ろすことができます。
小さな家なのではっきりとは見えませんが、だいたいあのあたりだな、というのが認識できる程度には見渡せます。
その風景を見ながら、もう43年が経ったのか、と思ったものでした。
帰りは、下の道から帰っても良かったのですが、少し贅沢をして、入間から圏央道に乗り、隣の狭山日高飯能インターで降りました。
これは、軽に買い替えて、初めてのETCを確認したかった意味もあります。
また、途中にある狭山パーキングに立ち寄って、ちょっとした旅行気分を味わいたかったのもあります。
土曜日だけあって、昼時を過ぎているのに、パーキングはかなり混んでいました。
実母を偲び、実母に感謝した一日でした。
何しろ、生みの母がいなければ、今の僕はいませんからね。
墓前で僕が思ったことは、残された人生を幸せに生きることが供養になる、でした。
私も40年前に産みの母を亡くしました。
当時36歳でした。
育ての母も今年亡くし、私も実家でひとり
生活が始まりました。