21歳前後に、高尾に住んでいた頃、入り浸っていた西八王子のジャズ喫茶で、パット・メセニーとかウェス・モンゴメリーをよく聴いていたのですが、そこを紹介してくれたのが、東京造形大学の学生だったT君で、彼と出会ったのは、また別の喫茶店。

僕が友人M氏と話をしているときに、T君のほうから、僕の詩を読んでくれませんかと話しかけてきたのですね。

彼がそんなことを言い出したのは、おそらく僕とM氏の話を聞いていたからであり、M氏は、詩人でした。

当時、M氏は、ヘンリーミラーと埴谷雄高に傾倒していたような。どちらも詩人ではありませんが、おそらく、詩人については、誰か好きな人がいたのでしょうが、僕の記憶にあるのは、その二人。

僕は長い小説を読むのが苦手で、ヘンリーミラーの北回帰線は、その分量を見てパス。まあ、短編集の「愛と笑いの夜」などは、影響されて読みましたが。

まあ、それはそうと、東京造形大学に通っていたT君のほうは、奈良県の十津川村というところの出で、ずいぶんな田舎だそうでした。

そんな田舎の村の出とは思えないほど、T君は洗練されていて、彼のアパートにも何度か遊びに行きましたが、壁にはピカソの青の時代の絵が張られ、角部屋で粋な感じでした。

東京造形大学の文化祭にも連れて行ってもらったりしました。

だいたいこちとらはしがない高卒で、そういう文化的な香りに飢えていたのかもしれません、今考えるとね。

そのT君、ジャズではエリックドルフィーがお気に入りで、僕も影響を受けて、エリックドルフィーも聴くようになりました。

それともう一つ、影響を受けたのが、T君が大好きだというRCサクセションと憂歌団。

憂歌団はまあ、あえて言えば、ブルースバンドで、ボーカルの木村は味があるし、RCサクセションのほうは、言わずと知れた忌野清志郎でうからねえ、どちらも僕のテイストに合ったということでしょう。

RCサクセションや憂歌団を聴くようになったのは、間違いなく、T君のおかげですね。





日本に生まれて、良かったっす。

喫茶店で僕とM氏に、いきなり自分の書いた詩を読んでくれと話しかけてきた、東京造形大学の学生だったT君。

今はもう、いいおじさんになっているのでしょうね。