もうずいぶん昔のことになりますが、とても不幸な女性がいて、その人の悲しみを消してあげたかったのですが、僕は、どうすることもできませんでした。

今でも、その人のことを思うと、涙が流れます。






僕がキリスト教に興味を持ったのも、そのことと無縁ではありません。

イエスは、売春婦や取税人といった、蔑まれていた人たちと行動を共にしていました。

僕が、悲しみを消してあげたかった、と思った女性も、世間からは蔑まれていた人でした。でも、その心は、純粋だった。

「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」
イエスのこの言葉に、僕は泣きました。

誰も、他人を責めることはできません。僕も、同じです。



僕はクリスチャンではありませんが、イエスは、最大限尊敬しています。

ただし、キリスト教は大嫌いです。キリスト教に興味は持ちましたが、その実体は堕落していて、イエスの霊性は皆無です。

ごく一部、優れた牧師はいますが、その牧師の人格に拠ることが多く、やはりキリスト教は、中世の魔女裁判をはじめ、植民地支配の道具とされていたことなど、容認することはできません。

ただ、クリスチャンの中には素晴らしい人もいることも事実なので、そこが難しいところですね。

全くもって人生は、切な過ぎます。