全くもって、記事のタイトル通りなのですが、35歳のときに、友人Oの紹介で、神田に本社のある、ビル管理会社に入るまでは、僕の転職数は、アルバイトを含めると、100を超えていました。

何でそんなに、ころころと職を変わっていたのかと言うと、当時は、うまく説明もできませんでしたが、今のように、50代の後半の年齢になってくると、俯瞰できるようになるのですね。

で、結局のところ、この世の、残酷な社会という苦海の中で、溺れそうになっていたわけです。

溺れそうになっては、息継ぎをするために水面に顔を出し、また、ずぶずぶと沈んでいくということを、繰り返していたのです。

一般的には、根性なし、とか、怠け者、とか、多少良さげに言って、フリーターとか呼ばれますが、当の本人は苦しみの渦中でもがいていたわけです。
1038190


とにかく、その仕事で息苦しくなってくると、逃げるしか、他に方法がなかったのです。

で、35歳にしてたどり着いたのが、ビル管理業界だったわけですね。

たどり着いたらいつも雨降り、という吉田拓郎の歌がありますが、僕の場合は、たどり着いた先は晴天でした。

まあ、そこから、人生が好転していったわけで、そのきっかけとなった、Oには、とても感謝しています。

で、僕は、自分が、弱い人間であることを知っていますし、だから到底、えらそうなことは言えないのです。事実、まったく偉くはないし。

何とか今も、細々と生きさせてもらいながら、世の無常を眺めているのが、性に合っているのですね。