僕は自分の記憶のどこを点検してみても、福袋というものを買ったことがありません。

そうは言っても、テレビなどで見たことはあるので、どういうものなのかはだいたいわかっているつもりです。

つまり、僕が認識している範囲でザックリ言えば、金額以上の内容のあるものが入っているということですよね。まあ、バーゲンセールの新年版、という感じでしょうか。

で、福袋などは買ったことのない僕ですが、長い行列に遭遇して、これは何だ、と驚いた経験はあります。

それは僕の前職であるビジネスホテルに働いていたときの体験です。

24時間勤務を明けた僕は、副都心線の新宿三丁目駅から帰るのですが、地下鉄のため、入り口がいくつもあるのですよ。

で、せっかく正月だからと、花園神社近くの入り口から入ろうと思ったわけです。

花園神社に新年の参拝でも出来たら、という気持ちもあり向かったのですが。

まあ、花園神社、その昔唐十郎が、紅テントを張っていたところですが、混んでいるのなんの。

即決で、回避。

そして花園神社近くの副都心線の入り口から地下へと降りていったのですが、改札へ向かおうとする僕の反対側から人が押し寄せてくるのですよ。

で、花園神社方面から新宿三丁目の改札へ向かう通路はあまり広くないのですね。

その広くない通路に、まず、僕と同じ進行方向に向かって行列ができており、その行列の最後尾を目指して、僕の向かい側からも人が押し寄せてきて、僕の通行を妨げているのですよ。

新年早々、狭い通路が動脈硬化状態。

こういう時の僕は、向こうからこっちに向かってくる奴に向かって、ガンを飛ばします。「この野郎、俺にぶつかってくるんじゃねえぞ」とね。まあ野郎よりも、女性のほうが多かったのですが。

で、この行列の正体が、伊勢丹の入り口あたりで判明しました。そのあたりには、伊勢丹の店員らしき人間がいて、行列に指示を出していましたからね。

何だよ、行列の正体はこれかよ。

と思った僕なのですが、新年早々、物欲の熱気にあてられ、辟易すると同時に感心もしたのでした。

辟易のほうは説明するまでもないと思いますが、感心のほうは、自分が出世欲がないのは彼らのような物欲がないからなのではないか、と考えさせられたのです。

物欲がないなどというと、さぞや人格者かと思うかもしれませんが、僕はエゴイストです。まずは、自分の幸せを考えます。

ただ、僕の幸せは、物欲を満たすことではなく、たとえば、眠りたいときにはたっぷり気兼ねなく眠るとか、そうした生存のための本能に根差しています。

で、睡眠欲と食欲が満たされれば、まずは幸せなのです。そして、空でも眺めていれば、幸せなのです。

モノはそれなりにあれば十分で、あまりありすぎると疲れます。疲れやすいのは、どうも体力に問題があるのかもしれず、行列に並ぶなど、もってのほかなのです。

まあ、こんなことを書いているときりがないのでこの辺にしますが、そう言うわけで、福袋は、買ったことがないし、今後も買う予定はありません。