もう30年以上前の話です。
僕は、それまで働いていた会社を辞め、越後湯沢に、行きました。
今は、湯沢パークと呼ばれているスキー場が、当時は、湯沢新日本、と呼ばれていました。
20代、スキーにはまっていた僕は、それが高じて、とうとう会社を辞め、新潟へ。
本当は、北海道のパウダースノウが良かったのですがね。
上越の雪は、重いのですよ。
まあ、それはともかく、僕は、一冬を新潟の湯沢町で過ごしました。
そして、スキー場で、3月に25歳になりました。
新潟といえばもう一つ。
僕の好きな作家の一人が坂口安吾なのですよ。
彼は、新潟市の出で、湯沢にいるとき、休日に、新潟まで行き、安吾の碑を見てきました。
まあ、もう遠い思い出です。
そのひと冬は、若者らしい恋もありましたし、和食の板前さんに、ずいぶん酒を飲ませてもらいました。
新潟といえば、越乃寒梅が有名ですが、僕は、八海山が好きでした。
今でも、懐かしくなって、新潟方面には、2年に一度は行きますね。
来年は、弥彦温泉に行く予定です。
越後湯沢以外にも、いろいろなところに住んでいますが、冬になると、越後湯沢での日々を思いだします。
その年はドカ雪で、寮の前の雪かきが日常でした。
若い頃に、いろいろな町に住んでいてよかったです。思い出がたくさんありますからね。
僕は、それまで働いていた会社を辞め、越後湯沢に、行きました。
今は、湯沢パークと呼ばれているスキー場が、当時は、湯沢新日本、と呼ばれていました。
20代、スキーにはまっていた僕は、それが高じて、とうとう会社を辞め、新潟へ。
本当は、北海道のパウダースノウが良かったのですがね。
上越の雪は、重いのですよ。
まあ、それはともかく、僕は、一冬を新潟の湯沢町で過ごしました。
そして、スキー場で、3月に25歳になりました。
新潟といえばもう一つ。
僕の好きな作家の一人が坂口安吾なのですよ。
彼は、新潟市の出で、湯沢にいるとき、休日に、新潟まで行き、安吾の碑を見てきました。
まあ、もう遠い思い出です。
そのひと冬は、若者らしい恋もありましたし、和食の板前さんに、ずいぶん酒を飲ませてもらいました。
新潟といえば、越乃寒梅が有名ですが、僕は、八海山が好きでした。
今でも、懐かしくなって、新潟方面には、2年に一度は行きますね。
来年は、弥彦温泉に行く予定です。
越後湯沢以外にも、いろいろなところに住んでいますが、冬になると、越後湯沢での日々を思いだします。
その年はドカ雪で、寮の前の雪かきが日常でした。
若い頃に、いろいろな町に住んでいてよかったです。思い出がたくさんありますからね。