昨日深夜に走り書きした記事が、思いのほか良い受け止められ方をしていたので、もう少し、書いてみます。
実は僕は、弱いほうが強いのではないか、と、思っているのですね。あるいは、弱いほうが、安全ではないかと、思っています。
これは、老子の「柔弱謙下」(じゅうじゃくけんげ)という教えからきています。老子には、よく水が出てきます。水は形なく、とらえどころがないが、強いと。そして常に、低きに流れると。
その水のようなあり方を、僕も理想としているのですが、せめてそういう思いを持ち続けることで、老子に近づきたいとは思っています。
一方、孔子は、僕にとっては肩が凝る教えです。孔子の論語は、多くのエリートが好みますが、まあ、論語の教えは立派だとは思いますが、老子のほうがやっぱり性に合っています。
で、昨日、自分の最大の敵は自分だと言ったのですが、この敵である自分とは、勝手に妄想し、暴走してしまう自分のことで、仏教的には煩悩とか、偽りの自分、と呼んでいるものです。
この、御し難き偽りの自分を、どうなだめすかすか、どううまく付き合っていくかが、大事なように思います。
だって、僕が前職で、上司と戦っていたときは、「御し難き自分」が、僕の心の中で荒れ狂っていましたからね。怒りの制御が大変でした。
職場の人間関係は、場合によっては地獄さながらの様相を呈します。まあ、修羅場ですね。
こんな堅い話ばかりでは、あれなので、僕が大事にしていた犬の写真をアップします。

名前は、ラッキーと言います。
もう死んでしまいましたが、皮膚病におかされ、痩せこけて野良犬としてさまよっていたときに、僕の友人で、タクシードライバーのMさんが、拾って育てていました。
Mさんは、他にも2匹の犬がいました。一匹がトイプードルで、もう一匹が、マルチーズです。
ちなみに、今は便宜上、犬を、一匹と呼んでいますが、愛犬家は、そのようには呼びません。人間のように扱いますからね。
それは、Mさんから教わったのですが、僕は知らずに、スタバで、チワワを抱えていた女性に、「雌ですか」と訊いたら、たしなめられました。
「ああいうときは、女の子ですか、と言うものですよ」と。なるほど、と思いました。
僕の家は、母が、動物が苦手なので、犬も猫も飼えませんが、ときどき、Mさんの家で、ラッキーを連れ出して散歩に行ったりしていました。
その後、Mさんのところでは、チワワ2匹も、譲り受けたり、捨てられているのを拾ったりして増えて、計5匹の犬たちが、いましたが、一番元気だったラッキーが、突然死してしまいました。今年のことです。
ラッキーは、拾われた当初は警戒心が強く、ビクビクしていましたが、愛されて、大事にされているうちに、少しずつ、なついてくれるようになりました。
犬も人間も、苦労したり、大変な目に合うと、怯えたり、対人恐怖症になったりします。僕も、若い頃の一時期、外に出るのが怖くて引きこもっていたことがあります。
長くなってしまいましたね。
何が言いたいのかというと、弱くても大丈夫、だということです。僕のように弱い人間でも、何とか生きてこれましたから、この記事を読んでくれている皆さん、全員、だいじょうぶですよ。
実は僕は、弱いほうが強いのではないか、と、思っているのですね。あるいは、弱いほうが、安全ではないかと、思っています。
これは、老子の「柔弱謙下」(じゅうじゃくけんげ)という教えからきています。老子には、よく水が出てきます。水は形なく、とらえどころがないが、強いと。そして常に、低きに流れると。
その水のようなあり方を、僕も理想としているのですが、せめてそういう思いを持ち続けることで、老子に近づきたいとは思っています。
一方、孔子は、僕にとっては肩が凝る教えです。孔子の論語は、多くのエリートが好みますが、まあ、論語の教えは立派だとは思いますが、老子のほうがやっぱり性に合っています。
で、昨日、自分の最大の敵は自分だと言ったのですが、この敵である自分とは、勝手に妄想し、暴走してしまう自分のことで、仏教的には煩悩とか、偽りの自分、と呼んでいるものです。
この、御し難き偽りの自分を、どうなだめすかすか、どううまく付き合っていくかが、大事なように思います。
だって、僕が前職で、上司と戦っていたときは、「御し難き自分」が、僕の心の中で荒れ狂っていましたからね。怒りの制御が大変でした。
職場の人間関係は、場合によっては地獄さながらの様相を呈します。まあ、修羅場ですね。
こんな堅い話ばかりでは、あれなので、僕が大事にしていた犬の写真をアップします。

名前は、ラッキーと言います。
もう死んでしまいましたが、皮膚病におかされ、痩せこけて野良犬としてさまよっていたときに、僕の友人で、タクシードライバーのMさんが、拾って育てていました。
Mさんは、他にも2匹の犬がいました。一匹がトイプードルで、もう一匹が、マルチーズです。
ちなみに、今は便宜上、犬を、一匹と呼んでいますが、愛犬家は、そのようには呼びません。人間のように扱いますからね。
それは、Mさんから教わったのですが、僕は知らずに、スタバで、チワワを抱えていた女性に、「雌ですか」と訊いたら、たしなめられました。
「ああいうときは、女の子ですか、と言うものですよ」と。なるほど、と思いました。
僕の家は、母が、動物が苦手なので、犬も猫も飼えませんが、ときどき、Mさんの家で、ラッキーを連れ出して散歩に行ったりしていました。
その後、Mさんのところでは、チワワ2匹も、譲り受けたり、捨てられているのを拾ったりして増えて、計5匹の犬たちが、いましたが、一番元気だったラッキーが、突然死してしまいました。今年のことです。
ラッキーは、拾われた当初は警戒心が強く、ビクビクしていましたが、愛されて、大事にされているうちに、少しずつ、なついてくれるようになりました。
犬も人間も、苦労したり、大変な目に合うと、怯えたり、対人恐怖症になったりします。僕も、若い頃の一時期、外に出るのが怖くて引きこもっていたことがあります。
長くなってしまいましたね。
何が言いたいのかというと、弱くても大丈夫、だということです。僕のように弱い人間でも、何とか生きてこれましたから、この記事を読んでくれている皆さん、全員、だいじょうぶですよ。
弱い自分なので外での摩擦に耐えられずに自滅して逃げる。を繰り返してきました。
逃げる=仕事を辞めるだったのが、最近考えるのは同じことを繰り替えず自分に嫌気が刺してこの世から消えたくなる。に思考が進みつつあります。
心の支えだった愛犬が先月死んでしまってから気持ちの切り替えができなくなりつつあるなと感じます。
50になってからは体もいう事を聞かなくなって心身共に弱っている実感があります。
弱い自分が今の世の中を渡っていける自信もなくて。
ラッキー君の写真とてもいい顔をしていますね。
愛されているわんちゃんの顔です。
物言わぬ動物は無垢で愛らしくて心を癒す存在ですね。
頭悪いので言いたいことが伝わらない文章ですが、この二日のブログは自分の心にずしんときました。