介護離職からのおひとり様快適生活

定年まで数年を残して介護離職したのち、父を自宅で看取り、その二年後に母も天国へ。風の時代の上昇気流に乗りながら、日々の暮らしでの気づきと心象風景を綴っています。

2021年07月

みんな一人で生きてゆくもの



前記事で、孤独について書いた後、

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遠雷という曲を思い出しました。




夏に聴くには、ぴったりの曲です。 


あとは、

一人で生きていくときに、

しみじみと感じ入る曲。



永遠を感じる曲です。

女性の声には、癒されます。


老いに向かうのみ、

の人生かもしれませんが、



その一日は、

それぞれ尊いもの。



咳をしても一人、死ぬときも一人



ムラサキさんとのコメントのやり取りを契機に、改めて孤独について考えてみました。

実は僕は、ときどき、息苦しいような孤独と虚無を感じることがあります。

そんな時は、人間存在、というものと向き合うとき。

死というゴールをもって無に帰す命ならば、 何をしても空しい、と。


これは、若い頃からある感覚で、だからこそ、仏教などにも興味を持ったのだと思います。

仏教の基本は諸行無常であり、常なるものはない、ものごとは絶えず変化する、というもの。

それは、虚無を感じる教えであると同時に、執着から離れることもできる教えでもあります。


浅く考えると、どうせ死というゴールがあるのだから、欲望のままに生きて、せめて生きているうちは快楽を貪ったほうが良いのではないか、ととらえる人もいますが、苦楽は表裏一体というのも、また仏教の教え。

まあ、仏教の話で終わってしまってはつまらないので、孤独について話を戻すと、孤独は克服するものではなく、上手く付き合うものではないか、と思うのです。

どう転んでも、人は孤独です。

ならばむしろその孤独を避けるのではなく、向き合ったほうが良い、と。

自分も孤独だけど、本当はすべての人が孤独である、と。

ただ、同時に、その孤独と向き合うことの先に、人類共通の意識、なるものがあるように思っています。

その意識を探求するのが、哲学であり、宗教なのかもしれません。


僕は、天涯孤独者として生きていて、深夜に寝床で咳をした時など、孤独の咳の音を聴きます。

そして思うのです。

俺は、あと何年生きるのだろう、と。

それは、数年かもしれず、10年かもしれず、30年かもしれませんが、

確かなことは、死に向かって日々生きているということ。

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僕は、程よい田舎町に住んでいるので、他人様の家が目に映りますが、ポツンと一軒家、などで見るような、山の中で年寄りが一人で住んでいる姿などを見るにつけ、自分にはああいう生活は無理だなあ、と思います。

あんまり過去記事をさかのぼるのも難しいのですが、今年になってから孤独について書いたものはあっただろうかと思い、探してみました。


僕が寂しさを感じた時のこと






上記の記事などは、孤独を書いたものかもしれません。

事程左様に、僕も、孤独です。

そして多分、これを読んでいる人も孤独なのかもしれません。

たぶん人類全員が孤独であり、

同時に何かでつながっている、

という感じでしょうか。

孤独だからこそ、小さな自分を何かに仮託して、

一体感を求めているのかもしれません。

今、オリンピックをやっていますが、日本が勝つと嬉しいことの一つは、

やはり自分のアイデンティティの一部分を、日本に仮託しているからでしょう。

戦争中の、靖国で会おう、という言葉も、この命は国のために捧げるが、

より大きなもののために散る命、だと思って死んで行ったのかもしれません。

僕は、3つの宗教団体を経験していますが、程度の違いこそあれ、

やはりその団体の教え、さらに言えばその教祖に、より上位の仮託先を見出し、

それを、信仰という言葉で糊塗して、安心していたのだと思います。

確かにそれは、一時的な安心を得られはしますが、

様々な矛盾や自家撞着には蓋をしたままの状態で、

真の安心立命ではありませんでした。


今は、特定の団体に属すとかいうことはなく、

宇宙意識とでも言うほかはない、法則によって統べる神、

まあ、それを神と呼べばの話ですが、

そのような存在としての神への信仰はあります。

シルバーバーチは、大霊と呼んでいますが、

法則としてこの全宇宙を統べる存在に言及しています。

シルババーチについては、スピリチュアルな話カテゴリーの中で、

かなり書き込んでありますので、参考にしてもらえれば幸いです。


おそらく僕が、何とか孤独と付き合っていけるのは、

今、親から貰った名前で生きているこの自分以上の、

より本質的な自分、自己は、この肉体の死後も不滅であり、

本来的な意味では死ぬことのない存在であることを、

信じている、

あるいは、

信じようとしているから、

なのかもしれません。


その必然として、この世は旅の途中であり、

主イエスの言葉、

「この世を旅する者であれ、この世のものとなるなかれ」が、

腑に落ちるのです。




長くなったので、今日はここまでとします。





モノを買ってもすぐに幻滅する理由



マルチ・リンガルの知識人、ジグムント・バウマンによれば、 

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消費者の消費能力を増大させるためには、

彼らに休息を与えてはならない


消費者を、
常に騒然としていて、

刺激が枯れない状態
と、

疑念と欲求不満の状態にとどめておくために、

絶えず新たな誘惑にさらす必要がある、

と、言います。


もう、すでに他界しているバウマンですが、

その著作物が示すものは、概ね的を射ています。


テレビを見ても、

ネットを見ても、

刺激だらけ。

刺激、刺激、刺激。

そして、常に、

他人との比較に晒されています。

比較、比較、比較。


そして、あの、「普通」という、

わけのわからない単語。

普通、という言葉で他者を操り、

自分も不自由になっていく。


そしてみんな、

普通になろうとして、

不幸になっていくというジレンマ。


静かに暮らしていれば、




消費から遠ざかることができるんですけど、ね。




田舎は貧乏でも持ち家の人が多い



持ち家、と言うと、

都会の人からはすげーと思われますが、

田舎は、持ち家が普通です。


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てか、貧乏人で持ち家、なんていうのがざら。

 で、田舎の度合いによっては、

固定資産税も安い。

なので、ランニングコストは低い。

だから、少ない収入、

少ない年金でも、

暮らせている人が多いのではないでしょうか。


僕の住む埼玉県南西部も、程よい田舎具合で、

本家の従兄弟などは、

300坪くらいの敷地に、

80坪くらいの古家。

そこに、一人で住んでいたりします。





田舎は、蝶も、

ゆっくり飛んでいます。







65歳単身女性の金融資産の平均額を見て



平均値と中央値の違いは、

すでにご存じの方も多いはず。 

だから、その平均、という言葉に幻惑されて、

落ち込む必要はありません。


それでも気になるのが、

平均値なのかもしれませんが。


以下は、幻冬舎オンラインからの一部抜粋。


“65歳時点における金融資産の平均保有状況は、夫婦世帯、単身男性、単身女性のそれぞれで、2,252万円、1,552万円、1,506万円となっている。”

“高齢夫婦無職世帯の平均的な姿で見ると、毎月の赤字額は約5万円となっている。この毎月の赤字額は自身が保有する金融資産より補填することとなる。” 「自身が保有する金融資産」。預貯金や定期預金をはじめとしたお金のほか、株式、投資信託といったものが一般的でしょう。毎月5万円の赤字を補填するとなると、年間で60万円もの余剰資金が必要となる計算です。


うーん、何か、赤字を前提にしていますが、

その前に無駄を見直すだけで、

赤字と思っていたものが、

黒字に転換することもあるわけで。


ここは、発想の転換が必要ではないか、と。

この細目は絶対に必要、

と思っていたものが、

見直したら、そうでもなかった、とか。

たとえば、テレビ。

テレビを見るのが当たり前だと思っていたけど、

なくても、別に困らなくね、と思い、

廃棄したところ、

NHKの受信料も払わなくてよくなり、

静かな時間が増えて、生活の質が上がった、

みたいな話も、聞いたことがあります。

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まあ、今のはほんの一例ですが、

そうした一例は、

各自、あるように、思っています。


で、僕が意外だったのは、単身男性のほうが、

単身女性よりも、貯蓄額が多いこと。

確かに稼ぎは男のほうが多いでしょうが、

貯蓄が得意なのは女性のほうだと思っていましたから。



まあ、あんまり未来の心配ばかりするのもどうなのかな、と、

イエモンの名曲を聴きながら思った僕なのでした。




「家さえあればなんとかなる」のが無職生活



持ち家信仰ではないのですが、

家さえあればなんとかなる、と、僕は思っています。

これは、動物で言えば、

自分のねぐらがある、ということ。

何と言っても、人間も動物の一種で、

安心して眠れる場所が何よりも大事。

今の季節であれば、

僕は夜は、寝室に蚊帳を吊って、寝ています。


蚊帳を吊る理由は、もちろん蚊から身を守るためですが、

扇風機の風を弱める意味もあります。

で、エアコンはタイマーセットして、切りモード。

ときどき、寝苦しくなって目が覚めることもありますが、

そのときにエアコンをつけ直せばよい、と。

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まずは家があり、そこで快適に暮らせれば、

幸せの基本は固まった、と。


それと食料があれば、生きられるよね、と。

食べることは、生きる基本。

自炊だと料理の腕も上がるし、

添加物を排除できます。


素材重視の自炊が、健康の素。

誰にとっても、健康が大事なのは、

言うまでもないですからね。



住むところと食べることが、幸福の構成要素。



 

労働人口を維持するために国が考えていること



今は、70歳定年制への移行期ですが、

これは、まだ、踏み台。

国は、いずれは75歳定年制へと考えているようなのです。

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その背後に横たわるのが、人生100年時代。

確かに100年というスパンで人生を見ると、

60歳などは中年後期。

昔は60歳で定年だったんだよね、

なんていう会話が聞こえてきそうです。


それより前は、55歳で定年となった人もいました。

国鉄に勤めていた人などは、55歳で定年となり、

今で言えば、アーリーリタイアですが、

そのまま、100歳まで生きたら、

この人の自由時間は45年。

もう本当に、人生を2度生きる感じ。

しかも後半の人生は、

ゆるぎないベーシックインカム付き。


話を戻すと、60歳などは中年後期となるので、

ああ、まだ定年まではあと15年もあるのか、

なんていう感じになるのかもしれません。


で、75歳で定年を迎えた人には、

その後5年間はさらに働く意思があれば雇用継続。 

そして、年金は、80歳から支給。

まあ、さすがにそれではというので、

年金は75歳から貰えるのではないでしょうかね。


で、なんでこんなことを政府が考えているのかというと、

みんなが75歳まで働けば、

日本の労働人口が維持できるからなのですよ。

ただ、この施策の弱点は、

よろよろの労働者の占める割合が多くなること。

軍隊で言えば、動きのわるい老兵ばかりなので、

動きが鈍いこと。

機動力もないので、

頭数だけを揃えたよわっちい軍隊、

ということになりますね。



昔の年寄りと今の年寄りを比べても、詮無きこと。

そして未来の年寄りは、どうなるのでしょうね。




お金に関する大切な話



僕は斎藤一人さんの影響を受けて、

天国言葉を使うようになり、

劇的に人生が好転した経験があるので、

言葉は、とても大切だと思っています。

聖書にも、はじめに言葉ありき、とかいう、

記述があったように記憶しています。


で、今日は、斎藤一人さんの話ではなく、

本田健さんの話。

本田健さんの本も、何冊も読んでいますが、

時間を無駄にせず、人生を存分に生き切っている人、

というのが、僕の、本田健さんの印象。

ネットで、彼の顔を初めて見た時、

あ、この人は、過去世で、中国人だったことがあるな、

と、直感しました。

実は僕も、過去世で、中国人だったことがあるものですから。

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まあ、そうしたスピリチュアルな話は横において、

本田健さんは、福の神のような人。

で、その本田健さんの、記事を見つけたので、シェアします。


お金についての大切な考え方のひとつに、「代々受け継がれていくお金との関係」があります。

まず、お金をわかりやすく、「資産」と「負債」に分けて考えてください。

資産とは、あなたの人生を豊かにするものです。

負債とは、あなたの人生を貧しくするものです。

資産と負債には、それぞれ経済的な要素と精神的な要素があります。

例えば資産なら、お金を生み出してくれるものは「経済的資産」です。また、幸せを生み出してくれるものは「精神的資産」といえます。多くの人は、このふたつの資産を一緒くたにして考えてしまっています。

そして重要なのは、資産と負債は「世代を超えて価値と影響力を持つ」ということです。

まず、あなたが経済的資産を持っていれば、それを子どもや孫に残すことができる一方で、借金を抱えていれば子どもや孫に経済的負債を負わせる可能性があります。これらは目に見える物理的な資産なので、わかりやすいでしょう。

ただ、あなたに意識してほしいのは、精神的資産のほうです。この精神的資産は、さらに「無形資産」と「感情的資産」に分類されます。

無形資産は、おもに人間関係、健康、経験、知識、スキルなどを指します。感情的資産は、おもに自信、自尊心、愛、情熱、好奇心、楽しさ、感謝などの感情を指します。

そしてわたしが知る限り、多くの人は経済的資産ばかりを残そうとしながら、同時に膨大な「無形負債」や「感情的負債」を負わせることがよくあるのです。

無形負債は、殺伐とした人間関係や寂しい思い出です。感情的負債は、心配、怖れ、嫉妬、劣等感、無価値感、罪悪感などのネガティブな感情です。

それらネガティブな負債が残っている場合、いくら経済的資産を残しても、子どもや孫たちはあっという間にそれを失います。なぜなら、強力な「精神的負債」が受け継がれているからです。

逆に、「うちは貧しかったけど家族は幸せだったよ」という場合であれば、経済的資産はなくても、無形資産と感情的資産がたっぷり受け継がれています。

あなたは、どちらを残したいでしょうか?

経済的資産はもちろん大切ですが、より重要なのは精神的資産なのです。自分がいまどんな資産と負債を持ち、なにを引き継ごうとしているのか。これらの分類で整理することで、どうしたいかが見えてくると思います。

「経済的資産(負債)」だけでなく、「精神的資産(負債)」も、時代を超えて影響力を持つとお伝えしてきました。そうとらえると、わたしたちがなぜお金に翻弄されてしまうのか、その根本的理由が見えてきます。

もしあなたが、両親から「精神的資産(負債)」の影響を受けているなら、それはおそらくあなたが子どもだった頃に両親が描いた人生設計がベースになっているはずです。つまりあなたは、数十年前の考え方をベースにした「お金の設計図」にしたがって、知らず知らずのうちにいまを生きているのです。

そして、その両親も、あなたの祖父母から大きな影響を受けて育ったはずです。

祖父母の子ども時代はおそらく戦前~戦後間もない頃ですから、当時の日本はとても貧しく、恐慌や震災や戦争などにたびたび見舞われました。そんな時代には、当然ながらお金は慎重に使うべきものであり、多くの人は少しでも節約して、お金を貯めることに一生懸命になっていたことでしょう。

そうした欠乏感やお金を失う不安や恐怖感、お金を使うことに対する罪悪感などが世代を超えて、あなたの心のなかに脈々と受け継がれているともいえるのです。

お金の設計図は、いわば心的イメージです。ふだんは表に出てくることはありませんが、いざお金の不安や怖れを感じたときに、突如頭のなかに姿を現します。

例えば、あなたはいまの仕事が嫌でたまらないとします。ただ、パンデミックを経た先の見えない時代に転職するには、時期が悪いようにも感じます。本当はそのタイミングで、情熱や好奇心にしたがって行動していたら、むしろいい結果が生まれたかもしれません。

でも、大切な決断のタイミングで、お金に対する精神的負債が急に頭をもたげてきて、「やっぱりいまはやめておこう」「給料がもらえるだけマシだ」「景気がよくなるまで我慢しよう」といって、新しい挑戦をあきらめてしまうわけです。

しかし、お金の設計図は、あなたの力で変えることができます。たとえ先祖から脈々と受け継がれた「精神的負債」があったとしても、それはあくまで設計図であり、人生という建物を「施工」するのはあなた自身だからです。

基本プランは同じでも、考え方と行動によって、あなたは生み出す結果を確実に変えることができます。だからわたしは繰り返し、お金に対する「感情」についてお伝えしてきました。

あなたが、いまこの瞬間に、お金に対していいイメージを持って生きることがなにより大切です。

「わたしはいまお金を十分に持っている」

「わたしはいまの経済状態に心から感謝している。いまわたしが持つすべてのものを楽しんでいる」

「わたしはお金を気持ちよく人に与えることができる」

「お金を楽しく受け取り、喜んで自分のお金を支払うことができる」

手元にあるお金が多少心もとなくても、いまそう思って行動を変えることが、将来にわたるあなたの「精神的資産」をかたちづくっていくのです。

自分の「お金の器」を知ることから始める

そして、もうひとつ大切なことをお伝えします。それは、自分がもっとも幸せを感じられる「お金の適正な器」の大きさを知ることです。

いくら感情が大切といっても、いま年収300万円の人が、いきなり「年収3000万円を稼ぐぞ!」と思い描いても、結局は達成できずに惨めな思いを味わうだけで終わってしまうからです。

実に多くの人が、このように「もっとお金がほしい」「お金持ちになりたい」と願って、心を乱しながら生きています。

ものごとには順序があります。まずは自分が望むお金(年収)を、適正な大きさにしていきましょう。お金の適正な器の大きさの具体的な測り方は、例えば「年収500万円では不満だけど、年収1000万円になるのは大変そう」と感じるなら、この年収500万~1000万円が適正な器の大きさといえます。

まず自分にとって適正な器の大きさを知るからこそ、いまの自分が持っているものに自然と感謝が生まれ、お金に対していいイメージを抱いてスタートできるはずです。



うーん、メチャクチャ大切なことを言っています。

お金はあっても、精神的な負債を負っている人は、

破滅的な人生を送りがちであることは、

世の人々を冷静に眺めれば見えてきますね。


今日紹介した本田健さんの記事は、

腑に落としながら100回読めば、

それだけで運勢が好転しそう。


精神的資産の話は、とても重要です。

経済的豊かさと精神性の両立と言えば、

真っ先に思い浮かぶのは、斎藤一人さんですが、

本田健さんも、まさに、そういう人です。


僕が、ここで何か言うよりも、

本田健さんの言葉を、しっかりと心で受け止めて、

人生の糧にしてもらえれば、

僕としても、紹介した甲斐があります。




 

めんどくさいことしないで静かに暮らしたい系

 

世の中を生きていくには、めんどくさいことが多いのも事実。

おそらくその点では、天涯孤独のおひとり様は有利。

だってもう、めんどくさいことの大半はないのですからね。

ただ、例外もあって、

その天涯孤独生活を送る本人が、めんどくさい人の場合。


さて、昨日は、猛暑の中、両親の眠るお墓へ。

その後、新聞でも読もうと図書館へ。

入間市立図書館金子分館で、新聞をざっと読み、

市の広報誌ももらってきました。

もう43年も前に暮らしていた故郷ですが、

誰とすれ違っても、年数が経ち過ぎていて、

知り合いと合ったとしても、お互い認識できず。


入間市のPR大使に、朝日奈央さんが就任したようで、

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広報いるま7月号の表紙を飾っていました。


その後、市民体育館の駐車場に車を停めて、

駅方面へ。


僕が今住んでいる東武鉄道沿線よりも、

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路線がごちゃついてます。

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ペペや丸広などで涼み、

スローペースで歩きます。


丸広から出るときも、

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温度は35度越えの感じ。


そして、ゆるゆると帰宅。

昼間なのに、豊水橋を挟んだ道路が激混み。

それなのに、少しもイライラしないのは、

時間に追われていないからでしょう。


今図書館から借りているツェッペリンの

4枚組CDも、車の中にあったので、



渋滞中のにわかロック喫茶を楽しんでいました。





炎天下に交通誘導している高齢者



僕のブログをときどきでも読んでくれている人なら、

既にご存知だと思いますが、

僕は、3月末まで、アルバイトをしていました。

とある施設の警備員をしていたのですが、

その現場を他社に奪われて失業。


辞めざるを得なかった経緯は、

過去記事で詳しく書いているので繰り返しませんが、

同じ警備員でも、

炎天下に交通誘導している高齢者

は、つらいよね、という話。 


もうその人は死んでしまいましたが、

70を過ぎて、交通誘導のアルバイトを、

している知人がいました。

その人は、僕がかつて信仰していた宗教団体の人。

本人は、それが生きがいだったのだと思いますが、

とてもお金のかかる宗教団体だったので、

生活はガタガタ。

借金もしていたようです。

で、70過ぎても、アルバイトをやめられなかった、と。


高齢者のアルバイトって、限られますから、ね。

清掃とか警備とか、介護とか、あとは、

昔取った杵柄で働くしかない、と。

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今僕が、とりあえずでも生活していられるのは、

圧倒的に親のおかげだと思っています。

僕が仕事もせずにふらふらしていた時代、

あるいはまた、転職を繰り返していた時代、

あるいはまた、統一教会から逃げ出して、

ボロボロの状態で家に帰ってきた時、

黙って受け入れてくれた親がいたからこそ、

今につながる僕が、います。

もし僕が、そのような親に恵まれていなかったならば、

人生を建て直すこともできず、

もしかしたら今も、

フルタイムで働かざるを得なかったかもしれません。

もうすでに他界した両親ですが、

感謝の思いは、尽きることがありません。


今日も、暑くなるようです。

今日は、墓参りに行こうと思っています。

僕が今幸せなのは、いろいろな点で恵まれていたから。

決して自分の実力ではありません。

僕自身は、凄い弱っちい男ですからね。


先日、炎天下の道路で、

旗を振っている高齢者を見て、

とても切なくなった、僕なのでした。



内省は、とても大切です。




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